再会

普段運動なんて滅多にしない生活をしていれば、あれだけ走らされた翌日は身体も悲鳴を上げる。それは同期たちの殆どが同じらしく、皆朝からぐったりとしていた。


「軟弱者共が。昼食の後は座学だが、万が一にでも寝てみろ。全員揃って外周させるからな」


朝からみっちり体を動かしたのだから、腹に何か入れれば眠くなるのは必然だろう。それでも眠るなというのは、ある種の拷問のように思えた。だが、一人が寝れば他の者も同じように走らせる事になる。間違ってもそれが自分が眠って引き起こされる事態にならぬよう、エラは昼食はあまり食べないようにしようと心に決めた。


「朝から何周走らせるんだか…」

「そう言いながら余裕そうじゃないか」

「だーってこんなのいつもやってた雑用仕事の方がキツイんだもんよ」


へらへらと楽しそうに会話をする声に、エラはそちらを向いた。

赤みの強い金髪の少年と、見た事のある茶髪の少年が、穏やかに話しながら食堂へと歩いていた。

母の葬儀に来てくれた、あの少年。何故こんなところにだとか、あの時のお礼をしなければだとか、色々考えたのもつかの間、自分を見つめる視線に気が付いた少年がエラに微笑みかけた。


「何か?エラ・ガルシアさん」

「あ、の…先日は母の葬儀に…ありがとうございました。申し訳ありません、このような場でお会いできると思わず、お借りしたハンカチは実家にありまして…」

「ああ、気にしないで。君にあげたものだから」


にっこり笑った少年と、その後ろで笑いをこらえる金髪の少年を見比べるが、生憎自己紹介タイムなんてものが無かったせいで二人の名前が分からない。茶髪の少年が王子の可能性がある以上、一応令嬢らしい態度でいようと努めてはいるのだが、きっと昨日の大暴れは既に見られているだろうし、無駄な足掻きをしている気分になってきた。


「なあ、この子が昨日言ってた子だろ?」

「な、騙されるだろ?」

「はい…?」

「見た目は儚げな御令嬢なのに、蓋を開けてみたらすげーじゃじゃ馬」


笑いを堪えきれていない金髪が、ぷるぷると肩を揺らしながらエラに手を差し出した。


「どーも、アイザックです。よろしくねお嬢様」

「エラ・ガルシアです、よろしくお願い致します」


どうしたものかと一瞬迷いながら、差し出された手を握る。年頃の令嬢としては宜しくないのかもしれないが、何となくこの場で差し出された手を取らないのは良くない気がした。


「アル、ちゃんと挨拶したんだろうな?どうせお前の事だから、御父上のお遣いだけこなしてさっさと帰ったんだろ」

「…アルフレッド・ハワード。改めて宜しく」


にっこりと微笑んだアルフレッドとは対照的に、「やっぱり」と言葉を失ったエラは反射的にその場で頭を下げた。

ハワードとはこの国の王家の名前であり、王族である事を示す名だからだ。王子が三人いたなんて知らなかった。つい先程までの間に何か失礼な事をしなかっただろうかと必死で自分の立ち居振る舞いを思い返してみるが、頭を下げられたアルフレッドは小さく笑うばかりだ。


「あーあー…」

「ほら頭上げて。ここでは王族だろうが平民だろうが関係無いんだから」

「寛大なお言葉、感謝いたします」


そっと体を起こすと、にっこり微笑んだアルフレッドと目が合う。色素の薄い、茶色の瞳。優しそうに垂れたたれ目と、左目の目尻にちょこんと付いた泣き黒子が印象的な王子様のように見えた。


「なあ、早く行かないと飯無くなるんじゃねぇの」

「そうだった。さあ行こう、君も空腹で座学は嫌だろう?」


嫌味の無い動きでエスコートしてくれるアルフレッドは、御伽噺の王子様のように思えた。これが士官学校ではなく夜会の会場だったのなら。着ている服が訓練着ではなく、煌びやかなドレスだったのなら。どれだけ素敵な再会だっただろう。

そんな夢見がちな事を考えたところで、エラはふと我に返る。


この男は王族だ。自分を月として王家の傍に置こうとしている王の息子である。つまりあまり仲良くならない方が身の為の筈。たった一度、悲しみに暮れている時に優しくハンカチを渡してくれたからと言って、簡単に気を許してはいけないのだ。

そう思い直し、エラは仲良く話ながら歩いて行く二人の後ろを少し離れてついて行く。出来る事ならば、誰か女子と仲良くなれれば良いのだが、今の所距離を置かれてしまっている。最悪この二人…特にアルフレッドと距離を縮めなければ良い。


「な、お嬢様も一緒に食おうぜ」


良いだろ?と笑うアイザックが、エラの手を取った。


◆◆◆


無礼な!なんて叫んだものの、ここでは身分なんて関係ないと笑われるだけだった。そのままずるずると引きずられ、一緒に昼食を取ってから数日後。もうすっかり三人一緒にいるのが当たり前になっている現状に、時折エラは大きな溜息を吐くのだった。


