実戦訓練
その日はいつもと何も変わらない、穏やかな空が広がる晴れた日だった。リュカは訓練生全員と個別授業をし終えると、ハイランドへと帰って行った。
そうして戻って来る筈だった、訓練ばかりのありきたりな日常を非日常へと変えるのは、その辺りに転がっている石を蹴るのとそう変わらない、簡単な事。
「良いか砂利共!貴様らが王の為に働くにはまだまだ能力が足りん!三人一組で隊を組み、自分たちの力で七日生き延びろ!」
そう叫んだモリスの声だった。
正確には、普段とは違っている。今いるのはいつもの訓練場ではなく、真冬も近付くエラの地元、国の東に位置するアンビット地方、テルミットの山の中だ。
「さ、さみ…」
「この程度で」
「エラが、耐性、ありすぎ」
寒そうに息を詰まらせるアイザックとアルフレッドが、何てこと無さそうに立っているエラに文句を言う。持たされたのは最低限の水と食料。そして小さなナイフとロープ、簡易テントと薄い毛布だけだ。
携帯用の保存食は七日生き延びるには心許ないが、エラにとってこの山は庭のようなものだ。どこに食べられる野草が生えていて、小動物がいるかは何となく覚えている。
「防寒具があるだけマシでしょ?」
「着ててもさみいよ!何だよお嬢の地元!」
「ようこそ我がテルミットへ!ここは一年の殆どが冬の氷の精霊の土地。お婆様は雪の精霊って言っていたけど、どっちにしろ王都よりも寒い事に変わりないわ」
ホームだといきいきしだしたエラとは対照的に、放り出された他の訓練生たちはどうしようかと頭を抱えている。三人組は好きに組めと言われているし、いつも通りの組み方で良いだろう。
「な、なあ!エラの地元なんだろ?俺たちと組もうぜ!」
「そうだぜ、案内してくれよ」
「嫌よ。あんたたち普段私の事じゃじゃ馬って言ってるの知ってるんだからね」
じとりと仲間を睨みつけ、誘いを断る。いつも通りアルフレッドとアイザックの肩を組み、べえと行儀悪く舌を出した。ひやりとした空気が舌を冷やす。懐かしい感覚に、自然と笑みが零れた。さてまずは何をしよう。休む場所を確保する?それとも食糧調達?うきうきと久しぶりの山を楽しむように、エラは友人二人の肩を組んだまま歩き出そうとした。
「待って、こんな寒くて食糧も心許ない場所で三人一組で行動なんて自殺行為よ!」
アメリアが声を震わせながら手を上げる。寒さにあまり強くないのか、唇の色が悪い。防寒具を着ているとはいえ、慣れない者にとってここは真冬の王都と同じくらいの気温しかない。日が落ちればもっと冷えるのだが、そんな事は子供でも知っている。体を刺すような寒さで何人の者が命を落とすだろう。
「アルフレッドもアイザックも優秀よ。でも…その、魔力も持たないただの人間二人に何が出来るの?」
ごめんなさいと小さく詫びる事も忘れずに、アメリアは言葉を続けた。確かに冷静に考えれば、それは至極全うな意見だった。何も言い返せないのか、アルフレッドもアイザックも黙ったままだ。
「正直言ってその二人はお荷物。いくら貴方がこの土地に慣れているといっても、お荷物二人を抱えて七日もどうするつもりかしら?」
「わーあ辛辣…でもお嬢、本当にその通りだぜ俺とアルは別れた方が良い」
「貴方も馬鹿ね。馬鹿正直に三人一組で散会してどうするつもり?」
寒くて苛立っているのか、サラはじとりと黙りこくった訓練生たちを睨みつける。腕を組み体を出来るだけ小さくさせながら、サラは小さく息を吸い込んだ。
「全員一緒、もしくは二手に分かれる程度に留める方が賢明だわ」
「教官も、組めとは言ったけど三人一組で行動しろとは言っていないしね」
