王家

士官学校に入って早一年。エラとサラはぎくしゃくはしているものの、入学当初よりは仲良くやっている。だが、相変わらずエラはアルフレッドとアイザックの三人で行動する事の方が多かった。半分人間の二人は、一年の間に背が伸びた。大人の姿に近付いている事が、エラにとっては何となく羨ましいような、寂しいような気がして複雑だが、本人たちはあまり変わっていないと笑うばかりだ。


「本当、仲良いわよね」

「そう…だね」


アメリアのニヤニヤとした笑みに反論しようと思ったのだが、別に反論する事もないなと、エラは長い髪に櫛を通しながら思い直す。

最近の女子は誰が一番夫として理想かなんて話をするのがお気に入りなようで、アメリアもその一人だ。何をしに来ているのだと呆れるが、女子訓練生は婿探しも兼ねているというのは有名な話だし、家を継げない次男や三男たちは良い家の娘と結婚すれば、その家を継げる可能性もある。要するに、誰も損はしない。


「エラはどっち狙いなの?」

「別にどっちも狙ってないよ」

「えー…アルフレッドは半分人間だけれど、王家の一員よ?良い相手じゃない」

「そういう目で見た事無いし…」


アルフレッドは確かに仲が良い。だが、あれは少々性格に問題があると思う。慣れて暫くすると、アルフレッドは時折意地悪そうに笑いながら剣の勝負を挑んだり、悪戯を仕掛けてくるようになった。いつまで子供でいるんだと呆れるのだが、それに応戦してしまう自分が嫌になる。傍から見ていれば、仲良くじゃれ合っている子供同士なり、恋人同士なのではと噂される関係に見えるらしい。残念ながら、アルフレッドはそういう対象ではない。


「じゃあアイザック?彼平凡だけれど、優しいし成績も申し分ないから将来は安泰ね」

「ザックはなあ…なんっか違う。絶対に無いと言い切れる」


大切な友人だが、恋人として見られるかと言われると否だ。むしろ兄に近い。世話好きで、エラの事を妹のように思っているのか、時折若干のうざったさえ覚える。彼が恋人なり夫になる可能性を考えてみたが、アルフレッド以上に有り得ないと思った。


「サラはテオドール殿下と婚約したじゃない?一番の安泰よねぇ」

「次期王妃様でしょ?ただでさえ軍人になれってこんなとこに来てるのに、王妃教育が待ち受けてるとか…私なら絶対に御免だわ」

「変わってくれても良いわよ?」

「入るならノック!」

「したわ」


しれっと言い除けるサラは、アメリアにこんばんはとにこやかに挨拶をすると、ひらりと一通の手紙をエラに差し出す。受け取ってみると、王家の紋章が押された手紙だった。思わず嫌そうな顔をしてしまったのは許して貰いたい。


「別に陛下は月と星が手に入ればそれで良いのよ。私が殿下の婚約者なのは星だからで、月である貴方が変わってくれても何も不利益は無いわ」

「私に不利益があるんだよ!」

「いつか絶対に王妃としてこき使ってやるわ」


クスクスと笑いながら、サラはさっさとそれを読めと細い指を向ける。嫌々開くと、長ったらしい挨拶と「食事会をするから来るように」というお誘いですらない命令が書かれていた。

本来なら魔王陛下からお食事に誘っていただけたと泣いて喜ぶ場面なのだろうが、エラにとっては迷惑でしかない。どうにかして断りたいが、どうせそれは許されないのだ。


「…最悪」

「不敬よ!」

「良いのよ、私たちの人生勝手に決められてるんだもの。ちょっとくらい文句言う権利はあるわ」

「でも…」


オロオロしているアメリアに困ったように笑いながら、サラは用事は終わったとばかりにひらりと手を振って部屋を出て行く。正直心底行きたくないが、命令ならば行かなければならないだろう。きっと、この手紙をここに持ってきた使用人が裁かれるだろうから。実家に手紙を出して、何着かドレスを送ってもらおう。うんざりと溜息を吐きながら、エラはがしがしと頭を掻き回した。


◆◆◆


ファータイル国にとって、戯曲というのはとても重要で重たい意味を持つ。美しい夜空を心穏やかに楽しむ事が出来る程、平和で穏やかな時代を表しているのだ。その戯曲に描かれた夜とは、穏やかで優秀な王の事である。その夜の色を宿した次期魔王は、戯曲にある通りとても穏やかな男に見えた。

静かに婚約者であるサラをエスコートし、穏やかに小さく微笑んでみせる。ぎこちない笑顔を浮かべたサラは、その夜を彩る星なのだ。

戯曲の元となった星は、恐ろしく剣の腕がたつ女性だったらしい。王の前で剣を振るい、誰よりも国の平和を願った。だからこそ、夜も月もいなくなった国で、太陽として民を導き、見守ったのだという。サラがその通りの女性になるかどうかはまだ分からないが、現状のサラは魔術よりも剣を得意としている。