「こんな筈では」

「良いじゃねぇのお嬢。あぶれ者同士仲良くしようぜ」


あぶれ者。その言葉にエラは眉根を寄せる。魔術訓練が開始された頃、アルフレッドとアイザックは困ったようにその場で立ちすくんだ。魔術が使えないからだ。


「半分人間、半分魔族の中途半端な俺らには、精霊様は加護をくれないんでね」


そう言って苦笑したアイザックは、何処か寂しそうな顔をした。アルフレッドも、じっと地面を見つめていた。

この国は魔族の国だ。魔族は魔術が使えて当たり前。使えない者は混ざりもの。隣国から流れてきた人間との間に生まれた子供。どちらでもない、どちらにもなれない者。それが、アイザックとアルフレッドだった。


何故魔術が使えない者が士官学校にいるのか疑問だったが、答えは簡単だ。アルフレッドが王の息子だから。軍人として育て、この国に置く。それが王の狙いなのだろう。アイザックはアルフレッドが「士官学校に行けと言うのなら、友人も一緒に」と珍しく我儘を言ったからだという。


「なんで俺までって思うけど、毎日飯にありつけて、将来は軍人として働ける約束まであるんだ。アルフレッド様様だよ」


けらけら笑ったアイザックが、アルフレッドの背中をばしばしと叩く。一応仮にもこの国の王子なのだが、二人の間にそんな事は関係無いらしい。エラも最初こそオロオロしたものだが、もうすっかりこの二人のやり取りに慣れてしまった。


「いや、ちょっと待って。私はあぶれ者じゃないわ。魔術はきちんと使える魔族だもの」

「でもあぶれてるだろ?」


数日前の出来事を思い出していたが、ふと自分まであぶれ者扱いされている事を思い出し声を上げる。じろりとアイザックを睨みつけても、へらりと笑って現実を突き付けられただけだった。

魔術が使える正真正銘の魔族。なんなら古くから続く名家の娘だが、初日にやらかした事、半分人間の異端分子とつるんでいる事などから、エラはすっかり他の訓練生たちから距離を取られていた。唯一ルームメイトのアメリアはにこやかに話し掛けてくれるが、三人組でいる時は困ったように笑うだけで、絶対に傍には寄って来てくれなかった。


いくらこの国の王子でも、半分人間ならばそれは同族ではない。


それが、他の訓練生たちの共通認識だった。確かにこの二人は魔術が使えない。だが、剣の腕は見事な物だった。訓練生の誰もが、アイザックとアルフレッドには勝てないのだ。それはエラも同じ事だったが、エラは魔術の腕は誰にも負けなかった。


「どうしたらアルフレッドみたいに一歩も動かずに相手を転がせるの?」

「エラはか弱いお嬢様だから。筋肉量が足りないから無理だと思うよ」

「失礼ね!私だってここに来てから鍛えているわよ!」


少しは筋肉だって付いたわ!とひょろりと細い腕を見せつけても、アルフレッドは肩を震わせて笑うだけだった。


「お嬢様なんだから、それこそ誰かに守られるべき存在なんじゃないのか?何でわざわざこんな所に」

「私だって来たくて来たわけじゃありませんわ。貴方のお父様のご命令よ」


厭味ったらしくアルフレッドにじろりと視線を向けると、言葉に詰まったアルフレッドは唇を噛んだ。小さくごめんと謝る声が聞こえるが、別に謝られた所でどうにかなる話でもない。国の主たる魔王に命じられたのならば、民は首を振る事は許されない。ただ一言「御意」と応え、従うだけだ。


「陛下は私を月として王家のお傍に置きたいのでしょう?申し訳ないけれど、私は月になんてなりたくないの。軍人になるのはこの際仕方ないとして、絶対に王都配属だけはお断りよ」

「誰もが王都配属に憧れるのに?」

「嫌よ!私は王家から離れたいの。出来れば遠征部隊配属が良いわ。それが駄目なら国境警備ね」

「我が父上は嫌われたもんだな」


肩を震わせるアルフレッドが、面白そうにエラを見る。笑いすぎてうっすらと涙を浮かべた茶色の瞳が、キラキラと太陽の光を反射させるエラの白銀の髪を映した。


「あんまり遠くに行かれると、アイザックが寂しがる」

「お嬢と気軽に会えないなんて寂しいー」


ふざけた口調で組んだ手を自身の顔の前に持ってくるアイザックに、エラは小さく笑った。

あぶれ者の三人組。そう言われると嫌な気分になるが、案外この組み合わせは居心地が良い。元々人間だろうが魔族だろうがどうだって良かったし、最近は魔族と人間の混血児も徐々に増えている。友人たちがたまたまそうだったというだけだ。


「そろそろ休憩も終わりだな。午後は何だっけ?」

「模擬試合」

「魔術アリなら負けませんわよ」

「勘弁してくれ。お前の氷は痛いんだ」


服に付いた芝や土を払うと、三人は気だるげに訓練場へと歩き出す。もうすぐそこに来た冬の風が、三人の体を撫でた。

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