魔術と魔法
軍人になるには実践訓練は必須である。しかし、知識も持ち合わせていなければお話にならない。国内の事情や国の歴史だけでなく、他国の事やその他ありとあらゆる知識を持っていた方が良い。
エラやサラのように良家出身者ならば、子供の頃から家庭教師が付きある程度の知識は叩き込まれるが、そうでない者もそれなりにいる。士官学校というこの場所は、貴族やジェントリ階級出身者も多いが、そうでない者も多少混ざっている。また、家庭教師によっては偏った知識を詰め込む輩もいる為、学校に入った者は必ず子供が学ぶ事柄をもう一度叩き込まれるのだとモリスは言った。
「だからって何で絵本…」
行儀悪く頁を摘まんだエラがそう零すが、十六歳の少年少女が読むには少々幼すぎる。表紙には幼い女の子が好むような可愛らしい絵が描かれていた。
魔族の国であるファータイルは、住んでいるのが魔族であるという理由からして歴史が長い。魔族はとても長寿だからだ。見た目はいつまでも若いのに、生きている年数が軽く百年を超えているなんてことは当たり前。長い長い歴史を語り継ぐ為、戯曲にしたり物語にして子供たちに伝えていく事が多かった。今訓練生たちが読まされている絵本もそのうちの一つである。
「魔術師とお姫様」と名付けられたその本は、とても力の強い魔術師が人間のお姫様に恋をするという話だ。簡単に纏めると、魔力を持たないお姫様が地位も家も何もかも捨て、魔術師と共になるが、ただの人間であるお姫様は魔術師よりも早くに死んでしまう。残された魔術師は、お姫様との間に生まれた愛娘と共に旅をしながら魔術を教えようとする…というものだ。
勿論魔族と人間の間に生まれた娘は所謂混ざり者。アルフレッドやアイザックと同じように魔術の使えない人間だった。しかし二人と違うのは、僅かに魔力を持って生まれていたという点。父から受け継いだ長寿と、ほんの少しの魔力との付き合い方を教える父と娘の話として終わるのだが、それは魔術と魔法の違いを教える為の話らしい。
「我々魔族の使う魔術は、精霊の加護を受けて初めて使えるようになる奇跡である。これは必ず魔力を持った魔族が、成人の儀で精霊の水を飲んで使えるようになるものだ」
基礎の基礎。魔族には当たり前の通過儀礼。所謂中流、下流階級関係無く、魔族は十五歳になると必ず成人の儀を行う。それは魔族として一人前になる為、精霊の加護を受け魔術を使えるようになるために必要な事だからだ。エラたちが使用したあのゴブレットは儀式用に特別に誂えられた物だが、各地の村で保管されているゴブレットもある。大抵銀製のものらしく、精霊の水が湧き出るように特別な儀式を行う必要がある…らしい。これは国の中でも限られた者しか知らない重要機密の儀式らしく、モリスも詳しくは知らないそうだ。この術がバレてしまえば、ゴブレットに細工をされたり、成人年齢に達していない子供に精霊の水を飲ませる輩が出る可能性を考慮しての事だと言う。
「魔法というのは、魔力を持った人間だけが使える秘術の事だ。魔術は己の体にある魔力を精霊に助けてもらいながら使うものだが、魔法は魔力を術式に注ぎ込んで使うもの。似ているようで全く違うものだ」
モリスが分かり易い様に言葉を選びながら説明しようと努力しているのは分かる。だが、魔族にとって魔術を使うのは精霊の加護あってこそのもの。多少訓練をする必要はあるが、基本的に「こうしたい」と考え魔力を練り上げるだけで良いのだ。術式がどうとか言われた所で、なかなか詳しく想像出来ない。
「どうせお前らは俺が説明したところで分かりもしないだろう」
図星だが、モリスにそれを言われると何だか腹立たしい。やれやれと訓練生を馬鹿にすように肩を竦めて溜息を吐くモリスに、小さく誰かが舌打ちをしたが、にんまり笑ったモリスはそれを気にする事は無かった。
「よし、全員外に出ろ」
午前中あれだけ扱き倒したくせに、午後まで扱くつもりか。げんなりと溜息を吐いたエラは、のろのろと椅子から立ちあがった。
◆◆◆
全員が怠そうに外に出ると、一足遅れてモリスが現れる。その後ろに付いて来た見覚えのない男に、皆「誰だ」と言いたげな視線を向けた。鼠色のローブを着て、目深にフードを被った男であるとしか分からない人物。体のあちこちに身に付けられた色とりどりの石は魔石のようだ。
「特別講師だ」
「初めまして、訓練生の皆さん。私リュカと申します」
にっこりと微笑みながらフードを外した男は黒髪で、耳より少し長く伸びた髪をさらりと風に揺らした。にこにこと微笑んでいる筈なのに、どこか上辺だけに見えるのは、彼の目元が笑っていないからだろうか。
「リュカ氏は人間だ。一流の魔法使いのな」
「一流だなんてそんな。たまたま良質の魔石を手に入れる事が出来ただけですよ」
手をぱたぱたと動かしながらリュカは笑う。両手の指の殆どに嵌められた魔石の指輪。恐らくそれら全てが良質なもので、魔力をため込むには充分すぎる装備だろう。
「どうせ魔族の俺が魔法を説明しようにも上手い事いかんからな。ハイランドからたまたまいらしていたのでお呼びした」
「ちょっと魔石の補充をしに来たつもりだったんですが…まあ温かい食事とふかふかのベッドを提供してもらえるなら大喜びでご指導いたしますよ」
へらりと笑うリュカに、何となく力が抜ける。ハイランドから来たということは、彼は人間側でも魔族側でもない中立の立場の人間だ。
ハイランドとはファータイルから海を渡った向こうにある国。王政ではなく、民の中から選ばれた者を長とし、その長も五年ごとに選び直すという少々珍しい国だ。
