第十幕


 第十幕



 彼女の予想通り午後2時ちょうど、つまり一日の内で最も気温が上昇する頃になってから、遂に始末屋はモナコ公国の市街地の中心部に建つホテルハイエロファント・モナコへと到着した。

「着いたぞ」

 ホテルの正面玄関前で大型アメリカンバイクを停めた始末屋がサイドスタンドを立てながらそう言って、エンジンを切ると同時に背後を振り返れば、彼女の背中を追っていた闇の集団『ザ・シング』の四人もまた足を止める。

「サア、始末屋ヨ。アイーダ・サッチャーノ手ニヨッテ、オ前ガ濡レ衣ヲ着セラレタト言ウノナラ、ソノ主張ヲ証明シテミセルガイイ」

「ああ、そうだな。敢えて貴様に言われるまでもなく、あたしの無実を証明してみせるとも」

 闇の集団『ザ・シング』のリーダーを務めるプラズマの督促に対してそう言って応じた始末屋は、またがっていた大型アメリカンバイクの車上からインターロッキングブロックでもって舗装された路面へと降り立つと、迷う事無くホテルハイエロファント・モナコの敷地内へと足を踏み入れた。するとドアマンの手によって開けられた正面玄関の扉を潜り抜け、広壮にして荘厳な造りのロビーに姿を現した彼女を、フロント係のホテルマンがうやうやしく頭を下げながら出迎える。

「お帰りなさいませ、マダム。昨夜はご不在のご様子でしたので、当ホテルのスタッフ一同、マダムの身を案じておりました」

「ああ、図らずも諸般の事情により、昨夜はパリ郊外の某所で夜を明かした。心配を掛けたな」

「いえいえ、そんな、滅相もございません。マダムの身の安全が確保された事こそ、我々にとって、何よりの朗報でございます」

 そう言って謙遜しつつも社交辞令の言葉を忘れないフロント係のホテルマンの整った顔からは、如何にもその道のプロフェッショナルらしく、決して嫌味にならない程度に朗らかな笑みが絶えはしない。

「ところで、マダム? このような不躾な事をお聞きして、もし仮にご気分を害されましたら申し訳ありませんが、そちらの方々はマダムのお連れ様でございますか?」

 フロント係のホテルマンは、ややもすれば申し訳無さげな表情と口調でもってそう言って、始末屋に続いてホテルハイエロファント・モナコのロビーに足を踏み入れた『ザ・シング』の四人を指し示しながら問い掛けた。

「ああ、そうだ。若干不本意ではあるものの、確かにこいつら四人は、あたしの連れに相違無い」

 始末屋がそう言えば、フロント係のホテルマンは、再びうやうやしく頭を下げながら釈明する。

「左様でございますか、それを聞いて、ホッと一安心致しました。最近は何かと物騒なものですから、当ホテルに足を運ばれる方々の身元の確認を厳格にしております故、ご理解の程をよろしくお願い致したく存じます。それから、マダム? 他のお連れの方々も、昨夜からずっとマダムのお帰りを首を長くしてお待ちでございますので、どうぞごゆっくりとご歓談ください」

「他のお連れの方々だと?」

 遅蒔きながら、彼女の背中に注がれている熱く鋭い視線の数々をようやく察知した始末屋は、そう言ってはっと息を呑みつつもぐるりと周囲を見渡した。すると広壮にして荘厳な造りのロビーのそこかしこに、明らかに堅気ではない裏稼業のならず者特有のオーラを纏った幾人幾グループもの胡乱な人影、つまり彼女の首級を挙げんとする執行人エグゼキューター達の姿が見て取れる。

「……」

 彼女が再びモナコ公国まで舞い戻って来る事を予測し、この地で手薬練てぐすねを引きながら待ち構えていた執行人エグゼキューター達に取り囲まれてしまった始末屋は、無言のまま駱駝色のトレンチコートの懐にそっと両手を差し入れた。そして彼女が左右一振りずつの手斧をゆっくりと引き抜くその間にも、ホテルハイエロファント・モナコのロビーに居並ぶ数多の執行人エグゼキューター達は互いに牽制し合いつつも決して焦らず、始末屋の首級を挙げるべき好機チャンスの到来を虎視眈々とうかがって止まない。

