貝渚キコ 3月――サトミにて5

 ツネが「お代はツケ払いでにゃー」と、ほろ酔いになりながら店を出た後、すれ違いで、ロイネが袋に包まれた大きなキョンのモモ肉を抱えて戻ってきた。


「おいおい、ロイネ……そんなデカい肉、何で払ったんだよ……」


「ふふふ……上総への遠出だからね、さぞかしムラムラしている人たちが多かったでしょう。300ギガ分ので、即決だったよ」


「ああ……なるほど」


 探索者や、交易者との取引で、俺たちはコロニー外で回収した、大崩壊前の時代にあった多種多様な電子情報データの交換などを行うが、その膨大な電子データの中には、の為の、スケベな動画や画像データなども多く含まれていた。俺とロイネは、こういったピンク色に染まったクラスターデータと、食べ物と交換する行為を、「オカズ交換」と揶揄の意味も込めて、そう呼んでいた。


「性欲と食欲の価値は、ありえないほど遠いようで、限りなく近い……ってやつだな」


「ちょっと止めてよねキコ! せっかく手に入れた肉が不味くなっちゃうでしょ!」


「あまり、男たちにそういう事すんなよ……ここがサトミだから、まだマシとはいえ、他のコロニーだと下半身に脳味噌移動したヤツに襲われるかもしれ——」


 ロイネがカウンターのキッチンで、調理ナイフをクルクル回しながら、キョンのモモ肉を、慣れた手つきで解体していた。刃の先を起用に使って、キョンの骨格筋を綺麗に切り分け、捌いていく。ちょうど、辺りを、バラバラに捌いていたのだ。


「なんか言った? キコ?」


「……いや、ロイネなら問題ないな、と思っただけだよ」


「それって、どういう意味?」


「なんでもねえよ。何か手伝うことはあるか?」


「そうだなー……じゃあ、アレをお願いしようかな」


 ロイネの云うアレとは、俺が筆と墨を使って「カフェ・テコナ」のメニューに直接書き込んでいく、書道の事だった。


「えっと……キョンの煮込みでいいんだな?」


「お願い。やっぱり喫茶店といったら、食欲をそそられるメニュー! 美味しそうな字を書いてよ、キコ!」


「美味しそうな字……そもそも、喫茶店って、煮込み料理って出すのか?」


 自分自身では未だによく分からないが、俺が書く文字には、人の心を癒す力があると、百目木の爺さんも言っていた。そもそも、キカイである俺が文字を書く行為は、大崩壊前に普及していたプリンターと呼ばれる機械と一緒だと思うが、文字にはその人が、例えそれがキカイであろうとも、歩んだ人生が如実に表れるという。それは、誤魔化しきれない、真実の情報だという。


「真実の……情報ね……こんな、感じでいいか? ロイネ」


「うん! 上出来だよ!」


 ロイネは捌いた鹿肉を塩ですりこみ、よく洗い、水分をよく拭き取ってから隠し包丁で、肉に切れ込みを入れ、フライパンで軽く焼く。別の鍋で、みじん切りにしたニンジン、タマネギ、ニュージンジャーとニンニクパウダーを水と模造赤ワインで沸騰するまで混ぜ合わせ、スープにした。


「キコ、そのままかき混ぜ続けてね」


 軽く焼いたキョン肉と、スープと一緒によくかき混ぜ、ローリエと一緒に、圧力鍋で小一時間待つ。


「うーん、やっぱ、キョンの臭みは取れねえな……」


「ふっふっふー……そこで、この最終兵器の登場だ—」


 ロイネがテーブルに置いたのは、あの悪名高い「オレカラ」の実を使ったマーマレードだった。カッコーマン社の十八番、バイオ合成技術の賜物で、オレンジとカラタチを合成させたものであり、名前の由来を聞けば、オレンジの甘みとカラタチの強い酸味が合わされば、バランスのよい、美味な柑橘類になるはずだが、このオレカラはびっくりするほど、臭く、苦く、酸っぱく、不味かった。ロイネが勿体ないからと、マーマレードにでもしてみたが、苦味と酸味が強化され、そのまま冷蔵庫の隅の方に眠っていた。


「更に、酷くなるんじゃね……」


「まあ、見てて……よ!」


「って……おい!」


 ドバドバとオレカラのマーマレードを大量に投入するロイネ。オレカラの実がスープへ完全に溶け込み、多分……かなり怪訝そうな顔をしている俺を見たロイネが、煮込みから肉をつまんで、口の中に放り込んだ。


「ん? おい、嘘だろ……肉の臭みが消えた? それに柔らかい……」


「マーマレードに含まれるペクチンっていう食物繊維がね、肉をトロトロに柔らかくして、臭みも取ってくれるって……大崩壊前の料理雑誌のデータに書いてあったんだよ」


「……」


「な、なに? キコ……黙り込んじゃって」


「ふっ……なんでもねえよ、流石はカフェ・テコナの料理長だなって、感心しただけだ」


 時折俺は、ロイネと一緒に喫茶店をやっている事が、この上ない多幸感に包まれる感覚があった。何もないところから、魔法のように料理を産み出し、日に日に、成長しているロイネの姿を見ているとき、抑える事が出来ない多幸感を、この身に染みて感じていた。たとえ俺が、人間まがいのキカイでもだ。


「ちょっと、遅めの昼食ってことで……」


 テーブルに置かれた、パン祀りの皿に盛られたキョン肉の煮込みと、ラブラブパックと松葉ソーダを並べ、俺とロイネは両手を合わせて——。


「いただきまーす!」と、元気よく挨拶した。

 

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