第3話
夕飯の後、洋ちゃんと一緒に散歩に行くことにした。家の外に出たら、目の前が黒闇で塗りつぶされていた。一メートル先も見えない。洋ちゃんが懐中電灯を持っていて、足元を照らしている。
「暗すぎて怖い。散歩は中止にしよう」
私は言った。
「目が慣れたら、月明かりで歩けるようになるよ」
洋ちゃんが言った。
「あんたは慣れてるからいいでしょうけど、私には無理だよ」
「じゃあ手をつないで行こう」
洋ちゃんが私に手を差し出した。少し迷ったが、私はその手を握った。
手を引かれて暗闇の中を歩く。やっぱり怖い。
「洋ちゃんも頼もしくなったものだ。昔はさ、夜一人でトイレに行けなかったよね」
私は気を紛らすようにして言った。
「それ、小学生の時だよね。僕はトイレなんて怖く無かったよ」
「えー。私がトイレに連れて行って上げたじゃない。忘れたの?」
私は笑って言った。
「僕は美香姉ちゃんに甘えたかったんだよ。あの時も手をつないでくれたよね」
洋ちゃんが言った。私の背中がゾワッとした。
「美香姉ちゃんの事が大好きだったから、ワザとトイレに行けないって言ったんだ。親戚が集まった時に、他の子と遊ばなかったのもそう。美香姉ちゃんの同情を引くために、そうしたんだ」
「待て待て」
「実はね、中学に行かなくなったのも、美香姉ちゃんに会いたくなったからなんだ。僕が引きこもったら、父さんが美香姉ちゃんを呼ぶだろうって思った。そして実際にそうなった。反抗期なんて僕には関係ないよ。あったとしても、登校拒否なんて回りくどい事はしない。自分の内面で処理すればいいだけの話だもん。だけどね、美香姉ちゃんの事はどうしようもなかったんだ」
洋ちゃんが優しい声で言った。
「草むらに連れ込んで、押し倒したりしないでよね」
私は超ビビリながら、笑い声で言った。洋ちゃんが私の手を強く握る。
「僕は結構女の子にモテるんだよ。市内の中学と交流した時に、二人の女の子に手紙を貰った。毎日迎えに来てくれる生徒会長も、凄く可愛い子なんだ。でもね、女の子の匂いを嗅ぐと、美香姉ちゃんの事が頭に思い浮かぶんだよ。その度に僕は、とても幸せな気持ちになるんだ」
「だいぶ愛されてるなあ」
笑って言ったのに、声が震えてしまった。
「この先に小屋があるんだ。今は誰も使ってないんだけど、僕が修理をして、快適に過ごせるようにしてあるの。食べ物も用意してある。お酒もあるよ。お姉ちゃんが気に入ってた、沖縄の曲も聞ける。お婆ちゃんが使ってた、介護用ベッドも運んである。あれね、凄く寝心地がいいんだ。お姉ちゃん、僕と一緒に寝てくれる?」
「あの、普通に寝るだけだよね」
「抱きしめてもいい?」
「……いいよ」
「お姉ちゃん、服を脱いでくれる?」
「いやいや、ちょっと待てよ」
「そのあと、お姉ちゃんにいろいろしてもいい?」
「だからちょっと待ちなさい」
「お姉ちゃん……、もしかして怒ってる?」
「怒ってない。私も洋ちゃんの事が大好きだよ。だけどちょっと落ち着いて」
洋ちゃんの懐中電灯が、雑木林の中にボロい小屋を照らした。小屋の中にぼんやりと明かりが灯っている。
「ここ?」
私は洋ちゃんの顔を見つめる。
「あのね、ここは村会所なんだ。美香姉ちゃん、御免!」
「は?」
「全部嘘なんだ! 作り話だよ! あのね、美香姉ちゃんが暗くて怖いって言うから、気を紛らわそうとしたんだ。それで僕、調子に乗っちゃって」
「お前、殺すぞ」
「違う、ゴメンなさい。お姉ちゃんが、すぐに怒ると思ったんだよ。だけどなんか変な感じになっちゃって……」
洋ちゃんが泣きそうな顔をしている。
「……私も思春期なわけだよ」
私は言った。
「うん」
「私を呼び寄せる為に、反抗期の演技をしたって言ったよね」
「だから違うって。思春期も反抗期も、僕は全然対応出来てない。美香姉ちゃんが来てくれて、ちょっとホッとしてるだけ。それだけだよ」
洋ちゃんが言った。
「それにしては、演技が真に迫っていたよな」
私は洋ちゃんの肩を小突いて言った。
「ストーカーの映画を見た事があって、それの真似をしました」
洋ちゃんが言った。
「洋ちゃんは変に頭が良いから、ストーカーの素質があるよ。本当に危ない感じがしたよ」
私は笑って言ったけど、実は落ち着いていない。体がフワッと浮いてるような感じがある。
「気が狂うってこんな感じなのかな。思春期と反抗期にも、それがちょっとあると思うんだ。お姉ちゃん、本当にゴメンね」
洋ちゃんが涙目で私の顔を見る。
「別にいいよ、気にすんなよ。だけどスゲー疲れたな。もう帰って寝たい」
私は言った。
「村会所に布団があるから、ここで寝る?」
「お前……」
「違う違う! ここにはお年寄りも集まってるから、二人っきりじゃないよ!」
洋ちゃんが慌てて言った。私はマジで疲れた。
村会所の中に入ると、洋ちゃんが言ったようにお年寄りが3人程いた。お爺さんが将棋盤を取り出して来て、ニコニコしている。洋ちゃんとの対戦を心待ちにしていたようだ。なるほどね、そういう事か。洋ちゃんが押入れから布団を取り出して、畳の上に敷いてくれた。私は素早くその布団に滑りこんだ。天井に橙色の裸電球がぶら下がっている。しわくちゃ笑顔のお婆さんが見守る中、私はあっという間に意識を失った。
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