第4話

律は言葉を喋らなくなった。

どうやら意識はあるらしい。

ご飯も食べるし、強要されればお風呂だって入る。


だが、それだけだ。

あとはずっと部屋に籠り、虚ろな目で空を見ている。


誰が話しかけても反応はない。

生命維持の行為だけを毎日毎日繰り返す様は、さながら機械仕掛けの人形のようだった。


「あの子生きてるの?」

「学校も行かずに引きこもってるらしいよ」

「壊れちゃったのかね、ほんと御愁傷様って感じ」


噂話は相変わらず容赦がない。


「誰のせいだ」と呟いた詩は、小さな箱を手にして自分たちの部屋に入った。


「律、ただいま」


お出掛け用の鞄を机に置いて、律に声をかける。


律から返事はない。

返事はなかったが、鼻歌を歌っていた。

すっかり光を失った瞳で、床一点を見つめて、途切れ途切れに歌っている。


元気だった頃と変わらない 、天から降ってくるような 美しい旋律。

だが、表情なく歌う様は壊れたオルゴールのように歪で、不気味だった。


「……今日は、ご機嫌だね」


フッと微笑む詩。

喋らなくなってから律がする『人間らしい』ことといえば、鼻歌を歌うことぐらいだ。

詩は律の前にしゃがむと、買ってきた箱を律に開いて見せた。


「今日は何の日か知ってる? 九月五日――僕と律の 、十四歳の誕生日だよ。だからねー、購買でケーキ買ってきた」


「…………」


「僕と律の好み、ほとんど一緒だから、自分が食べた いの買ってきちゃった。いいよね、律」


「…………」


「ね、それ何の歌? 初めて聴くけど、聖歌でそんな のあったっけ?」


「…………」


「……律」


話しかけても、律から反応は返ってこない。

分かってはいたが、詩はそれでもしょんぼりと肩を落とした。



「あれからもう半年近く、 か……」


首吊り事件以降、律も詩も学校には行かず、引きこも り生活を送った。

律は学校に行ける様子ではなかったし、詩はそんな律を放っておけなかったから だ。

引きこもると、季節の感覚も鈍る。誕生日が来ると気づいたのも、昨日だった。


「みんな、律がおかしくなったって思ってる……」


事件が露呈してから専ら騒がれたのは、詩が助かると分かっていたのに、『何故、律が首を吊ったのか』だった。

庇われた罪悪感、全てに絶望した、などなど憶測は飛んだが、どれも違うと詩は思った。


理由は分かる。

特殊な歌声や双子のせいで化け物扱いされて、片割れ が傷つくくらいなら、自分がいなくなればいい。片割れを生かそうとして、自ら犠牲になろうとした。

律はそういう人だ。何かあったらすぐ自分を蔑ろにする。


「思い詰めすぎだよ、律。 律がいなくなって、僕が一人で生きて……嬉しいわけないじゃん」


無表情で鼻歌を歌い続ける律を、軽くデコピンする詩。

律の首には、あの時ロープで絞めた索条痕がまざまざと残っている。

生々しい痕を見て苦い顔をした詩は、自分の首に残った切り傷に手を伸ばした。


「僕も律も、首に怪我しちゃったね。これも双子だから? ……いや、冗談言ってる場合じゃないか」


身も心も傷を負った。詩も、律も。

だが、精神的に繊細だった律のほうが、そのダメージは遥かに大きかった。

律がいつ回復するかは分からない。もう一生壊れたま ま、あの笑顔も優しい声も 、二度と聞けないかもしれない。



でも、それでも――


「僕等はずっと一緒だよね。だって、唯一無二の血縁だもん。律が帰ってくるま で、ずっとずっと待ってるよ」


片割れを守ろうとして、自分を犠牲にしようとした律。


――それならば、僕は。


「僕は、逆だ。律を殺さず、詩を殺さず、共に歩む道を探す」


脱力した律の腕を持ち上げて、その小指に自分の小指を絡める詩。

それは一生を懸けて守ろうと決めた、片割れへの献身の誓いだった。


「……ね、カッコいいのに憧れてさ、自分たちの呼び方『俺』にしよー! って決めたよね。律が帰ってきたら、また二人で『俺ね』って言いながら、くだらない話がしたいな」


絡めた小指をそっと外す詩。

それから優しく、律の頭を撫でた。



「誕生日おめでと、律」


壊れた機械人形の鼻歌は続く。

それでも詩にはその虚ろな顔が、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。

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