尾羽毛出荘

禾口田光軍 わだてる

尾羽毛出荘

「あ〜……疲れた……不良品でもないのにクレームつけてくんなよ……ちゃんと『個人差があります』って紹介してるだろうが……」


 冬が近づくにつれて日の入りの時間が早くなり、17時30分をまわった頃には辺りは闇に染まって街灯の明かりが道を照らしてくれている。

 俺の名前は佐々木佑介ささき ゆうすけ24歳、とある通信販売をしている会社の下請けで苦情対応の仕事をしている。

 土日祝休みで給料もまずまず、定時で上がれて残業もなし、年二回の賞与に年末年始やお盆に休みまでもらえる。

 条件はすごく良くて先輩たちも優しい、いい職場なんだけれど、いかんせん仕事の内容が辛い。

 商品の問い合わせについての電話なら問題はないんだよ、ただ苦情の電話が本当にしんどい。

 丁寧に対応をしないといけないから本当にしんどい。

 誰だ、お客様は神様と世間に広めた奴は……。

 こっちだって神様を選ぶ権利はあるはずだろう、宗教の自由だろう。

 俺は仏教徒だから神様より仏様なんだよ。

 ……はぁ……寒い。

 こんな日はゆっくりお風呂に浸かって、あったかい料理を食べて、布団にくるまってすぐに寝たいものだ。


 冷たい風が吹き抜けていく中、最寄駅から歩いて15分にある、オンボロアパートに到着した。

 ここに住んでるのは俺だけである。

 二階建て木造アパートで、一部屋2LDKの全室畳部屋、内装は改築されているためトイレとお風呂は別々、家賃は訳ありで無料。

 光熱費と水道代は当然俺が支払っている。

 オンボロではあるが、家賃が無いことと駅から近いこと、少し歩くけれどスーパーやコンビニも近くにあることが魅力的である。

 隣に立っている普通のアパートの家賃はだいたい9万円するらしい。

 家賃が無いオンボロアパートに、俺以外の誰も住もうとしないのは、ただ単にオンボロだからという理由だけではない。

 言わずもがな、「曰く付き」なのだ。

 やれ毎晩女性のすすり泣きが聞こえてくるだの、やれ男の霊が見えるだの、やれ誰も住んでないはずなのに一部屋に明かりがついているだの……後半二つは俺だよ、俺が住んでるんだよ。

