消えない落ち葉、「好きです」と。

八咫鑑

消えない落ち葉、「好きです」と。

 深夜一時二十四分。暗闇の中、私は今日もLINEを開く。

 トーク履歴をスルスルっとスクロールし、目的の相手、草加くさかくんの個人チャットを開いた。

 草加くんとはクラスが一緒になって以来、一度もLINEをやり取りしたことが無い。四か月前にクラスのグループで友達追加してトークルームを作った後、草加くんから直接メッセージが届いたことは、一度として無かった。代わりに草加くんとのトーク履歴には、並んでいた。


 今日も私はスマホの上で指を滑らせる。

『あなたのことが、好きです。』

 私は迷いなく青い紙飛行機ボタン、つまりは送信ボタンをトンとタップし、打ち込んだ文章を送信した。チラッと画面上部の時間を確認する。

「一時二十五分、送信完了っと」

 ここからだ。ここからの五分間が本番だ。私は布団に深く潜り、草加くんのトーク画面を開いたままジーッと画面を見続ける。


 一分経過。

 既読が付く様子はない。私の心にはまだまだ余裕がある。

 二分経過。

 トーク画面に変化はない。私はスマホを保持したまま、少し手汗をかいて湿っぽくなった手をかわるがわるパジャマでぬぐう。

 三分経過。

 段々と私の鼓動が大きくなり始める。既読はまだつかない。画面の見つめすぎか、少し視界がチラつく。

 四分経過。

 ドッドッドッドッと心臓が脈打って、熱い血液をどんどんと体内に送り込む。胸が詰まる感じがして、呼吸が荒くなる。早く、早く終わってくれ! と叫びたくてたまらない。

 五分経過。

 私は急いで、五分前に送った『あなたのことが、好きです。』という文章を長押しし、『送信取り消し』のタブを押した。『あなたのことが、好きです。』の文字がヒュンと消え、『メッセージの送信を取り消しました。』というシステムメッセージが、トーク画面に新たにひとつ生成され、陳列された。


「っふうぅぅ~……っぱぁ!」

 私は大きく息を吐きだし、勢いよく布団から頭を出した。そうして布団の外の、少し冷たく乾いた空気で肺の空気を幾度か循環させた私は、スマホを枕の脇に置き、眠らんと目をつむった。


 いつからだろう。もう二週間は続いているだろうか。深夜一時二十五分に告白のメッセージを送り、五分後に送信を取り消す。草加くんを好きになってから、私がこっそり続けている秘密の儀式。

 もし既読が付いたら? それはあり得ない。なぜなら、草加くんはこの時間、絶対に眠っているからだ。

 草加くんの家は新聞配達をしていて、草加くんは毎朝四時に起きて配達の手伝いをしている。だから、中学二年生にもなって夜九時には寝ているのだ、と学校で話しているのを私はたまたま耳にしたのだ。


 最初は告白の練習のつもりだった。が、いつまでも本番は来ず、ズルズルと数週間。私は未だにこの儀式を続けてしまっている。草加くんの気づかぬ間に告白文を送っては送信取り消し。もし草加くんが通知音で起きたら? 次の日が休刊で夜更かししていたら? LINEのバージョン違いで、私の送信取り消しが草加くんの画面では無効になっていたら?

「はぁ。私はキモキモ陰キャだ。名前はまだない。こともない。寝よ〜っと」

 まあ、もしそんなことがあれば、こんな陰キャな告白を二週間以上続けている私のことを、草加くんは気持ち悪がって疎遠になろうとするに違いない。それはそれで、私も諦めがつくというものだ。だが、今のところそんな素振そぶりも、気づかれている様子もない。学校では相も変わらず、他愛もない会話をする程度、ただの隣の席同士の関係だ。