「正に戯曲の通り、か」

「良いじゃないか。仲良さそうだし」

「どうだか」


隣でエスコートしてくれているのは、見慣れない王子面をしたアルフレッドだ。腰に手を添え、申し訳程度に触れたその手は、出会った頃よりも大きくなった気がする。声変わりをして低くなった声も、少し伸びた背も、エラにはまだ慣れない違和感でしかない。


「あの二人は戯曲通りになるかもしれないけど、エラはどうだろうな?」


戯曲の元となった月は、国一番の術者だったそうだ。雪原に立たせれば全てを凍てつかせ、灼熱の大地でさえ氷で埋め尽くせるほどの魔力を持っていた。夜空に浮かぶ冷たく美しい月の様に、美しい魔女だった。残念ながら、エラはそうなれる気がしないし、なる気もない。


「アルフレッド。あまり女性に粗野な物言いはするな」

「はい、兄上」


むすりとした顔で弟を注意するテオドールに、エラは小さく会釈をする。次期魔王という事は、エラにとってこの男は敵なのだ。自分を傍に置こうとする魔王とその一族は、どうしたって味方とは思えない。ただ不思議と、アルフレッドには気を許してしまう。それはきっと、同じ訓練生だからという理由なのだろう。


「申し訳ない、ガルシア嬢」

「いいえ殿下。アルフレッド…殿下は同じ士官学校に通い学び合う友人ですから。気に致しませんわ」


アルフレッドの事を初めて「殿下」と敬称をつけて呼んだ気がする。隣でアルフレッドが耐え切れずに吹き出しているが、今は穏やかに笑顔を浮かべ続けるしかない。目の前で困惑している黒目黒髪の少年は、正真正銘魔族の次期王なのだから。

流石に何の力も無い小娘がここで失礼な事をしてしまえば、実家に何をされるか分かったものではない。アルフレッドへの普段の態度も不敬ではあるのだが、場所が士官学校である事、本人が王子として扱われるのを嫌がる事で許されている。


「父上が来る前に詫びたい。ガルシア嬢、そしてランドルフ嬢。我が家の都合に巻き込み、助けてやる事も私には出来ない。不甲斐ない私を許してほしいとは言えないが、ただ一言詫びたかった」


ぐっと拳を握り込み、王子という立場も忘れたのか、ただの小娘二人に向かって頭を下げる。さらりと落ちた髪は、何処までも深い闇だ。それを美しいと思う者は多いのだろうが、エラにとっては憎い色。お前が黒を宿して生まれたから、私は解放されない。否、私がこんな色を宿して生まれたから、逃げる事など許されない。


「ランドルフ嬢に至っては、まさか婚約者として縛り付けられようとは…」

「あら殿下、私意外と次期王妃という立場、気に入っておりますのよ」


にっこりと笑ってみせるサラに、エラはじとりと視線を向ける。この間「変わってくれても良い」なんて言っていたくせに何を言っているのだ。そんな視線を気にするでもなく、サラは優しく微笑んだままテオドールの手を取った。


「どうせ足掻いたところで逃げられないのです。ならば、殿下が魔王となられた時には誰よりも前で剣を振るいましょう。エラはまだ足掻くつもりのようですが、私は開き直る事にいたしました」


穏やかな笑顔とは裏腹に、言っている事は大分辛辣だ。逃がして貰えないのなら、仕方ないから役目は果たしてやろうと遠回しに言っている。次期王妃でありながら、星として役目を果たすのはそう簡単な事ではない。誰よりも前で剣を振るうというのは、夫婦になるのは形だけだというサラなりの抵抗のように思えた。


「…私は、女性に守られる程弱い王になるつもりはない」

「ですが、王家が求めておられるのはそういう女でしょう?誰よりも前で王を守り、民を導き見守る女。誰よりも強く、全てを凍てつかせる魔女。他国への威嚇。そういう女を求めておきながら、そうではないと仰せになられるのですか」


相手が次期魔王という事も忘れ、サラは冷たくテオドールを責め立てる。言葉で勝てないのか、テオドールは唇を噛み締めて黙り込んだ。兄の困った顔が楽しいのか、アルフレッドは小さく声を漏らしながら助け舟を出した。


「サラ、兄上は婚約には反対してたんだよ。戯曲なんてものに頼らずとも、この国を穏やかな国へ導いてみせるってね」

「あら、ただ殿下には他に想いを寄せる方がいらっしゃるからでは?その方をお傍においておかれる事に私は反対いたしませんわよ」


ぎくりと肩を揺らしたテオドールが、何故それをと言いたげな顔をサラに向ける。サラの真っ青な瞳が、冷たくテオドールの顔を睨みつけた。


「サラ、そろそろやめてあげて。兄上の負けは見えてる」

「わざわざここで喧嘩を売らなくても良いでしょう。私たちが気まずいわ」

「何よ、これくらい。殿下はいつまでもうじうじと…好いているのならそうお伝えになったら宜しいのです。私に遠慮する事は御座いませんわ。だって形だけの夫婦になるのですから」