 まぁ、幽霊が住んでるし外観がよろしくないという理由で他の人は敬遠をしているのだ。

 俺しかいないのは寂しいことだけれど、近所付き合いとか気にしなくていいのは助かる。


「ただいまー」


 俺が住んでいる204号室の扉を開けて、誰もいない真っ暗な部屋に律儀に声をかける。

 一人暮らしをしていると、声を発さずに一日が終わってしまうこともあるため、要所要所で声を出すことにしているだけだ。

 決して寂しいからという理由ではない。

 扉を閉めてから玄関の明かりをつけると、一人の女性が俺の前にいた。


『おかえりなさい』


 疲れている俺を見てその女性は微笑んで返事をしてくれた。

 靴を脱いで部屋の中へ入り、電気をつけて部屋を明るくする。


『お疲れ様。えっと……ご飯は炊けてないし、お風呂も洗ってないの。そのうえ私は……』

「お・ば・け♪だろ?何回するんだよ、そのネタ」


 さっきも言ってたと思うけれど、俺はこのオンボロアパートで「一人暮らし」をしている。

 そして、このオンボロアパートは「曰く付き」である。

 ここまで言わなくてもわかってるだろうけれど、俺の前にいる女性はもちろん人間じゃない。

 いや、元人間と言うべきかな。

 まぁ……幽霊である。


『え〜、前はノリノリだったじゃない。ノリ悪い〜……はっ!まさか……他に美人な幽霊と浮気してるんでしょ!』

「なんで幽霊限定なんだよ、いつ幽霊フェチって言った!?」

『だって、私に告白してたの佑介じゃない。好きなんでしょ?幽霊』

「好きなのはお前であって、幽霊じゃないからな!?」


 この幽霊の名前は御手洗美子みたらい よしこ、見た目は10代後半だが推定でも40歳は超えている。

 名前や年齢のことでからかったら、幽霊らしく姿を見せずに泣き声だけ部屋に響かせてくるのでご注意。

 女性のすすり泣く声の犯人はもちろんこの人である。

 そして……彼女は俺の恋人でもある。




××××××××××




 時は一年半前までさかのぼる。

 俺は大学を卒業してやっと親元から離れて一人暮らしを始めることができた。

 在学中にしていたアルバイトの給料をほとんど貯金に回していたため多少の贅沢はできるけれど、今後のためにも家賃とか抑えることができるところは抑えたい。

 高校時代からの友人にオススメの物件を紹介してもらうために、普段ならゴロゴロしている日曜日にわざわざ見知らぬ土地にやってきたのだ。


「で、なんだ?このいかにも『曰く付き』なアパートは?」

「その通り『曰く付き』のアパートだよ。家賃0円。敷金礼金ももちろん0円。駅から徒歩15分で近くにスーパーもある。お前の要望は全て叶ったと思ってるんだが?」

「そうだね、確かに要望は通ってるが……家賃は5万円以内って言ってなかったか?」

「いや、安いほうがいいと聞いていたな。少なくともここより安いところは無いぞ」


 俺が友人に依頼したのは「駅から徒歩20分以内」「スーパーが近くにある」「家賃が安い」「静かなところ」だったはず。

 たしかにここは当てはまっている、見つけ出した友人には感謝をしたい。

 だが……。


「オンボロすぎるだろ、耐震とか大丈夫か?」

「そこは俺も知らんよ、フリーターが知るわけないだろ?」

「それに……『御羽毛出荘』?そのまま読むのか?」

「そう、『おばけでそう』と読む」

「シャレになって無いから。むしろ『おばけでるよ』って改名してほしいな」


 友人に案内されるまま、俺が住む予定になっている204号室の前まで来た。

 共用廊下もオンボロで、地震が来たらすぐに崩壊するんじゃないか?


「ちなみに、このアパートは誰も住んでない。お前だけだから気が楽だろ?」

「あ〜……たしかに、静かで気は楽だ。内装もボロボロなのか?」

「それは見てのお楽しみだな」


 そう言って友人は玄関の扉を開けた。

 オンボロの外観とは違い、内装は予想外に綺麗だった。

 床は畳張り、壁紙も白で統一されて汚れもなし。

 玄関開けてすぐにリビングがあり、奥に二部屋こちらも同じく畳張りの綺麗に整えられた部屋があった。

 なにこれ。


「すごいだろ?ここの管理者が『部屋の内装だけでも清潔にしないと』って事でリフォームしたんだってさ。改装してから誰も住んでないからある意味新築だな、羨ましい」

「外観にも気を遣ってほしいところだけどな。一抹の不安はあるけど、ここにするよ」

「即決なのはお前の数少ない良いところだよな。ほい、契約書。ここにサインしてくれたらいいから」

「一言余計だ……ほら、サインしたし押印もしたぞ」


 渡された契約書を軽く読んでから直筆サインをしておく。

 保証人の欄には友人の名前が入っていた。

 家賃や敷金などがないため、保証人はあってないようなものらしい。


「それじゃ、荷物を運んでもらうか。業者はいつ来るって?」

「明日だよ」

「そっか、俺は仕事が入ってるから手伝えないけど、一人で大丈夫だろ?」

「まぁな、クーラーとか業者の人がしてくれるし問題ないだろ。今日はサンキュー」


 部屋の電気を消して俺たちは部屋から出てそれぞれ家路へと向かう。

 部屋に入ったところからずっと彼女に見られていたことに、霊感がない俺が気づくはずもなかった。




××××××××××




 翌日、家から持ち出したパソコンやあらかじめ購入していたタンスや机などを部屋に運び入れ、全てが終わったのは20時を回った頃だった。

 念願の一人暮らしの始まりの日ということで気合いを入れすぎたらしい。

 少し肩が凝ってるような気がする。

 そんな時はやっぱりお風呂だ。

 前もって沸かしておいたから今すぐに入れる。

 そして一人暮らしだから、俺の素行に文句を言う人はいない。

 何せ初めての一人暮らしだ、多少はっちゃけても問題はないだろう。


「入浴剤も入れておいたし……ここで脱いじゃえ」


 布団の上でゴロゴロしていた俺は、その場で服を脱ぎ捨てそのまま浴室へと向かった。

 親がいたらうるさく注意してくる行為だ。


「はぁ〜……一人暮らしっていいなぁ……」


 学生の頃から憧れていた一人暮らし。

 週末には入社式、今までのような気楽な生活は送れなくなるだろう。

 それまでは自由に生活を送っていこう。

 とりあえず今夜は…風呂から上がったら寝よう。




××××××××××





『おい、お前。起きろ』

『おい、起きろと言っているんだ』

『……金縛りにあってるのになぜ起きない?』

『本当は起きてるんだろ?返事をしろ』

『……起きてよ〜……普通起きるでしょ?』

『ほら、寝返りうって。そして金縛りに気づいて』

『う〜……褥瘡ができちゃうよ?ほら、起きて』

『朝が来ちゃう!何でこんなに騒いでるのに起きないの!?』

『お願い!起きて!私の力が使えなくなっちゃう!』

『いやぁぁぁぁぁぁ!!』




××××××××××




「ん……朝か……ん〜っ、よく寝たぁ。何だか身体が凝り固まっているような気がするけど……ん、特に変な感じじゃないな」


 時計を確認すると9時を少し回った頃だった。

 もっと惰眠を貪るつもりだったのだが、起きたからには仕方ない。

 今日はスーパーで食材を買いに行かないとな。

 面倒だからといってコンビニ弁当ばかりだと身体どころか財布的にも厳しいことになる。

 不摂生な生活を送っていると、下手をすれば実家に連れ戻される可能性がある。

 一人暮らしの生活を手に入れたのだから、それは避けたい。とりあえず昨日買っておいたコンビニ弁当でも食べよう。

 ………今回だけ、今回だけだから!


「まったく、俺は誰に弁明しているのやら…ん?」


 自己嫌悪に陥っていると、布団の横に何かがあることに気づいた。

 メガネを外していてよく見えないが…人?