 私は今日も、そんな言い訳や御託をごちゃごちゃと頭に並べつつ、静かに眠りの海へと沈溺ちんできしていった。



 ~*~*~*~*~



「塚平さん、俺ここの落ち葉まとめるから、そっち側掃いてまとめてもらえる?」

「うん、わかった」

 私は草加くんに言われた場所の落ち葉をザッザッと竹箒たけぼうきで掃いた。

 私は運がいいことに、草加くんと掃除の班が一緒なのだ。

「くさっち~、俺とみっちゃんまとめ終わったから先持ってくけど、くさっちのそれも持って行こうか?」

 二人の男子生徒が、落ち葉がたくさんに詰まったゴミ袋を両手に持ち、そう草加くんに声をかけた。草加くんは手元にまとめつつあるゴミ袋をチラ見して言った。

「いや、いいわ。塚平さんの分もこれにまとめてから行くから先行ってて。ありがとう」

 私はそれを聞いて、落ち葉を集める手を速めた。草加くんを待たせてしまっているのが申し訳ないと思ったからだ。

「はい、広げとくからそのまま掃いて入れてよ」

 草加くんは私が集めた落ち葉の小山のすぐ脇で、バサッとゴミ袋の口を広げた。私は小さく「ありがとう」と言って、落ち葉をゴミ袋に掃き入れた。

 ザッザッザッ……ザザッ……ザーッザーッザッザッザッ

「おけ、ありがとう。縛るからちょっと待ってね」

 草加くんは満杯になったゴミ袋の口を器用に縛ると、よっこいせと持ち上げた。

「じゃあ、片づけ行こうか」

 私と草加くんは横に並び、ゴミ置き場と掃除用具入れを目指して歩いた。

「大丈夫? 重くない?」

 サンタのようにゴミ袋を背負って、少しだけ眉根を寄せている草加くんに、私はそう聞いた。

「後ろからちょっと持ち上げて、支えながら歩こうか?」

「いや、これくらい全然大丈夫」

 草加くんは私にニコッと笑いかけて、肩をヨイショっとすくめてゴミ袋を担ぎ直した。

「なんかさ、この落ち葉って似てると思わない?」

「え? どういうこと?」

 草加くんの問いかけに、私はさぞ怪訝そうに見えるであろう顔つきをして、草加くんの次の言葉を待った。

「いやさ。さっき俺、塚平さんに落ち葉掃いて貰ったろ? それを俺がこのゴミ袋で受け止めてさ。こうして背負ってるから、後ろのゴミ袋がどれくらい大きいとかわからないわけなんだけどさ。実は、塚平さんから送り出された落ち葉って、俺が思うよりもはるかにたくさんあったんじゃないかなって。そう思って。」

 ヒュ―ン、とみぞおちが冷えて下に落っこちる感覚が私を襲った。まさかバレてる? いや、そんなはずはない。これまで一度も既読がついたことは無いし、気づいていたらこんなに普通に接してくれるわけがない。LINEのことも一言も出てないし、これは落ち葉が重いってだけの話のはず。私は極力、顔や声色に出さないようにしながら言った。

「ふーん、そっか。でも草加くんも私が入れる前にたくさん集めてたし、私が最後にザザっと入れた分なんて大したことないんじゃないかな。あ、もしかして、私が入れた分が重いって嫌味言ってる?」

 気丈に笑って見せた私は内心冷や汗のゲリラ豪雨状態だったが、運よく草加くんには気づかれなかったようだ。

「いやいや、嫌味とかじゃないない。うーん、なんて言ったらいいかな」

 草加くんは何か言葉を続けんとしてか、何かを言いかけては口を閉じる、というのを二、三度繰り返した。ゴミ置き場までもう数十メートルほどだろうか、辺りに他の、掃除を終えたらしき生徒の姿がちらほらと見えてきた。草加くんはようやくかける言葉が見つかったのか、私の顔をしっかと見て言った。

「俺も。俺も、だよ塚平さん」

「俺も? どういうこと?」

「塚平さんに掃いてもらった落ち葉、やっぱ全然重くないというか、俺平気だから。いつでも正面から受け止めるからさ、待ってるよ」

 草加くんはそう言うと、大幅に歩くペースを上げて私を置いてけぼりにし、他の生徒に混じってゴミ置き場に向かって行った。

 私はバクバクと脈打つ心臓に手を当て、荒い呼吸を整えようとした。バレた? バレているのか? 草加くんの落ち葉の話、明らかに掃除の話以上の含みがある。「俺も」ってどういうこと? 草加くんもメッセージの送信取り消しを? いや、でもそんなことをしているなら私とのトーク履歴には「草加がメッセージを取り消しました。」というシステムメッセージが出てくるはず。

 私は急いで制服のポケットからスマホを取り出し、袖で隠しつつ草加くんとのトーク履歴を確認した。しかし、そんなシステムメッセージはどこにも見当たらない。

 でもどうして? あの時間草加くんは寝てるはず。気付くはずがない。既読だってついたことはない。私は少しクラクラとし始めた視界に、半ば寄りかかるようにして竹箒を地面に突き立てた。