「……始末屋だ……奴こそが『禁忌破り』の大罪人だ……」

「……奴を殺せば……トップランカーの仲間入りも夢じゃないぞ……」

「……誰がる……」

「……俺か……お前か……」

「……それとも……全員で一斉に……やるか……」

 始末屋を取り囲んだ一癖も二癖もあるような執行人エグゼキューター達は口々にそう言って、彼ら彼女らの必殺の得物を手に手に、彼女に襲い掛かるタイミングを慎重かつ大胆に見計らう。さすがにこれだけの数の執行人エグゼキューター達からの包囲攻撃に晒されてしまっては、如何に百戦錬磨の女丈夫として知られる始末屋と言えども、只では済まない事は火を見るよりも明らかであると言わざるを得ない。

「全員、ソノ場ヲ動クナ! 始末屋ヲ亡キ者ニセントスル、オ前ラノ謀議謀略モ、ソコマデダ!」

 すると次の瞬間、彼女をぐるりと取り囲む執行人エグゼキューター達が一斉に始末屋に襲い掛からんとした、まさにその刹那。まるで合成音声の様に抑揚の無い平坦かつ機械的な声をロビーの壁や天井に反響させながらそう言って、デジタル迷彩模様の戦闘服とフルフェイスのガスマスクでもって全身を隙間無く包み込んだ人影が、彼ら彼女らに自制を促した。勿論今更言うまでもない事ではあるものの、その声の主である人影こそプラズマ、つまり始末屋と共にロビーに足を踏み入れた闇の集団『ザ・シング』のリーダーに他ならない。

「おいおいおい、プラズマの旦那さんよ? 言うに事欠いて俺達全員にその場を動くなとは、あんた、一体何様のつもりだい?」

 自制を促された数多の執行人エグゼキューター達の内の一人であると同時に、自らを『彷徨さまよえるオランダ人』と称してはばからないオラニエ公ウィレム十三世サーティーンスがそう言って食って掛かれば、やはりプラズマは抑揚の無い平坦かつ機械的な声でもって宣言する。

「果タシテココニ居ル始末屋ガ、名実共ニ『禁忌破リ』カ否カガ証明サレルマデ、彼女ノ命運ハ我々『ザ・シング』ガ預カッタ! コノ決定に異ヲ唱エルベキ者ハ、今スグコノ場デ、一歩前ニ進ミ出ヨ! 我々ガ直々ニ、ソノ身ヲモッテ、我々ノ決定ノ正シサヲ教エテクレル!」

 全身を薄紫色に光り輝かせるプラズマが放電を止めぬまま、床からおよそ1mばかり浮き上がった状態で宙を漂いながらそう言えば、ホテルハイエロファント・モナコのロビーに居並ぶ執行人エグゼキューター達はその場で二の足を踏まざるを得ない。何故なら『大隊ザ・バタリオン』に所属する全ての執行人エグゼキューター達の中でも最強クラスの一角を担う『ザ・シング』の四人と、わざわざ冒さなくてもいい危険を冒してまで刃を交えようなどと言う奇特な者が、そうそう滅多矢鱈に存在する筈も無いからである。

「ドウヤラ、全員、納得シタヨウダナ。ソウダロウ?」

 そう言って念を押すプラズマにじろじろとめ回されてしまっては、ロビーに居並ぶ血気盛んな執行人エグゼキューター達もまた、各々の必殺の得物を握る手を下ろさざるを得なかった。そして彼ら彼女らを一通り威圧し終えると、そんなプラズマに、始末屋は駱駝色のトレンチコートの懐に手斧を仕舞い直しながら礼を述べる。

「助かったぞ、プラズマ。感謝する」

「勘違イスルナヨ、始末屋ヨ。我々ハ、オ前ガ無実ヲ証明スルマデノ一時ダケ延命シ、時間稼ギニ協力シテヤッタマデノ事ダ」

 礼を述べる始末屋に向けてそう言ったプラズマの頭部は、やはりデジタル迷彩模様の戦闘服とフルフェイスのガスマスクでもってすっぽりと覆われてしまっているため、果たして彼が始末屋の敵なのか味方なのかをその表情からうかがい知る事は出来ない。そして手斧を仕舞い直し終えた彼女は気を取り直し、フロント係のホテルマンに改めて問い掛ける。