「我がハイランドの事を知っている人は…あんまりいなそうですね。先程モリス教官から魔術師とお姫様を読ませたばかりと伺っております」
これですねと手を空に差し出したリュカの手には何も無い。筈だった。ぽんと小気味よい音がしたと思うと、その手には先程まで自分たちが読まされていた絵本が乗っている。ざわざわとどよめくのも無理はない。話に聞いていたとはいえ、魔法を見るのは初めての者ばかり。きっと全員が初めて見たことだろう。
「これは魔法の一種で、所謂空間転移というやつですね。何でもかんでも移動できるわけではありませんよ」
待機室の机の上に術式を書いていたのだとリュカは笑顔でタネを明かす。机の術式を地点Aとし、リュカの掌に隠していた術式の描かれた紙を地点Bとする。AとBは繋がっており、この地点同士ならばある程度の大きさのものは移動する事が出来る。
「つまり、地点Aとした術式の上に何も無いならば、地点Bとした私の掌からは何も現れてくれない、ということです。BからAに送り返す事は出来ますけどね」
「ほら」と微笑みながら、リュカはもう一度小気味よい音を響かせる。そうすると、手に持っていた筈の絵本は消えていた。ほう、とエラの隣に立っていたアルフレッドが小さく声を漏らす。少し離れた所に居るサラさえも、大きく目を見開いていた。
「あの絵本は子供向けですからね。魔術と魔法が違うものであるという事を、本当に簡単にしか説明していません」
時々魔力持ちの人間が魔術のような何かを使うから気を付けろ。そういう教訓なのでしょうと笑いながら、リュカはにっこりと微笑んだ。そしてゆっくりと訓練生たちの顔を見渡していく。サラとエラの顔はほんの少しじっと見つめたようだが、特に言葉をかける事はなかった。
「魔術を使うには精霊の加護とやらが必要なんでしょう?私たち魔法使いは加護こそ受けられませんが、その分自分の魔力と術式さえ組み合えば様々な事が出来ます」
そう言ったリュカは、両手をゆったりと広げ、「こんな風に」と笑う。右手には火の玉を、左手には水の塊をふよふよと浮かせたその姿に、訓練生たちは再び声を上げた。
「複数の属性を使うなんて!」
「魔族の皆さんは、加護をくれる精霊によって使える術が違いますし、かなり限定されますね。でも魔法は違います。勿論得意分野はありますが、絶対に一つの属性しか使えないわけじゃないんですよ」
火を使うなら火の術式を。水を使うなら水の術式を。他にも空間転移や空を飛ぶ事、回復魔法等、用途によって様々な術式を使うのだと言う。
「もしも魔法使いの集団が攻めて来たら…?」
アメリアが恐ろしい事を言い出した。周囲の者がぎょっとした顔でアメリアを見るが、リュカはけらけらと楽しそうに笑ってそれを否定する。
「魔法が使える人間はそう多くありません。それに、持っている魔力量なんて魔族の皆さんに比べたらちっぽけなものですよ」
「攻め込めるほどの人数もおらんし、リュカ氏のように大量の魔石を身に付けていれば多少違うだろうが、我々と戦える程の魔力は無い」
「そういう事。ですが、人間は魔法使いを金で雇います。超高額の報酬でね」
スッと細められた目が、じっと訓練生たちを見る。ハイランドの魔法使いは中立の立場であり、絶対にどこの国にも協力しない。勿論個人同士のやりとりは自由だが、戦争や荒事に参加してはならない掟があるのだという。
「ハイランドに属していない魔法使いは、大抵人間の国で大事に保護されています。まあそれもごく一部の魔法使いだけですが…」
「雇われた魔法使いが、私たちの国へ攻め込む際に共に来る可能性はある、という事でしょうか」
サラがぴしっと手を上げながら質問を投げる。その通りと大きく頷くリュカが、楽しそうにサラを見た。
「君はサラ・ランドルフ嬢かな?次期王妃の」
「はい」
「良いねぇ、君は賢そうだ。是非ともハイランドへの魔石の輸出を検討してほしいね」
「魔石は我が国にとっても希少なものですわ。それを易々と他国に金で売るなんて事は出来ませんの。個人で決まりを守って購入いただく分には何も問題ありませんが、国同士でのやり取りならば額も量も桁違いになるでしょう?ハイランドは中立国と仰いますが、大量の魔石と優秀な魔法使いが大勢揃った場合も同じことが言えまして?」
サラがつらつらと言葉を並べ立てる。ぱちくりと目を瞬かせたリュカだったが、数拍置いてげらげらと声を大きくして笑った。
「良いね!君は良い王妃になれる!それで?実はずっと気になってたんだど、エラってのは君だろう?氷の術者なんて初めてだよ!何かやってみせてくれないかい?」
「貴方を氷漬けにすれば宜しいですか」
不躾な物言いにほんの少しムッとして、エラはじとりとリュカを睨みつける。まだげらげら笑うリュカは、目尻にうっすらと涙を浮かべていた。
「いやあ、何だか面白いから暫く此処に顔を出そうかな?実はモリス教官とはそこそこ長い付き合いでね。今期の子たちは面白いって聞いていたからさ。どうだい教官。実践訓練の相手くらい出来ると思うんだけど」
ひいひいと呼吸を荒げ、涙を指で拭ったリュカがモリスを見る。にんまりと楽しそうな顔をしたモリスは、絶対にその申し出を受け入れるだろう。明日からの訓練が今までよりもっと過酷なものになると確信した訓練生たちは、げんなりと体の力を抜いた。
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