もう一人の魔女

全員無事である事を確認したサラは、無茶をするなとエラを叱り倒す。既に叱られた後だというのに、同じ事で何度も叱るなとむすくれても、サラは許してはくれなかった。見ていて普憫になった訓練生たちに止められ、ようやく口を閉ざした頃には、エラはすっかり拗ねていた。


「ほ、ほら!エラのおかげで全員助かったんだしさ!ね!」

「そうそう!凄いね、あんなに大きな氷の壁!」


普段やや距離を置いている女子たちが必死にエラの背中を摩りながら機嫌を取る。凄い、ありがとうと何度も言いながら、早くお前たちも礼を言えとちらちらと男子を見ている事には気付いていた。流石にずっと拗ねているわけにもいかず、エラは困ったように微笑み、皆無事で良かったと言葉をかけた。


「でも何だか山が可笑しい。いつもの山じゃない」

「どう違うの?」

「分からない。変な感じとしか…」


ひりひりと何か嫌な気配を感じるものの、それが何かと言われると上手く説明出来そうにない。先程から周囲に視線を走らせてみるのだが、何かいるわけでは無い。注意しろと忠告された全員が周囲を見回すが、この山に馴染みがあるわけでも無し、違和感に気付ける者はいなかった。


「私たちにとって良くないもの…な気がする」

「何か動物?」

「熊とかはとっくに巣ごもりしてるだろうし…狼ならこの時間帯はまだ巣穴」


動物ではないなら人と考えるべきだろう。魔族を敵視する人間に危害を加えられるなら納得できるが、この地に人間はそう多くないし、そもそも魔族の土地で生活しているのに魔族に攻撃するような者たちではない。

では魔族?魔族が何故国の将来を担う若人を攻撃するのか。下手をすれば死人が出ていたであろうあの雪崩を起こす意味が分からない。

たまたま衝撃音がする程の大規模な雪崩だったと言われればそうなのかもしれない。だが拭いきれない違和感が、それは違うと叫んでいるようだった。


「訓練生だけでなんとか出来る気がしないんだけれど…」


アメリアが不安げな顔をエラに向ける。誰も彼もが、疲れ切った顔で同じようにエラを見る。どうしたものかと考えるサラは、じっと動かずに空を見上げていた。


「…ガルシア邸はあっち。ここから歩いて三時間くらい」

「そんなに…?」

「雪が無ければもっと早かったんだけどね。申し訳ないけど、雪に不慣れな人が多すぎる。三時間っていうのは、何も問題なく順調に進めた場合」

「つまりもっとかかる…ってことか」


項垂れる男たちのなんと情けない事か。そう言いたいのをぐっと堪え、エラはちらりとサラを見る。諦めたように小さく頷いたところを見ると、エラの言いたい事を分かっているのだろう。


「訓練を途中で放棄したってモリスが煩いだろうなあ…」

「それが本当に嫌なのよ」

「死ぬよかマシか…後で説教される覚悟のある人?」


苦笑しながら周囲に問うと、のろのろと全員が手を上げた。嫌そうな顔を見るに、モリスの長ったらしい説教が本当に嫌なのだろう。だが、山を知っているエラの訴える違和感に怯んでもいる。先程の雪崩で死を意識した者たちが、説教を覚悟するのにそう時間はかからなかった。


「日が落ちる前に着けると良いんだけれど。あっちの一番高い山わかる?あれを目指して歩いて。あそこから月が上る。今日は満月だよ。私の言いたい事、分かるね」


満月の夜はエラの力が暴走する。それは訓練生にとって恐ろしい事の一つで、簡単に巻き込まれかねない恐ろしい事象だという事。全員がこくこくと何度も頷き、足早に差された方向へ歩き出した。


◆◆◆


ぎゅっぎゅと雪を踏み固める足音がする。三十人分の足音と、荒い呼吸の音。静まり返った山は不気味な程シンとしていて、耳の奥が痛む程の寒さが訓練生たちの体力を奪っていく。