 いや、そんなはずはない。大体、気付いていたらこんなに普通に接してくれるはずはない。「やめてくれ」とは言われても「待ってるよ」なんて言われるはずがない。きっと、次の落ち葉掃除の話だったんだろう。

 私は大きく、ゆっくりと深呼吸をして、身体から緊張と不安が抜け落ちていくのを待った。やがて震えはおさまり、みぞおちの冷え込みも正常な感覚に戻ってきた。

 私は最後にフウー、と大きく息を吐き出すと、竹箒を片付けに倉庫に向かった。


 ~*~*~*~*~


 深夜一時二十四分。

 私は今日も草加くんのLINEを開いた。

 トーク履歴は相変わらず。草加くんからは何も送られてきていないし、私の「送信を取り消しました」というシステムメッセージが大量に並んでいるだけだ。

『草加くん、あなたのことが好きです。落ち葉。』

 なんとなく思いついて、「落ち葉」と付け足してみた。画面の上で私の人差し指が、しばらく宙を掻いたが、すぐに青い紙飛行機ボタンにトンッと吸い寄せられていた。

『草加くん、あなたのことが好きです。落ち葉。』というメッセージがヒュン、とトーク画面に顕現けんげんした。


 一分経過。

 既読はつかない。私は既に余裕を無くし、いつもの倍くらいの心拍数でジッと画面を凝視していた。

 二分経過。

 トーク画面に変わりはない。私はホラー映画を見た子どもが夜寝る時にやるように、布団の中に縮こまった。

 三分経過。

 私はサウナにでもいるかのごとくダラダラと冷や汗を吹き出し、ひっきりなしにももと膝で両手を拭う。

 四分経過。

 この一分が、私にとってはとてつもなく長いものに感じられた。広大な砂漠の中を一歩、また一歩と踏み出しては、その度に果てしなく伸び続けるような錯覚を覚えながら地平線を眺める旅人のような、そんな果てしなさ。それを私は、図らずも寝室の布団の中、好きな人とのLINE画面を見つめるだけで感じてしまっていた。

 五分経過。

 私は自分史上最速の動きでメッセージの送信取り消し操作を行った。その刹那、私の心臓が動きを止めた。

 私が送信取り消しを押してから、メッセージが消えるまでのコンマ数秒、その間に、私のメッセージの隣に『既読』の二文字がついた気がしたからだ。

 見間違いだろうか? 十分にあり得る。私は俗に言う極限状態で、深夜テンションで、色々に多感な思春期だ。幻覚の一つや二つ、見ておかしくはない。

 次の瞬間、止まった心臓が氾濫せんばかりにドコドコと激しく乱れ打ちを始めた。

『俺も。待ってるよ、消えない落ち葉。』

 私は口の中がカラカラに乾いて、小さくヒュー、ヒューと音を立てながら呼吸した。


 一分経過。

 私は何も出来ず、動けず、ただただ布団の中で固まっていた。

 二分経過。

 少し事態が飲み込めてきた私は、とんでもないことに気が付いた。

 三分経過。

 何か返さねば。バレていた。草加くんに送信取り消しのこと、バレていた。何か返さねば。落ち葉はやっぱりこれのことだった。既読をつけてしまった。何か返さねば、何か返さねば。でも何を?

 四分経過。

 謝罪文だろうか? 気持ち悪くてごめんなさい、と。でも今更そんなこと送ったところでどうなるというのだ。それに、バレていたのに掃除の時間は隣を歩いてくれてたし普通に会話してたじゃないか。とにかく何か打ち込もう。中身は打ち込んでから書き直せばいい。動け、動け私の指。だが、テキストボックスに一文字も打ち込めないまま、時間だけが過ぎていく。

 五分経過。

『俺も。待ってるよ、消えない落ち葉。』というメッセージがヒュンっと消え、『草加がメッセージの送信を取り消しました。』というシステムメッセージが表示された。


 深夜一時三十五分。私は精魂尽き果てて、布団の中に横たわっていた。その日、私は眠ることができなかった。

 だが、そうして眠らずに朝日が差し込むまで考えた結果、『今日の放課後、一緒に帰りませんか?』とLINEを送った。

「はぁ。草加くん私と同じ、キモキモ陰キャだ。しっかしほぼ徹夜か〜。授業寝ないといいなぁ」

 私は送ったメッセージを、送信取り消ししなかった。そして、きっと帰り道、私は草加くんに言うのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

消えない落ち葉、「好きです」と。 八咫鑑 @yatanokagami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