貝渚キコ 3月――サトミにて2
「いったい、この量は一体……」
俺の目の前に、箱いっぱいに詰まったラブラブパックが置かれている。ロイネが、もじもじしながら、玄関の後ろから俺を見つめていた。
「ごめんね……キコ、やっぱり、私我慢できなくて……」
「なにが……いや、言わずもがな……だな」
「そう! パン祀りよ!」
パン祀りとは、大崩壊前から谷崎製パンが春に必ず行っている、謎の恒例行事の事だ。文明の崩壊後ですら、谷崎製パンのAIがせっせっと、この謎の慣習を続けていて、まるで、一種の信仰の祝祭のようにも見えた。企業のポイントとは別に、谷崎製パンが管理している二十四時間食料供給型無人店舗「デイリータニザキ」から、パン製品を購入の際、シールという粘着剤が塗布された点数がプリントされた物理的なポイントを渡され、それを規定の点数まで溜めていくと、店舗のキカイから、素敵なプレゼントが貰えるというシステムだ。
その、素敵なプレゼントというのが……。
「そこまでして、あの皿が欲しいのか、ロイネ……」
「ただの、皿じゃないんだよ。ちょっとやそっとじゃ、割れない頑丈な皿なのは、洗い物をしているキコだってよく、分かってるでしょ」
「ちょっとやそっと」どころじゃなかった。パン祀りで貰える皿は、超強化ガラス製であり、俺がうっかり手を滑らせて、あの皿を床に落としてしまったとき、一ミリも傷一つ付いていないどころか、むしろ、モルタルの床の方にヒビが入っていたのは、少しだけギョッとした。
プロポーショングリッド越しに、この皿の構造を分析しても、気相合成法による化学強化ガラスだという事だけしか鑑別できなく、このガラスがどんなガス原料で、どんな製造方法で作られていくのかも分からない。しかも、コストなどを考えて、このオーバースペックなシロモノをパン数十個ぐらいで、交換できる意味も分からないし、わざわざ谷崎製パンが、この皿を毎年、しかもデザイン違いで配っている意味も分からなかった。
ロイネには内緒だが、新しい散弾銃を手に入れたとき、クレー射撃練習のピジョン代わりに、この皿を使った事がある。着弾を確認したのにも関わらず、皿は割れるどころか、対キカイ用のスラッグ弾までも、弾き飛ばし、跳弾したのを見てしまって以来、俺は段々、このパン祀りの皿が怖くなってきて、何も見ていなかった事にしておいたのだ。そうだ、これはただの皿……ただの皿なんだと、自分を納得させた。
「ただの皿ぐらいなら……しょうがねえな。ただし、しばらく三食はラブラブパックしか食えねえぞ。飽きても俺は知らんからな」
「ふふん! その事なら、まかせてよね! カフェ・テコナの料理長のアレンジレシピを、どうぞご堪能あれ!」
そう言って、ロイネは店のキッチンに入り、エプロンをつけながら、鼻歌を口ずさみ、ラブラブパックの包装を思いっきり開けた。
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