プロローグ2

 大きい方の身長は、百八十ぐらいはあるだろうか、シニヨンヘアの、おっとりして垢抜けた……この大崩壊後のご時世には、似つかわしくない例えなら、育ちのよさそうなお嬢様といった感じだ。


 一方、小さいほうの子は、まとめていないボサボサした長髪、傷だらけの顔に、猛禽類を彷彿させる鋭い眼つき、そして右手に握られた、九十九ツクモ重機製の拳銃……もし私が、妙な動きをすれば、頭に一発お見舞いされそうだ。


 彼女たちは撥水性の高そうなツルツルした、テントや防水ジャケットで使われる布地で作られた黒いロングドレスに、白いエプロンという着合わせだった。これも、過去の雑誌のデータで知っただけだが、かつて秋葉原、池袋辺りで、こんな奇天烈な格好をさせて、飲食を給仕している店があったことを知っている。


 その只ならぬ光景の圧に押されて、「店を間違えました」と、私はそそくさとその場を後にしようとした。


「ち、ちょっと待って! 全然、怪しくないから! 健全な店だから! 安全だから! ね? ね? ね?」


 ドアを閉めようとする私に、何も変な店じゃないと大きい方の彼女は必死に強調するが、どう見ても怪しすぎる。


「キコ! その銃をしまって! お客さんが怖がってるでしょ!」


「えっ……だって……ロイネ」


「だって、じゃない!」


 キコと呼ばれる少女は、大きなため息を吐きながら、銃をクルクルとジャグリングさせながら、ホルスターに収める。ギロッと私を睨めつけ、「何か変な事したらぶっ殺す」という、表情と手話で脅された。超怖いし、もう、早く帰りたかった。


「こちらに、どうぞー」


 案内された席は、バルコニー傍の景色が見える、日当たりの良さそうな場所だった。渡された手書きのメニュー(これも、中々の達筆だ)には、ハーブティーの他に、キノコ茶、ドクダミ茶、タンポポ茶、虫糞茶。食べ物は、人食い海苔の佃煮、中山コンニャク、コオロギ煎餅、クッキー、ヨモギの団子、ケーキ……などなど、カフェでなくても、他のコロニー内の食堂やお店で手に入るものばかりだが、メニューの片隅に、今の世では、中々お目見えできない代物が書かれていた。


「コーヒーって……本物の?」


「タンポポとかのイミテーションじゃなくて、ウチのは本物のコーヒーだぜ」


 キコの手に黒い粉末が入った透明の素袋が握られていて、指の上にその粉末を私に見せつけた。手元の鑑別機には、半分以上の全多糖類と、脂質、カフェインと異常な量のポリフェノール……それに、この香り。


「本物のコーヒーだよ、インスタントだけどね」


「でも一体どこで……」

 

「行徳のオゾンモールの最深部で、このコーヒーを保管している区画があって……」


「ロイネ……それ以上、言うな」


「ご、ごめん」


 情報そのものが、命よりも貴重な資源である以上、私もこのコーヒーの出所をあまり聞きたくはなかった。そんな事よりも——。


「このコーヒーはいくらで飲めるの?」


 その私の言葉を待っていたと言わんばかりに、キコと呼ばれる少女は、即答した。


「いくらなら出せる?」と。


 コーヒー……正確には、赤道を中心としたコーヒーベルト帯しか育たないコーヒーの木から、採取される実を焙煎させ、粉砕し、淹れたもの。大崩壊から、外国からの輸入品が途絶えている現在、その飲み物の存在は、遠い昔の……物質的に恵まれた豊かな時代の頃に飲まれた幻の遺物のようなものだった。だからこそ、私は……。


「こ、こんなに……」


「洗浄済みの百ギガ分の、動画、音楽、書籍データが入ったUSBストレージと希少な天然石……鑑別機はある?」


「必要ねえよ」


 キコは、ヒョイとルースをつまみ上げ、ジーっと見つめたかと思えば、瞬きを繰り返した。淡く発光する眼球、縮小と拡大を繰り返す瞳孔、蛍石レンズ特有の虹色のプリズム。まさか、この子は。


「プロポーショングリッド? あなた、まさか……キカイ?」


「確かに本物のアレキサンドライト……若干インクルージョンが多いが……あんた、相当、腕のいい交易者だな。そうだよ、俺は九十九重機製の戦闘用アンドロイド、型式番号はEDO-60……お前たち人間が言う、キカイってヤツだよ」