 枕元に置いてあったメガネをかけてよく見ると、まだあどけない顔をした女性が寝息を立てて横になっていた。


「えっと……昨日はここの風呂に入ってそのまま寝たはず。鍵はしっかりかけておいたのを何回も確認した。俺の寝巻きに乱れた後はなし……」


 この人がどこの誰でどうやってこの部屋に入ってきたのかは気になるけれど、そんなことは後回しだ。

 今俺がすべきことは……。


「……もしもし、警察ですか。不法侵入されてるので応援に来てください」


 110番通報することだ。




「ほら、そこにいるじゃないですか!?」

「そうは言ってもねぇ……誰もいないじゃないか。まさかクスリをやってるんじゃないだろうね?」

「してませんって!幻覚じゃないんですよ!そこに女性が寝てるじゃないですか!?」

「はいはい、落ち着いて。とりあえず任意なんだけど、署で話を聞かせてもらえるかな?」

「不法侵入者を放置してこの部屋を空けろと!?荒らされたらどうするんですか!」

「大丈夫大丈夫、心配なら私たちがこのアパートの前で見張っておきますから。とりあえず署まで一緒に来てもらえますか?」


 納得いかない!

 たしかに布団の横に女性が寝ているのに、この警官は俺がヤク中になってると思ってやがる。

 ここで拒否したら余計面倒なことになるだろうなぁ……この警官と不法侵入者がグルで空き巣をしている可能性もある。



「……わかりました。その代わり金品は持参させてもらいますからね」


 万が一荒らされても、通帳や印鑑はしっかり守らないと。

 カバンの中に財布と通帳を入れて、寝巻きのままだったので簡単に更衣を済ませて警官の後ろをついて歩く。

 これだけ騒いだにも関わらず、例の女性はまだ寝ている。

 一応写メは撮っておこう。




 警察署での取り調べ?はあっさり終わってすぐに解放された。

 薬物摂取されてるかどうかの尿検査をして俺からの話を聞いてもらって、携帯に残した写メを見てもらおうと思ったけれど、ずれてたのか何も写ってなくて、何か優しい目で見送られた。

「念のために巡回増やしておきます」って言われた。

 しかし……行きはパトカーで連れてきておいて、帰りは徒歩かよ。

 次から任意なら無視しておこう。


「はぁ……ただいま。ったく、なんて日だ」


 今までの習慣もあり、誰もいないが「ただいま」は言っておく。

 人にではなくこの部屋に伝えていると思っておく。


『おかえり。何だ、帰ってきたのか。そのまま戻って来なけりゃ良かったのだが』


 すると部屋の中から返事がした。

 さっきまで布団の横で寝ていた女性が何故か不機嫌で俺を見ていた。

 この野郎……部屋を漁って金品がないから逆ギレしてるんだな?

 俺は乱暴に靴を脱ぎ捨て、その女性の胸ぐらを掴もうとした。

 大丈夫、俺は男女平等主義。


「俺はな!お前のせいであらぬ疑いをかけられたんだよ!どうしてくれ……る……?」


 女性の胸ぐらを掴んだはずの手は、どういうわけか身体をすり抜けていった。

 相手の身体に腕を突き刺しているように見えるのだが、腕には何の感覚もなく、腕をふるってもただただ空を切っている感じだった。


『私に触れられるわけがないだろう。何故なら私は人間ではないからな』


 ……疲れたのかな、俺。

 とりあえず目を閉じて深呼吸してみよう。

 疲れから見える幻覚幻聴なのかもしれん。

 吸って……吐いて……念のためもう一度吸って……吐いて……。

 よし、落ち着いた。


『何をしておるのだ?現実逃避したい気持ちもわかるがな』

「まじかぁ……」


 目の前にいる女性は幻覚でも幻聴でも内容だった。

 この場合はどう対処するんだっけ……。


「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……」

『ん?お経?そんなの人間が作り出したものでしょう?実際は幽霊には効果ないよ。あ、ついでに塩も効果ないからね』

「まじか!?」

『んっ!……お経は聴いていて不快にはならぬ。お前がしていることは無駄ということだ』


 まじか……清めの塩とか有名じゃんか……。

 あとは十字架とかにんにく辺りを攻めてみようか。


「まじかよ……っていうか、何でこんな昼間から幽霊がいるんだよ!夜に来いよ、夜に!」

『なっ!?元はと言えばあんたが悪い!私はちゃんと昨日の夜に来たわよ!金縛りにかけたのに起きないあんたが悪いんじゃない!』

「疲れてたから熟睡してたんだよ!起こすならきちんと起こせよ!」

『やれることはしたわよ!一度も姿勢を変えずに寝ていたのはあんたでしょ!』




「そっか……十字架やにんにくも効果はないのか……」

『それは吸血鬼に効くやつでしょ?私は幽霊だけど吸血鬼じゃないからね。落ち着いたようだから本題に入らせてもらうわ』


 十数分くらいお互いに責任転嫁をしてから一息入れ、俺は椅子に座って幽霊を自称する女性と対峙していた。

 今時の技術があればホログラムとか何かでこういうこともできると思うけれど……そんないたずらをしてくる相手がいないし、さっきから携帯越しに見ていても映らないし、幽霊というのは多分本当なんだろう。

