第十一幕


 第十一幕



 広壮にして荘厳な造りのホテルハイエロファント・モナコのカジノホールの中央で、始末屋とアイーダ・サッチャーとの最終決戦の幕が切って落とされた。

「死ぬがいい、始末屋!」

「死ぬのは貴様だ、アイーダ・サッチャーよ!」

 そう言って互いに死を宣告し合いながら、始末屋は左右一振りずつの手斧を次々に投擲し、アイーダ・サッチャーは強化外骨格パワードスーツの右腕に内蔵された荷電粒子砲イオンブラスターを乱射する事によって、彼女ら二人はそれぞれが得意とする間合いを測り合う手を止めない。

「ぎゃあっ!」

「ひいっ!」

 すると流れ弾となって彼女ら二人の周囲を縦横無尽に飛び交う手斧と荷電粒子イオンパーティクルが、たまたまその場に居合わせた数多の執行人エグゼキューター達やカジノホールの利用客達に直撃し、彼ら彼女らは口々にそう言って断末魔の叫びを上げながら絶命する。

「マッタク、怒レル女同士ノ醜イ殺シ合イニ巻キ込マレルトハ、我ガ事ナガラ面倒臭イ事態ニ片足ヲ突ッ込ンデシマッタモノダナ」

 結果として徒労に終わってしまったカードゲームのディーラーを務め終え、今は始末屋とアイーダ・サッチャーから若干距離を取ったカジノホールの一角に立つプラズマはそう言って、ガスマスクに覆われた顔に浮かんでいるであろう表情をうかがわせぬまま呆れ返った。ちなみに闇の集団『ザ・シング』の方角へと飛んで来る手斧や荷電粒子イオンパーティクルの流れ弾は、怪しい薄紫色に光り輝きながら宙を漂う彼の全身からの放電によって無効化、もしくは弾き返されている。

「死ね! 死ね! 死ね! 死んでしまえ! あたしの荷電粒子砲イオンブラスターの餌食となって、骨の髄まで焼き尽くされてしまうがいい!」

 超硬合金の光沢も鮮やかな強化外骨格パワードスーツに身を包む、怒りで我を忘れたアイーダ・サッチャーはそう言って眼の前の獲物を挑発しながら、その獲物である始末屋目掛けて荷電粒子砲イオンブラスターを連射した。

「遅い!」

 だがしかし、冷静沈着を旨とする始末屋は決して取り乱す事無くそう言うと、駱駝色のトレンチコートの裾をなびかせながら縦横無尽にカジノホールを駆け回り、次々にこちらへと飛び来たる高温高圧の荷電粒子イオンパーティクルを巧みに回避してみせる。

「ええい、小賢しいぞ、始末屋! さっきからのみか薮蚊か小蠅の様に、ちょこまかと逃げ回ってからに!」

 強化外骨格パワードスーツの下の額や蟀谷こめかみにびきびきと青筋を立てながらそう言って、獲物を捉え切れずに無駄撃ちを繰り返すばかりのアイーダ・サッチャーは、遣る方無い憤懣と如何ともし難い苛立ちを露にせざるを得ない。そしてそんなアイーダ・サッチャーの元へと始末屋が駆け寄らんと欲すれば、こちらへと迫り来る彼女に照準を合わせた荷電粒子砲イオンブラスターが、高温高圧の荷電粒子イオンパーティクルを即座に再圧縮し始める。

「遅いと言ってるんだ!」

 しかしながらそう言った始末屋は荷電粒子イオンパーティクルが再圧縮されるより早くアイーダ・サッチャーの元へと駆け寄ると、こちらに砲口を向ける荷電粒子砲イオンブラスターを手斧の斧腹でもって、それを内蔵する彼女の右腕ごと弾き飛ばしてみせた。弾き飛ばされて見当違いの方角を向いた砲口から射出された高温高圧の荷電粒子イオンパーティクルが、やはり名も無き執行人エグゼキューター達や一般市民達を巻き込みながら、カジノホールの壁面に大穴を穿つ。

「ワンパターンな攻撃を繰り返すばかりの、芸の無い奴め!」

「黙れ! あんたも人の事が言えた義理か!」

 アイーダ・サッチャーの元へと駆け寄って近接戦闘へと転じた始末屋は、そう言って抗弁する彼女の喉元に手を掛けながら、アイーダ・サッチャーをその場に組み伏せた。そして今度は手斧の握りの一番尻の部分、日本刀で言うところの柄尻でもって、彼女の身を包む強化外骨格パワードスーツの胸元を何度も何度も打擲する。

