第十一幕
第十一幕
広壮にして荘厳な造りのホテルハイエロファント・モナコのカジノホールの中央で、始末屋とアイーダ・サッチャーとの最終決戦の幕が切って落とされた。
「死ぬがいい、始末屋!」
「死ぬのは貴様だ、アイーダ・サッチャーよ!」
そう言って互いに死を宣告し合いながら、始末屋は左右一振りずつの手斧を次々に投擲し、アイーダ・サッチャーは
「ぎゃあっ!」
「ひいっ!」
すると流れ弾となって彼女ら二人の周囲を縦横無尽に飛び交う手斧と
「マッタク、怒レル女同士ノ醜イ殺シ合イニ巻キ込マレルトハ、我ガ事ナガラ面倒臭イ事態ニ片足ヲ突ッ込ンデシマッタモノダナ」
結果として徒労に終わってしまったカードゲームのディーラーを務め終え、今は始末屋とアイーダ・サッチャーから若干距離を取ったカジノホールの一角に立つプラズマはそう言って、ガスマスクに覆われた顔に浮かんでいるであろう表情を
「死ね! 死ね! 死ね! 死んでしまえ! あたしの
超硬合金の光沢も鮮やかな
「遅い!」
だがしかし、冷静沈着を旨とする始末屋は決して取り乱す事無くそう言うと、駱駝色のトレンチコートの裾を
「ええい、小賢しいぞ、始末屋! さっきから
「遅いと言ってるんだ!」
しかしながらそう言った始末屋は
「ワンパターンな攻撃を繰り返すばかりの、芸の無い奴め!」
「黙れ! あんたも人の事が言えた義理か!」
アイーダ・サッチャーの元へと駆け寄って近接戦闘へと転じた始末屋は、そう言って抗弁する彼女の喉元に手を掛けながら、アイーダ・サッチャーをその場に組み伏せた。そして今度は手斧の握りの一番尻の部分、日本刀で言うところの柄尻でもって、彼女の身を包む
「糞っ! 何をする気だ!」
そう言って激しく抵抗するアイーダ・サッチャーの罵声には一切耳を貸さぬまま、組み伏せた彼女の腹の上に馬乗りになった始末屋は手斧の柄尻による打擲でもって
「何をする! 返せ!」
ヴィロ王子のスマートフォンを奪い取られたアイーダ・サッチャーはそう言うが、はいそうですかと言って、わざわざ奪い取った物をあっさり返却するほど始末屋も馬鹿ではない。
「
そしてヴィロ王子のスマートフォンを奪い取った始末屋は、一旦後方へと飛び退いてアイーダ・サッチャーから距離を取ると、そう言って大声を張り上げた。
「はい、こちらに控えております、始末屋様! 我々『
すると一体いつ如何なる瞬間からそこに居たのか、妙にテンションの高い声色と口調でもってそう言った『
「これがプレジデンシャルスイートルームの寝室から持ち去られた、ヴィロ王子のスマートフォンだ! この中に、彼が殺される瞬間の、隠し撮りされた動画ファイルが保存されている! それを今ここで確認し、真犯人の正体を白日の下に
始末屋はそう言いながら、つい今しがたアイーダ・サッチャーから奪い取ったヴィロ王子のスマートフォンを、
「確認いたしました、始末屋様! 確かに始末屋様の仰る通り、隠し撮りされたであろう動画ファイルが、内部ストレージに保存されております!」
「その動画ファイルには、何が映っている?」
「白昼のプレジデンシャルスイートルームの寝室に於きまして、始末屋様の得物である手斧を用いながら、サッチャー様がヴィロ・マルプレネーコ様を殺害する瞬間がはっきりと映っております!」
そう言った
「どうだ、
始末屋がそう言って問い掛ければ、問い掛けられた
「ええ、ええ、確かにその通りでございます! 始末屋様、あなた様が『禁忌破り』の大罪人ではない事が、これで証明されました! よって、あなた様に宣告されました死罪の判決は、現時刻をもって完全に破棄させていただきます!」
やはり
「ちょっと待ちな! さっきから黙って聞いてれば、あんたら二人だけで勝手に話を進めるんじゃないよ、この薄汚い黒んぼの大女と能無し
しかしながらホッと安堵の溜息を漏らす始末屋とは対照的に、カジノホールの床に組み伏せられていたアイーダ・サッチャーは膝を突いて立ち上がりながらそう言って、始末屋と
「おい、アイーダ・サッチャーよ。そう言う貴様こそ、そんな悠長に構えていられるような身の上か?」
「は? 何だと?」
始末屋の問い掛けに対してそう言って問い返すアイーダ・サッチャーに、ヴィロ王子のスマートフォンを手にした『
「現時刻をもって始末屋様に宣告されておりました死罪の判決を破棄させていただきますと同時に、誠に遺憾ながら、今度はサッチャー様にお伝えしなければならない事がございます! 我々『
