第7話 バレンタイン

 仕事終わり、今日も廊下に出たら柏木さんに会いました。と言いますか、仕事が終わったら柏木さんはここの休憩所に一人でいます。それを知っていて、私もここに来ているのでしょう。


「お疲れ様です、はい、バレンタイン」


 私は用意したチョコレートを渡しました。ちょっとオシャレなパッケージの板チョコです。ハイカカオで、色んなカカオ配合パーセンテージ・味が販売されています。味のイメージに合わせた配色のパッケージが印象的です。

 正直味は区別がつかないので、パッケージの色で決めました。なんとなく柏木さんのイメージに合うものを選びました。


「ありがとう」


 柏木さんは少しだけ驚いて、すぐに受け入れた笑顔をします。


「あの、これ……」


 立ち去ろうとした私に、柏木さんが紙を渡しました。


―今日の帰り、駐車場に会いにいきます―


 そう書いていました。私は一瞬目を丸めました。口頭ではなく文字の威力がこんなに強いとは知らなかったのです。


「はい」


 私は柏木さんの顔を見て、それだけ言いました。

 柏木さんは私から視線を外していました。恥ずかしいのか照れているのか。柏木さんのその態度がどうしようもなく愛おしく感じました。


 今日は夜勤です。夜勤の出勤人数は、日勤に比べて少ないです。駐車場で会っても目立たないのです。前回メルアド交換したときも、夜勤でしたね。

 逢引き。そんな単語がよぎりました。



 終業後、私はいつも通り駐車場に向かいました。

 柏木さんの駐車場のほうが、会社から近いです。けれども時期的に、エンジンを暖気する必要があります。その時間がかかるので、私は特に急ぎませんでした。


 私は自分の駐車場に着き、車に乗り込みました。私もエンジンを暖気します。柏木さんからメールが来ていないか一応確認します。来ていません。

 今日は寒いです。フロントガラスが凍っています。解けるのに時間がかかります。しばらく柏木さんも来ないだろうと思っていました。


 駐車場内に、いつもと違う進路でこちらに向かう車がいました。きっと柏木さんです。私は車から降りて、自分の存在を示しました。

 その車は、私の車の隣に停めました。やっぱり柏木さんでした。


「遅くなってすいません」


 柏木さんが、少し慌てた様子で車から出てきました。


「そんなことないですよ、こんなに凍ってるんですから」


 私は心からそう思いました。


「あの、これ」


 柏木さんが、コンビニの袋を差し出します。


「今日バレンタインだし、CDも貸してくれたし。小川さん、チーズ系が好きって言っていたんで」


 袋のなかを見ると、チーズバーと書かれた文字が見えました。もう一つ、チョコも入っていました。バレンタインに男性からチョコを貰う、逆チョコです。初めて貰いました。


「ありがとうございます、嬉しいです」


 私は驚きつつ、本当に嬉しかったです。逆チョコを貰ったのは初めてだと、伝えるべきか一瞬迷いました。

 男性に対して「初めてのこと」と伝えるのは恋愛テクの一つだとなにかで聞いた記憶があるので、私は「初めて」を飲み込みました。

 そして違う言葉を選びました。


「娘さんからチョコを貰うんですか?」


「うーんどうだろう。嫁と作ってるのかな?」


 私はなんでもない風に聞きました。柏木さんも当然のように嫁という単語を使いました。柏木さんは結婚していて、お子さんもいます。

 暗闇のなかで、私と柏木さんは笑顔のまま、沈黙しました。


「それじゃあお気をつけて」

「お疲れ様でした」


 どちらがどの台詞を言ったのか分からないほど自然に、私と柏木さんは別れてお互いの帰路を目指しました。



 私はちょっとおしゃれな板チョコを渡して、柏木さんはコンビニのお菓子をくれました。この軽い贈り合いが、お互い心地良いと思いました。あの板チョコだったら、奥さんに「会社の人から貰った」くらいで済みます。私も、コンビニのお菓子だと必要以上に重く受け止めません。

 私と柏木さんは、お互い、立場を分かっています。大人です。


 どうしてバレンタインにチョコレートをくれたの?

 メールアドレスを聞いてきたのは?

 どうしてハグしたの?

 本当は、そう思っています。腹の探り合いをしているのでしょうか。

 これが昔誰かが言っていた「かけ引き」なのでしょうか。


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