少女たち
もしも。そう、もしもだ。もしも自分の髪が白銀ではなくて、普通の女の子だったなら。きっと士官学校なんてところに来なくても良かったのだろう。普通に親に決められた結婚をして、普通に家庭を築き、普通に子供を産み育て、そして命尽きるまで穏やかに暮らす。そんな、退屈でありふれた生活をしていたのだろうか。そんな、考えても仕方のない事を何度も考えながら、エラは不格好な氷の塊を幾つも作り出しては放り投げて行く。
「全く上達しないな、貴様は」
「投げつけるには丁度良いかと」
呆れ顔のモリスが、地面に転がる氷の塊を一つ拾い上げる。完璧な球体にしろと言われて何度もやってはいるのだが、どうしてもごつごつと不格好な塊になるばかりで、つるりとした球はひとつも出来ない。いくら繰り返しても変わらない結果に、モリスも困ったように頭を掻いた。
「うーん…生憎俺は炎の術者なんでな。塊を作ったところで揺らぐばかり。氷の術者なんぞ貴様しか見た事が無いしな…」
ぶつぶつと困ったように呟き続けるが、文句を言いたいのはエラの方だった。先日氷漬けにされた森は、モリスにこっぴどく叱られながら元に戻した。勿論凍らされた事によるダメージは沢山の植物に残っており、それは時間と共に治癒していくのを見守るしかないらしい。反省はしているが、あの時はああするしかなかったのだ。
「魔術を使うとき、何を考える」
「何を…」
何をと問われても、今までそんな事考えた事が無かった。うんうん唸りながら考えて思い付いたのは、先日の森の事だった。
「吐き出す…感じ?」
「吐き出す?魔力をか?」
「ええと…先日の森の件ですが、あの時は身体の中に溜まった冷気を吐き出す感覚でおりました。それ以外では特に何か考えたりはしておりません」
ふむ、と小さく唸ったモリスが、じろじろとエラを見る。年頃の少女をそうまじまじ見るなと文句を言うべきなのか、何を見ているのだと因縁をつけるべきなのか。じっと見つめ返しながらモリスの言葉を待っていると、モリスは大きな溜息を吐いて、笑った。
「大したガキだ!」
がしがしとエラの髪を掻き回しながら、モリスは満足げに笑う。何が言いたい、何がしたいと内心毒づきながらも、初めてモリスに褒められたのが何だかこそばゆくも嬉しかった。
「良いか、普通は魔術を使うとき、必ず形や何をしたいか考えるんだ。守護してくださる精霊が、それを助けてくれるように」
「はあ…?」
そう言われても全く意味が分からない。普通、ということは、自分以外の術者が皆そうしているのだろう。
「あー…そうだな。例えば、火にも色々あるだろう?灯りを灯す火、料理をする火、攻撃に使う火。それらは同じ炎だが、火力や使い方が違うな?」
「はい」
「水も同じだ。広範囲に散布する水は時に心地よいが、それが桁違いの質量なら全てを押し流す。範囲を絞り勢いが強ければ、肉さえ貫く矢ともなる」
つまり、同じ炎や水であっても、用途によって使い方を変えるように、魔術も何をどうしたいのか明確にイメージしなければ上手い事いかない、と言いたいらしい。流石教官となんとなく感心しながら、エラは珍しく真面目にモリスの話を聞いた。
「初日に氷の柱を出しただろう。あれも本来はどうしたいか考えていないと出せないものだ。勿論、イメージしたとてあの質量はそう出せないがな」
「では、私に足りないのは想像力であると」
「まあそうとも言えるだろうな。一応初歩の初歩なんだが…ガルシアの娘だろう?習わなかったのか」
習ったような気はする。するのだが、恐らく術者になるのが嫌すぎて全く話を聞いていなかったのだろう。聞けば何となく朧げな記憶が頭を擡げるのだが、今までそれをやってこなかったツケが今になって自分を苦しめているのが腹立たしい。
「まあ良い。お前は素晴らしい術者になれる。俺は月だの星だの、そういう事に興味は無い。ただ一人のエラ・ガルシアという少女が、この国一番の術者になるのを見てみたい」
「…は」
「訓練さえきちんとやれば、お前は誰よりも強い術者になれるだろう。強くなれ。お前はそうなれる」
真面目な顔で突然何を言い出すのか。モリスの青い瞳が、何か言いたげにエラをじっと見つめる。
「強くなれば…私は自由になれますか」
「分からん。俺はあくまで国に仕える軍人だ。お前が王家に逆らうのなら、俺はお前に容赦しない。だが、弱い子供よりも強い女の方が可能性はあるだろう?」
にんまり笑うモリスが何を言いたいのか分からない。強くなれば、王家に囲われずに済むのだろうか。そんな淡い期待すらさせてくれない残酷な教官だが、この人はエラ・ガルシアとして見てくれている。月の生まれ変わりでなく、ただの問題児、エラ・ガルシアとして。
「何より俺の受け持ちから最強の術者が出たとなれば、俺に箔が付くだろう」
「…そうですか」
尊敬しそうになって損をした。がっくりと体の力が抜けたが、ほんの少しモリスへの苦手意識は減った気がする。今迄周りにいた大人とは違う。なんとなく、そんな気がした。
