初日

どこに行ってもこの髪色は目立つ。それなりに派手な見た目をしている者が多い魔族の中でも、白銀の髪をした若い者なんて殆どいないからだ。むしろ、年寄り以外で白銀の髪をしているのは、エラ以外に見たことが無い。つまり、何処に行っても「あれが月」なんて言われるのだ。

正直もう慣れたものだが、うんざりするにはうんざりする。そろそろやめてくれと怒っても良いかななんて思いはするのだが、士官学校の入学式を終え、現在新入り達の点呼中である。


「貴様らが今までどれだけ甘やかされていようと、どこぞの貴族の子息令嬢であろうとも知らん。此処では皆平等、軍の階級で管理するからそのように」


つまりは、王族であろうが、貴族であろうが、ブルジョア階級であろうが関係無い。お前らは平等にゴミムシとでも言いたいのだろう。

筋骨隆々、頭の中まで筋肉ですとでも言いそうな見た目の教官が、唾をまき散らしながら新入りを威嚇する。最前列のやつらは可哀想にと小さく憐れみながら、エラは空に浮かぶ雲をぼんやりと眺めた。


「今期の面子の中には例の戯曲の女が二人共揃っているな。貴様ら二人は特によく躾けろとの魔王陛下からの仰せでな。血反吐を吐くまで扱いてやる」


ぎろりと睨みつけられるが、それに怯えてやる程エラは臆病な令嬢では無かった。むしろ、無理矢理士官学校なんぞに入れられ、挙句特によく躾けろとは何事か。

人としてではなく、道具としてしか見られていないようで腹が立った。ほぼ無意識に睨み返していたのだろう。教官の額に青筋が立ち、怒り狂いながら喚き散らした。


「何だ貴様ら!小生意気に俺を睨んだな!」


エラの方をしっかりと指差しながら喚いているように見えたが、「貴様ら」とは何だ。背後で鼻を鳴らす音がして、エラはくるりとそちらを向いた。


「ごきげんよう、エラ・ガルシアさん」

「…ああ、サラ・ランドルフさんね」


互いに互いを認知してはいたが、言葉を交わすのはこれが初めてだ。

成人の儀で聞いた時と同じように、サラの声は鈴を転がしたようにキーの高い声だった。


「お互い嫌になるわね。生まれた家と色のせいでこんな…ああ本当、嫌になる」


嫌になる。その言葉は確かに目の前のサラから発せられた言葉の筈なのに、鈴のように可愛らしい声などでは無かった。ドスの利いた低い声。思わずぎくりと肩を揺らしてしまう程、可愛らしい笑顔には似つかわしくない声だった。


「最初から舐めた態度だな小娘共。良いかこれからここでは俺に従うんだ!分かったら「はいモリス教官」と言え!」


ぎゃあぎゃあと煩い。それが少女たちの感想だった。反抗的な目を向けられた事で余計に腹を立てたのだろう。モリスは苛立ったように拳を握ると、そこに炎を纏わせた。謝るのなら今だと睨みつけられても、エラもサラも謝る気など更々ない。


「魔術を先に行使したのは教官ですわね」

「では私もそれに応戦させていただきます」


にっこりと微笑んだ少女たちの一瞬の殺気。いい加減ぎゃあぎゃあと喚かれるのも飽きてきた。サラが腰に差していた訓練用の模擬剣を引き抜くより一瞬早く、周囲の空気が凍り付く。

びきりと大きな音を立てた柱。それが氷で出来た柱で、今の今までそこに存在しなかった物であることは、この場にいる全ての者の共通認識である。それが何処から湧いて出たのか、降ってきたのかも分からず、ただただ巨大な氷の柱を凝視するしかなかった。


「ちょ…ちょっと!今私ごと凍らせようとしましたわね!」

「あら嫌ですわ、そんな間合いに入ってくるなんて思いもしませんでしたの。ごめんあそばせ」


模擬剣の先を凍らされたサラがエラに向かって怒鳴るが、エラは鼻を鳴らして軽く流してやる。ぎゃんぎゃんと吠える子犬が増えた程度にしか思っていないが、周囲の信じられない物を見るような目は面白かった。


「あの子が…これを?」

「精霊への祈りも無しに?」

「よくもしゃあしゃあと!そこに直りなさいエラ・ガルシア!」

「あらあら可愛らしい子犬がよく吠えます事!」


綺麗に並んでいた列は既に乱れに乱れ、いつの間にかエラとサラを取り囲むように丸く円になっていた。じりじりと間合いを図り合いながら、二人は互いの顔を睨み合う。

エラの髪が青く淡い光を帯びる。それが髪の毛一本一本に魔力を帯びさせたものだと気付いた者は少なくない。小さく悲鳴を上げる者がいたが、その程度でエラの集中が切れることは無かった。