「ふざけた事を言ってるんじゃないよ、この能無し
そう言って声高に抗弁するアイーダ・サッチャーであったが、次の瞬間、とある事実に気付いた彼女は再びの戦慄と共にはっと息を呑んだ。
「!」
何故ならアイーダ・サッチャーの周囲を一定の距離を保ちながらぐるりと取り囲む、闇の集団『ザ・シング』の四人を筆頭とする数多の
「
超硬合金製の
「コノ期ニ及ンデ、往生際ガ悪イニモ程ガアルゾ、アイーダ・サッチャーヨ。只ノ『禁忌破リ』デアッタダケデナク、同業者デアル筈ノ始末屋ヲ陥レヨウト画策シタソノ罪ヲ、地獄デ償ウンダナ」
カジノホールの中央でじりじりと獲物との距離を詰めながらそう言って、包囲網を敷く
「黙れ! この裁定者気取りの、まともな人間ですらない化け物どもめ! 闇の集団だか何だか知らないが、それ以上あたしに近付くと言うのなら、全員纏めて消し炭になるがいい!」
そう言って啖呵を切ったアイーダ・サッチャーは、
「愚カナリ」
しかしながら
「糞っ! 糞っ! 糞っ! この化け物め!」
アイーダ・サッチャーは尚もそう言って口汚く悪態を吐きながら、眼前に立ちはだかるプラズマ目掛けて
「無駄ナ事ダ、アイーダ・サッチャーヨ。陽イオント電子ノ申シ子デアルト同時ニ、ソレラヲ自在ニ操ル私ノ前デハ、オ前ノ得物デアル
そう言ったプラズマはカジノホールの床からおよそ1mばかり浮き上がった状態で宙を漂いながら、一歩また一歩とアイーダ・サッチャーの元へと歩み寄り、無駄撃ちを繰り返すばかりの彼女との距離を確実に詰め始める。
「来るな! こっちに来るんじゃない! それ以上、こっちに来るなと言ってるのが聞こえないのか!」
半ば恐慌状態に陥りながらそう言って、
「ぎゃあっ!」
電撃に見舞われたアイーダ・サッチャーは激しく燃え立つかのような火花に包まれながら感電し、数万ボルトの高圧電流によってその身を焼かれると同時に苦痛と恐怖に身悶えしつつ、そう言って悲鳴交じりの叫声を上げざるを得なかった。そして周囲一帯に撒き散らかされた火花がやがて燃え尽き、
「ぐはっ!」
ぞの場に膝から崩れ落ちたアイーダ・サッチャーがそう言って苦悶の声を上げれば、彼女の身を包む
「サア、覚悟セヨ、アイーダ・サッチャーヨ。忌マワシキ『禁忌破リ』デアルオ前ハ、今コノ場デ、我々ノ手ニヨッテ抹殺サレネバナラナイ」
無情ながらも攻防一体の得物であった筈の
「待て、プラズマよ。貴様が
すると始末屋がそう言ってプラズマとアイーダ・サッチャーとの間に割って入れば、この行為に対してプラズマが異議を申し立てなかったがために、彼が彼女の要請を了承したと判断した始末屋は改めてアイーダ・サッチャーに問い掛ける。
「おい、アイーダ・サッチャーよ。貴様、未だ口は利けるか?」
「……何だ、始末屋め。こんな惨めな姿のあたしを、最後に嘲笑っておこうとでも言う魂胆か?」
カジノホールの床に膝を突いたアイーダ・サッチャーはそう言って、満足に背筋を伸ばす事も出来ぬ満身創痍の姿のまま顔を上げると、頭上の始末屋の両の
「まさか。今更になってから貴様を嘲笑うつもりなど、毛の先ほどもありはしない。そんな些末な事よりも、何故貴様があたしに『禁忌破り』の濡れ衣を着せたのか、その動機が知りたいだけの話だ」
始末屋がそう言って問い掛ければ、彼女に問い掛けられたアイーダ・サッチャーは、くつくつと乾いた笑い声を上げざるを得ない。
「動機? 動機だって? あたしがあんたを恨んでいる事くらい、あんただって理解していた筈だろう?」
「ああ、それは理解している。あたしは貴様の夫であったサルダールを殺害して犬に食わせた、貴様の仇敵だからな。それに勿論、反りが合わない
「確かにあんたの言う通り、殺されたのが可愛いサルダール唯一人きりだったとしたならば、あたしだってわざわざ自分から虎の尾を踏みに行くような危険な真似はしなかっただろうさ」
「?」
アイーダ・サッチャーの発言の真意を即座に理解する事が出来なかった始末屋は、頭の上に見えない疑問符を浮かべながら小首を傾げた。するとそんな始末屋に、満身創痍のアイーダ・サッチャーは問い掛ける。
「たとえその行為が如何なる結果に終わったとしても、
「娘? 貴様、娘が居たのか?」
問い掛けられた始末屋がそう言って問い返せば、アイーダ・サッチャーはプラズマの攻撃によって重度の熱傷を負ったその顔に、怒りと憎しみ、それに僅かばかりの自嘲と諦念が入り混じったかのような複雑な表情を浮かべざるを得ない。