「おい、貴様、アイーダ・サッチャーは今どこに居るか、分かるか?」

「サッチャー様でございましたら、この時間は、地下のカジノホールでゲームを楽しんでおられる筈でございます」

「そうか」

 フロント係のホテルマンの返答に満足した始末屋はそう言って、くるりと踵を返したかと思えば、地下へと降りるエレベーターの方角へと足を向けた。すると彼女の背後に、闇の集団『ザ・シング』の四人、それにロビーに居並んでいた数多の執行人エグゼキューター達もまた事の成り行きを見届けるべくぞろぞろと付き従う。

「おい、先に乗った奴、もっと奥まで詰めろ! 後ろがつかえてんだ!」

「狭いんだから、無理言うな!」

 やがて到着した直通エレベーターの狭く小さな籠の中に、そう言って口々に不平不満を漏らし合いながらも、始末屋を先頭とした全ての執行人エグゼキューター達はどうにかこうにか乗り込んだ。一癖も二癖もある裏稼業のならず者達が、雁首揃えて狭小空間に押し込められている姿は異様極まりなく、まるで見世物小屋か何かの様な不気味な光景と言わざるを得ない。そしてぎゅうぎゅうの鮨詰め状態のまま下降を続けた籠が地下一階で停止すると、遂に彼女らは、ホテルハイエロファント・モナコが誇る高級カジノホールへと足を踏み入れる。

「ここか」

 ホールに足を踏み入れた始末屋がそう言いながらぐるりと周囲を見渡せば、ロビーと同等、もしくはそれ以上に広壮にして荘厳な造りのホテルハイエロファント・モナコのカジノホールはまさに盛況そのものであった。ホテルに宿泊する観光客はもとより、モナコ公国内に住居を構える地元民や日帰りの旅行者達がポーカーやブラックジャックやスロットマシン、それにルーレットやバカラなどと言った定番のゲームに興じる姿が見て取れる。

「どうも昔から、カジノは好かんな。煙草の煙と酒の匂いで空気は悪いしやかましいし、そもそも射幸心に踊らされてギャンブルにうつつを抜かすような輩は、好きになれん」

 カジノホールを覆い尽くす煙草や葉巻の紫煙と欲に眼が眩んだ人々の喧騒、それに現金代わりに飛び交う煌びやかなチップの山を一瞥しながら、始末屋はそう言って眉をひそめた。

「サア、始末屋ヨ。オ前ノ無実ヲ証明シテミセロ」

「そんなに急かすな、プラズマよ。まずはこのカジノホールにどこかに居る筈の、あたしに『禁忌破り』の濡れ衣を着せた張本人であるアイーダ・サッチャーを探し出すのが先決だ」

 そう言った始末屋は闇の集団『ザ・シング』を筆頭とする執行人エグゼキューター達をぞろぞろと背後に従えたまま、フロアを埋め尽くす人混みを掻き分けながら、カジノホールの奥へ奥へと進入し続ける足を止めない。そして一般の客達の好奇の眼差しを無視しつつもホールの中央のテーブルまで差し掛かったところで、そのテーブルでカードゲームに興じるアイーダ・サッチャーの姿を見咎めれば、彼女ら二人の視線が真正面から交錯する。

「あら? 随分と場違いな格好の馬鹿デカい大女が姿を現したかと思ったら、百戦錬磨の執行人エグゼキューターとして知られる始末屋じゃないの? あたしの記憶が間違っていなければ、確かあんたは『禁忌破り』の罪状によって死罪を宣告された筈なのに、未だしぶとく生きていたのね? ん?」

 黒い革のライダースーツにぴっちりと身を包んだアイーダ・サッチャーは皮肉を交じえつつそう言って、始末屋を睨み据えながらほくそ笑んだ。

「ああ、おかげ様でな」

 すると駱駝色のトレンチコートに身を包む始末屋もまたそう言って皮肉交じえつつ、アイーダ・サッチャーを睨み返しながら、カジノホールのテーブルを挟んだ彼女の向かいの席に腰を下ろす。