「糞っ! 何をする気だ!」

 そう言って激しく抵抗するアイーダ・サッチャーの罵声には一切耳を貸さぬまま、組み伏せた彼女の腹の上に馬乗りになった始末屋は手斧の柄尻による打擲でもって強化外骨格パワードスーツの胸元に亀裂を走らせると、その亀裂に強引に右手の指先を突っ込んだ。そしてそのまま亀裂を押し広げ、強化外骨格パワードスーツの奥へ奥へと指先を侵入させたかと思えば、やがてアイーダ・サッチャーが胸元に隠し持っていたヴィロ王子のスマートフォンを力任せに奪い取る。

「何をする! 返せ!」

 ヴィロ王子のスマートフォンを奪い取られたアイーダ・サッチャーはそう言うが、はいそうですかと言って、わざわざ奪い取った物をあっさり返却するほど始末屋も馬鹿ではない。

調整人コーディネーター!」

 そしてヴィロ王子のスマートフォンを奪い取った始末屋は、一旦後方へと飛び退いてアイーダ・サッチャーから距離を取ると、そう言って大声を張り上げた。

「はい、こちらに控えております、始末屋様! 我々『大隊ザ・バタリオン』に、何かご用でございましょうか?」

 すると一体いつ如何なる瞬間からそこに居たのか、妙にテンションの高い声色と口調でもってそう言った『大隊ザ・バタリオン』の調整人コーディネーターの男が、一歩前へと進み出る。

「これがプレジデンシャルスイートルームの寝室から持ち去られた、ヴィロ王子のスマートフォンだ! この中に、彼が殺される瞬間の、隠し撮りされた動画ファイルが保存されている! それを今ここで確認し、真犯人の正体を白日の下にさらけ出せ!」

 始末屋はそう言いながら、つい今しがたアイーダ・サッチャーから奪い取ったヴィロ王子のスマートフォンを、調整人コーディネーターの男に投げ渡した。すると投げ渡された調整人コーディネーターの男は手慣れた様子でもってスマートフォンの液晶画面を続けざまにタップし、その内部ストレージに保存されている筈の、件の動画ファイルを探し出す。

「確認いたしました、始末屋様! 確かに始末屋様の仰る通り、隠し撮りされたであろう動画ファイルが、内部ストレージに保存されております!」

「その動画ファイルには、何が映っている?」

「白昼のプレジデンシャルスイートルームの寝室に於きまして、始末屋様の得物である手斧を用いながら、サッチャー様がヴィロ・マルプレネーコ様を殺害する瞬間がはっきりと映っております!」

 そう言った調整人コーディネーターの男の言葉通り、彼が手にしたスマートフォンの液晶画面には、アイーダ・サッチャーがバスローブ姿のヴィロ王子の脳天を真っ二つに叩き割る瞬間がありありと映し出されてしまっていた。その上姑息にも、始末屋の得物である筈の手斧を凶器とする事によって彼女に濡れ衣を着せんとした事実もまた露呈したのだから、かつて『鉄の淑女』と謳われたアイーダ・サッチャーの名も地に落ちたと言う他無い。

「どうだ、調整人コーディネーターよ! これで、あたしが『禁忌破り』ではない事は証明された筈だ! そうだろう?」

 始末屋がそう言って問い掛ければ、問い掛けられた調整人コーディネーターの男はこれに同意する。

「ええ、ええ、確かにその通りでございます! 始末屋様、あなた様が『禁忌破り』の大罪人ではない事が、これで証明されました! よって、あなた様に宣告されました死罪の判決は、現時刻をもって完全に破棄させていただきます!」

 やはり調整人コーディネーターの男が妙にテンションの高い声色と口調でもってそう言って、始末屋に下された判決が破棄された事を宣言すれば、もう彼女に怖いものは無い。

「ちょっと待ちな! さっきから黙って聞いてれば、あんたら二人だけで勝手に話を進めるんじゃないよ、この薄汚い黒んぼの大女と能無し調整人コーディネーターめ! 一度宣告された死罪判決が今更破棄されるだなんて、そんな馬鹿な事があってたまるものか!」

 しかしながらホッと安堵の溜息を漏らす始末屋とは対照的に、カジノホールの床に組み伏せられていたアイーダ・サッチャーは膝を突いて立ち上がりながらそう言って、始末屋と調整人コーディネーターの男との遣り取りに対して疑義を呈した。

