普通とは
最悪だ。誰かがそう呟いた声がする。もそもそと眠っていたテントから顔を出すと、その言葉の意味を一瞬で理解した。
頬を刺すような冷気。空から落ちてくる氷の粒が、真冬の到来を告げていた。
「わあい…冬じゃん」
「何喜んでんだよお嬢…どうすんだこれ。積もるか?」
「積もるだろうね。それも結構な深さ」
「最悪だわ」
頭を抱えるサラが、寒そうに体を摩る。流石にエラも多少の寒さを感じるが、他の者よりは軽装で動けるだろう。だが、雪に不慣れな者が多いこの状況で大雪は厳しい事に変わりはない。昨日のうちにある程度食料を確保出来ていた事は救いだが、残り三日雪の中で生き延びなければならないという過酷な状況に、訓練生の殆どが顔色を悪くしていた。
「一先ず薪は濡らさないように気を付けて。絶対に火を絶やしちゃダメ」
エラがてきぱきと薪の場所を移動させながら指示を出し、とにかく今日やらねばならない事を思い起こす。食料は三日分も無い。雪が積もる前に少しでも食糧確保をしておきたい。野営場所は移動せずとも良さそうだが、念のため壁は作り直した方が良さそうだ。
「ねえ、壁作り直せる?風もそうなんだけど、積もると崩れてくるかもしれないからちょっと守ってほしい」
アメリアが反応するが、ここ数日の慣れない野営で疲れ切っているらしく、壁を増やせという言葉に絶句している。
誰もがエラのように膨大な魔力を持っているわけでは無い。まして疲労が溜まっている状態では魔力量も回復しない。回復していないという事は、魔術を使う事も出来ないのだ。エラにはその感覚が分からなかった。
「無理言わないで…今ある壁を直すだけで精一杯よ」
「どうして?」
「もう充分な魔力が無いからよ!充分な休息も取れていない、食事も簡素なこの状況でどうやって回復するの?!」
珍しく声を荒げるアメリアに、エラは言い返す事も出来ずに目を見張る。落ち着けと背中を摩るデリックも、申し訳なさそうな顔をエラに向けた。
「俺たち全員アメリアと同じような状態だ。正直新しく壁を作るだけの魔力が無い」
「…そう」
自分が他とは違うという事を思い出した気がする。満月の夜には溢れ出してしまう程の魔力量。それが普通でないことくらい分かっていた筈だった。充分な休息を取らなければ魔力が尽きてしまう事も、魔術を使えなくなってしまう事も分かっているようで分かっていなかった。
—私は普通じゃない
口の中でその言葉を噛み砕き、ごくりと飲み下す。認めたくないのに現実はしっかりと見せつけてくるのだ。
お前のように無尽蔵の魔力があると思うなよと言いたげな仲間たちの視線。
どれだけ否定しようと、どれだけ拒絶しようと、自分は「普通」にはなれないのだ。望んでなどいない力だが、他者からすればこの力は羨望の的なのだと思い出した。生きた魔力貯蔵庫。リュカが言ったその言葉が、エラの頭の中で何度もぐるぐると廻った。
「…ごめん」
震える声で一言零す事しか出来ない。精神的に限界が近いらしいアメリアはぽろぽろと涙を零し、寒さに震える訓練生たちは俯きながら体を摩る。
もし、温かい炎を生み出せたなら、今この場で凍える皆を温めてやれるのに。
でも現実は、全てを凍てつかせる魔力のみ。どうして今何の役にも立てない力を持っているのだろう。どうしたら、この人達を助けられるのだろう。
「エラ。薪を移動させるんだろ、手伝うよ」
背中に触れた手が、そっと上下に動く。安心させるように摩ってくれているのだと気付くと、いつの間にか止めていた呼吸が再開された。アルフレッドがそっと薪を受け取ると、さくさくと凍り始めた土を踏みながら歩き出す。右手には薪を抱え、左手はエラの手を握りながら。
「大丈夫だから。落ち着いて」
「あ…どうしよ。何か変な感じ」
上手く説明出来ないが、胸のあたりが苦しくて堪らない。アメリアが泣いていた。友人を泣かせてしまうなんて初めての経験だ。どうして泣いてしまったのだろう。訓練が辛いから?それとも傷付けるような事を言ってしまったから?