「……色々あってね、キコは私の用心棒をやってもらっていているの」


「用心棒って……でも、この子は——」


 ロイネは、私に哀しい瞳を向けた。もう一度言うが、情報が命よりも貴重なこの世の中だ。これ以上詮索するのも、野暮だろう。


「おい……あんた、このデータって……」


 私の持ってきたデータの一部に気づいたのだろう、都内で出会った測量士から、ポイント交換をしたモールの更新データだ。キカイが増改築を繰り返し、膨張しているモール内は、一度入ったら出られない大迷宮であり、私のような、モールには縁のない、非力な交易者には持て余す地図データだった。


「南船橋のモール内……西館第二十三区画、谷崎製パンの倉庫区画の南東辺りに……」


「コーヒー備蓄……って、これって……」


「真偽は定かではないかもしれないけどね、でも行く価値はあるよ……それに、頼りになるボディガードもいるなら、この地図データを君たちに託すべきだと思ったのよ」


 二人は顔を見合わせ、ロイネは私へ一瞥した。


「最高のコーヒーをお出しします。もしかしたら、この世で最後の一杯を……」



「なあ……あんた、八王子から来たんだろ、都内の様子はどうなんだ?」


 キコは、江戸川の向こうに広がる都心を眺め、人工煙草を吸う私に一本くれと催促した。見た目は、小学生で色々とマズイ気もしたが、キカイに年齢もへったくれもないだろう。


「相変わらず酷いもんだよ……人間の数より、キカイの数が多い印象だね。いくつかのコロニーも全滅している」


 こんな事をキカイである彼女に言うのも変な感じだった。


「そっか……ゴッ! ゴッホ! これ……かなり、キツイなっ!」

 

「キ~コ! そういう体に悪いものは駄目だって、何度言えば……」


「わーってるよロイネ! お前は俺のお袋か!」


 形容し難い、豊潤な……いい香りが漂ってきた。ロイネの持つトレイの上には、雑誌の写真データでしか見たことない、代物が置かれていた。


「ア……アフタヌーンティースタンド……頼んだっけ?」


「お菓子や、ケーキはお店からのサービスです」


「いや、そういう訳には……」


「もらっとけよ、あんたは、相応の対価を払っているんだからな」


 二人の少女は優しく笑みを浮かべて、私は渋々と、ケーキを食べながら、希少なコーヒーをすする。舌の先から僅かな酸味があり、その後、もったりした苦味が舌の奥の方へ流れ込んだ。模造品イミテーションと思しき砂糖と牛乳を加え、ゆっくりとティースプーンでかき回し、コオロギクッキーを頬張り、それをコーヒーで流し込む。


 ラジオから、歪んだエレキギターのアルペジオが流れてきた。すっかり、夜の帳が下りてきて、都内の光が煌めく。かつて……文明が滅ぶ前の、人の営みの光景だ。生暖かく、生臭い、南から運ばれてくる潮風が、コーヒーの焦げ臭い香りに絡み付き、得体の知れない落ち着きと、多幸感を私にもたらす。


「崩壊前の人々が、この苦い飲み物をよく飲んでいたのが、よく分かったような気がしたよ」


「……その気持ち、よく分かります。その気持ちを知らせたくて、私たちは、コーヒーを探し、お客さんに出し続けているんです」


「例え、今がこの世の終わりでもな」


 ロイネとキコは、私と同じ光景を眺めていたが、どういう訳か、彼女たちは別のものを見ているような気がした。どこか遠くの……何かを。


「本当にいいんですか? 泊まっていけばいいのに」


「ロイネェ! だから、見ず知らずの人間を泊めるなってあれ程……」


「あら、キコ、もしかして妬いてるのぉ?」


「べ、別に妬いてねえしっ! 俺はお前の身の危険をっ!」


「本当だったら、これだけの情報資源を貰っておいて、インスタントコーヒーだけじゃ、足りないんだからね!」


「だぁかぁら! 俺はロイネの為だと思って!」


 私がコーヒーを飲み終えてから、この二人の少女たちはノンストップで言い争いを続けていた。居心地が悪くなった私は、とっとと、お暇しようとしていた。


「宿についてはご心配なく、知り合いの所に今日は泊っていくつもりだから」


「そっか……また、お越しくださいね。コーヒーだけじゃなくて、お茶だけでもいいから是非……」


「また……飲みに来いよ。色々とあんたが見てきたことを話して欲しいからな」


 ロイネとキコは、私が振り返るのを止めるまで、手を振るのを止めなかった。サトミのコロニーの外れにあるカフェ・テコナ。


 また、行くかもしれない、そんな店だった。次に、この店へ来れるのはいつだろう。果たして、私はまだ生き残っているのだろうか。


 この世の終わりに飲むあのコーヒーの味を、私はしばらく忘れないだろう。

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