 ……俺の初めての心霊体験がこれかぁ……。


『……どうしたのよ?』

「いや、ちょっと泣けてきただけだよ。それより、口調がだいぶ砕けてきたな。そっちが素?」

『本来はもっと大人しくて清楚な女性だったわよ』


 ……へぇ〜……。


『その反応はムカつくけど、本題に入るわよ。今すぐこの部屋から出て行きなさい』

「断る」


 引っ越してきて翌日に退去とかありえないだろう。

 即答だ、即答。


「出て行かなかったらどうするんだよ、呪い殺すのか?」

『そんなことできるわけないでしょう?幽霊が人を殺すなんて妄想も甚だしいわ』

「じゃあ、どうするんだよ」

『……嫌がらせ?』

「……使えないな、お前」


 お互いににこりと微笑んで相手を見つめる。

 もちろん、目は笑っていない。

 時計の秒針の音が大きく聞こえてくるくらいに静寂に包まれた。


『言ったわね!言ってはいけないことを言ったわね!』

「言ったとも!ことごとく幽霊に対する願望を打ち砕いた八つ当たりだよ!悪いか!」

『悪いわっ!もういい、あんたが出て行くまで寝るときずっと耳元で喚いてやる!』

「悪質だな、お前!いいよ、やりたきゃやれよ!耳栓とアイマスク使ったら解決するからな!」

『くっ……あんたそれでも人間なの!?人を思いやることを忘れてるなんて最低ね!』

「幽霊に思いやる気持ちなんてさらさら無いわ!」

『そんなこと言う!?じゃあ私も言わせてもらうわ!全裸で部屋をウロウロするのやめてくれない!?目に毒なんだけど!』

「何見てんだよ!覗きは最低だぞ!」

『見たくも無いわ、あんな下品なものなんて!』


 口論再開。

 この言い争いもしばらくしてから終わり、俺は肩で息をしていた。

 ここまで人を口撃したのは初めてだ。

 なんかもう……本当に疲れた。

 そういえば、朝から何も食べてないや。


『ん?出て行く気になったの?』

「違う、スーパーに買い物に行くだけだ」

『なーんだ、残念。さっさと出て行ってくれないかなぁ』


 はぁ……塩もお経も効かないのか…除霊の方法って他になかったかなぁ…。

 とりあえず、今日はにんにく料理を作ろう。

 曰く付きと聞いていたけれど…あれはないわぁ……。

 せめてもっとこう……幽霊らしい幽霊に来て欲しかった。




『おかえり。帰ってこなくてよかったのに』

「ただいま。ちっ、まだいたのかよ」


 両手に掲げた買い物袋をリビングに置いて、買ってきた食材を冷蔵庫に入れていく。

 なるべく腐らせずに使い切りたいところだ。

 まぁ、料理は晩ごはんからでいいや。

 コンビニ弁当残ってるし。


『コンビニ弁当〜?あんた自炊もできないわけ?』

「出来るわ。これは本来朝ごはんの予定だったんだよ。変な女のせいで食べ損なっていたから昼ごはんとして食べるんだ。料理は晩ごはんのときに作る」

『変な女って何よ。私は御手洗美子って名前があるんです』

「へぇ〜」

『ちょっと、普通名前を聞いたら自分の名前も教えるものでしょう。まったく、これだから最近の就職未経験者は……』

「はいはい、俺は佐々木佑介だよ」


 お、弁当も温まったみたいだな。

 コンビニ弁当なんて久しぶりだなぁ…。

 うん、まぁまぁだったわ。

 ごちそうさまでした。


「さて、御手洗美子。お前は一体なんなの?」

『何って……幽霊よ。死んでからずっとこの部屋で一人で暮らしてるのよ。まったく……他にも部屋はあったでしょうに……なんでこの部屋に来るかなぁ?』

「それは俺の意思じゃないから知らないよ。そっちこそ、他に部屋があるなら移ればいいだけだろ?」


 部屋ならまだあるんだから、俺が出て行かなくてもこいつが隣に移動したら済む話だろう。

 まったく、これだから自称幽霊さんは困る。


『私はこの部屋から出られないのよ。この部屋が私の居場所なの、わかる?』

「わからん。とりあえず俺は引っ越すつもりはないからな。まぁ、何もできない同居人が増えたところで俺は気にしない」

『私が気にするわよ!ここの生活気に入っていたのに!』

「諦めろ。それに来週から平日は仕事だからな。その時間は静かに過ごせるだろうよ」


 俺に害がないのなら別にいてもいなくても問題はない。

 耳栓も買ったし、いざというときに使用すれば声も聞こえないだろう。

 今日は市役所に行って住所変更の手続きとかしないとなぁ……。


『出ていく気になったの?』

「そんなわけないだろう、学べよ馬鹿。市役所に行くだけだ」

『馬鹿といった人が馬鹿なんですぅ!』

「子どもか。とりあえず夕方までには戻る」


 せっかくの一人暮らしだったんだけれどなぁ……ちょっと思っていた生活とはかけ離れてしまった気がする。

 ……まぁ、話が通じる相手で良かったのは良かったか。




「ただいま」

『おかえり、案外遅かったわね』

「人が多くて待ち時間が長かったんだよ」

『お疲れ様。生きてるって大変ねぇ』


 ん?なんで普通に会話してるんだ、俺たち。

 ……まぁいいや、同居人として受け入れよう。

 人混みに疲れたけれど、さすがにコンビニ弁当は良くない、ちゃんと料理しないと。

 今日は……簡単に親子丼でいいか。


『……へぇ〜……本当に料理できるんだ』

「当たり前だろ、今時の男は料理もできる時代なんだよ」

『私の家では父さんはテレビを見てごはんが来るのを待ってたから、男性が台所に立つのはなんか変な感じね。あ、そうだ、裸エプロンとかしないの?』

「お前は何を求めてるんだ?男の汚い尻を見て楽しいか?あと、油が跳ねたら危ないだろうが」


 物珍しいのか、御手洗は料理をしている俺の横を浮いて見学をしている。

 そういう見られ方をされたことがないから気になって仕方がない。

 やめろと言ってもどうせ聞かないんだろう?

