モリスの思惑

全員の怪我の手当てを済ませ、温かい部屋で食事を提供される。久しぶりの我が家だというのに、なんだか落ち着かない気分なのは、普段ならいるはずのない同期たちが全員揃っているせいだろう。


「久しいなエラ。元気にしているようで安心した」

「お久しぶりですお父様。手紙は定期的に出しているじゃありませんか」

「それでも、愛娘とは直に合わなくては」


にっこりと微笑むアルバートが、怪我だらけの娘の頬を優しく撫でる。同期が見ているからやめてほしいが、今は大人しくしておくことにした。妻を亡くしたばかりで、末娘を王の命令で士官学校に送り出したのだ。滅多に家に戻る事も出来ず、すっかり静かになった屋敷で、父はどれだけ寂しい思いをしていただろう。アデルも一緒に暮らしているが、それでもエラが一緒にいた頃より随分静かになった。


「無茶をしたようだな」


皆が手当と食事を済ませている間、エラは一人山に籠って魔力を存分に放出した。今頃山は酷い状態になっているだろう。何処もかしこも巨大な氷の柱だらけになっている筈だ。昼間巨大な壁を生み出したおかげでいつもよりはマシだったが、それはアルバートは知らぬ事。初めて見る娘の魔力暴走は、愕然とするに充分すぎる光景だったに違いない。


「あそこにいるのは…リリーの葬儀に来てくれた…」

「え…?ああ、アルフレッドです。アル!」


エラの声に反応したアルフレッドが、足早にアルバートの元へ向かってくる。恭しく頭を下げるその姿は王子様そのものだったが、残念な事に色々な所が傷だらけだ。


「お久しぶりでございます、御父上」

「あの日は碌にご挨拶も出来ず申し訳ありませんでした。ガルシア家当主、アルバートと申します。娘が世話になっているようで」


今しなくても良いだろうとジト目で父を見るが、どうせ甘いものに夢中になっている同期たちは何も気にしないだろう。現に、此方を見ているのはアイザックとサラだけだった。


「お嬢様に怪我を負わせました。申し訳ございません」

「なに、訓練中の事ですからどうぞお気になさらず。どうせこの娘の事ですから、無茶をしたのでしょう」


正解だ。笑いをこらえるアルフレッドが、ちらりと此方を見たが、黙っていろと笑顔を向けた。

それを見たアルバートは、心を許せる友人がまさか王子だとはと目を見張るが、友人が出来た事、仲間とそれなりにうまくやれている事に安堵したのか、優しく微笑んだ。


「では、私は邪魔になるだろうから部屋に戻るよ。エラ、何かあればいつもの通りに」

「はい、お父様」

「ああそうだ、お前は一応訓練中なのだから、皆と同じように眠りなさい」


つまり、部屋のふかふかベッドで眠れると思うなと。折角疲れ切った体を思う存分癒せると思ったのにと愕然としたが、さっさと背中を向ける父にもう何も言えなかった。がっくりと肩を落としたエラに、アルフレッドがぽんぽんと背中を叩いた。


「あー、そろそろ腹も満たされただろう。今回の訓練は実戦訓練だった。七日間貴様らが自分たちで考え行動し生き残る事が第一条件。雪があれだけ降るのは想定外だったが、過酷な状況下での判断をどうするか見る予定だった」


モリスが偉そうに仁王立ちになりながら訓練生たちをぐるりと見まわす。

七日間どう生き延びるか。雪山という通常と全く違う環境下で、エラというイニシアチブを握りながらどう行動するかを見る。結束力を高めるのが狙いだったらしい。

最終日に敵に扮した教官たちと実践訓練をして終了という流れだったらしいが、思っていたよりもへばっている者が多かったが、エラとサラの能力が想定を上回っていた事から、教官五人が暫く使い物にならない程負傷したとのことだった。


「ランドルフも言っていたな。星がどういう存在か」


全員が気まずそうに視線をさ迷わせる。モリスはそれを見ながら、まだ静かに言葉を続けた。


「お前たちは特別でもなんでもない。だが、ガルシアとランドルフは違う。こいつらは戯曲とやらに祭り上げられた特別な存在だ。勿論、能力もお前たちより数段上。それに頼るというのが、お前たち…いや、今の大人たちが思い描く夜空の揃った国だ」


