第7話

「え、エリス!!」


 アタナシアは叫んだ。

 ロイの左肩が大量出血し、そのまま轟音をたてて壁にぶつかったからだ。


 あの様子では、試合再開どころか、直ぐに応急処置をしなければ命に係わるだろう。


 おそらく、咄嗟にロイが防御魔術か何かで勢いを殺したのだろう。でなければ、ロイの体は今頃四散していたのは明白だ。それほどまでに、殺傷能力が高い魔術をあの冷静なエリスが試合で行使した。

 

 アタナシアはその事実に、自分の見通しの甘さを痛感する。


 エリスは青ざめた顔で、小言でぶつぶつ何か言っている。


 「…エリス、流石にやり過ぎ(棒読み)」


 感情の起伏に乏しいメアが、棒読みながらも少し嫌悪感を露わにした表情でエリスを見る。

 また、グランはすぐに外に出て応急処置のできる魔術師を呼びに行った。


 「エリス、そこまで貴方は…」


 アタナシアはそう呟いて、真っ青な顔のエリスを見る。そして、試合を急いで中止しようとした瞬間。

 

 「…待てよ、アタナシア。俺はまだ、負けてない」


 立ち上がるのもやっと死に体で、ロイが制止した。


 ………………………………………………………………………………………………

 

 激痛がした。左肩を貫かれるような感覚が突如、襲う。


 既に、呼吸困難に近い状態だったから、避けることは不可能だった。


 だから、発動までのタイムラグが極端に少ない防御魔術を何十にも展開し、勢いを殺したがそれでも威力は十分あったらしく、銀色の氷の矢が左肩を貫いた。


 激痛によって、意識を暫く失い。

 朧気の意識の中、リナリアの心配そうな表情を見えた。


 俺を裏切り裏では嘲笑していた思い出したくもないあいつが、今にも泣きだしてしまいそうな表情を浮かべて『大丈夫?』と気色悪い猫撫で声で言う。


 忘れたくとも忘れられない…あの声も、顔も、笑った時の表情も、悪戯がバレた時の苦笑も、全部、全部…忘れられない。


 ははは、全く。

 自分では、捨てきったと思っていた感情が溢れ出してくる。

 初めから一人だったら、こんなにも辛くはなかったのに。

 知ったが故の不幸せを味わうくらいなら、いっそずっと孤独だった方がマシだった。


全く、思い出すのがあのクソ女とは、俺も女々しいな。


 はっ、情けなさと不甲斐なさで涙が出てきそうだ。


 こんなにも自分が弱いなんて思わなかった。


 どうせ他人だ。自分にとって不都合がないうちは優しくしても、都合が悪くなれば簡単に裏切る。当たり前だ。当たり前の事なのに、お前にだけにはされたくなかった。


 「私は信じているわ。ロイ、貴方の勝つことを」


 ルビーを溶かしたように美しい赤い髪を棚引かせて、アイスブル―の瞳を揺らし、まるで疑いなど初めから知らない様な顔で此方を見る女がいた。

 そこには、無条件の信頼が寄せられていた。

 いや、彼女の本音は分からない。鼓舞するための演技だったのかもしれない。

 だけど、久しぶりだ。

 誰かが『信じている』と言葉をかけてくれたのは…


 その言葉は、俺にとって特別で…力が湧いてくる。


 頭では、彼女に対して“希少性”を感じているだけだと分かっている。しかし、分かっているのに、頬が緩み、不思議と力が湧いて来る。


 そうだ、俺は為さなければならない。

 彼女の無条件の信頼に答えなければならない。

  

“これは、意思ではなく意地の問題だ”


 眩暈がした。体が焼けきれそうなほど痛む。鉛のように重い体に鞭打って立ち上がる。


 「…悪いな、アタナシア。これは、俺の“意地”だ」


 「ロイ、駄目よ。そんな体で…」


 アタナシアを制止して、エリスに視線を向ける。


 「…俺が弱いせいで、迷惑をかけたなエリス。だが、こうして立ち上がった以上、自分にも、お前にも恥じる戦いをするつもりはない」


 「貴方、死ぬわよ」


 エリスは、たじろいだ後、眉間にしわを寄せて此方を睨む。


 「ここで、お前との戦いを避けたら俺にとって大事な何かを失ってしまう気がする。だから、戦う」


 「プライドが、命よりも大事」


 エリスは、また急に不機嫌になり、拳を握りしめる。

 おそらく、彼女には彼女なりの哲学あるのだろうが、此方にも譲れないものがある。


 「曰く、金を失う事は小さく、名誉を失う事は大きい。だが、立ち向かう勇気を失うことは全て失うことだ」


 「愚かね。そんなに死にたいなら殺してあげるわ」


 エリスは、詠唱を始める。


『汝、我が銀の意思に従って、罪深き者を射殺せ 【銀雪の矢 ズィルバーン・シュネー・プファイル】』


 「“魔力を溜めろ”」


 「は?」


 既に銀色の氷の矢は完成しているはずなのに、頭上の矢が放たれない事にエリスは驚き、僅かコンマ数秒だが意識が逸れる。


 「うそ、エリスの魔術が」


 メアが思わず、そう口にし。彼女の言葉に驚きと言う感情が乗る。


 「そ、それまで!!」


 アタナシアが、慌てて止める。


 「おいおい、マジかよあの坊主。とんでもねぇものを見ちまった」


 救護班を呼びに行っていたグランがドアの前で立ち尽くし、冷や汗をかく。


 俺は、エリスの喉元から銃口を下ろし、腰の力が抜けたのでその場で仰向けに倒れた。


 呆然とした様子のエリスは、暫くしてパッと乾いた唇を舐めて開いた音をさせて、俺を見る。


 「貴方、その魔術は一体、何?」

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