出会い

成人の儀を終えた子供たち、もとい新成人たちはそれぞれやる事がある。

それぞれの家の跡を継ぐ者は、それに関する勉学や修行に励み、何処ぞに嫁に行く者は花嫁修業をしながら相手を探す。そのどちらでもない者たちは、己の食い扶持を探さねばならないし、国に仕える道を選ぶ者たちは士官学校や訓練所へと進む。

そして、そのどれを選んだとしても、魔族に生まれた者たちは皆、加護を受けた後に魔術の修行に励むのだ。


「エラ、士官学校に入れ」

「嫌です」


うんざりしたような顔で顔を覆う父の前に、可愛らしくにっこりと微笑みながら仁王立ちになる少女が一人。白銀の髪をサラサラと揺らすエラ・ガルシアである。


「何故私が軍人にならねばならないのです?我が家が軍人家系だという事は理解しておりますが、既にお兄様が従軍しているではありませんか」

「リアムは我が家の跡取りなのだから、軍に入るのは当たり前だろう。お前が士官学校に行くのは、陛下からの命令だ」

「…意味が分かりません」


何度も跳ね除けた筈の話。それが魔王からの命令となれば話は別だ。国を統べる王の命令ならば、それを断る事など出来る筈も無い。大人しくそれに従う他無いのだ。

どうせ、王太子である息子が夜の再来と言われる黒目黒髪で、丁度良く月と星の再来と言われる娘が揃ったから手元に置きたいのだ。王太子の妻にすれば話は早いのだが、伝承を元にするならばそれに倣う必要がある。


月は魔術、星は剣の腕を磨いていた。

つまり、現在ごく普通の令嬢でしかないエラとサラに用はない。士官学校という名の鳥籠の中に閉じ込め、伝承に近付けたいというのが狙いだろう。

唇を噛み締めたところで、父であるアルバートが「行かなくて良い」などと言う筈もない。悔しくてたまらず、思い切り睨みつけたところで、精霊の加護を受けたばかりの小娘に怯むような男では無かった。


「お前は王家のものになる。これはランドルフ家のサラ嬢も同じこと。もう大人なのだ、飲み込め、理解をしろ。成人の儀でお前は誓った筈だ」

「己の命ある限り魔族とその王たる魔王陛下へ忠誠を。誓いました!誓いましたが…!」

「誓ったのならば聞き入れろ」


誓いというものが軽々しいものではない事くらい分かっている。魔族として生まれてしまったのなら、誓いというものは違えてはならない事だと知っている。

それでも、月として扱われる事を嫌がっている娘に有無を言わせぬアルバートが、今は心底憎らしかった。


「エラ、お父様に口喧嘩で勝てると思っているの?」

「お母様!ねえお願いお母様、お父様を説得して?私士官学校なんて行きたくない!」


赤みの強い茶髪をさらりと揺らしながら、母リリーは困ったように縋りついてくる娘の背中を抱く。やれやれと溜息を吐きながら夫と娘を交互に見ると、細い手でエラの頭を撫でながらアルバートへ微笑みかけた。


「子供たちが生まれる時に、お約束いただきましたわよね。子供たち本人の好きに生きさせると」

「…私だって、その約束を守りたい。守ってやりたいが…魔王陛下からの命なのだ」

「魔王陛下の、ご命令」


静かな、優しい声。繰り返し頭を撫でてくれる優しい手。優しく、いつも味方をしてくれる母が大好きで、エラはいつでも困ると母に縋りつく。そうして毎回、母は優しく抱き留めてくれるのだ。


「分かってくれ。私もエラと同じように魔王陛下への忠誠を誓った身。逆らえないんだ」


絞り出された声は、小さく震えていた。娘からの憎悪の目、妻からの非難の目。それらを受け止めながら、アルバートはもう一度エラを真直ぐに見据えた。


「お前は士官学校に入れる。魔王陛下のご命令だ。断ることは許されない」


たった十五歳の成人したての少女が、たった一人で魔王から逃げて生きて行く事など出来るとは思えなかった。実家を失えば、生きて行く為の術がない事くらい、エラにも分かっていた。


「…分かりました」


小さく絞り出した声は、涙を堪える為に震えていた。

大嫌いな祖母が死んで、月として生きる事を拒絶出来ると思っていた。そんな事出来る筈も無いのに。国がそれを望んでいるのだから、たった一人、嫌だ嫌だと駄々を捏ねた所で無駄なのだ。

現状のエラは、大した力も無いただの小娘で、実家から放り出されれば行く宛ても無い。そう長くは持たないような、まだ子供だった。


「エラ、守ってあげられなくてごめんなさい。貴女が月と呼ばれる事を嫌がっている事くらい分かっているのに」


泣き出した娘をそっと抱きしめながら、痩せて細くなった体のリリーが何度も繰り返し娘の頭を撫でる。


「良い、エラ。どうしたって貴女は月の再来と謳われるわ。それはきっと、生きている間は絶対に逃れられない。でも、貴女はエラなの。月なんかじゃないわ。強く美しく生きなさい」