「サラ」


思わず声が出た。それは普段の自分の声とは比べ物にならない程冷たい声で、隣にいたアルフレッドがぎょっとした顔を向けた。

開き直るのは良い。生きる道を勝手に決められ、そこから逃げる事も許されない。当たり散らしたい気持ちはよく分かる。

だが、テオドールもまた、生きる道を己で決められない一人なのだ。

魔王の息子、第一王子として生まれてしまった時点で、将来国を背負う事は決まっている。添い遂げる相手くらいはと希望を持っていたのかもしれないが、それも儚く散った。そんな相手に当たり散らしてはいけない。当たる人物を間違えている。


「…申し訳ございません。お叱りはなんなりと」

「いや…良い、気にしないでくれ。この話は今度改めて」


苦しそうな顔で、テオドールは小さくサラに微笑む。今更ばつの悪そうな顔をしても、今のサラは言いすぎた事を咎められ、拗ねているようにしか見えない。

開き直ると言いながら、まだ心が追い付いていないのだろう。


「お待たせ致しました。準備が整いましたのでご案内致します」


恭しく頭を下げた使用人が、重たい空気を入れ替えてくれたような気がした。


◆◆◆


こんなにも味がしない食事があるだろうか。本来はとても美味しいのだろうが、今のエラはただ粗相をしないように必死でカトラリーを扱う事に集中している。実家にいる間は当たり前のようにやっていたテーブルマナーだったが、士官学校では食事は詰め込むものだ。ナイフもフォークも久しぶりにきちんと使っているような気がした。


「仲良くやっているか、二人共」


隣に並ぶテオドールとサラを見ながら、ルーカスは穏やかに微笑む。先程前室で喧嘩していましたと言ったらどうなるかななんてどうでも良い事を考え、エラはちらりと二人を見た。


「はい、父上」

「そうか、それは良い。やはり夜空を彩るには星だからな」


満足げに微笑むルーカスは、美味しそうに肉を頬張る。この場で楽しそうにしているのは、ルーカスただ一人。まだ幼い三男のブライアンはこの場に参加していないが、きっと彼もこの重苦しい食事会には閉口することだろう。


「まさか私の息子が夜空を彩る娘たちと共に生まれてくるとは思わなんだ。なんと幸せな事だろうな」

「本当に。お前の治世は平和になるでしょうね」


グレースも穏やかに微笑みながら、息子の顔を見る。困ったような顔しか出来ないテオドールに、サラはただ黙って微笑むばかりだった。息子に他に想い人がいる事など知っていてこの婚約を決めたのだろう。夫妻の笑顔が、何処となく不気味に見えて仕方が無かった。


「ガルシア嬢。君は月としてこの二人を見守ってやってほしい。月はこの国の象徴の一つなのだから」

「…はい、陛下」


絶対に御免だ。そう言いたいのを必死で堪え、エラは穏やかに微笑んで見せる。ファータイルの紋章は闇夜に浮かぶ満月の中に星を模ったものだ。どれだけあの戯曲を気に入っているのだと辟易するが、数千年このままなのだから、これが当たり前なのだ。


「アル。共に食事をするのは久しぶりだな」

「はい父上。なんだか落ち着きません」

「お前はそう言うと思った」


大きく声をあげて笑うルーカスだったが、隣で食事を続けるグレースはアルフレッドに一瞥も向けない。夫が外でつくった子供だ。いびらず興味も向けないというのが一番平和なのかもしれない。


「たまには帰って共に食事をしようじゃないか。なあ、グレース」

「アルフレッドはこの国の為に戦う者として訓練している身なのです。そう頻繁に呼び戻しては可哀想ですわ」


それが本心なのか、それともお前は家族として認めないという事なのか、穏やかな笑顔からは読み取れない。ただ一つ分かったのは、この件に関してルーカスはあまり強く出られないという事だ。勿論、自分の不義の末できた子供であるアルフレッドを家族として認め、息子として扱えというのは酷な話だ。

今こうして共に食事をしているだけ、グレースはよくできた女性だと思った。


「アルフレッド。お前はテオドールの為、ファータイルの為に生きるのです。忘れてはなりませんよ」

「はい、母上」


なんとまあ重たい空気の食事会だろう。先程の前室でのやりとりなど軽い癇癪程度に思えてきた。今すぐ宿舎の固いベッドに帰りたい。そんな気持ちを押し殺しながら、エラは運ばれてきたデザートに手を伸ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る