リュカ先生

リュカが訓練生に指導するようになって数日。ただほんの少し魔法が使えるだけの人間が、数人の魔族を相手にするのは大変だからと、一日一人ずつ指導をしてくれている。今日は特別に二人を相手にしていた。


「さて、君たちは魔術が使えない半魔族だったね。ちょっとこれを握ってくれるかな?」


そう言って、リュカはアルフレッドとアイザックに小さな魔石をころりと手渡す。怪訝そうな顔をした二人が言われた通りに石を握りしめた。


「はい開いて」


パッと開かれた二人の掌の上で、魔石はころりと転がった。何をしているのだとじっとリュカの顔を見るが、うーんと唸ったリュカは眉尻を下げてアイザックの方を見た。


「残念だけど、君は欠片も魔力が無い。殆ど人間だね」

「まあ、そうでしょうね」

「十六歳だっけ?多分体は魔族に近いだろうから、大人になるのは早くてもある一定のところで成長が緩やかになるだろうね」


そう言われてもと困った顔のアイザックだったが、アルフレッドはじっと自分の掌に転がる石を見つめていた。それは握りしめる前よりも、僅かに輝きを増しているように見えた。


「うん、王子様の方は限りなく少しだけだけれど魔力持ちだ。勿論魔術は使えないし、魔石で補助しても魔法使いにはなれない程度のものだけれどね」

「それは、限りなく役に立たない物って事ですか」

「そうだけどそうじゃない。魔力が込められた魔石がお守りになるのは知ってるだろう?君はかなーり時間をかければその程度の力を魔石に込めてやれるくらいの力は持ってるって事さ」


だからそれはほぼ使い物にならないという事だろう。そう言いたいのをぐっと堪え、アルフレッドは曖昧に微笑むだけだった。


「うーん…これは何だろうなぁ。弱すぎて分からないけど、人間よりは魔族寄りの魔力かな。属性は読めないや」


こてんと首を傾げたまま、リュカはブツブツと呟き続ける。お守りになる程度の魔石とは、ファータイルで子供への贈り物として人気だ。幼い子供が悪いものから守られますようにという、親からの贈り物。大抵親が魔石を用意し、魔力を込めて子供に渡すものである。勿論、アルフレッドもアイザックもそんな思い出は無い。


「どっちにしろ君たちは魔術では戦力外!剣の腕を磨こうね」


非情な現実を思い切り叩き付け、リュカは朗らかに笑ってみせる。ひくりと引き攣った笑顔を浮かべた二人は、転がされたままの魔石をもう一度ぎゅっと握りしめた。


◆◆◆


アルフレッドとアイザックが非情な現実を叩きつけられた翌日は、エラの番だった。手合わせでもしてもらえると思っていたのだが、リュカはのほほんと地面に座り込み、エラも同じように座らされていた。


「あの…何もしないのでしょうか」

「ああ、良いの良いの。君は規格外すぎるから、私の手に負えないよ」

「はあ…」


規格外。それは数日前手ほどきを受ける筈だったサラも言われた言葉。確かゆったりとお茶をしながら世間話をしただけだったと言っていた。


「君は自分の役目から逃げたいんだろう?逃げる先は決まっているのかな?」

「…漠然と、ハイランドに行きたいと思っております」

「おや、我が国は君にとって魅力的かな?」


ハイランドは人間の国。だが、普通の人間ではなく魔法使いの国だ。国民の殆どが魔法を使い、時折魔族も紛れていると聞く。


「他国では迫害されるであろう魔族でも、ハイランドなら拒絶迄はしないのではないかと…」

「良い事を教えてあげよう」


ぴっと人差し指を立てながら、リュカは笑顔を浮かべる。いつもの目元は笑っていない、どこが薄気味悪い笑顔だった。


「ハイランドはね、君が思っているような国じゃない。私たちが魔族を迫害しないのは恐ろしさを知っているからさ」

「恐ろしい…?」

「そうさ。海を渡るから魔術を使えない者が殆どだけれど、君たちは恐ろしく長寿だ。長寿という事は、私たちが何年もかけて研究した物事を生きている間に幾つも知識として蓄える事が出来る」


ハイランドで生きている魔族は、生きた本棚なのだとリュカは笑った。その生きた本棚が、迫害された結果ファータイルに戻ったら?他所の人間の国に逃れ、己の蓄えた知識を提供する代わりに手厚く保護されたら?


