第6話 自分の姿

 帰宅後、私は鏡を見ていました。正確には、鏡に映った自分自身の姿です。

 ボサボサの髪。そういえばしばらく美容院に行っていませんでした。ツヤのでるシャンプーを使っているので、ツヤだけはありますが。仕事中は帽子を被っているので、朝は寝癖を少し直した程度で会社に行っています。

 

 手入れをしていない自分の体を思い、見ました。冬だからと、脇と脚の毛は処理していません。制服は長袖長ズボンなので、特に気にしていませんでした。若い子はエステに脱毛に行っていると聞きます。


 私はこのままで、よいのでしょうか。

 柏木さんにハグされた瞬間を、何度も反芻します。あの感触を忘れないように、何度も思い出します。

 頭が耳が、体のなかと周りが、熱を帯びたような感覚です。足元から、不快ではないなにかが這い上がってくるような感覚です。心地良さと嬉しさと、少しの寂しさ。


 柏木さんにハグされて、自分のなかの「女」に目覚めました。

 今回はハグだけだったけれども……もし今後、肌を露出するような機会があったとき、私はどうするのでしょう。

 シェーバーを持ち歩き、直前に剃毛ていもうするのでしょうか。まさか。

 


 次の休日、私は美容院に行きました。いつもの髪型、おかっぱです。ボブと言えば今風なのでしょうが。

 ボサボサだった毛先は切り揃え、ツヤが引き立ちます。前髪も綺麗に整えました。少し眉毛が見える程度が私に似合っています。

 なんだか気分もすっきりしました。ボサボサの髪の毛を切り落としたら、私のもやもやも一緒に切り落とされたようです。


    〇


「前髪切った?」


 月曜日、仕事中、早速柏木さんに言われました。いつも通りデータ測定のため、全工程の組み付けたユニットを回収しに行ったときです。

 今日も帽子から見えるわずかな私の髪型に、髪型の変化に気づいてくれました。


「はい、後ろも切りました」


 私は笑顔でそれだけを答えました。すぐにデータ用ユニットを集めて測定しなくてはいけないからです。本当はもっと話したいです、けれども仕事を優先しなくてはいけません。


 データの測定場所に、全ユニットが揃いました。これらを外観チェックから初めて、ばらしていきます。指示書通りに組み付けられているか、破損や傷、規格外れなどはないかを確認します。

 私の体温は上がっていたように思われます。顔も少し、笑っているかもしれません。柏木さんに一言話しかけられただけで。


「前髪切った?」


 データ測定をしながら、柏木さんに声をかけられた瞬間を、また反芻しています。その一言がどれだけ嬉しいのか、分かって言っているの? 胸がぎゅっとします。嬉しいけれど、切ないです。


    〇


 二月十四日、バレンタインです。

 私は柏木さんに渡すため、チョコレートを用意していました。重くならないように、けれどもいかにも義理という感じにはならないようなチョコレートを選びました。


 休み時間、みんながロッカーに飲み物やお菓子を取りに集まります。渡すチャンスです。早く人がはけないか、待ちました。けれどもなかなか人はいなくなりません。

 心なしか柏木さんも、立ち止まっている気がします。もしかして、私からのチョコレートを待っているのでしょうか。

 チョコレートを渡したかったけれども、今はみんながいるので渡せません。


「はい、どうぞ」


 黒木くろきさんが、みんなにチョコを配っています。黒木さんは少しぽっちゃりしていて、いつもにこにこしています。高級なお菓子を気前よくくれます。

 黒木さんは、柏木さんにもチョコを配っていました。そのあと私にもくれました。

 ああ、あんな風に渡せたらいいのに。けれども黒木さんはみんなに配るので、出来ることです。まさかみんなの前で、柏木さんにだけチョコレートを差し上げるわけにはいきません。

 今日一日、渡すチャンスはあるのでしょうか。チョコレートのことで頭がいっぱいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る