アルフレッドが肩を竦めながら言葉を継ぐ。どこかで「確かに」という言葉が聞こえた。エラもそれに納得し、小さく頷く。エラは慣れているおかげでなんとでもなる気でいたが、自分以外はいつ低体温で倒れてもおかしくない。夜になれば狼も出るだろうし、大人数でいた方が得策だろう。
「のった」
「宜しい。それじゃあまずは火よ。乾いた木がある場所は?」
「それならここから少し行った所にあるかもしれない。まだ雪がないから、木は濡れてない筈」
エラが指さした方向は、周囲と変わらない木々に囲まれた場所。何を目印にしているのだとアメリアが目を見張るが簡単な事だ。遠くに実家から見えていた山がある。地形を覚えていた事がこんな形で役に立つなんて。部屋に閉じ込められている暇な時間に地図を読み込んでいて助かった。
「薪さえあれば火は魔術でどうにでもなる。あとは夜の寒さをしのげる場所があると良いのだけれど」
カチカチと奥歯を鳴らしながら、サラは周囲に視線を走らせる。頭の中で必死に洞窟を探してみるが、三十人も入れるような大きな洞窟も洞も覚えが無い。
「風が弱い所は」
アイザックが少しでも体温を上げようと小さく跳ねながら言う。それなら木が密集していて少しだけ風が穏やかな場所がある。それも、薪が拾える場所からそう離れてはいない。
「決まりね。動けなくなる前に移動しましょう。何か意見がある人は?」
サラの言葉に逆らう者は誰も居ない。早く行こうと全員がエラの差した方へ向かって歩き出した。
「あの山を真直ぐ見て進んで。逸れたら都度言うから」
あまり喋ると体力を消耗する。それを知っているエラは、黙って足を進める。魔力を持たぬ友人を助けなければと心に決めながら。
◆◆◆
ぱちぱちと爆ぜる火は、冷えた体を優しく温めてくれた。薪を上手い事焚火として使えるよう、サラを始めとした炎の術者たちが火を灯してくれたのだ。皆薄い毛布に包まり、この先六日間どう過ごそうか話し合う。
夜は狼が出る可能性がある事を話すと、全員で眠るのは危険であると判断し、交代で眠る事にした。
食糧は出来るだけ温存し、自生している植物や小動物を狩る事にした。伊達に一年座学や訓練を積んでいない。だが、残念な事に本格的な実践はこれが初めてだ。しかも、真冬の王都以上の寒さ。火の傍にいても寒そうに体を擦る者さえいた。
「雪があれば雪濠が作れたんだけど」
「勘弁してくれよ…俺雪なんて慣れてないぞ」
平原出身者の殆どは雪を見た事すらない者もいる。エラにとっては見慣れた景色でも、そうではない者がいる事を初めて知った。氷で壁を作ってやっても良いのだが、それでは余計に冷えるだろう。
「土の術者ってどれくらいいる?」
アルフレッドの言葉に、困惑した顔のアメリアが手を上げる。それに続くように、三人の男が手を上げた。
「土で壁を作れないかな。氷で作るよりは冷えないと思うんだけれど」
「待って。土地への負担が大きすぎる。山を壊しちゃう!」
「でも加減すれば俺たちが風を凌ぐ程度の壁で済むだろう?それなら負担はあまりかからない」
「加減って…簡単に言うけど、三十人が風を凌げる程度の壁を四人で作るの?」
まだ一年しか本格的な魔術の訓練をしていないアメリアたちにとって、それはとても難しい事なのだと言う。土の術者は土地の力を借りて壁を作ったり土木作業をする者が多いが、力を借りた分だけ、土地にダメージが残るのだ。
数年草木が育ちにくくなったり、最悪崩れて周囲に被害がいく。山の麓には集落もあり、そこに被害がいくことをエラは恐れた。
「でもやらなきゃ凍えるだけだ。それとも、エラに氷の壁を作ってもらう?」
じっとアメリアを見据えながら、アルフレッドは言葉を続けた。
「何も出来ねぇお荷物風情が偉そうに!」