誰も言葉を発さない。何も言えないのだ。

今まで信じていた、夜空の揃った平和な治世。それは、共に生活するまだ幼さの残る少女たちに頼った平和なのだと知った。

体を震わせ、その身を凍てつかせる魔力に耐えるエラと、その身を焦がし獅子のように敵に食らいつくサラ。二人が守ってくれた。だが、二人を守ってくれる者はいないのだ。

身をもってそれを知った少年少女は、何も出来なかった不甲斐なさに唇を噛み締めた。


「あの規模の雪崩を止められたのは、ガルシアの魔力があってこそだった。正直あそこで数人離脱すると思っていた。雪崩を起こしたのは俺たちなんでな。離脱者はきちんと掘り出してやる予定だったが不要だったな」


無茶をしてまで仲間を守ろうとするあの姿は、月そのものであるとモリスは言う。最後の盾なのが月なのだ。


「二十九人を守り、その身を焦がして戦えたのは、ランドルフが普段から己の力の使い方をよく学んでいるからだ」


誰よりも前で国と民を守る。それが星の役目であり、あれはその身を焼いて輝く星そのものである。そう話すモリスの声は、普段よりも低く、落ち着いていた。


「俺は戯曲なんぞどうでも良い。そう言っているのは、かつての魔女たちがどう生きたかを知っているからだ」


夜と呼ばれた王が死んだ。そうして起きた内戦で新王派から民を守り、次世の王を守り抜き死んだのが月。残された星は夜の遺志を継ぎ、次世の王が即位するまで国と民を導き、最後まで戦い抜いた。その後はひっそりと西の地で子供たちに見送られたのだという。

そういう話を美しく仕立てたのが戯曲なのだと、モリスは淡々と話し続けた。


「あれは平和の象徴なんかじゃない。人間や内戦に疲れた者たちが縋りつく為に生み出した夢物語だ」


何処かで誰かがスンと鼻を鳴らした。きっと女子の誰かだろう。エラの手をぎゅっと握ったアルフレッドが、小さく息を詰まらせた。


「戯曲の全てを否定しようとは思わん。平和を願って誰かを祭り上げる事で士気が上がるならそれも良いだろう。だがお前たちはどうだ?二人がいるから何とかなると思わなかったか」


祭り上げられた者の人生が、逃げられない鎖に繋がれたものになると、誰も想像しなかったか。

そう言葉を投げるモリスが、エラとサラを見た。澄んだ青の瞳が、じっと何かを語り掛けるように思えた。


「正直お前たちには失望した。戯曲に頼り切りになるような木偶は俺は必要としない。話は以上だ。ガルシア、ランドルフは来い。他は解散」


モリスの手招きに大人しく従い、エラとサラは部屋を出る。名残惜しそうに手を離そうとしなかったアルフレッドは、静かにエラの背中を見送った。


◆◆◆


それなりに広く、整えられた部屋。そこは実家の客室で、誰か客人が来た時に使われる部屋だった。


「座れ」


その部屋に置かれた大きなソファーに、エラとサラは並んで座る。向かい側の一人掛けソファーに腰かけたモリスは、ゆったりと体を背凭れに預けた。


「よくやった」


素直に褒められるとは思っていなかった。揃って目を見張るのは仕方のない事だろう。居心地悪そうに体を動かしたサラが、おずおずと口を開いた。


「お怪我をされた方々は…」

「回復術師たちが世話をしている。命に別状はないだろう」

「そうですか」


ほっと安堵したように体の力を抜いたサラが、遠慮がちに背中を預ける。魔力も体力も使いすぎたのだろう。その顔には、疲労の色が濃く浮かんでいた。


「訓練にしては少々やりすぎなのではありませんか」


エラの固い声に、モリスは鼻を鳴らす。この程度と笑っているようだが、あれは絶対にやりすぎだ。誰か死んでいても可笑しくなかったし、良くてこの後途中脱落者が出ても可笑しくない。そこまでする必要があったのかと、エラは噛みつくが、モリスはにんまりと笑いながらそれに答えた。