月ではなく、エラ・ガルシアとして生きろ。それはこの先長い時間を生きて行くエラにとって、胸の内に深く刻まれた言葉になる。

ここ暫く病で臥せっていたリリーにとって、娘と立ち話をするだけでも体力を消耗するらしい。苦しそうに真っ青な顔をして微笑む母の顔は、涙が出る程優しかった。


◆◆◆


それは雨が激しく降る日の事だった。

長らくベッドから起き上がる事も出来ず、子供たちに微笑みかけるのもやっとだった母が、静かに眠りについたのだ。

どれだけ名前を呼ぼうとも、どれだけ身体を揺すろうとも、決して開かれぬ目と、決して名前を呼び返してくれない唇が、もう二度と微笑んではくれないのだと現実を突き付けてきたのだった。


「嫌だ、嫌だお母様!何で!」


泣き喚いた所でどうにもなりはしない。それは分かっていた。泣き崩れる姉アデルが母の手を握り絞め、泣き叫ぶエラを抱きしめるリアムがアデルの背中を摩ってやった。

妻の亡骸に縋りつく事すら出来ないアルバートが、小さく涙を零した。


「リリーと、二人にしてくれないか」


震える父の声に、エラはもう声を出す事も出来なかった。兄に支えられ、ふらふらと兄妹たちで母の部屋を出る事しか出来ない。

士官学校に入るまであと数日。当日に優しく見送ってもらう約束だった。

学校に入ったら暫く戻ってこられなくなるからと、どれだけ具合が悪くても見送ってくれると約束をしてくれた。

その約束は、もう果たされる事は無い。それがどうしても悔しくて、悲しくて堪らない。


いつだって優しくて、いつだって味方でいてくれた。エラと名付けてくれたのは母だった。この子は妖精のように可愛らしいからと、美しく育つようにといつも笑って話してくれた。

そもそも、子供たちの名前は全て母が付けたものだ。リアムは長男で、いずれガルシア家を継ぎ、家族を守るようになるから、守護者と言う意味を込めた。

長女のアデルには、楽しい事が沢山ありますようにと願いを込めた。リリーは名前に込めた意味を、名付けられた子供たちに話して聞かせる人だった。


名前の通りになれとは言わないけれど、そういう意味を込めたから大切にしてほしいと、いつも言っていた。子供たちも、母に愛されて名付けられたのだからと、自分の名前を大切に思っていたし、自然と名前の通りに生きていた。

そんな大好きな母には、もう二度と名前を呼んではもらえない。

三人で身を寄せ合って、静かに母を想って泣いた。


◆◆◆


何処でも愛され、友人の多かったリリーの式は、そう大きくはなかったが花に囲まれた華やかな式だった。生前から「花に埋もれて送り出されたい」というのがリリーの望みだったらしい。アルバートはそれを叶えてやりたかったんだと力なく笑いながら、真っ白なドレスに身を包んだリリーの手に、真っ白な百合を握らせた。


「この度は、御気の毒に」


もう何度も向けられた、残された家族への言葉。泣き疲れた子供たちは、静かに頭を下げる事しか出来なかった。エラの目元は腫れて赤くなり、まだぐすぐすと鼻を鳴らすアデルの鼻は真っ赤になっている。


「此方、我が父ルーカス・ハワード魔王陛下より心ばかりのお悔やみを」


魔王という言葉にぴくりと反応したのは、子供たち全員だ。

視線を向けた先には、無表情でアルバートに花束と目録を手渡すこげ茶の髪をした少年がいた。見覚えのない顔だったが、この少年は魔王と「我が父」と言った。つまりはこの国の王子なのだ。反射的に深々頭を下げたのは、教育が行き届いているおかげだった。どうしてと狼狽えるアデルがもう一度すんと鼻を鳴らすと、少年はエラの前に立つ。


「君がエラ?」

「はい」


腰を折ったまま、たった一言だけ応える。皆頭を上げてと声をかけると、少年はにっこりと優しく微笑んで、胸元に仕舞っていたハンカチをエラに差し出した。


「使って」

「え…?」

「母を亡くすのは、辛いから」


そっと頬に押し当てられたハンカチからは、優しい花の匂いがした。もう枯れてしまったと思った涙が、次から次へと溢れて止まらない。小さく礼を言いながらハンカチを受け取ると、少年はもう一度アルバートに頭を下げて去って行く。

従者をたった一人連れた少年が王子なのか。聞いていた王太子の特徴にも、その弟の特徴にも当て嵌まらないあの髪色が、何となく目に焼き付いて離れなかった。

優しく微笑んでくれた筈のあの顔が、何処となく寂しそうに見えたのは、何故だったのだろう。

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