「おい、アイーダ・サッチャーよ。そう言う貴様こそ、そんな悠長に構えていられるような身の上か?」

「は? 何だと?」

 始末屋の問い掛けに対してそう言って問い返すアイーダ・サッチャーに、ヴィロ王子のスマートフォンを手にした『大隊ザ・バタリオン』の調整人コーディネーターの男は、声を大にしながら宣告する。

「現時刻をもって始末屋様に宣告されておりました死罪の判決を破棄させていただきますと同時に、誠に遺憾ながら、今度はサッチャー様にお伝えしなければならない事がございます! 我々『大隊ザ・バタリオン』の厳格にして峻峭しゅんしょうなる規則に則れば、依頼人殺しの真犯人である事が証明されてしまいましたあなた様に、無慈悲ながらも『禁忌破り』の罪状による死罪が宣告されました! これよりサッチャー様は、我々『大隊ザ・バタリオン』に所属する全ての執行人エグゼキューター達によって命を狙われ、彼女を抹殺した執行人エグゼキューターは依頼外での同族殺しの罪には問われません!」

 調整人コーディネーターの男がそう言って、死罪を宣告すれば、宣告されたアイーダ・サッチャーは強化外骨格パワードスーツの下の表情を強張らせながら戦慄せざるを得ない。

「ふざけた事を言ってるんじゃないよ、この能無し調整人コーディネーターめ! たとえ『大隊ザ・バタリオン』の調整人コーディネーターであるあんたが何と言おうとも、よりにもよってこのあたしが『禁忌破り』だなんて、そんな事は認めない! 絶対に認めないからな!」

 そう言って声高に抗弁するアイーダ・サッチャーであったが、次の瞬間、とある事実に気付いた彼女は再びの戦慄と共にはっと息を呑んだ。

「!」

 何故ならアイーダ・サッチャーの周囲を一定の距離を保ちながらぐるりと取り囲む、闇の集団『ザ・シング』の四人を筆頭とする数多の執行人エグゼキューター達が、まるで狩人ハンターが獲物に向けるかのような殺意に満ち満ちた眼差しでもって彼女を睨み据えていたからである。

めろ! そんな眼で、あたしを見るな! あたしは『禁忌破り』なんかじゃない!」

 超硬合金製の強化外骨格パワードスーツに身を包むアイーダ・サッチャーは尚もそう言って抗弁し続けるものの、最早その場に居合わせた誰一人として、彼女の言葉に耳を貸す者は居ない。

「コノ期ニ及ンデ、往生際ガ悪イニモ程ガアルゾ、アイーダ・サッチャーヨ。只ノ『禁忌破リ』デアッタダケデナク、同業者デアル筈ノ始末屋ヲ陥レヨウト画策シタソノ罪ヲ、地獄デ償ウンダナ」

 カジノホールの中央でじりじりと獲物との距離を詰めながらそう言って、包囲網を敷く執行人エグゼキューター達の先頭に立つプラズマが、ある種の最後通牒とも解釈出来る言葉をアイーダ・サッチャーに言い渡した。

「黙れ! この裁定者気取りの、まともな人間ですらない化け物どもめ! 闇の集団だか何だか知らないが、それ以上あたしに近付くと言うのなら、全員纏めて消し炭になるがいい!」

 そう言って啖呵を切ったアイーダ・サッチャーは、強化外骨格パワードスーツの右腕に内蔵された荷電粒子砲イオンブラスターの引き金を躊躇無く引き絞り、その砲口を向けられたプラズマを抹殺せんと試みる。

「愚カナリ」

 しかしながら荷電粒子砲イオンブラスターの砲口から射出された高温高圧の荷電粒子イオンパーティクルは、そう言ったプラズマの身を包むデジタル迷彩模様の戦闘服やフルフェイスのガスマスクに接触すると同時に雲散霧消し、怪しい薄紫色に光り輝くその肉体に一切のダメージを与える事が出来ない。

「糞っ! 糞っ! 糞っ! この化け物め!」

 アイーダ・サッチャーは尚もそう言って口汚く悪態を吐きながら、眼前に立ちはだかるプラズマ目掛けて荷電粒子砲イオンブラスターを連射し続けはするものの、幾ら連射したところで電離気体プラズマによってその身を守る彼の前では無為で無意味な無駄撃ちを繰り返すばかりだ。