「知識は財産だ。その財産を山程蓄えられる魔族が逃げてしまわないよう、私たちは手厚い保護という名目で国から絶対に出さないんだよ」

「隙を見て逃げられたりしないのですか?」

「逃げられないようにする為に、私たちは色々な事をするよ。洗脳だってするし、肉体的に痛めつけたりもする。足の筋を切ってしまえば動く事さえままならない」


魔術も使えず、ろくに動けもしない魔族を殺してしまうなんて簡単だ。そう言ってみせるリュカの表情は冷たく恐ろしい。

魔族は人間よりも頑丈だ。長く生きるし、国とその周辺ならば魔術も使える。人間を纏めて一掃する事も出来る。だが、魔術が使えないならば体は人間とそう変わらない。首を切るなり、心臓を一突きするなり、水に沈めるなりしてしまえば、簡単にころりと死んでしまう。


「まして君は戯曲の登場人物の一人だ。持っている魔力は桁違い。魔術が使えなくても魔石に魔力を込めるなんて造作も無いんだ。研究の為に必要な魔力は膨大なんだよ。人間である私たちが喉から手が出る程欲しいんだ」


君の魔力はそれだけ魅力的なんだよと、リュカはにたりと笑う。

ぞわりと背中に嫌な感覚が走る。表情が強張ったエラににんまりと笑いながら、リュカはまだ淡々と言葉を続けた。

足を潰して幽閉してしまおう。そうすれば逃げられないから、生きた魔力貯蔵庫として飼いならせる。魔族と人間が交わり続ければ、そのうち魔族に引けを取らない魔力を持った子供が生まれるかもしれない。何世代目でそんな子供が生まれるか試してみたらどうだろう。君は長寿だから沢山産めるだろう。

そんな恐ろしい事をにたにた笑いながら言ってのけるリュカが、酷く恐ろしく思えた。


「とまあ、そういう事を考える輩もいるってことさ。魔法使いってのは研究熱心な輩が多くてね。実際に生きた魔力貯蔵庫になってる魔族も居るから、君が思っている程魔族に優しい国じゃないって事だけ覚えておいて」

「は、い…」

「ごめんごめん、ちょっと脅かしすぎてしまったね。もしハイランドに逃げるなら、真っ先に中央議会へ来るんだよ。私の友人だと言えば私が保護してやれるからね」

「…本当に保護だけで済みますか」

「多少魔力貯蔵庫にはなってもらうけど、人間と交わらせたりしないよ。そもそも魔族の子供って少ないだろう?長寿な分ぽこぽこ増えると困るせいなのか、君たち魔族の女性が妊娠する確率はかなり低いじゃないか」


リュカの言う通り、魔族はなかなか子供が出来ない。魔族の男が人間の女を孕ませる事はままあるが、魔族の女が人間の男の子供を孕む事は殆ど無い。


「嫌われて終わる未来しか見えないし、既に数百年前に試してみた記録があってね。何人か子供は生まれているんだけど、人間か良くて半魔族が生まれるだけだったみたいだ」

「試した記録があるんですか…」

「言っただろう?魔法使いは研究熱心だって」


ハイランドに逃げるのは最終手段にしよう。心にそう決めて、エラは自分の膝を抱え込んだ。


「君はどうして役割から逃げたいんだい?」

「私はエラ・ガルシアです。戯曲の月とは別の者で、伝説しか知らない人と重ねて見られるのは不愉快です。それに、国を護る者と言われても、私にそれだけの力があるとは思えないからです」

「つまり、役不足だろうし重圧に潰れてしまいそうだから逃げたいって事かな?」


リュカの言葉に、エラは小さくこくりと頷いた。物心ついた頃から祖母に聞かされてきた物語。


月の魔女は、いずれテルミットと呼ばれるようになる土地の主だった。魔族が人間に追われ、あらゆる場所からテルミットへ逃げてきた。そこには全てを凍り付かせる力を持った魔女がいるからだ。逃げてきた魔族の中に、夜と呼ばれる男がいた。彼が人間達から魔族を護るように、巨大な土の壁を作り上げた。それが、ファータイルと人間の国を隔てる巨大な山脈なのだと、物語に綴られていた。

夜と彼を護るように傍に居た星は、テルミットの更に奥を目指した。沢山の魔族が奥へ奥へと逃げていくのを見た月は、此処が要となるのならと、テルミットの守護者になったのだ。だからその子孫であるガルシア家は代々テルミットに住んでいるのだと、祖母は何度も何度も語っていた。


「戯曲のどこからどこまでが真実かは知りませんし、どうでも良いです。でも、他の人達はそうじゃない。たまたま私がガルシア家の娘で、白銀の髪を持って生まれてしまったから、戯曲の月と重ねて見ている。それがとても嫌なんです」