「頑張れ。あと半分」


もうどれくらい歩いただろう。恐らく出発してから二時間は経過している。野営地に荷物を置いてきてしまったし、食料もないまま真冬の山で夜を過ごすなんて無謀だ。

徐々に体を覆う寒気が、満月の到来をエラに告げている。もう少し、もう少しだけ待ってくれと空を睨みつけるが、非情にも空は夜の色を纏いはじめていた。

寒い。寒くてたまらない。我慢しなければ。他の皆はもっと寒い。きっと立つだけで精一杯の者もいる。ポートは先程からアイザックの肩を借りて歩いているし、女子たちはサラに励まされながらよろよろと歩いている。

あと半分とは言ったが、あと何時間で辿り着けるだろう。確実に月が登ってしまう。もう既に、低い空に月明りが煌めいていた。


「エラ、大丈夫か」

「…やばいかも」


小声で様子を伺いに来たアルフレッドだったが、カチカチと奥歯を鳴らし始めたエラが限界に近いと察すると小さく舌打ちをした。

なんて物騒な王子様だろう。そう笑ってやりたいのに、もう言葉を発する気力すらない。歯を食いしばり、寒気に耐えるしかない。足を進めるのももう怠くて堪らないのだ。


「あとどれくらいだ」

「あと半分って、言った」

「ならその半分で良い。歩け」


なんてきつい事を言うのだろう。なら残りの半分はどうしろというのだ。その場に倒れ伏しても良いのか。いや、流石にそれは死にかねないからやめてほしい。そんなどうでも良い事を考えて、必死で足を動かし続けた。


「なあ、あれ人か?」


アイザックの声に、アルフレッドがいち早く反応する。じっと目を凝らすと、進行方向に数人の人影があった。もしかしたら訓練生が雪崩に巻き込まれたかもしれないからと、実家の誰かか、集落の人々が見に来てくれたのかもしれない。

そんな淡い期待を込めて人影を見た。


「止まれ!」


叫んだエラの声に、人影はゆらりと揺れた。疲労困憊の少年少女よりも、体力のある大人たちの方が動きは速い。何が起きているか理解する前に囲まれてしまった。全身黒の外套に身を包み、口元は同じく黒の布で隠されている。どう見ても子供たちを助けに来た救援隊には見えなかった。


「何、ガルシア家の人達じゃないのか?」

「違う!こんなやつら知らない!」


噛みつくように叫ぶエラの声に、サラがじっと体勢を低くした。それに倣うように、数人が戦闘態勢に入ったが、アメリアを始めとするもう動く気力の無い者たちはへなへなとへたり込むばかりだ。


「お前たち、ここはテルミット。我がガルシアの庭だ!何処の誰だ、所属は!」


寒気で体を震わせたまま、威嚇するように声を荒げるエラの体を庇うように、アルフレッドが立ちはだかる。何も答えない大人たちが、ゆっくりと剣を抜いた。


「六人か…動けるのは…エラを抜いて十九人ってとこか」


ぶつぶつとアルフレッドが思考を纏めるように呟くが、実戦経験のない自分たちが大人相手にどこまでやれるかはたかが知れている。これは訓練だ。そう言って放り出された筈なのに、明確に敵意を向けられているのはどういう状況だ。

少なくとも、剣を片手に間合いを詰めてくる大人たちは味方ではない。守らなければ。動けない者たちだけでも、どうにかして守らなければ。

あの雪崩を止められたのだ。人六人を氷漬けにしてやるくらいなんてことはない。だが、加減というものが苦手なエラが、暴走状態の今仲間を巻き添えにしない自信が無かった。


「全員下がって!全部氷漬けにすれば終わり!」


自信が無いのなら、下がらせれば良いだけの話だ。範囲を絞ることが出来ずとも、前方向にだけ向ければ良い。それくらいならやれる筈。


「がっ…!」


そう思っていた。だが、こいつを落とせば良いと自分で主張したようなものだ。一気に間合いを詰められ、雪の上に顔面を叩き込まれる。呼吸は何とか出来るが、体を抑え込まれて動けない。じたばたと暴れてみても、満足に動く事すら出来なかった。


