第4話 八尾比丘尼

 夜の闇に、ほのおの赤がまるで花のようであった。


 全ての小屋に火が廻り、ばちりばちりとぜているのである。盛りではない。もうすべてを燃やし尽くした後である。黒焦げた柱がむき出しになり、そこにちろちろと赤が残っていた。

 ――可哀想に。

 足元に転がった、黒焦げた死体を見て、女はそう呟いた。この有様では、おそらく生きているものはいないだろう。突然の事であったに違いない。つんと漂う異臭に顔をしかめる。行李こうりを背負い直し、女は焼け落ちたむらに足を踏み入れた。

 海辺の邑であった。漁業を営む者が多く住んでいたに違いない。

 これほどになるまで、火を消す手段はなかったのだろうか。それとも、消えない火であったのだろうか。

 ゆっくりと、女は歩いた。

 浜辺には、焼けた死体がごろりごろりと転がっていた。

 火がついたものだから。それで、海に逃げ込んだのだ。それでも間に合わなかったのだろう。

 ――いったい、どれほどの業火が。

 歩くたびに、砂が鳴った。波の音と火の爆ぜる音。そして風の音。

 その音に混じって、小さな声が聞こえた。

 目を凝らす。

 気のせいか。

 いや、確かに聞こえた。

「……て」

 幽かな声であった。

 女は、目を凝らす。

 寄せて返す波、その波に洗われるように、人が、倒れていた。裸であった。下半身は焼けただれ、見るも無残な姿であった。

「た……けて」

 美しい娘だ。長い黒髪は先端こそ焦げているものの、夜の闇を溶かし込んだかのようにつやりと輝き、うっすらと開いた瞳は、炎の赤を受けてぬらりと光っている。

 ――生きている。

 しかし、虫の息であるのには間違いない。

 女は逡巡する。助けるのは容易だ。けれど、それをこの娘が望むのだろうか。女と同じ役目を、この娘にも負わせることになる。

 それでも、いいのか。

「娘」

 声をかける。

 娘は、瞳を揺らすことで、その声に反応した。

「生きたいか」

 黒々とした瞳から、すうと涙が落ちる。

「生きて、切り離された水となるか」

 瞳が、揺れた。

「……い」

 ――生きたい。

 声なき声で、娘は呟いた。

 女は行李を背中から降ろすと、中の物を取り出した。さらし布に巻かれた包みである。随分小さい。てのひらに乗る大きさである。女は慎重な手つきで、その包みをそう、と開けていく。

 現れたのは、ひとかたまりの肉片であった。それを取り出した小刀で小さくそぎ落とす。

 娘の瞳が揺れていた。それを見ないようにして、女はそぎ落とした肉片を彼女の口元に持っていく。

「食え」

 差し出した肉片を、娘は薄っすらと開いた唇で、ゆっくりと、んだ。

 娘は濡れた瞳で、女を見上げていた。目の端にひっかかった涙が、白皙の頬をつうと伝っていく。

 女は包みを元に戻すと、それを行李に放り込む。そのまま娘の髪をひと撫でして、立ち上がった。

 火の爆ぜる音が、静かに響いている。薄っすらと紫色に染まる海原を見て、女は細く息を吸い、唇に歌を乗せた。

 高く低く、歌は海に木霊する。海と空の境目が開き、ようようと金色に染まっていく。


 夜明けが近い。長い朝と、夜の始まりであった。


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