白銀の魔女と半分王子
高宮咲
少女編
「私」というもの
古い記憶は未だに夢に見る。しつこく何度も聞かされた話は、我が家の歴史というやつらしい。
「セレーナ、良いかいよくお聞き」
ああ、お婆様。私の名前をいつになったら覚えてくださるの。
皺が目立つようになったと気にする祖母は、いつもいつでも孫の名前を覚えない。否、正確には「末の孫だけ名前を覚えない」
兄や姉の名前はきちんと憶えていたし、それなりに可愛がっていたように思う。可笑しいのは、私にだけ。
どこを見ているのか分からない、うっとりとした目で、祖母は空を見つめながら歌う様に物語を語る。
昔々、今よりももっと昔。この国がファータイルと名付けられるよりもっと昔。この国は夜が統べておられました。夜はこの国を大層愛し、大切にしてくださいました。あらゆる災いからお守りくださり、民は幸せに暮らしていたのです。
夜は美しい月と、煌びやかな星を携えておりました。
月は夜の闇を明るく照らし、星は夜空を優しく彩りました。
ところが、夜は突然明けてしまったのです。
夜、夜空よ何処へ消えてしまわれたのか。
月は大層嘆き悲しみ、夜を求めて消えてしまいました。
残された星は、どうした事かと不安がる民を捨て置けず、優しくも力強く民を照らす太陽となりました。
夜と月がお戻りになるまで、私がこの者らを、この地を守りましょう。
太陽が微笑むと、大地は暖かく照らされるのでした。
「この月はお前のことよ、セレーナ」
物心つく頃から何度も聞かされたこの御伽噺が嫌いだ。夜空の国と名付けられたこの御伽噺は、我らがファータイル国の遥か昔の歴史を詠ったものである。
実際の話は、黒目黒髪の王とその妻、もしくは側近の女性たちの話。
王と月と称される女性が相次いで亡くなり、星や太陽と称される女性が暫くの間統治していただけの話をよくもまあここまで大げさにしたものだと、幼いながらに思ったものだ。
尚、この御伽噺に出てくる三名は実在し、その血は今でも続いている。
夜と呼ばれた王は、現在の王家の祖。
星、もしくは太陽と呼ばれた女性は、国の西に土地を構えるランドルフ家の祖。
そして、月と呼ばれる女性は、国の東に土地を構える我が家、ガルシア家の祖である。
「聞いているの、セレーナ」
「はい、聞いてますお婆様」
ちくちくと小言を言うのは、祖母のいつもの行動の一つなのでどうだって良い。それよりも、いい加減セレーナと呼ぶのをやめてほしかった。
もしも、私の髪が白銀じゃなかったら。
もしも、私がガルシアの家に生まれなかったら。
もしも、月と呼ばれた女性が居なかったなら。
こんなにも祖母を嫌いだと思わずに済んだかもしれないのに。
「お前は我がガルシア家に、白銀を持って生まれてきたの。数千年ぶりに月がお戻りになられたのよ」
腰まで伸ばした髪に指を通しながら、祖母はうっとりと言葉を続ける。
「月は白銀の髪を持ち、この雪原の女王だったのよ」
窓の外に広がる真っ白な銀世界。目が痛い程太陽の光を反射して、キラキラと輝くようだった。
「お前も雪の精霊から祝福されているのよ。流石月ね」
「…はい、お婆様」
大嫌いだ。孫を月としか見ない祖母も、忌まわしい色をした髪も、目に痛い雪も。
全部、全部。大嫌いだ。
「お義母様、エラをそろそろお返しください」
不機嫌そうな顔を隠しもせずに、部屋のドアを乱暴に開いた母がずかずかと入ってくる。そっと体を抱き寄せてくれるその腕は、いつも通り温かかった。
「この子はエラです。セレーナとお呼びになるのはおやめくださいと何度も言っているではありませんか!」
「何を言うの。この子はガルシアに生まれた白銀の娘よ。その意味が分からないの?」
「分かりません。この子はエラ、私の娘。月などではありません」
そう言い切ると、母は娘の腕をしっかりと掴んで部屋から出て行く。背後で派手に音を立てながら閉まった扉が、うんざりする時間の終わりを告げてくれるようだった。
「エラ、ごめんなさいね。迎えに行くのが遅くなって」
「ううん、平気よお母様。お父様のお仕事、お手伝いしなくて良いの?」
「もう終わらせたわ。お茶にしたいから、お母様の話し相手になってくれないかしら?」
優しく微笑む母が、そっと白銀の髪を撫でてくれた。
◆◆◆
煌びやかな世界というものは、兎角堅苦しくて嫌になる。それが人生の節目、晴れ舞台ともなれば、周囲の大人たちが張り切るのも無理はない。長い長い人生の中でのたった一日。大人の仲間入りをする日。社交界デビューの日である。新成人たちは皆真っ白な衣装を身に纏い、胸元には黒いリボンをあしらっている。
何物にも染まっていない純粋さを表す白と、これから王へ忠誠を誓う事を表す黒。忠誠心の現れが黒なのは、初代王が黒目黒髪だったからだそうだが、エラは白銀の髪と真っ白な肌、真っ白なドレスで一人だけ印象がぼやけている気がした。
「次世代を担う子供たちよ。お前たちは本日この時から、王と王の統べる国の為に忠誠を尽くすのだ」