「まあこのザマでは先は長いだろうがな!」
げらげらと馬鹿にするように笑うモリスの頭に、氷の粒を降らせてやったのは、後でアルフレッドとアイザックに話してやる事にした。
◆◆◆
氷の塊が漸く球になってきた頃、サラが真っ青な顔をして何処かへ走って行くのを見た。まだ訓練の時間だというのに何処へ行くのかと、エラは小首を傾げる。正直サラの事はあまり得意ではないが、少々特殊な存在な仲間である意識はある。何となく、普段真面目なサラに何があったのか気になって、エラはそっとサラの後を追いかけた。
サラは走るのが早いらしい。全力疾走で追いかけたなのに、何処にも姿が見えない。確かこの先には氷漬けにした森くらいしかない筈なのにと周囲を見回すと、僅かに太陽の光を反射した金の髪が森の奥へ入って行くのが見えた。
「ちょっと!」
「来ないで!」
鋭く投げられた拒絶の声。泣きそうな顔をして、サラはエラを睨みつける。そんな顔をされても怯まないが、何故そんな顔をしているのかやけに気になって仕方が無い。別に仲が良いわけでもない。ただいつか、月と星として王家に囲われる身であるだけ。長い人生の中で、恐らくずっと共に過ごしていく事になるであろう女。ただそれだけの筈なのに、どうしてだか放っておくことが出来なかった。
「普段真面目なサラ・ランドルフ嬢が堂々とサボり?」
少々意地悪な物言いになってしまうのは許してほしい。気に入らないと物語る顔が、恐ろしく綺麗な顔でエラを睨みつける。ぽろぽろと流れて行く涙が、サラの訓練着に僅かな染みをつけた。
「…どうしたの」
「何でも無いわ」
「何も無いのに泣くの?ご家族に何かあった?」
「そんなんじゃないわ」
「泣くほど嫌な事があったの?」
しゃくりあげ始めたサラが、へなへなとその場に蹲る。声を漏らして泣くなんて何があったのか。そっとその背中を摩りながら、サラは何故追いかけてきてしまったのかと今更途方に暮れ始めた。泣いている女の子の慰め方なんて知らないのだ。
「貴方、私の事嫌いでしょう」
「別に、得意じゃないだけ」
「それを嫌いって言うのよ」
少し落ち着きを取り戻したらしいサラが、顔を伏せたままエラに言葉をかける。嫌いな女に優しくするなと言いたいのだろうが、何故今こうしているのかエラ自身にも分からない。文句を言われても何も反論できないのだが、今日のサラは何だか勢いが無い。
「婚約するのよ」
「はあ、それはおめでとう」
「相手はテオドール殿下よ」
「…囲われたか」
「次は貴方よ。きっと、ブライアン殿下が成人したらすぐにでも」
「絶対逃げ切ってやる」
逃げ切れるはずが無い。そう言いたげに、サラは鼻を鳴らす。ゆっくりと上げられた顔は、涙に濡れ、何もかも諦めたような顔をしていた。
「私は星。太陽でもある。この国の守護者だった魔女の生まれ変わり。そう言われて育ってきたわ」
「同じく」
「逃げられたらどれだけ良いだろうって、ずっと思ってた。でも王家からは逃げられない。だって私たちは魔族なんだもの」
ずっと、サラは星である事を誇りに思っていると思っていた。いつだって優等生で、月である事を拒絶するエラを疎ましく思っているのだと。それが、本人の口から「逃げたい」と言われたのだ。思わず動きが止まってしまうのは仕方のない事だ。
「こんな所来たくなかった。私は普通の、ただの令嬢として…いいえ、町娘だって良い。普通の人生を送りたいの。平凡な、ごく普通の、退屈な人生を」
それを望む事が、どれだけ重い罪なのか。国の皆が、二人の少女と一人の少年の将来に期待している。もう一度、この国が平和で安定した国になれると信じている。たった三人の人生をがんじがらめにする事で、数万の人生の拠り所にしようというのだ。
「どうして、ただランドルフ家に金の髪を持って生まれただけでそれを許して貰えないのかしら」
「…本当に」
ガルシアの家に生まれなければ。白銀の髪じゃなかったら。何度も考えたそれを、エラも同じように考えていたなんて。たった十五歳の少女たちが背負うには、重すぎるものだ。
「サラは、星になりたいんだと思ってた」
「勘弁してよ。私はごく普通の人生を送りたいのに、それを許して貰えないから諦めただけだわ。むしろ、どうして貴方は諦めないの?」
「諦めたくないから。…でも、最近少しずつ現実を見てる」
氷の術者なんて聞いた事が無い。自分以外に会った事もない。白銀の髪を持つ魔族も見たことが無い。どうしたって魔王に逆らえる魔族は居ない。もし逆らえば、国のどこにも居場所が無くなってしまう。家族もどうなるか分からない。王家に逆らうとはそういう事だ。
「生きるって、難しいわね」
「…本当に」
生きたいように生きられる人達が羨ましい。自分たちはどれだけ望んでも叶わないのに。いっそ諦められれば楽なのかもしれないが、簡単に諦められる程、少女たちは大人では無かった。
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