第二十五話:ある愚かな女の話をしよう


 ロルツィングの邸宅。

 その一室である自室にて、俺は思い悩んでいた。

 本来ならば対策本部に居るべき身だが、


 ――アルマン様……いったい何日休んでいない? なに? 緊急事態宣言の日から? ……一先ず、一度お帰りを。今の貴方が居た所で邪魔なだけでしょう。≪研究所≫の予測ですと恐らくは≪怪物大行進モンスター・パレード≫は近い。調査から判明した森の中の≪黒蛇病≫にかかったモンスターの数からして、恐らくは明日か或いは明後日か……体を休め、英気を養っておくべきだろう。


 そう言われて無理矢理に追い出された。

 判断としては正しいとは思う。

 指揮権を渡したとはいえ、そんな天王山で領主が倒れられては堪ったものじゃない。

 勝てる戦いも負ける。



 ……だが、無理なのだ。



 顔がよぎってしまう。



 それはさっき俺にすがるように声をかけた市民であったり、


 あるいは不安を堪えながら問いかけてきた二人の子供であったり、


 それなりに知り合った狩人であったり、受付嬢のミーナであったり、レメディオスであったり、ゴースであったり、ガノンドであったり……。



 それらが俺に安眠を許してくれない。

 俺なんかを信じてくれている彼らに報いたい。


 だが、

 だが、


「……くそっ! クソっ、クソっ!」


 苛立ち紛れに机の上に乗っていった報告書の類を蹴散らしたが、当然のように気分は晴れない。


 わかっている。

 わかってしまうのだ。


 このままでは大勢が死ぬ、それがわかっていてなお冷静でいられる強い精神など俺にはなかった。

 どうしようもない現実が迫り、駄々をこねる子供のように暴れることしか出来ない自分が酷く情けなかった。


 ――俺の責任だ。俺がもっと……もっとしっかりしていればこんなことには……。


 後悔は遅く、時間が巻き戻るわけでも無い。

 押し潰されそうな自責の念、さりとて逃げ出すわけにはいかない。

 災疫龍≪ドグラ・マゴラ≫を探し出すことが出来ない以上、≪怪物大行進モンスター・パレード≫をどうにか最小限の被害で凌ぐしかない。

 それが無理だとわかっていも俺は皆を勇気づけて、信じさせて、命を賭して戦わせる役目がある。



 吐き気がしそうだ。



「……明日も早い。顔色だけは戻さないと」


 誰も居ない自室で俺はポツリとそう呟いた。

 ベッドに横になって無理やりにでも睡眠を取ろうと、のろのろと動き始めたタイミングだった。




「アルマン……居るわよね? 部屋に入らせて貰うからね」




 行儀よくドアをノックする音が響き、そして返答をする間もなくアンネリーゼが部屋に入って来たのは。



                  ◆



「…………」


「…………」


 俺とアンネリーゼはただ無言で部屋のベッドに隣り合うように座っていた。

 止める間もなく部屋に入ってきたアンネリーゼは、俺が散らかし床にぶちまけたものを何を言うわけでも無く軽く掃除すると、困惑するこちらを他所に隣に座って来たのだ。


「えっと……母さんなにを……」


 戸惑うように俺は話しかけた。

 普段、こちらのことに気を使ってちゃんと許可を取らないと部屋の中に入ってこないアンネリーゼが、返事をする前に強引に入ってきたことに驚きを感じていたし、それに何よりもいつもと違う雰囲気に俺は困惑していた。


「明日も……早いんだ。だから、早く寝ようと思って……何か用事があるのなら……後で……」


 だが、今は気にしている余裕がない。

 それにあまりアンネリーゼとも話したい気分ではなかった。

 俺は何も言わないアンネリーゼにそう言って退出して貰おうとして、



「ねえ、アルマン」


「……? 母さん?」


「ダメなんでしょう? ≪グレイシア≫は」



 口に出されたその言葉に直接心臓を握られたかのような衝撃を受けた。


「な、なにを……っ! だ、大丈夫だよ。心配しなくていい! ≪グレイシア≫は……ロルツィング辺境伯領は……俺が……!」


「嘘ね。そんなこと思えてない癖に」


「そ、そんなの……っ、なんで!」


「わかるわよ。だって私は――」


 アンネリーゼには俺の眼を真っ直ぐ見つめると口にした。



「――貴方の母親だもの」



 身体から力が抜けていくのを感じた。

 張っていた気が萎んでいくのが俺は確かにわかった。


「……ダメなのね?」


「…………」


 繰り返された問いに俺は目を伏せることで答えた。

 現状では打開策がない。


 今のところ、道は二つしかない。


 ≪怪物大行進モンスター・パレード≫を凌ぎ切れず、城壁を失ってしまい≪グレイシア≫を失陥する。

 あるいは≪怪物大行進モンスター・パレード≫を凌ぎ切るも、被害の立て直しが出来ずにそのまま≪グレイシア≫は力を失うか。


 結局のところ、早く滅びるか遅く滅びるかの違い。

 口に出せるわけもないし、領主として口に出していい言葉ではない。

 だから、俺は無言を通すしかなかった。


「そっか……」


 アンネリーゼはそんな俺の様子を見て納得したかのように一つ頷いて、改めて口を開いた。




「なら、何もかも忘れてお母さんと一緒にこのまま邸宅で過ごそうか?」




「……は?」


「≪怪物大行進モンスター・パレード≫ってのは明日か明後日の予定なんでしょ? なら、まだ時間はたっぷりあるわよね。最近、帰って来なくてお母さんの料理食べてなかったから恋しいでしょ? うんと美味しいものを食べさせてあげるわ! アルマンの好きな物だけ作ってあげる! そのあとは一緒にお風呂に入って、一緒にベットでおしゃべりして寝るの! それで――」