「エラ、君は特別なんだ。誰もがエラみたいに膨大な量の魔力を持っているわけじゃない。寒さに慣れているわけでもないし、初めての実践訓練で疲れ切ってる。俺は魔術は使えないけれど、回復するのに適してない環境だって事は分かるよ」
エラを諭すような優しい声色で、アルフレッドは歩きながら言葉を続ける。繋がれた手の温もりが、徐々にエラの緊張を解してくれるようだった。
「だって…雪崩が起きたら危ないと思って…」
「うん、その判断は間違っていないと思うよ」
「私が作っても良いけれど、それじゃこの訓練の意味、無いじゃない」
「そうだね。でもエラばかりが頑張ったら意味が無いってだけで、今のはエラが頑張って良かったんだよ」
薪を木陰に置き、布で包みながらアルフレッドは小さく微笑む。その笑顔すら、今のエラには責められているような気がしてならなかった。使える力があるのにどうして使わないのかと。
「皆に頼ろうとしたんだね。それは良い事だと思う。でも疲労度はきちんと考えないといけなかった。魔力は無尽蔵じゃない、覚えておいて」
「…うん」
良い子と優しく頭を撫でるアルフレッドは、いつの日かもエラを慰めてくれた。氷漬けにしたあの森はまだダメージが残っているが、草木たちは少しずつ元気を取り戻している。
何故アルフレッドに慰められると安心してしまうのだろう。こんなにも居心地が良いのだろう。普段意地悪なくせに、こういう時は兄のような優しさを見せてくれる。それに安堵してしまうのは、兄が恋しいからだろうか。兄は今頃軍人として訓練している頃だろう。家族が恋しい。家に帰りたい。母に会いたい。優しい母に、そっと抱き寄せてもらいたい。優しく頭を撫でて、「大丈夫よ」と微笑んでもらいたい。もう二度と会えない母を思い出し、目頭が一気に熱くなる。絶対に泣くものかと必死で唇を噛み締めるが、困った顔のアルフレッドがエラをそっと抱きしめた。その温もりと、よしよしと何度も頭を撫でる感覚が懐かしくて、ついぽろぽろと涙を流した。
「エラも疲れたんだね」
「…うん、疲れた」
「あと三日、頑張れる?」
「やるしかないじゃない。ここはテルミット。私の陣よ」
誰よりもこの地を知っている。誰よりも適した魔力を持っている。だったらやるしかないじゃないか。やれるだけの事をやるしかない。では、やれる事とは何だ?
「ねえアル。私に出来る事って何?」
「え?あー…今まで通りで良いんじゃない?いざとなったら頼れる人って感じで」
「…そっか」
あまり為になるアドバイスではない気がするが、それで良いのだろう。アメリアはそろそろ落ち着いただろうか。どんな顔をして戻れば良いのだろう。何事もなかったように話し掛けてくれたらそれが一番嬉しいのに。
それよりも、何故この男はさも当然とばかりに抱きしめてくるのだろう。いくら仲が良くともこれは駄目だ。一応年頃というやつなのだから、それなりに距離感は弁えてもらいたい。だが、慰めてくれたことも分かっている。やんわりと押し返す程度に留め、エラは大きく息を吸い込んでにんまりと笑う。
「戻ろう。早くしないと薪が湿気っちゃう」
「それは困る」
苦笑したアルフレッドと共に仲間たちの所へ歩き始める。降り続く雪は徐々に激しくなってきたが、流石に吹雪いたりはしないだろう。もどったらまずは山側に壁を作ろう。それよりも氷で小屋でも作った方が良いだろうか。残念ながら自分にそんな器用な事は出来なかった事を思い出し、エラは小さく溜息を吐いた。
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