魔女の片鱗
一日中降り続いた雪は、すっかり地面を覆い隠し、エラたち訓練生たちの足を取るには充分な深さになっていた。勿論慣れているエラはそう簡単に転んだりはしないのだが、他の訓練生はそうもいかない。
そもそも疲労が溜まり、精神的に限界が近い者もいる中でこの積雪だ。アメリアはすっかり元気を無くし、笑顔を見せてくれない。
「どうしたものかしらね…」
「士気が下がってる、ってやつ?」
少し離れた場所でこそこそと話すエラとサラは、困ったと溜息を吐く。まさかこんなに全員が疲れ切ってしまうとは思わなかったのだ。こんな場所に放り投げて行ったモリスを恨むべきなのだろうが、今は降りしきる雪に恨みがましい目を向けるしかなかった。
「今日を入れてあと二日…教官が迎えに来るのは昼頃と言っていたから、実質あと一日半程かしら?」
「頑張ってほしいけど…今私が何を言ってもなあ」
うーんと唸りながらがしがしと頭を掻き回す。エラの白銀の髪が、さらさらと揺れる度に、毛先が僅かに青白く発光していた。
「…魔力漏れてるわよ」
「今日満月だからね。正直今すっごい怠い」
「無理しないでちょうだいね」
「大丈夫。夜はちょっと抜けるけど」
溢れてしまう魔力を何処かで吐き出さなければならないこの体質が面倒で堪らない。そういえばサラはこういう面倒事は無いのか気になったが、ちらりと横目に見る限り、なんてことは無さそうな顔をしていた。
「何?」
見られている事に気付いたのか、怪訝そうな顔を向けられる。思わずぎくりと肩が揺れたが、別に隠すような事でもない。正直に抱いた疑問を口にすると、ふむと考えるような仕草をした。
「私に溢れ出す程の魔力は無いわ。普通より魔力保有量は多いけれど、貴方程じゃない。どちらかというと火力と瞬発力なのよね」
普段の訓練中のサラを思い出すと、他の炎の術者よりも術が強い事だけは分かる。それは生まれ持った魔力保有量のおかげだと言うが、その分使う魔力も多い筈だ。
「そうね…例えるなら桶かしら。桶の中身半分をぶちまけるという行為は同じだけれど、内容量に差があればぶちまける量も違うわね」
「そうだね。サラは総量が多いから、半分ぶちまけるだけでも他の人より火力が強いって事か」
「その通り。要は力で押してるだけなのよ。貴方も同じようなものだと思うけれど、規模が違う。だから私が貴方と同じようにしたらいずれ魔力が尽きて倒れるわ」
なんて分かりやすい説明なのだろう。きっとモリスも座学で同じことを説明してくれていたのだろうが、今サラに説明された方がすんなり入って来たのが不思議だ。
「まあ総量が多いという事は、回復にも時間がかかるという事なんだけれどね」
「溢れ出すのとどっちがマシ?」
「制御不能の炎なんて御免よ」
夜になったら制御不能の氷に耐えなければならないエラに向けてにっこり笑うなんて、この女はなんて性格が悪いのだろう。げんなりとした顔を向けてやった瞬間、山の方から轟音が鳴り響いた。
「何!」
「わかんない!でもこれはヤバイ!」
「全員退避!」
勢い良く振り返ったエラとは反対に、サラは何が起きたのか理解できない訓練生たちに怒鳴る。慌てて走り出す訓練生たちを追いかけて走り出したが、エラはその場から動かない。
足元が僅かに揺れている。遠くから響く低い地鳴りの音が、全身に警告していた。
「今すぐに此処から逃げろ」と。
「走って!出来るだけ遠くへ!」
サラの叫び声が聞こえる。詳しい情況を理解出来ずとも、やらなければならない事は分かっているらしい。
徐々に迫る白煙が、質量を増しながら眼前に迫る。雪崩だ。
「エラ!何してる!」
アルフレッドの叫び声。その後に続く「お嬢!」という声はアイザックだ。早く走れ、何をしていると叫ばれたところで、エラは大人しくそれに従う気は無かった。
どうせ走ったところで、この規模の雪崩から全員無事に逃げられる筈も無い。逃げ切れる程走れる体力のない者が数人いるからだ。
冷たい空気が心地良い。すっと閉じられた瞼が、じんわりと瞳を温めた。祈るように両手を空へ向け、肺一杯に酸素を取り込んだ。