長ったらしい演説。何人の大人の話をじっと聞いているだろう。そろそろ面倒な儀式を終わらせてほしいものだが、そうもいかない。
数百年どころか数千年は続いていると言われるこの国は、所謂「古臭い儀式」というものが好まれる。時折いい加減この古臭い慣習は辞めても良いのではと言う者もいたが、頭に苔でも生えているのか、老人たちに一蹴される事が多い。
「お前たちは我が息子、テオドールの臣である時が長くなるであろう。どうか、息子の為に良い臣下となるように」
優しそうな笑みを浮かべながら、長ったらしい演説を続ける王、ルーカス・ハワードは、両手を広げてじっと自身を見つめる新成人たちに視線を向ける。時折満足げに頷いているが、それはエラともう一人の話題の少女、サラを見ての事だった。
「では、年寄りの長話はこれくらいにして…お前たちのが心待ちにしている儀式を始めよう」
にんまり笑ったルーカスは、控えていた家臣に軽く手を振る。すると、恭しくクリスタルで出来たゴブレットを掲げた家臣が前に歩み出た。
「精霊の加護を受ける時が来た。順に触れるが良い」
そう言うと、ルーカスは壇上に置かれた玉座に腰掛け、ゆったりと酒が注がれた杯を傾け始める。隣に腰かける己の妻、王妃グレースと共に、緊張と興奮を隠せない新成人たちを眺めながら酒を飲むのはどんな気分だろう。
自分はどの精霊から加護を受けるのか、そわそわとする気分はどんなものだろう。
最初からどの精霊から加護を受けるのか分かりきっているエラは、他の新成人のようにはしゃぐ事が出来ない。
子供の頃から分かっていた。月の再来として、氷の精霊から加護を受けるのだ。
わくわくするあの気持ちを共有出来ないなんて、今日一番のイベントを楽しめないなんて。なんてつまらないのだろう。
「サラ・ランドルフ」
「はい」
コロコロと鈴を転がしたような、キーの高い声。
毛先がゆったりとカーブする、輝くような金髪に、晴天の空を思わせる水色の瞳を持つ少女。
「あれが今世の星」「あれが太陽」と会場内がざわつくが、それに慣れているのか全く気にする風も無い。
真直ぐ前だけを見て、真っ白なドレスの裾をふわふわと揺らしながら小さなヒール音をさせて歩く。
薄らと艶のある赤いリップに彩られた唇が、ゆったりと口角を上げて微笑んでいた。
「祈りを」
ゴブレットを差し出されたサラが、遠慮がちにそれを取る。澄んだ声が、決められた祝詞を唱えた。
「我らの母たる精霊よ、愛娘に祝福を」
シンとした会場内に響く、静かな声。何も入っていないゴブレットに何処からともなく深紅の液体が満ちていく。一定の量で止まったそれを、サラは静かに含み、飲み込んだ。こくこくと喉が上下に動く。ゴブレットを満たしていた液体全てを飲み下すと、サラはそっとゴブレットを返して微笑んだ。
「宜しい」
くるりと踵を返し、列へ戻って行くサラは再び注目の的となる。ちらりとエラの顔を見て微笑んだように見えたのは、気のせいなのだろうか。
次々と呼ばれて誰も彼もが同じように儀式を済ませて行く。深紅、藍、黒、薄緑の液体を必ず飲んで、誇らしげな顔をして列へ戻って行く。
精霊の加護を受ける為の重要な儀式。これを終えて漸く、大人の仲間入りを果たし、魔族の証である魔術を使えるようになるのだ。この先長い長い時を生きる上で重要な儀式。この儀式で飲み込んだ液体が、愛してくれる精霊がどの精霊なのかを教えてくれる。
「エラ・ガルシア」
「はい」
漸く呼ばれた名前。どうせ分かりきっている結果を知る為に、わざわざ観衆の前に出なければならないなんて。どうせ、あのゴブレットに満たされるのはどの色でもないのだ。
「我らの母たる精霊よ、愛娘に祝福を」
すっかり聞きなれてしまった台詞を、ぽそりと呟いてみる。手にしたクリスタル製のゴブレットが、徐々に温度を失い、手が痛む程に冷えていく。
ぱきぱきと小さな音を立てながらゴブレットを満たしていく液体は、色を持たない。まるで水のように透明で、徐々に端から凍っているように白く筋が入っているように思えた。
ああ、やっぱりそうだ。伝承と同じ。
私は火の精霊でも、水の精霊でも、土の精霊でも、風の精霊でもない。氷の精霊に愛されるのだ。
どれだけ抗おうとも、月の生まれ変わりである事を受け入れなければならないのかと、エラはぎゅっと唇を噛み締める。早くしろと言いたげに凍り続ける液体を、一気に煽って飲み込んだ。
「おお…月よ、月がお帰りになられた!」
ゴブレットを差し出す男が、感極まったような顔で小さく声を震わせる。会場のあちこちから、月の再来だの、次の王の時代は安泰だの、わいわいと好き勝手に呟く声がした。
まるで今の王の時代は安泰では無いような言い方に、玉座に座る王が気分を害していないか不安になり、エラはそっと玉座へと視線を向ける。
満足げに笑うルーカスが、まだ幼さの残る少女に向けて盃を上げてみせた。
「我が息子に、月の祝福を」
にんまりと笑う王を憎む事になるのは、そう遠くはない未来の事だった。
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