 だったら好きなようにさせておこう、その方がお互いにストレスが溜まらなくて済む。


「出来た。親子丼と味噌汁の完成」

『ねぇ、二人分あるんだけど。嫌がらせ?』


 食卓には俺の分と、向かいにいる御手洗の分の二人分が置かれていた。

 そういえば、御手洗は幽霊だったな。

 普通に会話をしていたから一人分として数えていたみたいだ。


「いや、違う。つい作ってしまったみたいだ。御手洗が普通に話しかけてくるから食べるものとしてカウントしてたよ。悪い」

『ん……気持ちだけ受け取るわ。食べれるのならいただきたいんだけど、無理だからね。気を遣わせたみたいで、こちらこそごめん』


 御手洗の前に置いてある料理を下げようと思って腰をあげたが、ふと思いついて椅子を少し引いただけで料理を片付けずに、俺は自分の席戻った。

 御手洗は不思議そうに、かつ不気味そうに俺を見ていたが、何も言わずに向かいの席に座る仕草をした。

 座れるのか、こいつ。


『言っておくけど、座ってないわよ。椅子のところに漂っているだけ』

「なんだ、座ってるのかと思って驚いたよ。いただきます」

『……いただきます』


 案外察しのいい幽霊なんだな。

「一緒に食べている雰囲気を作ってみる」という俺の意図を察するとは……。

 やってみてなんだけど、感づかれると少し恥ずかしいな。


「ごちそうさま」

『おそまつさま』


 自分の食器を片付けてから、御手洗に用意した料理をラップで封をして、冷蔵庫に入れておく。

 これは明日の朝ごはんにしよう。

 もう20時か……この時間は何の番組があったかな?