「無駄ナ事ダ、アイーダ・サッチャーヨ。陽イオント電子ノ申シ子デアルト同時ニ、ソレラヲ自在ニ操ル私ノ前デハ、オ前ノ得物デアル荷電粒子砲イオンブラスターハ無力化サレルダケデ、何ノ意味モ為サナイノダカラナ。ツマリ、オ前ニトッテ、私ハ最悪ノ相性ノ難敵ト言ッテモ過言デハナイ」

 そう言ったプラズマはカジノホールの床からおよそ1mばかり浮き上がった状態で宙を漂いながら、一歩また一歩とアイーダ・サッチャーの元へと歩み寄り、無駄撃ちを繰り返すばかりの彼女との距離を確実に詰め始める。

「来るな! こっちに来るんじゃない! それ以上、こっちに来るなと言ってるのが聞こえないのか!」

 半ば恐慌状態に陥りながらそう言って、荷電粒子砲イオンブラスターを繰り返し無駄撃ちし続けるばかりのアイーダ・サッチャーは、無意味な命令口調でもって喚き散らした。するとそんな彼女の眼前まで差し迫ったプラズマの身体が一際眩い薄紫色に光り輝いたかと思えば、広壮にして荘厳な造りのカジノホールを覆い尽くすかのような勢いでもって放電し、やがて収束したその放電が一筋の電撃となってアイーダ・サッチャーに襲い掛かる。

「ぎゃあっ!」

 電撃に見舞われたアイーダ・サッチャーは激しく燃え立つかのような火花に包まれながら感電し、数万ボルトの高圧電流によってその身を焼かれると同時に苦痛と恐怖に身悶えしつつ、そう言って悲鳴交じりの叫声を上げざるを得なかった。そして周囲一帯に撒き散らかされた火花がやがて燃え尽き、強化外骨格パワードスーツの中枢を為す機関部からもうもうと黒煙が噴き上がったかと思えば、まるで糸が切れた操り人形の様にその場に崩れ落ちる。

「ぐはっ!」

 ぞの場に膝から崩れ落ちたアイーダ・サッチャーがそう言って苦悶の声を上げれば、彼女の身を包む強化外骨格パワードスーツの装甲が見る間に剥離し、ばらばらに砕けてカジノホールの床に散らばった。どうやらプラズマの攻撃によって、機関部に致命的な損傷を負ったであろう強化外骨格パワードスーツは、装着者の身の安全を考慮して自己破壊モードに移行したものと推測される。

「サア、覚悟セヨ、アイーダ・サッチャーヨ。忌マワシキ『禁忌破リ』デアルオ前ハ、今コノ場デ、我々ノ手ニヨッテ抹殺サレネバナラナイ」

 無情ながらも攻防一体の得物であった筈の強化外骨格パワードスーツを失い、黒い革のライダースーツ只一枚を身に纏っただけの状態の生身のアイーダ・サッチャーに、闇の集団『ザ・シング』のリーダーを務めるプラズマがそう言って再びの最後通牒を突き付けた。

「待て、プラズマよ。貴様がとどめを刺す前に、あたしがこの女に聞いておきたい事がある。ほんの少しばかり、あたしに時間をくれ」

 すると始末屋がそう言ってプラズマとアイーダ・サッチャーとの間に割って入れば、この行為に対してプラズマが異議を申し立てなかったがために、彼が彼女の要請を了承したと判断した始末屋は改めてアイーダ・サッチャーに問い掛ける。

「おい、アイーダ・サッチャーよ。貴様、未だ口は利けるか?」

「……何だ、始末屋め。こんな惨めな姿のあたしを、最後に嘲笑っておこうとでも言う魂胆か?」

 カジノホールの床に膝を突いたアイーダ・サッチャーはそう言って、満足に背筋を伸ばす事も出来ぬ満身創痍の姿のまま顔を上げると、頭上の始末屋の両のまなこをキッと睨み据えた。

「まさか。今更になってから貴様を嘲笑うつもりなど、毛の先ほどもありはしない。そんな些末な事よりも、何故貴様があたしに『禁忌破り』の濡れ衣を着せたのか、その動機が知りたいだけの話だ」

 始末屋がそう言って問い掛ければ、彼女に問い掛けられたアイーダ・サッチャーは、くつくつと乾いた笑い声を上げざるを得ない。

「動機? 動機だって? あたしがあんたを恨んでいる事くらい、あんただって理解していた筈だろう?」

「ああ、それは理解している。あたしは貴様の夫であったサルダールを殺害して犬に食わせた、貴様の仇敵だからな。それに勿論、反りが合わない執行人エグゼキューター同士が絶えず小競り合いを繰り広げている事も、重々承知の上だ。しかしながらわざわざ依頼人であるヴィロ王子を殺害し、一歩間違えば自分自身が疑われかねない状況下であたしを『禁忌破り』に仕立て上げた事ばかりは、甚だ理解に苦しむと言わざるを得ない。何故なら貴様も知っての通り、依頼外での同族殺しは『大隊ザ・バタリオン』の規則に反する、禁忌タブーの一つなのだからな」

