雪山帰還後
雪山での訓練から三ヶ月。日々は忙しく過ぎ去って行く。毎日のように行われる訓練。座学は相変わらず眠くて堪らないが、真面目に受ける者が増えた。今までうつらうつらとしていたのが嘘のようだ。
「随分減ったな」
そう言ったアルフレッドの視線の先には、空席の目立つ座学教室。女子生徒はエラとサラ、アメリアの三人になった。男子生徒も数を減らし、総勢十二名。あの雪山から戻って以降、自分には無理だと徐々に去る者が増えたのだ。今残っている十二人も、卒業までどれ程残るか分からない。
「良いんじゃねぇの。戦場で無駄死にするくらいなら、今のうちに諦めた方が良い」
そう言ったアイザックは、腕に傷が残ってしまった。男の勲章だと笑っていたがエラは痛々しいとしか思えなかった。
「しっかしお嬢は今日もぶん投げられてたな」
「マシューのやつ麗しの乙女相手に容赦ないんだもんな」
べえと舌を出して見せるが、麗しの乙女という言葉に腹を抱えて笑われるだけだ。いつぞやの三人一組での戦闘訓練で組んだ筋肉ダルマは三人とも残っている。そのうちの一人であるマシューは、ここ最近何かと女子を気にかけるようになった。
雪山では何も出来なかった。ろくに動く事も出来ず、守られた事が悔しかったのだと言いながら、体の使い方が下手だとエラを扱くようになったのだ。正直困惑しているが、自分よりも体格の良い男との組手は良い訓練になる。魔術も使いながらぶつかって行くのだが、今まで一度もマシューに投げられなかった日は無い。
「お前の魔術は広範囲向けだろう。無理に範囲を狭めようとするから失敗するんだ」
うりうりとエラの頭を小突きながら、マシューはアドバイスをしてくれた。
「攻撃よりも防御と補助に使った方が良いだろう。相手の足元を固めるとか、攻撃の勢いを補助するのに使うとか」
「それが出来たら苦労しないんだよ…」
どうにも動きながらだと範囲を上手く固定出来ないのだ。モリスは経験と慣れでどうにかなると言うが、この三ヶ月全く上達しなかった。
「そもそもお前は細すぎる!食え!」
「アンタは食いすぎなんだよ筋肉ダルマ!」
「褒めるな」
「褒めてねぇ!」
すっかり口調が荒くなったエラは、雪山での演習前より仲間と仲良くやっている。
誰もが皆、今まで無意識に見ていた月と星ではなく、エラとサラとして扱うようになった。なんとなくあった壁が無くなったような気がして、エラもサラも居心地が良い。
「マシュー、俺らも組手してくれよ」
「構わんぞ。魔術無しで本気の組手は俺の訓練にもなるからな」
混ざり者と呼んだ事は、雪山から戻ってすぐに詫びたらしい。和解したマシューとアルフレッド、アイザックはよく組手をしていた。あの訓練以来、同期達は月と星、魔族と混ざり者ではなく、純粋な仲間として絆を深めている。
モリスの狙い通りだ。サラはそうなってくれて良かったとにんまり笑っていた。それはいつかテオドールが王になった時に使える駒が増えるから。戯曲に囚われない者が上に立てば、従う者もまた囚われない者が増える。士官学校を出た者は、軍の中でも上の地位に行く者が多い。良い教育をしてくれたと、サラはモリスを高く評価していた。
「なんか、どんどん逃げ道塞がれてる気がする」
「今更だろ」
「いつか絶対逃げてやるって思ってたんだけどなあ…」
あの日、自然と皆を守らなければと思った。月だからとか、自分が強いからだとかそういう事ではなく、ただ純粋に守れるだけの力があるのだから、今使わなくてどうすると思ったのだ。
それまで別にそこまで仲良くやれていたわけでは無い。どちらかというと浮いていた。それでもやらねばと思った。そうして結局、また逃げ道を塞がれた。
月として生きたくないので国を出ます。そう言っても、きっとこの場に残っている者は誰も文句を言わないだろう。だが、エラは仲良くなれた仲間たちを切り捨てられる程冷たくなれなかった。
どうしたいのかはまだ分からない。月として生きたくないのは変わらない。だが、エラ・ガルシアとして見てくれる仲間たちを守りたい。守ろうと思ってしまうのは自分が強いと思っている心の現れなのかもしれないが、それでも、仲間たちと生きるのも良いかもしれないとふと思ってしまうのだ。
「いつも月は嫌だ逃げたいって言ってるけど、どこに逃げるつもりなんだ?」
アルフレッドの純粋な疑問に、エラは一瞬黙り込む。数か月前、リュカと話した事を思い出して躊躇したが、ぽつぽつと言葉を紡いだ。
「ハイランドに逃げようかなって」
「始まりの国?あそこも人間の国じゃないか」
それはどうだろう。そう言いたげなアルフレッドの顔が、エラをじっと見つめた。周りを囲む仲間たちも、眉間に皺を寄せて小さく唸った。
「エラ、魔術と魔法は違うよ」
「分かってる」
「人間の国へ行ったら、精霊の加護は受けられない。ただ長生きの人間になるぜ?」
アルフレッドとアイザックが揃ってエラを説得しにかかるが、それが狙いでハイランドという国へ行こうと考えているのだ。
精霊はファータイルとその周辺のごくわずか、限られた土地でしか加護をくれない。つまり魔術が使えなくなるのだ。
魔術の使えない、膨大な魔力を秘めた生きた魔力貯蔵庫。そんな存在として生きて行く事になるかもしれない。それはとても恐ろしく思えた。リュカの言っていた話は、脅しと言っていたがきっと現実というやつだ。足を潰され、魔力貯蔵庫にされ、何か実験というやつをやらされるかもしれない。
「…なんてね。考えてたのは本当だけど、最近ちょっと考え直してるとこ」
「考え直してるのか」
「今戦ってるんだよ。逃げたい自分と、サラだけ頑張らせるの申し訳ないなあ、折角友達が出来たのにさよならするの嫌だなあって自分が」
恥ずかしい事を言った気がするが、全部本当の事だ。折角仲良くなれたのに、あっさりその仲間を手放すのは何となく惜しい。
あの日、全身に火傷を負いながら戦ったサラに全てを押し付けるのは申し訳が無い。しかし王家は相変わらず嫌いだ。どれだけ好き勝手に生きる道を決めれば気が済むのかと怒りすら覚えているが、アルフレッドは別。そういう複雑な感情が、エラの考えをぐちゃぐちゃに搔き乱していた。
「逃げるとしたらハイランド。でも今は国を出る気はあんまりない。今の所そんな感じかな」
「国を裏切る話は終わったか」
思い切り頭に拳を食らわせるモリスの声が、不機嫌そうに教室に響いた。
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