抱えた膝に顔を埋め、エラはぐちゃぐちゃと纏まらない思考を整理するように言葉を吐き続ける。

呪いの様に刻み込まれた「月」という存在。認めたくないといくら足掻いても、体に宿る魔力は強大で、加護をくれた精霊は他に例を見ない氷の精霊だった。徐々に強くなっていく魔力。満月の夜にはあふれ出してしまう程のその力は、「お前は普通じゃない」とじわじわと現実を突き付けてくるようだった。


「もし仮に君が月じゃなかったとしよう。髪の色はそうだな…茶色かな。もしそうだったら、君はどうしたかった?」

「どう…?」

「普通の御令嬢みたいに、年頃になったら結婚して、子供を産んで育てて…長い長い人生を退屈に消費していきたい?」


よく考えてみれば、逃げたいというだけでどう生きたいかはあまり考えた事が無かったように思う。結婚適齢期はまだまだ先の話だが、いつかまだ見ぬ夫に嫁ぎ、所謂いいとこの奥様として生きて行きたいだろうか。否、それは何だか退屈そうだ。


「…色々な所が見たい」

「ほう?」

「私、ずっと雪山に居たんです。実家がテルミットでなかなか他所に出られなかったし、お婆様が大事な体に何かあったらどうするのって家からも殆ど出して貰えなかったので」


ずっと家の窓から見ていた景色は、真っ白な雪に埋もれてばかりだった。短い夏の時期に見る山は、深い深い緑が広がるばかりで退屈だ。

いつか海というのを見てみたい。一面の花畑とやらを見てみたい。国から出られないとしても、国の中の色々な場所を見てみたかった。


「良いね。この国はとても美しい。人間の国は痩せた土地が多いから…ファータイルはその名の通り豊かで美しいと思うよ」

「…まあ、現実の私はこれなので、多分無理な話だと思いますが」


これ、と言いながら、エラは自分の長い髪を摘まんで苦笑する。


「何だ、分かってるじゃないか」

「え…?」

「君は逃げられない。君だけじゃない、ランドルフ嬢も、テオドール殿下もだ。見えない鎖でぐるぐるがんじがらめにされてる。そこから逃げられずとも、足首に一本鎖を繋がれた程度にするのと、暴れて厳重に縛り付けられるのと、どっちがマシだろうね?」


にんまり笑ったリュカの言葉の意味がよく分からない。どっちにしろ鎖に繋がれるというのは同じではないか。


「君は抗おうとしているね。でもそれは魔王が許さない。きっとこの先、どんな手を使っても君を手に入れようとするだろう。鎖を何本でも用意出来るような人が相手なんだよ?逃げられるわけないじゃないか」


頬杖を付いたリュカが、さらりと髪を落としながら小首を傾げてエラを見る。黒い瞳は、じっとエラを見つめていた。


「だから、あの二人は現魔王の思う通りに動いている。少しでも繋がれる鎖を少なくするために」

「…では、嫌だ逃げたいと暴れる私には、二人よりも多くの鎖が繋がれる、と」

「そう。次期魔王夫妻として大人しく役を演じる代わりに、彼らはある程度の自由を手に入れようとしている。あの二人は賢いよ」


その言葉に、エラはぐっと唇を噛み締める。鎖というのは、エラの身の回りのもの全てを巻き込むと言う事だろう。実家も、家族も、友人も、何もかもを人質に取れるのが現魔王ルーカスだ。

ルーカスの求める月を演じさえすれば、人質に手は出さない。だが、そうでないならば容赦はしない。何が何でも、エラを月として利用したいのだ。


「ね、君も馬鹿じゃない。どうすべきなのかは分かってるだろう?」

「…分かっていても、すんなり了承できるわけではありません」

「そりゃあそうだ。まあ、まだ訓練一年目だろう?卒業するまでに覚悟を決められれば良いんじゃないかな」


そう言うと、リュカはその場に立ち上がり、ぐいぐいと背中を伸ばす。腰が痛むのか、拳でトントンと叩いてエラを見た。


「説教臭くて申し訳ないね。でもモリスが君の事を心配していたから」

「教官が?」

「問題児なりに抱えてるものがある。でも魔族の自分が何を言ってもきっと頑なになるだけだからってね」


言っちゃいけないんだったと口を手で押さえたがもう遅い。内緒にしてねと言いたげに口元に人差し指を充てるリュカをぼんやり眺めながら、エラは小さく息を吐く。


自分の歩むべき道。

自分の歩みたい道。

それが必ず交差するとは思えないが、そろそろ駄々を捏ねるだけの子供ではいられないのだという事だけは理解した。

遠くで鳴る昼食の時間を告げる鐘の音を聞きながら、エラはアルフレッドとアイザックが迎えに来るまで座り続けるのだった。

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