「それで、始末屋さん? あんたみたいな有名人ともあろうお方が、こんなあたしなんかに、何か用でもあるのかしら?」

 アイーダ・サッチャーは不敵にほくそ笑みながらそう言って、わざとらしくへりくだってみせはするものの、そんな見え透いた態度でもって誤魔化されるような始末屋ではない。

「とぼけるな。貴様がヴィロ王子の寝室からこっそり持ち去り、今尚隠し持っている筈の例のブツを、今すぐこちらに引き渡してもらおうか」

「ん? 例のブツだって? ああ、もしかしてその例のブツとやらは、これの事かい?」

 やはりわざとらしく、また同時にこれ見よがしに勿体ぶった表情と口調でもってそう言いながら、アイーダ・サッチャーは彼女の身を包む黒い革のライダースーツの胸元から一台のスマートフォンを取り出した。その如何にも大金持ちの貴族の王子様の所持品然とした、悪趣味なルイ・ヴィトンの高級スマホケースに包まれた最新型のiPhoneこそ、プレジデンシャルスイートルームの寝室から持ち去られたヴィロ王子のスマートフォンに相違無い。

「ああ、そうだ。そのスマートフォンを、大人しくこちらに引き渡すがいい」

「おっと、こんな大事なブツをそうそう簡単に手放してしまうほど、あたしも馬鹿じゃないんでね。あんたもこれが欲しければ相応の対価を支払うか、もしくはあたしを力比べでもって負かした上で、戦利品として持ち去るのが通すべき筋ってもんじゃないのかい?」

「ほう? つまりアイーダ・サッチャーよ、貴様は今ここで、このあたしと一戦交えるつもりと言う訳だな?」

 アイーダ・サッチャーの不遜な問い掛けに対してそう言って問い返した始末屋は、臨戦態勢へと移行すべく、その身を包む駱駝色のトレンチコートの懐にゆっくりと左右の手を差し入れた。しかしながら彼女の手によって左右一振りずつの手斧が引き抜かれるその前に、やはり不遜な表情と口調でもって、テーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろすアイーダ・サッチャーは提案する。

「そんなに焦るんじゃないよ、始末屋。いくらあんたが殺し合いしか能の無い生粋の執行人エグゼキューターだからと言ったって、ここが一体何をすべき場所なのか、そのくらいの事は理解しているんだろう?」

「何をすべき場所? その場所と言うのは、このカジノホールの事か?」

「そう、カジノだ。そしてカジノですべき事と言ったら、賭博ギャンブル以外にあるまい」

 そう言ってアイーダ・サッチャーが断言すれば、始末屋もまた、彼女が言わんとするところを即座に理解した。

「そうか、成程。すると貴様はカジノホールに相応ふさわしく、賭博ギャンブルでもって決着を付けようと言う訳か」

「ああ、その通り」

 そう言ってうなずいたアイーダ・サッチャーと始末屋は、鮮やかな緑色のラシャが張られたテーブルを間に挟んだまま真正面から睨み合い、ちりちりと産毛が逆立つかのような一触即発の空気がカジノホールを支配する。

「ナラバ、我々『ザ・シング』ガ、ディーラーヲ務メヨウ」

 すると彼女の背後に控えていたプラズマが一歩前へと進み出ながらそう言って、始末屋とアイーダ・サッチャーが睨み合うテーブルの元へと歩み寄り、彼自らゲームの進行を担うディーラー役を買って出た。

「ソレデハ始末屋、ソレニ、アイーダ・サッチャーヨ。オ前ラノ勝敗ノ行方ハ、今コノ場デ、カジノニ相応フサワシクカードゲームデモッテ決スルモノトスル。二人トモ、異存ハ無イナ?」

「ああ、勿論だ」

「是非も無い」

 始末屋とアイーダ・サッチャーの二人がテーブル越しに睨み合ったままそう言って、プラズマの提案に対して揃って賛同の意を表すれば、ディーラー役を買って出た彼は先んじてアイーダ・サッチャーに要請する。

「マズ最初ニ、アイーダ・サッチャーヨ。今回ノ勝負ノ賭ケ金代ワリトナル、何者カノ手ニヨッテ殺害サレタヴィロ王子ノスマートフォントヤラヲ、テーブルノ上ニ並べテモラオウカ」

 やはり合成音声の様に抑揚の無い平坦かつ機械的な声でもってそう言ったプラズマの要請に従い、アイーダ・サッチャーはルイ・ヴィトンの高級スマホケースに包まれたヴィロ王子のスマートフォンを、彼女と始末屋から見てちょうど等距離の位置に当たるテーブルの中央にそっと置き直した。