「始末屋よ、アルファジリ共和国の大統領府であんたがサルダールを亡き者にしたあの日あの時、あたしが彼とあたしの初めての子を身籠っていた事は、あんたも知っていた筈だろう?」
「ああ、知っていたとも。あの時サルダールの奴は、我が子の顔をこの眼で拝むまで殺さないでくれと言って、べらべらと命乞いの言葉を並べ立てていたからな。まったく、
そう言った始末屋は、一拍の間を置いてから改めて問い掛ける。
「そうか、成程。つまり、あの時貴様が身籠っていた貴様ら二人の子供は、女の子だったと言う訳か。それで、その娘とやらは、息災か?」
始末屋がそう言って問い掛ければ、やはり満身創痍のアイーダ・サッチャーは様々な感情が入り混じったかのような複雑な表情と共に、皮肉の一つでも言いたげな冷笑をその顔に浮かべざるを得ない。
「息災か、だと? 息災も何も、娘は真っ当な赤ん坊の姿でもってこの世に生まれ落ちる前に、未だこんな小さな胎児の内に死に果ててしまったよ! 愛する夫であるサルダールをあんたに殺されたショックで、あたしが流産してしまった結果としてね! つまり、あんたが娘を殺したも同然なのさ! 理解したか、この薄汚い黒んぼの大女め!」
「……」
涙ながらに娘の死の真相を吐露したアイーダ・サッチャーの姿に、冷静沈着を旨とする彼女にしては珍しく、始末屋は口を噤んで言葉を失った。如何に百戦錬磨の女丈夫として知られる彼女でも、ある種の詭弁とは言え子殺しの汚名を着せられてしまっては、心穏やかではいられないに違いない。
「どうだい、始末屋? 幼い子供を殺し、夫と共に温かな家庭を築くと言うささやかな夢と幸せを、あたしから奪った気分は?」
「酷い逆恨みの言い掛かりと言う他無いな、アイーダ・サッチャーよ。あたしが直接貴様ら二人の娘を殺した訳でもないし、そもそもそんな人並みの幸せなんぞと言うものは、
無情にも始末屋がそう言って断ずれば、アイーダ・サッチャーは彼女の足元に膝を突いたまま、そんな始末屋の両の
「理由ハドウアレ、依頼人殺シハ、最大級ノ
すると始末屋を睨み据えるアイーダ・サッチャーの様子には眼も呉れぬまま、彼女ら二人の遣り取りを傍観していたプラズマがそう言って、始末屋の肩をぽんと叩きながら要請する。
「サア、始末屋ヨ。オ前トコノ女トノ因縁ガ明ラカニナッタカラニハ、最後ハオ前ガ、コノ女ニ
闇の集団『ザ・シング』のリーダーを務めるプラズマがそう言って、満身創痍のアイーダ・サッチャーに
「覚悟は出来ているんだろうな、アイーダ・サッチャーよ。貴様が依頼人であるヴィロ王子を殺害した『禁忌破り』の大罪人である以上、理由や動機の如何に関わらず、死から逃れる術は無い」
「何だい始末屋、最後はあんたが直々に
「馬鹿を言え。たとえ非業の死を遂げようと、あたしらの様な裏稼業のならず者である
「……ああ、そうだな。違いない」
「さすがは始末屋様、見事な
すると一歩前へと進み出た
「……」
しかしながら始末屋は駱駝色のトレンチコートの懐に手斧を仕舞い直すと、無言でくるりと踵を返し、そのままカジノホールから退出するための直通エレベーターの方角へと足を向ける。
「ドウシタノダ、始末屋ヨ? オ前ニ着セラレタ濡レ衣ガ晴ラサレ、依頼人殺シノ真犯人デアッタアイーダ・サッチャーヲ抹殺シタト言ウノニ、喜バナイノカ?」
怪しい薄紫色に光り輝きながらそう言って、闇の集団『ザ・シング』のリーダーを務めるプラズマは始末屋の背中に問い掛けるが、問い掛けられた彼女はこちらに背を向けたまま振り向きもしない。
「生憎だが、今のあたしはそんな浮き足立った気分でもなければ、貴様らと一緒になって『禁忌破り』の死を喜んでいるほど暇でもない。それに射幸心に踊らされてギャンブルに
やはりこちらに背を向けたままぶっきらぼうな口調でもってそう言った始末屋は、やがて到着した直通エレベーターの籠に乗り込むと、カジノホールが在る地下からフロント係のホテルマンが待つ地上へと姿を消した。
「ドウヤラ百戦錬磨ノ女丈夫トシテ知ラレル始末屋モ、所詮ハ人ノ子、一人ノ人間ニ過ギナカッタト言ウ訳カ」
始末屋の背中を見送り終えると同時にそう言ったプラズマの言葉が、煙草の煙と酒の匂いが充満するカジノホールの澱んだ空気に、まるでコップの水に垂らした一滴のインクの雫の様に溶けて行く。
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