07 鞭と王子様


「あらあら、アイラさん。何をしているの」


「はい、ドメル閣下への報告から戻りました」


 ドメル将軍としゃべっている時より体に力がこもる。この女にまた何かされるに違いない。そんな恐怖の感情が沸き立つ。


 悪寒は間違いなくこいつが原因だ。空色の制服に、ふわふわしたスカート、それに小さな飾りの帽子。とても戦えるとは思えない恰好の彼女たちこそが本物の帝国聖女ソラシア・アイゼンフローラである。


「せっかく出会ったのですから、紋章もんしょう検査けんさでも致しましょう!」


 そう言って、ソラシアお付きの係二人が私の両腕を抱えて強引に聖女の宿舎に連れ込むのである。


(行きたくない…)


 しかし、歩かねばならない。抵抗するとまた往来のど真ん中で裸にされかねない。だから、致し方なくついていくしかない。


 聖女の宿舎はその辺のアパートを間借りしたものにすぎない。四階まで吹き抜けになったエントランス。


「あら、埃っぽい住処ね。まぁいいわ」


 ソラシアは私に指図さしずする。いつも通りまずは上着を脱げという。護衛ごえいの男二人がいる前で、シャツのボタンも外していく。するりとシャツを肌に滑らせて、私の上半身があらわになる。呪いの紋章は私の背中に描かれているのである。


「さぁ、両手を壁につけてちょうだい」


 言われた通り、私は両腕を壁につく。


「ソラシア様、こちらをどうぞ」


 お付きの男がソラシアに重たいむちを手渡す。ソラシアは二~三回地面に鞭をたたきつけてコントロールを確かめる。そう、これが帝国聖女の実態である。自分たちは前線で戦わず、本来ねぎらわれるべき私たちをいたぶるのがお仕事であった。


「あら、今日もきれいな背中ね」


 そして、次にすることは決まっている。


「こんなにきれいだと戦っていないみたいですわ」


 私はこれからやってくる痛みに耐えるため歯を食いしばる。ソラシアは振りかぶって鞭が空を切る音が聞こえてくる。


 ビターン!


「ぐはっ…」


 たったの一撃でひざをつくほどに強い痛みが走り、体がしびれてしまう。


「あら、情けない。まだ最初なのよ。しっかり立ちなさい」


(くそが…)


 という心の声を口に出したら本当に何されるかわからなかった。ソラシアは構わず二撃目を打ち込もうと振りかぶる。そして、また鞭が空を切る音がする。


 ビターン!


 私はまた歯を食いしばる。だけど、不思議と痛みはなかった。


「ぐはっ…」


 代わりに違う誰かが声を上げる。壁に両手をついたまま振り返ると、さっき別れたはずの王子が悶絶もんぜつしていた。


「あらあら、いきなり間に入っては危険でしてよ」


 そして、悶絶もんぜつしている王子の背中をいたわるソラシア。り寄って傷口をなでるようにいたわった。


 ソラシアが人を労わる姿なんて今まで一度も見たことがない。帝国聖女様は人権のある一等国民にはお優しいのである。一等国民が二等国民を鞭打むちうちしても罪には問われないけれど、一等国民どうしではそうはいかないから。


 しかし、王子はソラシアの手をやんわりと振り払う。


「うちの部下が何か失礼でも致しましたか?」


 振り返った王子の姿を見たソラシアがカチンとフリーズする。さしずめイケメン過ぎて頭の回路がショートしたと見える表情。


「あらあら、えっ? どういうことかしら?」


 ただ、彼女が混乱こんらんするのはよくわかった。なにせ、私もどうしていいのかわからないからである。それに、彼女の脳には一等国民が私たち二等国民をかばうなんて考えは毛頭もうとうない。それも混乱の一因いちいんだろう。


「アイラ」


 王子は落ちていた服を拾い、私の手を引いてその場から逃げ出すのだった。


 *****


 混乱していたが、みんなの待っている小屋に到着するころにはようやく状況が整理できるようになってきた。


「そ、そういえば、目立つことするなって言ったよな?」


 王子は私の指示にそむいたのだ。


「不満か?」


(いや全然…)とは返さなかった。守ってくれるためだから、うれしいのは間違いない。ただ、リスクがある。私たちがフランシス王子をかくまっていたことが発覚すれば、おそらく、私は準一等国民になれないし、それを口実こうじつにソラシアに骨までしゃぶられるだろう。


「その、これはそれとは別件だけどさ」


「ん?」


「ありがとう」


 王子のちょっとドヤッとした顔。これもなつかしいと思った。




 建付けの悪い小屋の戸がキィーと音を立てる。扉の向こうではコルコアが待っていた。


「おかえりなさいませ、アイラ様…。あら、またソラシアじょうですか?」


「手当を頼めるか?」


 コルコアが原因を言い当てられる理由は簡単だった。毎回、犯人はんにんが一緒だからである。


 私たち闇落ち聖女は1万人の歩兵が恐れる戦車なんて怖くなかった。それよりも、性格のくさった帝国聖女様のほうがよっぽど怖いのだ。

  

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