「確かにあんたの言う通り、殺されたのが可愛いサルダール唯一人きりだったとしたならば、あたしだってわざわざ自分から虎の尾を踏みに行くような危険な真似はしなかっただろうさ」

「?」

 アイーダ・サッチャーの発言の真意を即座に理解する事が出来なかった始末屋は、頭の上に見えない疑問符を浮かべながら小首を傾げた。するとそんな始末屋に、満身創痍のアイーダ・サッチャーは問い掛ける。

「たとえその行為が如何なる結果に終わったとしても、執行人エグゼキューター同士の殺し合いは、決して遺恨を残さないと言うのが『大隊ザ・バタリオン』の暗黙の不文律だ。だがしかし、一介の無辜むこの民に過ぎなかった筈のあたしの娘は、その限りではない。違うか?」

「娘? 貴様、娘が居たのか?」

 問い掛けられた始末屋がそう言って問い返せば、アイーダ・サッチャーはプラズマの攻撃によって重度の熱傷を負ったその顔に、怒りと憎しみ、それに僅かばかりの自嘲と諦念が入り混じったかのような複雑な表情を浮かべざるを得ない。

「始末屋よ、アルファジリ共和国の大統領府であんたがサルダールを亡き者にしたあの日あの時、あたしが彼とあたしの初めての子を身籠っていた事は、あんたも知っていた筈だろう?」

「ああ、知っていたとも。あの時サルダールの奴は、我が子の顔をこの眼で拝むまで殺さないでくれと言って、べらべらと命乞いの言葉を並べ立てていたからな。まったく、執行人エグゼキューターの風上にも置けないような醜態と生き恥を晒すばかりの、女々しい軟弱者だと呆れ返った事を覚えている」

 そう言った始末屋は、一拍の間を置いてから改めて問い掛ける。

「そうか、成程。つまり、あの時貴様が身籠っていた貴様ら二人の子供は、女の子だったと言う訳か。それで、その娘とやらは、息災か?」

 始末屋がそう言って問い掛ければ、やはり満身創痍のアイーダ・サッチャーは様々な感情が入り混じったかのような複雑な表情と共に、皮肉の一つでも言いたげな冷笑をその顔に浮かべざるを得ない。

「息災か、だと? 息災も何も、娘は真っ当な赤ん坊の姿でもってこの世に生まれ落ちる前に、未だこんな小さな胎児の内に死に果ててしまったよ! 愛する夫であるサルダールをあんたに殺されたショックで、あたしが流産してしまった結果としてね! つまり、あんたが娘を殺したも同然なのさ! 理解したか、この薄汚い黒んぼの大女め!」

「……」

 涙ながらに娘の死の真相を吐露したアイーダ・サッチャーの姿に、冷静沈着を旨とする彼女にしては珍しく、始末屋は口を噤んで言葉を失った。如何に百戦錬磨の女丈夫として知られる彼女でも、ある種の詭弁とは言え子殺しの汚名を着せられてしまっては、心穏やかではいられないに違いない。

「どうだい、始末屋? 幼い子供を殺し、夫と共に温かな家庭を築くと言うささやかな夢と幸せを、あたしから奪った気分は?」

「酷い逆恨みの言い掛かりと言う他無いな、アイーダ・サッチャーよ。あたしが直接貴様ら二人の娘を殺した訳でもないし、そもそもそんな人並みの幸せなんぞと言うものは、執行人エグゼキューターに身をやつした瞬間から望むべくも無い筈だ。身の程を知れ」

 無情にも始末屋がそう言って断ずれば、アイーダ・サッチャーは彼女の足元に膝を突いたまま、そんな始末屋の両のまなこを再びキッと睨み据えた。

「理由ハドウアレ、依頼人殺シハ、最大級ノ禁忌タブーノ一ツダ。決シテ許サレルモノデハナイ」

 すると始末屋を睨み据えるアイーダ・サッチャーの様子には眼も呉れぬまま、彼女ら二人の遣り取りを傍観していたプラズマがそう言って、始末屋の肩をぽんと叩きながら要請する。