「な、何を言っているんだ母さん!」


 俺は思わず悲鳴のような声を上げた。

 アンネリーゼが何を考えているのかさっぱりわからなかったのだ。


「そ、そんなことできるわけないじゃないか! 俺は貴族だ。誇り高きロルツィング家の血を継いだ辺境伯。領主として≪グレイシア≫を守る義務、務めを果たす立派な責務が――」



「そんなのどうでもいいわ」


「な……あっ……」



 切り捨てるかのようなアンネリーゼの言葉に俺は咄嗟に二の句が継げなかった。


「なんで……母さんが……」


 俺が貴族として振る舞うことに、領主として功績を立てることに一番喜んでいたのはアンネリーゼだったはずなのだ。


 だからこそ、俺は……。

 なのに何故、今になって……。


 荒れ狂う感情が言葉として出力されることが出来ず、無意味な音になって口から零れた。

 そんな俺の様子を見ながらアンネリーゼはその白い指がそっとこちらに伸ばし、そして頬へと触れた。


 びくりっと俺は幼子のように震えた。


「ねえ、アルマン。一つだけ昔話を聞いてちょうだい。――ある愚かな女の話を」



                  ◆



 昔の話よ。

 全てを奪われた女が居たわ。


 先祖の血が強く出たのか恵まれた容姿と老いが遅くなる特徴を持った、平凡だけど善良な貴族の元に生まれた女。


 けど、その特徴は女を幸せにはしてはくれなかった。


 噂を聞きつけ、我が物にしようと欲する男が現れ、その身を寄越すようにと善良である親へと持ち掛けた。

 当然のように跳ねのけたその女の親だったけど、それが男の逆鱗に触れることになり、ありとあらゆる手段をもって家を念入りに没落させられ、最後には自殺に追いやるまでに徹底的に追い詰めた。


 親を失い、家を失い、貴族としての称号を失い。

 女は憎き男に跪くしか、生きる道を選べなかった。


 屈辱の日々だった。

 情けなさで死にたくなる日々だった。

 弄ばれ、蔑まれ、暇を潰す程度の扱いだった。


 そんな日々に終わりが来たのは女が子供を身籠ってしまったからだ。

 別に男は玩具程度の扱いの女を孕ませた程度で考えを変えるような男ではなかったが、男は利己的な人間でもあった。


 自身の血が繋がった子供。

 それはあるいは将来何らかの役に立つかもしれない。

 そう思ったのだろう、女と子供はそれなりの扱いを受けられることになった。


 その事を悟った女は子供を


 失ってしまった、だが新たに得た家族ではある。


 だが、その血の半分は憎き男の血でもある。

 愛していないわけではない、だが愛しきれているわけでもない。


 だからこそ、女は愚かなことに、醜きことに、他ならぬ自身のために子供を育てようと思った。


 ……本当に吐き気がする。


 ロルツィングの家を正統に告げると決まった時、女は狂喜乱舞した。

 自分のことのように、正式に貴族を名乗れることを祝福した。

 そして、一層に貴族や領主としての振る舞いをするように言いつけた。

 他ならぬ自分のエゴのために押し付けたのだ。


 ……本当に吐き気がする。


 ≪グレイシア≫に行き、次々と功績を立てる子供に女は鼻高々になった。


 自分の子供はこんなにもすごいのだ。

 とっても素晴らしいのだ。


 そう言いたくなるのを我慢しつつ、それでもこれまでの人生が救われるようだった。

 女は子供のためと言いながら、実のところ自身のこれまでが報われることを求めていただけだった。

 貴族や領主としての振る舞いに口を酸っぱくして言い聞かせたのも、その執着の現れでしかなかった。


 ……本当に吐き気がする。


 ああ、でも何時からだろう。



「私は何時しか……貴方の帰りを待ちわびるようになった。立派になれ、貴族として相応しい人物になれ、ロルツィング家の当主の名に恥じぬように頑張れ……なんて、昔から発破をかけておいて馬鹿なことだけどね。でも、すくすくと成長していく貴方を見て私は幸せだった。それだけで良くなっていた……」



「…………」


「アルマン……。私の全て、この世で唯一の私の宝物。貴方は……敏い子だった。私なんかの予想を超えて立派になった。そして、私なんかの予想にも付かないほど頭がいい貴方にはきっと……私にはわからない何かが見えている。……昔からそうだった。ずっと何かに苦しんでたものね……。出来れば一緒に背負ってあげたかったけど、たぶんそういうものじゃないんでしょうね……」


「それは……」


「別にどうでもいいのよ。アルマンに無理をさせてでも聞き出したいわけじゃない。わかって欲しいのはただ一つだけ。……アルマン、私は貴方が大好き。世界で一番、大切に思っている。だから共に終われるなら……それも本望。アルマンがこれまで頑張って来たのは私が知ってる。それがこの結末に行きつくのなら……最後くらい、休んだっていいはずよ。私が認めるわ」


「でも、俺は……」




「――いいのよ、アルマン。よく頑張ったわね、私の自慢の息子」




 そう言って笑いかけてきたアンネリーゼの顔に俺は

 それはきっと大事なことだった。



「さあ、ご飯にしましょう! 目一杯、美味しいご飯を作るからね! 残さず食べるのよ!」


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