「喧嘩してどうするの。アルフレッドの言っている事は間違ってないわ。でもやるやらないは術者に任せるしかない。加減を間違えると土地に負担がかかるのは事実だもの」
苛立った男子訓練生の声。それに言い返す落ち着いた声のサラに何も言い返せなくなったのか、誰も何も言わない。いい加減このぎくしゃくとした空気が嫌になってきたが、今問答無用で氷の壁を作っても意味が無い。
ここが自分にとって有利な場所である事で、エラは冷静に周囲を見回す余裕も、モリスの意図を考える余裕もあった。
これは訓練だ。慣れた者ばかりで組むのではなく、使える駒全てを使って生き延びる為の訓練。エラとサラばかりが立ちまわっても意味が無い。ここにいる全員で生き残る為に、モリスはこの地に訓練生を放り込んだのだろう。今頃ガルシア邸でのんびりしているのだろうと思うと何だか腹立たしいが、次期王妃らしく駒を纏めようとするサラを見ているのは何だか楽しかった。
「アメリア」
「なに?」
「出来るよ。もしも崩れたりしたら私が食い止める。この地は私にとって最大限に力を使える場所なんだから、なんとでもしてあげる」
だから、私たちを助けて。
その言葉に、アメリアは今にも泣き出しそうな顔をして、大きく息を吸い込んだ。
「デリック、サム、ポート、お願い一緒にやろう。アルフレッドの言う通り、このままじゃ皆寒くて凍えちゃう」
「でも…」
「でもじゃない!もしもこれが訓練じゃなくて、本物の雪山だったら?まごついてる間に皆死ぬ!」
訓練ではあるが、ここは本物の雪山である。まだ雪は降っていないが、いつ降り出しても可笑しくない。それを言ってどうなるかは知らないが、引っ込み思案なアメリアが必死に言葉を紡いでいる。
これは訓練。皆が成長するための、一人前になる為の第一歩。それを見守るのが、今のエラの役目なのだ。
「わかった。失敗したらお前本当に止めろよな!」
「私を誰だと思ってんの?大丈夫だから一発頼むよ」
にんまり笑ったエラに、四人は不安そうな顔を見せる。だが、頼むよともう一度微笑むと、壁を作る位置を決め始める。火を囲うように若干湾曲させ、風を凌げるだけの高さを見繕う。そこそこ大掛かりな作業になりそうだが、四人いれば何とかなると判断したのだろう。
「万が一があるから、エラはすぐ止められるように待機して。他の皆は危ないから離れて」
緊張した声のアメリアが指示を出すと、皆それに従う。ぎゅっと目を閉じた四人が地面に跪き、両手を土に這わせる。
「土よ、大地の精霊よ。どうか我らに祝福を」
祈るような声でアメリアが呟くと、デリックが大きく両手を鳴らした。それに続いた三人が同じように両手を鳴らし、勢い良く地面を叩く。刹那、地響きと共に四人の足元から土が壁になるように天へそそり立つ。予定よりも低くなってしまったようだが、風を凌ぐには充分な高さのそれに、どこからともなく歓声が上がる。四人もまさか上手くいくとはなんて呟きながらも、嬉しそうに手を合わせて喜んでいた。
「うん、土地へのダメージもそう大きくはないみたいだし、崩れる気配もないね」
エラの言葉とアルフレッドの拍手に、アメリアがとても嬉しそうな顔をした。頬を僅かに赤く染め、照れ臭そうにしているのは、褒められて照れているせいなのだろう。エラも同じように拍手をし、やるじゃんと声をかけた。
「リュカ先生が教えてくれたの。魔術に必要なのは想像する事だって。あの人凄いのね、魔法使いなのに、魔術の事よく知ってるの」
訓練生一人一人を相手にしながら、それぞれに足りない物を的確に指摘していたらしい。殆どの者が力でごり押しするばかりで、どうしたいのかを想像する力が足りていなかった。これくらいの壁を作りたいときちんと頭に思い浮かべてみたのだと嬉しそうに話しながら、アメリアはデリックと手を合わせた。