『へぇ〜……最近のテレビってこんな感じなんだ。もっと小さくて分厚いのしか知らないや』

「最近はこんなテレビしかないよ。何か見たいものある?」

『何があるのかわからないから消していいよ?』

「ドラマでいいな。音楽番組見てもわからないだろ?」


 御手洗は自分で物に触ることができないらしいから、勝手にチャンネルを変えて刑事ドラマを流す。

 遠慮しているんだろうな、昼間に口論した相手とは思えない。

 今も食い入るようにテレビを見てるし。

 今のうちにお風呂を洗って沸かせるか。




「……楽しんでくれていたようで何より」


 途中まで一緒に刑事ドラマを見ていたが、お風呂が沸いたために退席し、ゆっくりと浸かってから戻ってくると、興奮してテレビに話しかけている御手洗の姿があった。

 わーわーきゃーきゃー、うるさい。

 ここまで夢中になってくれるとは……なんかほっこりするな。


『あれ?お風呂に入ってたの?』

「あぁ、途中だったけどお風呂が沸いたからな。ドラマは楽しかったか?」

『最近のドラマってすごいね!なんというかこう……リアル?演技と思えなかった!』

「この後もドラマはあるぞ。次は医療ドラマだ。次も女性が主人公だから楽しめるんじゃないか?」

『本当!?見たい見たい!』


 ドラマを見終えたあと、報道番組が始まってそれも二人で最後まで見ることになった。

 御手洗曰く、この部屋しか居場所がないから世界で何が起こってるかわかるのがすごく楽しいとのことだった。

 なんとも微笑ましいものだ。

 報道番組の後の番組も見たがっていたが、23時を過ぎていたから止めておいた。

 俺が眠たいんだ、テレビよりもうるさく騒ぐ幽霊の近くで眠れるか。

 テレビや電気を消して、寝室に敷いてある布団に潜り込む。

 ……念のために耳栓つけて。

 隣を見ると、なぜかパジャマを着ている御手洗と目があった。


「着替える必要あるのか?」

『うるさいわね、気分よ気分。文句ある?』

「別に文句はないよ、驚いただけ。そういえば、幽霊も眠るのか?」

『いつもだったら昼間に寝てるわよ。夜が私たちの時間だし。あんたに何しても無駄だから今夜は寝ることにしたの。文句ある?』

「だから文句はないって、驚いただけ。それじゃ、おやすみ」

『……おやすみなさい』


 耳栓をつけていたはずなのにしっかり声が聞こえてたなぁ……まぁいいや、御手洗も寝るんだから外しておこう。

 幽霊とはいえ、女性と二人きりで同じ部屋で寝るなんて…緊張して眠れるかなぁ……。




××××××××××




『呆れた、寝つきがいいにもほどがあるわよ。普通緊張して眠れないんじゃないの?異性と同じ部屋で寝るのなら』

『はぁ……久しぶりに人と話したから私も疲れたわね』

『……なんか、嬉しかったな……』

『おやすみなさい、今日はありがとう』




××××××××××




 こうして、一人暮らしのはずの生活に予想外の同居人が現れ、一緒に生活を送ることになった。

 入社式も終わり、社会人としての生活も始まり、朝から夕方まで御手洗は一人であの部屋にいる。

 二日目で『暇』と文句を言われたので、電気代が心配だけれどテレビをつけて出勤することになった。

 後に御手洗にすごく感謝されたのを付け加えておく。


 苦情対応の仕事にも少し慣れてきた秋のある日、仕事から戻ると御手洗の様子がいつもと違った。

 いつもなら再放送のドラマの良さとか、こんなニュースがあったとか、料理が美味しそうだったとか小一時間話してくるのだけれど、この日は何か沈んでいるように見えた。


「どうした?」

『あ、おかえり……ううん、何でもないよ。気にしないで』

「そう言われてもなぁ…昨日のいたずらを思い出したのか?」

『違うよ、あれは私も楽しかったから気にしないでいいって今朝言ったでしょ?』


 昨日のいたずらとは、テレビで特集されていたプリンをじっと見ていた御手洗のために、仕事終わりにわざわざ買って帰って、地団駄を踏む御手洗に見せつけるようにプリンを3個食べたことだ。

 そのあとお風呂に入る時もトイレに行く時も、眠る前も耳元でシクシクシクシクうるさく呟くという仕返しを食らった。

 耳栓、意味ないし。


「だったら何があった?成仏が近づいているとか?」

『違うよ……いつも通りドラマを見ていただけ』


 その割には気落ちしているな。

 今日の再放送のドラマはいつも通り刑事物だったはずなんだけれど……。

 ……もしかして。


「今日の刑事ドラマ、御手洗の死因と何か関係があったとか?」

『!?』


 当たりか、本当にわかりやすいなこいつ。

 今日のテレビ欄を新聞で確認してみる。

 今日のは……うん、わからん。

 ネットで確認してみよう。


「今日の刑事ドラマの再放送は……学園内のいじめが原因と…ふ〜ん、深くは聞かないでおくよ。テレビ見たくないのなら消しておくぞ?」

『見る』


 沈んだままのそのそとテレビの前に移動して、俺と目を合わすことなくじっとテレビを眺める。

 こういう時にかける言葉が思いつかない。

「テレビから近い、離れて見ろ」と言う場面ではないことは俺にもわかる。

 今はそっとしておこう。

 話したくなったら、そのうち御手洗から話しかけてくるだろう。




 報道番組を二人で静かに見終えたあと、布団に入る途中で御手洗に呼び止められた。


「まさかその日のうちに話を聞かされることになるとはな」

『なんの話?』

「いや、こっちの話だ。それで、昼間に何があったか教えてくれるか?」


 大体の予想はできているが、話してくれるのであればきちんと聞かせてもらおう。

 真面目な雰囲気が流れているから、こちらも真面目に正座して待つ。

 釣られてかどうかは知らないけれど、御手洗も正座をしている。

 幽霊が座るってどうなんだ?


『なんとなく察していると思うけど、私は自殺したの。高校でのいじめと、受験勉強のノイローゼでね。親に相談しても仕事を言い訳にして話を聞いてくれない。追い詰められて後は……まぁそんなところ。それでね、今日の刑事ドラマの内容がそのままそっくりだったの。違うとすれば自殺してないのと、その子がいじめていた人を殺したとこかな。私も、自殺する前に一矢報いたらどうなってたのかなって思うと、なんて言えばいいか……後悔してる』


 御手洗の独白に相槌も打たずに黙って聞き入る。

 想定内の内容なので驚きもあまりないが、簡単に言葉を挟めるわけではない。

 あっさりと言ってはいるが、もっと重く辛い出来事だったはず。

 大体の内容は想定内だったが、何をされたか、何があったかはまったく想像できない。

 俺にできることは、御手洗の言葉をしっかり聞いて受け止めることだけだ。


『……以上、今日いつもと違う様子だった話でした。何か質問ある?』

「ないよ……?」

『……どうしたらいいの?』


 少し気になって御手洗の方へ手を伸ばしてみる。

 もちろん触れることはできない。

 伸ばした手が御手洗の顔をすり抜ける。

 雰囲気が台無しになった、御手洗も少し怒っている、ごめんなさい。


「いやぁ……泣いてるのかと思ったんだけど」

『幽霊の体に水分があると思ってるの?涙は身体の中の水分が溢れ出てくることなのよ、私の顔に腕を突き刺したのはそれを確かめるため?せっかくのシリアスなムードが霧散したことに一言コメントもらえるかしら?』