「やめんか!」


モリスの静止の声。それが合図のように、エラとサラは互いに魔術を放ち合う。

氷と炎ではエラの方が不利に思われたが、元々持っている魔力保有量は圧倒的にエラの方が上だった。力まかせに放たれる拳大の氷の塊は、的確にサラの顔面を狙う。それら全てを炎を纏った手で払い除け、間合いを詰めるサラの顔は、可愛らしく微笑んでいた令嬢のものではない。確実にこの女を仕留めてやるという、殺意を帯びた顔だった。


周囲の者がどうなるだとか、そういう事は一切考えなかった。

ただひたすら、溜め込み続けていた鬱憤を晴らす様に、互いに向けて術を放ち続ける。

この程度でへばるくらいならば、最初からこの場に来なければ良かったのだ。私はこんな所に来たくなかったのに。そんな思いで。


「いい加減にしろ貴様ら!」

「いっ…」

「うっ」


目の前がチカチカした。脳天に響く痛みが、生まれて初めて殴られたせいなのだと理解するまでに時間がかかる。その場に蹲り、ズキズキと痛む頭を摩り、仁王立ちで睨みつけてくるモリスを睨み返した。


「ここは遊技場ではない!我が祖国の為に戦う軍人、それを率いる士官を育てる為の学校である!そんなに体力が有り余っているのなら俺が良いと言うまで走っていろ馬鹿者共!」


襟首を掴まれ、エラとサラは円の外へと投げ出される。まさか入学初日から問題を起こすなんてと誰かが憐れむような声を出していたが、屈辱だと言いたくともそれを許されない二人は盛大な舌打ちをして走り出す。


「貴方のせいよ!」

「人の間合いに入るような間抜けだからでしょう」

「なんですって!」

「黙って走らんか!」


いつか絶対に氷漬けにしてやる。そう胸の内で毒吐きながら、エラは夕刻まで延々と走り続けるのだった。


◆◆◆


士官学校に入学する女子生徒はそう多くない。今期の新米たちは総勢三十名。女子はそのうち五名である。その五名を二班に分け、エラは二人部屋で生活する事になった。


「えっと…アメリア・ベイリーです。よろしく」

「エラ・ガルシアよ。よろしくねアメリアさん」


にっこりと微笑んでいるのに、どこか怯えたような顔をされてしまうのは、昼間の一件のせいだろう。可愛らしいお嬢さんがどうして軍人なんかにと疑問に思ったが、雑談が出来る程仲良くもない。隣の部屋には残りの三人、その中にはサラもいる。きっと目の前で困ったようにもじもじしているアメリアは「どうして自分がこっちに」なんて思っているのだろうが、別にいきなり噛みついたりしないから安心してほしかった。


「あー…えっと、昼間はごめんなさい。怪我はない?」

「え?!あ、はい、なんともありません」


そこから先、会話は続かない。頼むから少しだけで良い、会話をしてくれ。内心そう思いはするのだが、全ては昼間の自分が悪い。

三年間この少女と同じ部屋で生活するのだ。少しずつでも歩み寄らねば、きっと穏やかな休息は叶わぬ夢となるだろう。それだけはなんとしてでも回避したい。


「あのう…加護を受けてからそう経っていないのに、どうしてあんなにも素晴らしい魔術が使えるのですか?」


大抵の方は、徐々に使えるようになるものでしょう?そう言いながら、アメリアはエラの顔色を伺うようにおずおずと問う。そう言われても、成人の儀の次の日には既に氷の柱を建てていたし、手にした物を凍らせるくらいは出来ていた。


「氷の術者なんて聞いた事もありません。炎、水、風、そして土の精霊が私たちを祝福して初めて魔術が使えるようになる。氷の精霊がいるなんて…」

「伝承の月しか氷の魔術を使う者はいない。例外が私。皮肉よねぇ、私は月と呼ばれるのが大嫌いなのに」


フンと鼻を鳴らし、エラは苛々と自身の髪の毛を弄ぶ。くるくると指に巻き付けられた髪は、月明りに照らされ淡く発光しているようにも見えた。大嫌いな髪の色。もしも加護を授けてくれる精霊が氷の精霊でなかったのなら、今頃自分は士官学校になんていなかっただろうに。そんな事を考えても仕方が無いのに、どうしても考えてしまう「もしも」を振り払うように、エラは大きく溜息を吐いた。


「ねえ、同期なんだからもっと仲良くしましょうよ。昼間怖がらせておいてなんだけれど、折角同じ部屋で生活するんだから」

「…それもそうですね」


小さく笑ったアメリアが、よろしくと手を差し出してくれた。それをそっと握り返すと、アメリアは嬉しそうに微笑んでくれた。

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