「さあ、喜んでいるのも良いけれど、まだまだやる事はあるのよ!テントを立てて休めるように支度をして。もう月が高くなってきてるわ。あまり遅くまで活動しているのは得策じゃない」
パンパンと渇いた音をさせ、サラは周囲をぐるりと見まわす。遠くから聞こえる遠吠えを警戒しているのだろう。今日の見張りはどの隊、交代要員は…などと指示を出し、漸くそれが終わる頃には、皆慣れない環境でへとへとだった。
◆◆◆
訓練三日目。疲れが出てきたのか、男子訓練生の一人がぐったりとしていた。初日に壁を作り出した一人のポートだ。
「どうした、具合悪いか?」
アイザックがそれに気付き、怪我は無いかを簡単に確認しながら声をかける。疲れただけだと言うポートだったが、その声に覇気は無い。
「…ねえ、ポート。昨日も夜起きてたわよね。何してたの」
「寝てた!大丈夫だから。食料を探しに行こう」
心配する女子訓練生の声を振り切りながら、ポートが立ち上がろうとするのをアイザックが肩を押し込んで静止する。普段飄々としているアイザックの珍しく真面目な顔に、ポートは何も言えずに顔を背けた。
「何してたんだ」
「…俺の作った場所、綻んでるんだ。どうにかして修繕出来ないかと思って、確認してて…」
「平原育ちで寒さに不慣れ、二日目は食糧探して歩き回ったのに夜通し壁直してましたってか」
低いアイザックの声が、咎めるようにポートに言葉を投げつける。綻んでしまうのは仕方が無い。元々この土地の土だったのだ。どうしたって元の場所に戻ろうとするのだから、時間が経てば徐々に崩れていく。それが他の三人に比べて早かったというだけで、ポートの力が足りないわけではないのだ。
「己の力量不足で壁が崩れたらどうする?寒さに凍えたら困るだろう」
「だからって自分のキャパ超えてたら意味無いだろ?」
「っ…!何も出来ない人間が!偉そうに俺に説教するな!」
「自分のキャパも分かってねぇ馬鹿に何言われても悔しくもなんともねぇよ!」
怒鳴り返したアイザックの声に、エラは漸く何事かと意識をそちらに向けた。またいつもの人間弄りかと思ったが、それに言い返しているのは珍しい。いつもなら、本当の事だしとへらへら笑っているだけなのだ。
「俺は魔術は使えない。でも体力だけには自信がある。魔術が使えない分、動けるだけ動くから無理するな」
「同じく。壁が崩れないように気を張ってくれたんだよな。ありがとう」
少し離れた場所にいたアルフレッドが、そっと近寄りながらポートに礼を述べる。見ている限り、この二日間の二人は誰よりも率先して動いていた。体力に自信があるといっても限界はあるだろう。それでも、魔術が使えないというハンデをカバーするには動くしかない。
この訓練中、エラは必要以上にアルフレッドとアイザックを庇う事をしなかった。皆がチームとしてやっていかなければ生き残れないからだ。異端分子ではない、仲間であると認識させようと、サラとこっそり話し合って決めた。
「ほら、スープ作ったんだ。皆で食べよう」
ポートの手を引き立ち上がらせると、アルフレッドは問答無用で調理をしていた焚火の元へ引きずって行く。ポートも腹は減っていたのか、温かく湯気を上げるスープを差し出されると、大人しく啜った。
案外放っておいても上手い事やるのだなと感心し、エラはまた自分の作業を続ける。今日は小動物を狩りに行かなければならない。その準備は入念にしておかなければ。飢えた体で残り四日間生き残れる筈が無いのだから。
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