「ぐ…そがぁ!」


体に触れているのなら簡単だ。そこを起点に魔力を放出してやれば良い。後頭部を押さえつける敵の手を渾身の力で握りしめ、掌と背中の両方から魔力を放出した。

ばきばきと嫌な音がする。肉が凍り付くと痛むのか、激しい悲鳴と共に押さえつける体が離れていった。


「私に触れるな」


瞳孔の開いた緑の目が、転げまわる大人を冷たく睨みつける。それに怯える声が何処からか聞こえるが、今のエラにそんな事を気にしている余裕などない。

一度放出した魔力は、もっと出せと体の中で暴れ狂う。それでも頭の片隅はどこか冷静で、撃破すべき敵は本当に六人なのか、残り五人で終わるのかを考える。


もしももっと多くの敵がいたならば、訓練生だけで対処できるか分からない。そもそも何故訓練生を狙ってくるのかが分からない。このテルミットでこんな騒ぎが起きるのなら、モリスは訓練生を放り込んだりしないだろう。父も勘づいていて既に動いていても良い筈だ。


「エラ、貴方は動けない子たちを守りなさい」


小さく耳元で囁く、鈴の音のような声。落ち着いた声色に、上がった呼吸がふっと落ち着いた。緊張した表情をしているが、サラはじっと視線を真直ぐ前に向けている。あれがボスだと狙いを定めたのだろう。


「動ける子たちは各自撃破。相手は残り五人よ。十九人もいれば充分でしょう?」

「魔術が使えないやつが二人いる」

「馬鹿ねぇ。それを言ったら相手に伝わってしまうって分からない?」


要らぬ事を言った男子に睨みをきかせるが、それでも人数はこちらが有利だ。何より、剣を扱えば訓練生の中で跳びぬけている者が三人もいる。うち二人は魔術は使えないが、それは周りが補えば良い。


「炎の術者は私に続きなさい。風は援護、水は王子と従者のカバーを」


腰に差したままの剣をすらりと抜いたサラが静かに指示を出す。こうなったらやるしかないと覚悟を決めたのか、動ける全員が剣を抜いた。


「私ね、苛々しているの。こんなに寒くてお腹もすいて、皆うだうだと文句ばかり…甘ったれてるんじゃないわよ」


低くドスの利いた声が、エラの鼓膜を揺らす。ぎしりと緊張した訓練生たちが、奥歯を噛み締めた。誰もが対人戦で真剣を使った事が無い。人を傷付ける覚悟の無い者が剣を振るったところでたかが知れていた。それでもやらなくてはと間合いを詰めに行ったのは、動けなくなりつつあったデリックだった。

だが、腰の引けた状態で剣を振るっても、それはあっさりといなされ腹に膝をめり込ませられる。そうして倒れるデリックを見たアメリアが悲鳴を上げた。


その声に反応したのか、大人たちは一気に距離を詰めてくる。慌てて応戦したところで、子供たちは良いように遊ばれるだけだ。そこかしこで悲鳴と金属がぶつかり合う音がした。時折魔術を使ったのか、炎や水が飛び交い、風がまだ新しい雪を巻きあげた。


「落ち着け!隙しかないぞ!」


アルフレッドが必死で声を上げるが、それを聞いていられる程落ち着いている者はいない。ああ、何てことだ。仲間たちが必死で戦っているのに、加減が出来ず暴走状態にあるせいで何も出来ない。まだ暴れ続ける魔力が溢れないよう耐える事しか出来ず、エラは呆けるしかなかった。


「っぐ、あ…!」

「ザック!」


腕から鮮血を散らすアイザックが、痛みに顔を歪めて倒れ込む。すぐさま起き上がり間合いを取るが、それはすぐに詰められて蹴り飛ばされていた。助けなければ。動かなければ。そう思うのに、頭に浮かぶのは友人を凍らせてしまう未来だけだった。