「お前はいつまで良家の子女でいるつもりだ?」


小ばかにするようなモリスの言葉に、エラの眉間に皺が寄る。良家の子女である事は事実だが、今この話で関係は無い筈だ。


「もしこれが訓練ではなく、本当に戦争の最中だとしたら?足手纏いしかいない中隊。使えるのはお前とランドルフ。魔術の使えない男が二人、ほんの少し剣を扱える程度。敵がたった六人で済むと思うか」


モリスのその言葉に、何も反論出来なかった。足手纏いと思いたくは無かったが、正直言って動けた者は殆どいなかった。風を避ける為に壁を作る事にも躊躇する術者たち。それを維持するだけで魔力切れを起こす者。雪に慣れていないという事もあるだろうが、体力が追い付かずにへばる者。

戦いに至っては、殆ど誰も相手に攻撃すら出来ていない。傷を負わされるばかりで、相手にかすり傷の一つも与えられていなかった。

リュカに教わり多少魔術の練度が上がってきたところだったが、実戦では全く使い物にならない。今回の訓練は、訓練生たちの自信を徹底的に叩き潰してくれた。


「お前は防御は申し分ないだろう。だが、加減が出来ない。力の使い方を知らないからだ。敵に囲まれた時、お前は仲間を凍らせてしまうと躊躇したな」

「…はい」

「それではお前も死ぬだけだ」


ぐっと言葉を詰まらせ、エラはまだ痛む拳を握りしめる。モリスの言っている事は正しい。力の使い方を知っていれば、もう少し役に立てたかもしれない。ただ溢れ出る魔力を放出しているだけでは駄目だ。月として生きたくない、王家の為に生きたくない、逃げ出したい。その思いは士官学校に入って一年経っても変わっていない。その思いから、魔術の訓練はあまり気が乗らずにいる。

だがサラはどうだ。星とはこういう存在だと身をもって皆に示した。お前たちが望む未来はこういう事だと。開き直る事にしたと以前言っていたが、それは星として生きる覚悟をしたと言っているのと同じだ。


星として生きるだけの努力をしている。だからこそ、訓練中のサラは皆を纏め、守った。リュカの言っていた、鎖の本数を減らすというのは、こういう事なのだろう。


「ランドルフはよくやった。だがもう少し加減を覚えると言うのはお前も同じだ。戦う度にそれだけの傷を作っていては、本番でいくら回復させても意味が無い」

「はい」

「炎という特性上、術者もそれなりに傷を負う。それは避けられない。だが訓練次第ではその傷を最小限に抑えられるだろう」


二人に足りないのは練度だ。まだ本格的な訓練を初めてそう長くない為仕方のない事ではあるのだが、周りよりも強い力を持ったが故に、力で押せてしまうからこそ、モリスは案じていた。


「話を戻すが、今回の演習はお前たちがどういう存在かを知らしめたかった。説明も無しも放り込んだ事、申し訳なく思う」


深々と頭を下げられても、少女たちは顔を見合わせるだけだ。モリスのスキンヘッドをただ見つめる事しか出来ず、どう返事をすべきなのか分からない。


「お前たちは俺が求める役を演じてくれた。謳われる月と星の役目をしっかりと果たしてくれた。その結果離脱する者もいるだろう。だがそれはそれで良い。生半可な気持ちで軍人になったところで、無駄死にするだけだ」


頭を下げたまま、モリスは言葉を続ける。夢見がちな訓練生たちに現実を見せたかった。思い描いている戯曲は、そう美しいものではない。現実はただ二人の少女が死に物狂いで戦うだけなのだと、それを分からせたかったのだと言う。


「離脱せず己を磨く者とそうでない者をふるいにかけたかった、と」

「そうだ」

「それで相談も説明もなく、私たちを餌にしたのですね」

「そうだ」

「成程」


ふむと思案したサラは、大きな溜息を吐く。納得のいかないエラは、じっとモリスを睨みつけた。


「これで残った者は伸びしろがある、という事ですわね」

「そうなるな」


漸く頭を上げたモリスが頷くと、サラはにんまりと笑った。


「テオドール殿下の駒が磨かれますわね」


いつの間にそんなに気を許したのだ。そういえば途中でテオと愛称で呼んでいた気がする。そこはあとできっちり説明をされなければと心に決めながら、エラは背凭れに体を預けた。

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