「サア、始末屋ヨ。オ前トコノ女トノ因縁ガ明ラカニナッタカラニハ、最後ハオ前ガ、コノ女ニトドメヲ刺スガイイ」

 闇の集団『ザ・シング』のリーダーを務めるプラズマがそう言って、満身創痍のアイーダ・サッチャーにとどめを刺すよう要請すれば、要請された始末屋は彼女の身を包む駱駝色のトレンチコートの懐から左右一振りずつの手斧を引き抜いた。そしてアーカンサス砥石でもって丹念に研ぎ上げられた手斧の鋭利な切っ先を、足元にひざまずくアイーダ・サッチャーの無防備な首筋にそっとあてがってから、改めて彼女に問い掛ける。

「覚悟は出来ているんだろうな、アイーダ・サッチャーよ。貴様が依頼人であるヴィロ王子を殺害した『禁忌破り』の大罪人である以上、理由や動機の如何に関わらず、死から逃れる術は無い」

「何だい始末屋、最後はあんたが直々にとどめを刺してくれるのかい? 確かにあんたの手斧でもってとどめを刺されれば、その手斧の刃の前に儚く露と消えたあたしの可愛いサルダールや娘のヒルダと、天国で再会出来るかもしれないからね」

「馬鹿を言え。たとえ非業の死を遂げようと、あたしらの様な裏稼業のならず者である執行人エグゼキューターが、天国などと言う上等な場所へ行ける筈も無かろう。けがれを知らぬ無辜むこの民であった貴様の娘はいざ知らず、貴様やサルダールやあたしは、死ねば地獄に堕ちるに決まっている」

「……ああ、そうだな。違いない」

 ひざまずいたアイーダ・サッチャーが最後にそう言って、あの世で待ち受ける愛する夫と娘の姿を夢想しているかのような遠い眼をすれば、始末屋は一旦振り被った手斧を無言のまま振り下ろした。するといとも容易たやすね飛ばされた彼女の素っ首が、まるで放課後の校庭に忘れ去られたバスケットボールの様に、カジノホールの床の上をころころと転がる。

「さすがは始末屋様、見事な斧捌おのさばきでございます! これで死罪が宣告されておりましたサッチャー様は『禁忌破り』に相応しい刑に処せられ、我々『大隊ザ・バタリオン』の調整人コーディネーター一同、ご協力いただきました執行人エグゼキューターの皆様への感謝の念にえません! 厚く御礼申し上げます! 誠にありがとうございました!」

 すると一歩前へと進み出た調整人コーディネーターの男がこれ見よがしな拍手と共にそう言って、アイーダ・サッチャーにとどめを刺した始末屋を手放しで褒め称えると同時に、その場に居合わせた数多の執行人エグゼキューター達に向けて深々と頭を下げながら感謝の言葉を並べ立てた。

「……」

 しかしながら始末屋は駱駝色のトレンチコートの懐に手斧を仕舞い直すと、無言でくるりと踵を返し、そのままカジノホールから退出するための直通エレベーターの方角へと足を向ける。

「ドウシタノダ、始末屋ヨ? オ前ニ着セラレタ濡レ衣ガ晴ラサレ、依頼人殺シノ真犯人デアッタアイーダ・サッチャーヲ抹殺シタト言ウノニ、喜バナイノカ?」

 怪しい薄紫色に光り輝きながらそう言って、闇の集団『ザ・シング』のリーダーを務めるプラズマは始末屋の背中に問い掛けるが、問い掛けられた彼女はこちらに背を向けたまま振り向きもしない。

「生憎だが、今のあたしはそんな浮き足立った気分でもなければ、貴様らと一緒になって『禁忌破り』の死を喜んでいるほど暇でもない。それに射幸心に踊らされてギャンブルにうつつを抜かすような輩は好きになれんので、こんな騒々しい場所からは、早々に立ち去らせてもらう」

 やはりこちらに背を向けたままぶっきらぼうな口調でもってそう言った始末屋は、やがて到着した直通エレベーターの籠に乗り込むと、カジノホールが在る地下からフロント係のホテルマンが待つ地上へと姿を消した。

「ドウヤラ百戦錬磨ノ女丈夫トシテ知ラレル始末屋モ、所詮ハ人ノ子、一人ノ人間ニ過ギナカッタト言ウ訳カ」

 始末屋の背中を見送り終えると同時にそう言ったプラズマの言葉が、煙草の煙と酒の匂いが充満するカジノホールの澱んだ空気に、まるでコップの水に垂らした一滴のインクの雫の様に溶けて行く。

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