「ヨロシイ。ソレデハコレヨリ、コノスマートフォンヲ賭ケテ、ブラックジャックノ一回勝負ヲ執リ行ウ。ソコノオ前、未使用ノカードヲコチラヘ」

 プラズマがそう言って命じれば、カジノホールでディーラーを務める男性スタッフの一人が「は、はい!」と言いながら彼に新品のカードを箱ごと手渡し、それを受け取ったプラズマはカードの封を切る。

「ルールハ単純明快、始末屋トアイーダ・サッチャーノソレゾレノ手元ニ配ラレタカードノ数字ノ合計ガ、ヨリ21ニ近イ者ノ勝利ダ。タダシ数字ノ合計ガ21ヲ超エタ場合ハ、自動的ニ、ソノ者ノ敗北トスル」

 放電と共にそう言ってざっとルールの概要を説明し終えたプラズマの手によって、まずは各自に一枚ずつ、充分にシャッフルされたカードが始末屋とアイーダ・サッチャーの手元に配られた。俗に『アップカード』とも呼ばれる、表面を上にした状態でもって配られたカードに描かれた模様と数字に、テーブルの周囲をぐるりと取り囲む数多の執行人エグゼキューター達の熱い視線が注がれる。

「おっと、こいつは幸先が良い」

 そう言って不敵にほくそ笑むアイーダ・サッチャーの手元に配られたカードはスペードのQ、つまりブラックジャックに於いてはJやKと並んで数字の10に相当するカードであり、対して始末屋の手元に配られたカードはダイヤの5であった。

「おい、プラズマよ。そいつの戯言に一々耳を貸さず、早く次のカードを配れ」

 始末屋がぶっきらぼうな表情と口調でもってそう言えば、プラズマはやはり各自に一枚ずつ、今度は『ホールカード』と呼ばれる模様や数字が伏せられた状態のカードを彼女ら二人の手元に配って手を止める。

「……」

 配られた二枚目のカードの端をそっとめくってみると、始末屋の手元のそれはクローバーの8であったため、これで一枚目のカードとの数字の合計は13と言う微妙な結果と相成った。

「サア、二人トモ、ドウスル? 三枚目ノカードハ、必要カ?」

 ディーラーを務めるプラズマがそう言って問い掛ければ、アイーダ・サッチャーは首を横に振る。

「いや、あたしはもう、これ以上のカードは必要無い」

 アイーダ・サッチャーはそう言って早々にスタンド、つまり手持ちの二枚のカードのみでもって勝負に挑む事を決定するものの、そんな彼女とは対照的にテーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろす始末屋は考えあぐねていた。

「……」

 前述した通り、今現在の始末屋の手持ちの二枚のカードの数字の合計は13と言う、この上無く微妙な結果である。ここでヒット、つまり三枚目のカードを手配してうっかり9以上の数字を引いてしまった場合には、数字の合計が21を越えて、バストと呼ばれる敗北が即座に決してしまいかねない。

「どうした、始末屋? ヒットかスタンドか、早く決めてくれないと、陽が暮れてしまうぞ?」

 にやにやと不敵にほくそ笑みながらそう言って、挑発、もしくは嘲笑を繰り返すアイーダ・サッチャーの言葉には一切耳を貸さぬまま、熟考を重ねた始末屋は鮮やかな緑色のラシャが張られたテーブルの天板をとんとんと指で叩きながら、ディーラーを務めるプラズマに命ずる。

「ヒットだ。三枚目のカードを配れ。早くしろ。ぐずぐずしていると、その尻を蹴っ飛ばすぞ」

 そう言って始末屋が命じれば、プラズマは無言のまま三枚目のカードを彼女の手元に配り、そのカードの端をめくって模様と数字を確認した始末屋はほんの少しだけ口角を上げた。

「ドウスル、始末屋ヨ? 四枚目ノカードハ、必要カ?」

「いや、結構。あたしもこの三枚で、勝負に挑む」

 プラズマの問い掛けに対してそう言って返答した始末屋は、再びテーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろすアイーダ・サッチャーと睨み合い、虚空でもって交錯する互いの視線がばちばちと激しく火花を散らす。