「ははははは、何を言ってるのかさっぱりわからない」

『呪ってやる!味方がいなかった私の怨念をぶつけてやる!』


 そう言いながら俺の身体を何度もすり抜けてくる。

 痛みや違和感は全く無い、そのかわりすごくうっとおしい。

 特に、前後に移動して俺の身体をすり抜けたり、背後から腕だけ突き刺して中指を立てたりするのがうっとおしい。

 触れることができたら、一本背負いか巴投げを決めたいところだ。


『あんたも私の敵なのねー!』

「敵じゃねぇよ」


 御手洗も半ばやけくそになっているのだろう。

 行動と発言に恥じらいを感じ始めた。


「味方というわけでもないが、側にいるよ。お前が成仏するまで付き合ってやる」


 くさい。

 我ながら実にくさいセリフである。

 幽霊とはいえ、女性とここまで身近に相対したことがなかったこともあり、俺は御手洗に惚れてしまっていた。

 きっかけはわからない、いつ頃からか意識してしまっていた。

 御手洗と一緒に笑っていたい。


『……馬鹿じゃないの?』


 御手洗はさっきまでの馬鹿騒ぎを止めて、怪訝な表情で俺を見つめている。

 そうだよな、ムードも何もないよな。

 でも、それでだいたいを察するお前はすごいよ。


「俺が側にいるから一人じゃないだろ?俺はお前を見捨てたりはしない、お前を見なかった奴らとは違う。だから……」


 再び御手洗に手を伸ばす。

 今度は顔に突き刺すことのないように気を配り、御手洗の頰に手を添えるように。

 ぬくもりをまったく感じないのは寂しいが、仕方ない。


「俺の彼女になってくれ」

『……本当に馬鹿じゃないの?自分で何を言っているのか理解してる?』

「大丈夫、理解している。その上で言ってるんだ、察しろ」

『……本当に馬鹿』


 御手洗は俺の手をすり抜けて、正面から抱きしめるように俺の身体に腕を回した。

 当然、抱きしめられてる感覚はまったくないのだが、ぎゅっと抱きしめられてるようで安心する。

 俺も同じように御手洗の身体に腕を回す。


『本当に……馬鹿じゃないの』


 御手洗の言葉にはぬくもりがあった。

 この日から、俺は幽霊の恋人ができた。




××××××××××




 御手洗と恋人になったからとは言え、特別なことは何もない。

 付き合う前からと変わらず、帰宅後は一緒にテレビを見たり、たわいもない話をしたりしていて、外出したり触れ合ったりはしていない。

 していないというよりはできない。

 変わったところを強いてあげるのであれば……。


『佑介、いってらっしゃい』

「あぁ、行ってくるよ、美子」


 呼び方を苗字ではなく名前で呼びあうことになったくらいだ。

 でも、それだけでいい。

 笑っていてくれるのであれば。

 俺はそれだけで満足している。


 いつかくる別れが、すぐそこまで近づいてきていることを、俺たちは全く気づいていなかった。




××××××××××




 美子と恋人になって半年経った夏のある日、別れのカウントダウンは友人の電話から始まった。


「立ち退き?」

『あぁ、お前が今住んでいるアパート。そこを管理していた老夫婦が事故で亡くなってな。息子がそこの土地を引き継いだんだけど、何の実入りもない土地を遊ばせるのはもったいないってことで解体させるんだと。コインパーキングにするらしいぞ』

「ちょっと待て、俺はどうなる?」

『そうだな、新しいアパートを探すのなら協力してやるよ。契約はしているが、家賃払ってないからというのを口実に強制的に出て行かされる可能性が高いな、あの息子なら』


 御羽毛出荘が解体……あいつはどうなる?

 こいつに相談してみよう、こいつは馬鹿にするやつじゃない。


「なぁ、アパートにいる幽霊ってどうなると思う?」

『はぁ?幽霊?……そうだな、成仏するか、違うところに行くか、それくらいじゃないか?さすがにコインパーキングでは幽霊も怖がられないだろうし……いや、夜に会ったら家以上に怖いか』

「ありがとう、真面目に考察してくれるお前が友人で良かったよ。とりあえず転居に関してはもう少し待ってくれるか?」

『あぁ、いきなり解体作業はできないからな。ただ、早めに言ってくれると助かる。こっちも探しておくから』

「あぁ、助かるよ。本当にありがとう」


 友人からかかってきた電話を切って、俺は思わず夜空を見上げた。

 俺の気持ちはすでに決まっているが、おそらく美子は反対するだろうな。




『解体?このアパートを』

「あぁ、遅くても来週には俺はこのアパートから出て行くことになる」


 帰宅後、いつものように玄関で出迎えた美子に友人からの話を打ち明けた。

 呆然としているため、解体か俺が出て行くかどっちにショックを受けているのかはわからない。

 できれば、俺が出て行く方に衝撃を受けていてほしい。


「美子、このアパートが無くなったらお前はどうなる?」

『そんなの……わからないよ。もしかしたら別の場所に移動するかもしれないけど……』

「そうか……そうだよな」


 例えば、俺が近くに転居したとしても美子が一緒に来てくれるわけではない。

 引っ越した先に美子が現れる可能性は限りなくゼロに近い。

 つまり、もう会えなくなる。

 ……それはやだな。


『ちょっと、佑介?あんた何考えてるの?』

「ん?ちょっとね。会えなくなるのは嫌だなぁって。美子はどうやって自殺したの?」

『……学校の屋上から飛び降りたわ』

「どこの学校?」

『佑介!何考えてるの!何する気!?』

「俺が考えているのはいつも同じだよ。どうすれば美子と触れ合えるか、それだけだ」


 いきり立つ美子の頭あたりに手を伸ばして、撫でるように手を動かす。

 俺の言葉に美子もすぐに理解したようだ。


『命を粗末にする人と一緒にいたくない!』

「お前が言うなよ、それに関しては先輩だろうが」

『うるさい!あのね、飛び降り自殺なんてしたら、他の人にすごく迷惑がかかるのよ!見た人はトラウマになるし、マンションだったら管理会社にも迷惑がかかってしまうの、わかる!?学校で飛び降りても関係ない人にとっては悪夢でしかないんだからね!』

