第二章 心の寄る辺に会いたくて

22 故郷の山を行く

 

 リリーが飛行艇の窓から顔を出す。


「やっほー!」


 と叫ぶも、ピエゾ山脈は返事をしなかった。ここには3,000メートル級の山が連なり、山頂はすでに雪をかぶっているところも多かった。


「うわ、めっちゃ寒かった!」


 一瞬顔を出しただけなのに、リリーの鼻が赤くなる。慌てて、キャビンのオイルヒーターに近づいて暖を取る。


「カヌレじゃなくてよかったね!」


 風よけのついていないカヌレだったら今頃寒さと戦っていたことだろう。ちゃんと壁に覆われているだけでこれだけ快適なものなのである。


 そういう、闇落ち聖女の談笑とは対極の男がいる。機体を操るエリックの横顔は青くなっている。それもそのはずだった。


 今飛んでいる場所は両側に崖がそびえたつような深い渓谷。そこを翼幅30メートルもある機体が通過するのだ。


「速度チェック」


「180」


 エリックは計器に目を落とす余力もないらしく、私が計器を見て速度を読み上げる。


 ツンツン。と、急にキリエにつつかれる。


「どうした?」


 キリエは地図を広げ今飛んでいるところを指し示す。キリエのペンが渓谷をなぞっていくと、この先には…。


「急カーブがあるってこと?」


 キリエはコクリと頷いた。


「どっちカーブだ?」


「えっと右だな」


「旋回半径は?」


 私とキリエが顔を合わせるカヌレの機動性なら問題ないが、これほど大きな機体が旋回するには、機体の限界性能に挑まねばならない。


「えっ、ちょっ!」


 しかし、地図からすぐにはわからなかった。キリエは計算尺で半径を確認する。その間にエリックはフラップを展開して減速した。


 そして、このやり取りの間にも刻一刻と急カーブが迫ってくる。やることのない私は応援でもすることにした。


「よし、こういう時は度胸と気合いだ! 頑張れ!」


「ちょ! 旋回半径はやく!」


 キリエの計算も間に合わず、機体は滅茶苦茶なバンク角(横の傾き)をとる。まるで壁でも走っているようなくらい機体を傾けて渓谷の急カーブをギリギリぶつからずに何とか切り抜ける。


「ふぅ…」


 結構やばかった。が、ツンツンとキリエがまた私をつつく。そして、示される新たな急カーブ。しかもさっきよりもヘアピンカーブに見える。


「エリック、今度は左だ! さっきよりやばいぞ!」


「なんだって?!」


 *****

 

 ザブーン、と水を切る飛行艇。エリックがようやく、ほっとため息をついた。約10時間のフライトであった。

 

「お疲れさま。あとは任せろ!」

 

 人も住んでいない深い渓谷けいこく。ここを流れる冷たい川に飛行艇が着水する。


 私は、機首のハッチを開いて機体の上に乗る。そして、近くの木に向かってアンカーを投げつけてロープを引っ掛ける。そして、機体が流れないように引き付けようとロープを引っ張る。


「むむ…」

 

 踏ん張る私。しかし、カヌレと違ってこの機体は重量約16トン。そんな機体をか弱い私一人で引き寄せられるわけがないだろうに!


 コックピットで笑ってみているエリックに向かって、こっちに来るようにあごで合図する。そそくさと、ハッチからエリックが顔を出す。


「係留するならウィンチがあるのに」


 へらへらしながらエリックが言う。そんな便利な道具があったらしいが、そういう後出し情報は私の機嫌を損なうだけである。


「何言ってるかわかんない、お前も手伝え!」


 強引にエリックを連れ出し、私と二人で一生懸命機体を引っ張るのだった。狭く足場の悪い機首の上で二人。場所がなくてエリックは私の肩を抱くような距離でロープを持った。鼻息が頭に時々当たってくすぐったかった。


「せーのっ!」


 息を合わせ、ロープを引く。16トンもある機体だが、ロープを引っ張るとなんとなく手ごたえがある。おぉ、やっぱり男手は頼もしい。


 と、この時私は視線を感じた。キリエが見ているだけなら別にいい。あいつは口が堅いから。


(呪いでしゃべれないし…)。


 しかし、コクピットのさらに奥からちらりと様子を見ていたのは、コルコアだった。ニヤリ、という怪しい目線に気づいたら急に恥ずかしくなる。


「あ、あのさ…」


「どうした?」


 でも、恥ずかしいとか言ったらさらに負ける気がする。


「やっぱ何でもない」


 この間にも機体が徐々に岸に近づいている。


 そして、ゴリゴリと音がして、ゴンと硬い何かにぶつかって、エリックがつんのめる。


「んが!」


 エリックと私がぶつかってつんのめり。機体から投げ出される。


「あ…」


 こういう時に、エリックはちゃんと手を伸ばして助けてくれる。とっさのことだからその腕につかまった。


 が、もう半身を乗り出した私を支えるにはエリックだけでは不十分。そのまま引き込んでしまう。済まないなエリック。もう、一緒にずぶれになろうじゃないか!


「…」


 とあきらめた時だった。キリエの救援きゅうえんが間に合ったらしい。キリエの小さな体でかろうじてバランスを保つ3人だった。


「ありがとう、キリエ」


 助けてくれたキリエの頭をでるといつものように誇らし気な顔をする。かわいい。それを見てちょっと嫉妬するエリックの反応も面白かった。


「え? お前も撫でてほしいのか?」


「いや、そういうわけじゃないって」


 まんざらでもない様子のエリックだった。


「よし、撫でてやろう!」


 エリックは正座して撫でられるのであった。

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