「ソレデハ二人トモ、イヨイヨヴィロ王子ノスマートフォンヲ賭ケタ勝負ノ、決着ヲ着ケルベキ時ガ来タ。マズハ始末屋ヨ、オ前ノ手元ニ配ラレタ全テノカードヲ、オープンスルガイイ」

 やはり放電と共にそう言ったプラズマの言葉に従い、始末屋は表面が伏せられた状態のまま彼女の手元に配られた二枚のホールカードを、一枚ずつ裏返し始めた。二枚目に配られたカードはクローバーの8、そして勝敗の行方を左右する三枚目のカードの模様と数字は、ハートの7である。

「オープンカードガ5、ソレニ二枚ノホールカードガ8ト7デ、始末屋ノ手札ノ数字ノ合計ハ20トスル」

 ディーラーを務めるプラズマがそう言って、始末屋の手持ちのカードの数字の合計を宣言すれば、テーブルを取り囲む数多の執行人エグゼキューター達は勢い色めき立たざるを得ない。何故なら敗北バストを回避しつつ勝負に挑めるカードの数字の合計は俗に言うブラックジャック、つまり21が上限である事から鑑みるに、彼女が叩き出した20と言う数字は高く評価されるべき結果だからである。

「ソレデハ、アイーダ・サッチャーヨ。次ハオ前ノ手元ニ配ラレタカードヲ、全テオープンセヨ」

 改めてそう言ったプラズマの言葉に従い、今度はアイーダ・サッチャーが、彼女の手元に配られた一枚のホールカードに指を掛けた。そして表面が伏せられた状態のカードを音も無く裏返せば、そこに描かれていた模様と数字はスペードのAである。

「スペードのAだ! 21だ!」

「何てこった、ブラックジャックだ! それも、スペードのナチュラルブラックジャックだ!」

 固唾を飲みながら事の成り行きを見守っていた執行人エグゼキューター達は口々にそう言って喝采の声を上げ、アイーダ・サッチャーの手持ちのカードが絵札とAの組み合わせによるブラックジャック、つまりナチュラルブラックジャックであった事に驚きを隠せない。

「どうだい、始末屋? 昔から運も実力の内と言われているが、つまり、これがあたしの実力って事さ!」

 およそ考えられ得る限り最強の手札を開示してみせたアイーダ・サッチャーはそう言って勝ち誇り、テーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろす始末屋に軽蔑の眼差しを向けつつも、ふんと鼻を鳴らしながら彼女を嘲笑った。

「勝負アリ。コノゲームハ、アイーダ・サッチャーノ勝利ニヨッテ、幕ガ閉ジラレタモノトスル」

 ディーラーを務めると同時に審判ジャッジでもあるプラズマが右手を挙げながらそう言って、アイーダ・サッチャーの勝利を宣言するその間も、敗北を喫してしまった始末屋はテーブルのこちら側に腰を下ろしたまま二の句が継げない。

「それでは事前の取り決めに従って、このスマートフォンは、勝者であるあたしが頂いて行く事としよう。始末屋、あんたは『禁忌破り』として、引き続き全ての執行人エグゼキューター達から追われる身となるがいい」

 そう言って勝ち誇りながら、椅子から腰を上げたアイーダ・サッチャーは鮮やかな緑色のラシャが張られたテーブルの上に身を乗り出し、そのテーブルの中央に置かれたヴィロ王子のスマートフォンに手を伸ばす。

「これであんたも年貢の納め時だな、始末屋」

 しかしながらそう言った彼女の右手がスマートフォンに触れた次の瞬間、始末屋は駱駝色のトレンチコートの懐から素早く手斧を引き抜くと、その手斧の切っ先でもってアイーダ・サッチャーの身を包むライダースーツの袖口を切り裂いた。

「!」

 すると切り裂かれたライダースーツの袖口から数枚のカードがぽろぽろと零れ落ち、アイーダ・サッチャーの不正行為を白日の下にさらけ出す。

「観衆の眼があたしの手札に集中している隙を突いてカードをり替えるとは、随分と大胆かつ古典的な手口のイカサマを働いてくれるじゃないか、アイーダ・サッチャーよ。さっき貴様は運も実力の内と言って大口を叩いたが、そんな恥も外聞も無いような卑怯な手段を講じる貴様の実力も、所詮その程度と言う訳か」