「いや、だからお前が言うなって」

『揚げ足を取らない!』


 まぁ確かに、飛び降りは良くないな。

 他にメジャーな自殺方法と言えば……。


『首吊りもダメだからね!睡眠薬も練炭もダメ!好きな人が目の前で死ぬのを止められない私の気持ちにもなってよ!』

「あ、好きって言ってくれた」

『ふざけないで!真面目な話をしてるのよ!』

「わかったよ。まぁ俺の言い分も聞いてくれ。このままだと俺は美子と否応無しに離れることになる。俺は、それが嫌だ」


 玄関で立ち話もあれなので、リビングに移動して説得を始める。

 まぁ、理解されなくても実行には移すつもりだ。


『私も離れたくないよ、でもそんな理由で人生を無駄にするつもり?』

「立派な理由だろう、好きな人と一緒になりたいって。ドラマでもあるじゃん、無理心中」

『無理心中はダメなやつだよ!?』


 普通に日本語を間違えた。

 心中だ、心中。無理してどうなる。


「両親や今の会社の先輩たちには悪いとは思ってるよ。でも、俺はこの世の未練よりもお前を選ぶ。わずかでも触れ合える可能性があるのであれば、それにすがりたい。このままだと、永遠の別れになるからな」

『……嬉しいよ、嬉しいんだけど受け入れたくない』


 美子は悲しそうな表情で俺を見つめる。

 俺のことを真剣に考えてくれているのだろう。

 俺があと数十年早く生まれていれば、美子があと数十年遅く生まれていれば…。

 そんな仮定は意味がないがどうしても思ってしまう。

 俺の未練はこいつだよな、やっぱり。


「美子がどう思おうと自由だが、俺は決行するつもりだよ。早ければ明後日にでも」

『……ここでするつもり?』

「そうだなぁ……そうしたいのはやまやまだけど、見たくないんだろ?俺の姿」

『当たり前じゃない!』

「だよな、まぁ考えてあるから。とりあえずご飯作るよ。テレビ見てゆっくりしておいで」


 決心が鈍ることはないが、この話題はあまり続けたくはない。

 その意図に察したのか、テレビを見たり俺の調理を見たりとウロウロしていても何も言わずに見守っていた。

 明日は美子の好きなハンバーグでも作っておこうかな。




××××××××××




『で、今樹海にいるわけか』

「そういうこと、今は来るなよ?」


 美子にアパートの立ち退きを伝えてから二日後の深夜、仕事を終えてアパートに戻ることなく、俺は富士の樹海の前にいた。

 樹海なら誰に迷惑をかけることなく首を吊ることができると思ったからだ。

 美子に呪いが使えるのであれば、呪い殺してもらおうとも思ってたんだけど、そういうのは人間が作り出した幻想らしい。

 まったく、幽霊の価値観を暴落させてくれるよ、あいつは。


『止めないよ、お前の人生だからな。ただ、明日になったら警察を呼んで捜索するからな。数少ない友人を放置するのは忍びない』

「サンキュー、アパートの机の上に遺書を置いてある。そこにはどこから樹海に入ったかも書いてあるから、それを参考にしてくれ。

なるべく近いところで吊っておくから」

『……はぁ、わかったわかった。何か言い残すことはないか?』


 言い残すことか……思いつかないな。

 全部遺書に書き残してきたからなぁ。


「ないよ、親への謝罪も全部書き残してきた……あとは頼むよ、親友」

『……わかった、親友。今までありがとう、縁があればまたな』

「あぁ、また明日な」


 友人との通話を切って俺はスマホの灯りを頼りに樹海へと入っていった。

 辺りは暗く、俺の足音と虫の鳴き声、フクロウの声だけが響いている。

 少しは期待してきたんだけれど、幽霊には遭遇しないな。

 あいつが特別ってことなのかな。


「ここでいいかな、一応スマホの電源は入れて置いて……バッテリーも付けておくか。明日捜索してくれると思うけど、念のため」


 少し歩いたところにある樹の太い枝に踏み台を使って縄を縛り付ける。

 ネクタイでもいいかと思ったけれど、郷に入っては郷に従え。

 こういう時はやっぱり縄だよ。

 きつく縛り付けた輪っかにしがみついて自分の体重で枝が折れないか確認してみる。

 なかなか立派な枝じゃないか、俺の体重ではビクともしない。

 ここを選んで正解だったよ。


「……お疲れ様、俺。ごめんな、父さん母さん。頼むよ、親友……ありがとう、美子」


 美子には別れを今朝告げた。

 悲しそうに笑っていたな、あいつ。

 願わくば、また出会えることを祈って…。

 輪っかに首を通して踏み台を蹴り飛ばす。

 そこで俺の意識は途絶えた。

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尾羽毛出荘 禾口田光軍 わだてる @wadateru

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