「ああ…もう、煩い」


ぽつりと呟いたのはサラだった。

くったりと体の力を抜いているのか、剣を持った腕はだらりと垂れさがっている。


「もう良いわ。皆エラのところへ行って頂戴」


ぼうっと空を眺めたまま、サラは僅かに声を張り上げる。その声に反応した訓練生たちが徐々にエラの周りへ集まるが、大人たちもそれに続いて距離を縮めた。小さく纏まった子供を囲う、小さな円。そのほぼ中心に立ったサラが、うんざりしたように大きく溜息を吐いた。


「本当に、どいつもこいつも甘ったれで嫌になる。これが私の駒?冗談じゃないわ。ああ違ったわ…テオの駒だったわね」


ぶつぶつと苛立った声で呟くサラが、小さく舌打ちをする。ゆらりと体を揺らすと、ごきりと首を鳴らした。

いつもと違うサラの姿。普段はもう少し淑やかで、良家のお嬢様らしくしているというのに、今のサラは見る影もなかった。


「何が戯曲よ馬鹿馬鹿しい。こんな腑抜けた駒しかいないのに平和になるのかしら?それとも戯曲なんかに頼ってこの国が滅びて平和が訪れるとでも?」

「サラ…?」

「本当はこんな使えない甘ったれ共なんかいらないんだけれど、テオは守れって言うのよね」


ちろりとへたり込む訓練生たちに視線を向けると、サラは左手を肩の高さまで真直ぐ前に上げた。掌から炎を生み出すと、それは徐々に火力を増し、人一人を易々と飲み込める程の大きさになった。じりじりと肌が熱を帯びる。ゼロ距離にいるサラは熱くないのだろうか。そう思った瞬間、サラは勢い良く腕を振り、炎を敵に向かって投げつけた。

ぎゃっと短い悲鳴を上げ、雪の上で火だるまになっている大人を冷たく見下ろしながら、サラは右手に持った剣をかちゃりと音をさせながら握り直す。


「貴方たちが縋る戯曲の星は、誰よりも前で王と民を守る者。それが私に負わされた役目」


それがどういう事だか、今此処で教えてあげる。

うっとりする程可愛らしい笑顔で、サラは穏やかな声色で笑った。


まだ動ける大人四人。それが全員でまだ幼い少女に向かって剣を向ける。一気に詰められた間合いを物ともせず、髪と服を焦がしながら炎を放出する姿は、その身を燃やして輝く星そのものだった。

炎だけに頼らず、全身を使って一人一人丁寧に薙ぎ倒す。掌から放出した炎の勢いを使って体を回し、拳を叩き込む技は、アイザックが小さく「お見事」と呟く程見事なものだった。

雪の上に転がる大人が全部で五人。残り一人はボスだけとなるまで、サラはその身を焦がし続けた。ぜいぜいと息を荒げ、至る所に火傷と切り傷を作りながらも、サラは立ち続けた。その姿は、普段の余裕たっぷりのお嬢様の影すら見えなかった。


将来星として国に君臨するのなら、こうして誰よりもその身を犠牲にしながら戦わねばならない。それを知っていて、「あれが星」と讃えていた者はここにはいない。

夜も星も月も、平和の象徴としか見られていなかったのだ。

それが、その身を犠牲に国を守った三人だとは、誰も考えはしなかった。


「まずは火傷の治療だな」

「は…?」


聞きなれた声に呆けたサラの声と共に、目の前の男はやれやれと溜息を吐きながら顔の布を取り去った。見慣れた顔。むしろ、今は殴り飛ばしたい顔だ。


「教官…?」

「訓練だと言っただろうが馬鹿者共。どうするんだこの転がった木偶たちは」


すっかり伸びた大人たちは、どうやら全員士官学校の教師らしい。満足げな顔をしたモリスが、わしわしとサラの頭を撫で、へなへなと力の抜けたサラが何やら小声で罵倒しながら雪へ顔を埋めた。


「そろそろガルシア家の方々が迎えに来る。全員世話になるぞ」

「…は?!」


思わず出た声に、モリスはにんまりと笑った。

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