「ちっ!」

 袖口に隠したカードと手元のカードをり替えると言った不正行為の手口を、よりにもよって始末屋に看破されてしまったアイーダ・サッチャーはそう言って、苦虫を嚙み潰したかのような表情を浮かべながら恥辱と屈辱の入り混じった舌打ちを漏らさざるを得ない。

「こうなったら、実力行使だ! 今この場であんたを抹殺し、あたしが正しい事を証明してくれる!」

 悔し紛れにそう言ったアイーダ・サッチャーはヴィロ王子のスマートフォンをぱっと素早く搔っ攫うと、それを彼女の身を包む黒い革のライダースーツの胸元に放り込みながら後退あとずさり、テーブルから距離を取る。

「覚悟するがいい、始末屋!」

 後退あとずさったアイーダ・サッチャーはそう言って啖呵を切りながら、まるで十字架のシルエットを真似るかのような格好でもって、直立不動の姿勢から肩の高さまで上げた両腕をぴんと左右に突き出した。すると彼女の背中に装着されていた小型のリュックサックか何かくらいの大きさの装置から幾本もの金属製の触手が次々に這い出し、それらがアイーダ・サッチャーの身体を隙間無く包み込んだかと思えば、やがて彼女の全身を覆う屈強な強化外骨格パワードスーツへと変貌する。

「この期に及んで、往生際が悪いにも程があるぞ! 貴様と言う奴は自らカードゲームによる決着を望んでおきながら、執行人エグゼキューター同士の女の約束も守れないと言うのか!」

 超硬合金製の強化外骨格パワードスーツを前にしつつも微塵もひるむ事無くそう言った始末屋は、彼女ら二人を隔てるカジノホールのテーブルを、荷電粒子砲イオンブラスターの砲口をこちらに向けんとするアイーダ・サッチャー目掛けて力任せに蹴り上げた。蹴り上げられたテーブルの天板の上に並べられていたカードやチップが辺り一面に飛び散って、まるで凱旋パレードを飾り立てる紙吹雪か満開の桜並木を彩る花吹雪さながらに、きらきらと光り輝きながらはらはらと宙を舞う。

「黙れ! 黙れ! 黙れ! この薄汚い黒んぼの大女め! その肌の色と同じ真っ黒な血反吐を吐きながら、地獄に堕ちるがいい!」

 宙を舞うカードやチップには眼も呉れぬままそう言って、ともすれば人種差別的とも判断されかねない悪態を吐きながら、こちらへと飛び来たるテーブルに素早く照準を合わせたアイーダ・サッチャーは強化外骨格パワードスーツの右腕に内蔵された荷電粒子砲イオンブラスターの引き金を躊躇無く引き絞った。すると高温高圧の荷電粒子イオンパーティクルが音速のおよそ十倍の速度でもって射出され、テーブルの天板を一瞬で溶かし尽くすと、その天板の向こうに立つ始末屋の身体をも溶かし尽くさんと虚空を切り裂いて迫り来る。

「ぎゃあっ!」

 しかしながら次の瞬間、そう言ってカジノホールの空気をびりびりと震わせた一際大きな叫声おらびごえは、始末屋の喉から発せられたそれではない。彼女が素早く身を翻す事によって回避してみせた高温高圧の荷電粒子イオンパーティクルが、たまたま背後に立っていた名も無き執行人エグゼキューターに流れ弾となって命中し、その執行人エグゼキューターの頭部が壁に叩きつけた腐ったトマトの様に爆散すると同時に発された断末魔の叫びである。

「アイーダ・サッチャーよ、どうやら貴様とあたしとは、直接刃を交える事でしか決着を付けられない運命らしいな」

 頭部が爆散して果てた名も無き執行人エグゼキューターの事など歯牙にも掛けぬまま、そう言った始末屋はアイーダ・サッチャーを睨み据えつつも、駱駝色のトレンチコートの懐から左右一振りずつの手斧を引き抜いた。

「ああ、確かにそのようだな、始末屋よ」

 強化外骨格パワードスーツに身を包むアイーダ・サッチャーもまた返礼代わりにそう言うと、彼女と始末屋は、互いに身構え合いながら対峙する。

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