いつかモリスが言っていた。魔術を使うなら想像しろと。今欲しいのは、雪崩から皆を守れるだけの壁。分厚く高い壁。どこまで出来るだろう。溢れ出しそうな魔力を命一杯使ったら、皆を守れるだろうか。
「エラ!」
アルフレッドも早く逃げてほしいのに。此方に走ってくる気配がする。焦っているのか、普段よりも上ずった声で何度も名前を叫ばれた。守らなければ。なんとしてでも、彼を、彼らを。
閉じた瞳を開き、高く上げた腕を勢い良く振り下ろす。両手を体の前に付き出しながら、全身から溢れて弾ける魔力が周囲の空気を凍てつかせる。バキバキといつも通りの轟音。横一線に伸びて行く高い氷の壁は、凶悪な質量の雪を押しとめるように見えた。
ばきりと何処かで氷が割れる音がする。まだ薄い。ならばもっと厚く。ここで壁が壊れたら、後ろのアルフレッドが流される。ただの人間と変わらない彼はすぐに死んでしまうだろう。雪に埋もれて死ぬなんて、そんな最期は絶対に御免だ。
「う、うぅううう!」
奥歯を食いしばり、無意識に漏れる声を気にするでもなく魔力を注ぎ込む。酸素の入らない、限りなく透明に近いあの固い氷を生み出すことが出来たなら。きっとこの雪崩を堰き止められるだろう。
何の為の力だ。無駄に垂れ流すだけの力なら必要ない。今やらなければ、やらなければ誰か死ぬ。愛する故郷で仲間を失いたくなかった。
「止まれ!」
足元から伸びる固い氷へ拳を振り下ろす。皮膚が裂けたが今はそんな事は気にしていられない。氷を。もっと分厚く、密度の高い固く丈夫な氷の壁を。もっともっとと呟きながら、地響きの音が止むまでエラは魔力を注ぎ込むことをやめなかった。
「エラ!何してるんだ死ぬ気か馬鹿!」
膝を付いた瞬間、勢い良く肩を捕まれる。怒りに染まったアルフレッドの顔が、思っていたよりも近かった。良かった、無事だとへらりと笑った瞬間、左頬に熱が走った。叩かれたのだと理解するまでにそう時間はかからなかった。
傷む頬を抑えながら、何故?と呆けた顔をするが、アルフレッドの怒りはまだ収まらないらしい。
「無茶するな!死んだらどうする気だ!なんで逃げなかった!」
「だって、走ってたら誰か死んでたでしょ…?」
「だからってお前が死ぬ危険を冒す必要が何処にある!」
「な…によ!止めたんだからちょっとくらい褒めても良いんじゃないの?!ていうかアルだってこっち戻って来て何考えてんのさ!そっちだって死ぬ気か馬鹿!」
ぎゃあぎゃあと言い合っている姿に呆れながら、少し遅れてアイザックも合流する。お前も戻って来るなと二人に責められても、アイザックは困ったように笑うだけだ。
「お嬢ってば、こーんな壁作って馬鹿みたいに魔力使ったのにそんなに元気なんか」
「まだまだいける」
「俺の話聞いてたかこのじゃじゃ馬」
「助けてくれてありがとうエラ様まで聞いてた」
ぷいとそっぽを向いてみせるが、この雪崩が何故起きたのかが分からない。何か衝撃音がした事は分かるのだが、通常の雪崩でそんな音がしただろうか。何か変だと周囲の気配を伺ってみるが、生憎そんな器用な芸当は出来やしない。もっときちんと訓練を受けておくんだったと後悔したが、今は皆無事だっただけ良しとした。
「立てるか」
「立てる」
「…手、怪我してる」
「ああ…これくらい何ともな…いったいなあ!」
無理矢理引かれた右手は、ぽたぽたと鮮血が溢れて零れていた。見てしまうとズキズキと痛みだすのは何故なのか知らないが、不機嫌そうな顔のアルフレッドが少々雑に布を巻いてくれた。ぎちぎちと必要以上に締め上げてくるのは辞めてほしいが、叱られたばかりなおかげで文句を言う気にはなれず、しかめっ面で耐えるしかない。
「まあ無事で良かったよ。でももうこんな無茶すんなよ」
「わかったよ…ザックもね」
「いやあ死ぬかと思った」
けらけらと笑うアイザックが、それくらいにしてやれとアルフレッドを止めた。布が巻かれた手を何度か握ってみたが、少々痛むだけで特に問題は無さそうだ。
少し離れた所に皆逃げたと聞き、三人はゆっくりと歩き出す。
いつもと違う山に、エラの胸騒ぎは収まる事は無かった。
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