此の世の終わりで、君と最後の珈琲を

高橋末期

プロローグ

プロローグ1

 南から運ばれてくる生暖かい風と一緒に、すえた潮の臭いが鼻につく。下総しもうさの国に入ったのだと実感した。


 ケヤキとユリの木の森の中にある獣道と化した国道14号線沿いを歩き続け、隅田川、荒川、中川を越えてから、そこそこ大きな川が現れる。江戸川だ。都内から下総に入る橋は少なく、おまけに国道の橋は崩落しているので、かろうじて橋としての形を残している東成線の橋梁を渡るしかなく、川には悪名高い「人喰い海苔」が、わんさかといるのだろう。

 

 私がここまでして、下総に行かなくてはならないのは、たったある一つの目的の為だった。


 国府台駅から更に北上すると、三十メートルぐらいの小高い台地のような場所が現れた。その台地の上にはサトミと呼ばれる国境のコロニーがあり、私のような交易者がよく行き交う場がある。そのサトミと呼ばれる一角に、なんと喫茶店があるというのだ。


 喫茶……なんとも郷愁を感じる言葉だろう。発掘される文献や、写真などでしか知らないが、大崩壊前の人々は、喫茶店という場所で、お茶やコーヒー、お好みのサンドイッチを食べながら、親しい友人とお喋りをしたり、仕事をしたり、ペアーコンピューター製のデバイスを広げ、他の人に(自慢でいいのだろうか)いたと書いてあるのをよく見かけた。


 もちろん、この大崩壊後のこのご時世に、喫茶店などという呑気な事をやる物好きは皆無で、私も下総の国にそんな店があるのかも半信半疑であった。


「へえ……わざわざ、八王子からかい?」


 サトミの初老の門番は、私のプロフィールと、足跡を保存したログを確認し、まじまじと、私の持つ装備を鑑別機でスキャンした。


「あなたも、その喫茶店に行ったことは?」


「そりゃあるよ、どっちかっていえば、喫茶店というより、別の方の仕事でね……」


「と、いうと?」


「まあ……行ってみたら分かるよ、ん?」


 門番が、手首の辺りをトントンとノックした。わたしは何も言わずに、携帯端末からアドホック形式で門番と無線接続し、自分が持つオゾンモールのポイントを昼飯分ぐらいの量でチップとして、門番の持つポイントカードに送った。交易者として、各コロニーを転々する際の暗黙の了解だった。


「どうも……」


 門番は軽く会釈して、門を開けてくれた。さっきから「門」と言っているが、ここのコロニーにも、大崩壊前の企業複合体が残したネットワークシステムが生き残っていて、実質、企業による保護監視下に置かれている。「三柱」と呼ばれるタワーから制御される、見えざる壁が、この国府台、サトミのコロニー内を覆っていて、企業からの無人機、特に「キカイ」からの襲撃を免れていた。さっきの門番は、見えざるファイアウォールに私の侵入を許可しただけに過ぎなく、わたしが門番の許可なく、このコロニーに侵入すれば、たちまち、企業の防衛システムによって、無慈悲に処理されてしまうだろう。


「あと、若いの! その喫茶店に行ったら、と、言っては駄目だからな!」


 門番が言っていた事の意味が分からなかったが、一応貴重な情報として、受け取っておくことにした。


 その件の喫茶店はすぐに見つかった。かつての大学や病院、軍施設の跡地を抜けて、瓦礫と、木々が生い茂る森となった住宅街の一角、江戸川や東京を見下ろす小高い丘の縁に、こじんまりとしたカフェが建っていた。


 入り口の看板には達筆な文字で、「カフェ・テコナ」と書かれている。テコナというのは、ここ一帯の伝承で有名な手児奈の事だろうか。


 手作りで改修したのだろう、かつては白亜のモルタル調の外壁が美しい一軒家だったに違いない。明らかに別の住宅の材質が違う壁を継ぎはぎで補修している形跡がある……大昔の絵本で見たような、御伽の国の小人が住む、こじんまりとした可愛い掘っ建て小屋という趣だ。


「あっ」


 玄関の扉が突然開き、看板を「営業中」にくるりと回転させる手が現れた。玄関の外で、呆然と立っている私に彼女の目線が合った時、勢いよく、扉をバタンと閉めてしまう。しばらくしてから、店の中から、大きな物を移動させているような音と、姦しい怒鳴り声が聞こえてきた。


「は……入っていいのかな?」


 おずおずと、店の扉をノックしてみたら、「どうぞー!」と、妙に明るい声で返される。


「お、お邪魔しま——」


「おかえりなさいませ! お姉さま!」


「……さまー」


「……」


「……」


「え?」


 私の目の前に、妙な恰好をした二人組の女性……年齢的に少女というべきだろうか。端的に言って、小さいのと大きい女の子がいた。門番の注意通り、小さい方に小さいとは絶対言わないけど。

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