第3話

律がいなくなる夢を見た。


『さよなら』と手を振って、遠ざかるその背中を、追いかけても追いかけても掴めない。


『律! 待ってよ律 !!』


やっとの思いでその肩を掴む。

でも、掴んだ感覚は一瞬で 、するりと霞のように消えて――



「……律!」


ガバッと起きる詩。

首筋に刺すような痛みが走って、思い出す。


――そうだあの時、律が襲われて。それで、僕は。


「律? 律は、どこ?」


律に手を伸ばして空を掴んだ、あの寂しさを残す空虚な感覚が手から離れない。

双子だから、何でも分かるわけではない。

同じ遺伝子をもつというだけで、他人は他人だし、テレパシーが使えるわけでもない。

ただ、この時ばかりは直感ともいうべき『嫌な予感』が詩の心にじわりと広がった。


「律? 律 !?」


軋む体を無理やり起こして 、部屋を出る。

向かうはいつもの、二人の部屋。


顔を見て、安心したかった。

いつもの笑顔で、いつもの片割れの、ころころと優しい鈴のような声が聞きたかった。


騒ぐ胸を押さえて、静かにドアを開ける詩。

だが、目の前にあったのは 、望んでいたいつもの光景ではなく――




「り、つ……?」




不自然に、宙に浮いた律がいた。

白く冷たい月明かりに照らされた、青白い顔の律。


その首には、太いロープがガッチリと巻き付けられている。




いわゆる、首吊りだった。




「うわあぁぁぁああぁぁぁっ!!」


もう、なりふりかまっていられなかった。

工作用のカッターを机から取り出し、慌てて椅子にのぼると、ロープに刃を突き立てる。


「律! 律 !!」


半狂乱になりながら、全ての力を使って何度も何度も刃を刺す。

それでもロープはなかなかちぎれない。

静かに律を照らす月明かりが嘲笑し、彼をあの世へ誘っているように見えた。



――連れていかせるもんか!



「この! 切れろ! 切れろ !!」


乱暴に刃を突き立てては、綻んだロープを引っ張る行為を繰り返す。


手が痺れる。首の包帯から 、血が滲む。


「お願い! 早く! この っ…… !!」


ボロボロと大粒の涙を流し ながら、感情の全てを刃に込める。

やがて、ブツッという音と共に律が床に落ちた。


「! 律! 律 !!」


椅子から飛び降りて、人形のように崩れ落ちた律を抱き抱える詩。

心臓を触る。鼓動が聞こえる。呼吸も、している。


でも、反応がない。

呼吸はしているが、見開かれた目は虚ろで。



そこに自分は映るが、見てはいない。



「ねぇ、律……」


恐る恐る頬を触る。確かに律が生きている、ぬくもりが手を伝う。

弱々しい、今にも消えてしまいそうな灯火のぬくもり 。

生気がない、人形みたいな ――まるで、壊れてしまったみたいだった。




『毎日お祈りしてたら、神様が守ってくれるんだって』


いつも聖書を抱えて読んでは、詩に話していた律。


『僕が詩のぶんまで毎日お祈りしてるから、きっといつか幸せになれるよね』


そう言って優しく笑った、 あの陽だまりのようにあたたかな律の笑顔が脳裏を過る。

詩は、冷たく虚を見つめる律に顔を近づけると、激し く肩を揺すった。


「律のバカ! 大バカ!!全然幸せになんかなってない よ! 神様なんかいるもんか! ねぇそうでしょ、律!」


詩がどれだけ泣き叫んでも、律から反応はない。

ゼェゼェと息を整えた詩は、律を正面から見ると消え入るような声で語りかけた。



「……ねぇ、律の言う通り 、ほんとに神様がいるならさ」


何で。


「僕等は、愛されないの?」


何で。


「僕等は、こんな悲しい思いをしなきゃいけないの?」


何で。


「僕等ばっかり。おかしい、おかしいよ。ねぇ、何で?」


分からない。ただ、一つだけ分かるのは――



「神様なんて、大嫌いだ」


ぐにゃりと顔を歪め、大粒の涙をこぼしながら、律を強く抱き締める詩。

いつもなら優しく握り返してくれる律の手は、今日はどれだけ待っても返してくれない。



魂の抜けたような律の体を、詩は朝日がのぼるまで泣いて離さなかった。

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