第四幕
第四幕
ホテルハイエロファント・モナコのプレジデンシャルスイートから飛び降りた全裸の始末屋は、やがてガラスの破片と共に垂直方向に自由落下した後に、頑丈なインターロッキングブロックでもって舗装された地面に勢い良く落着した。
「ぐっ!」
並大抵の人間ならばまず間違い無く即死してしまっていたであろう高所から落下し、硬く冷たい地面に
「取り敢えず、まずは態勢を立て直さなければ」
まるで独り言つようにそう言った全裸の始末屋は、建屋をぐるりと取り囲む背の高い塀と垣根を飛び越えてホテルハイエロファント・モナコの敷地から退出すると、そのままモナコ公国の市街地を全力でもって疾走し続けた。白昼の街路を堂々と疾走する全裸の彼女のあられもない姿に、道行くモナコ公国の地元民達や観光客達は悲鳴や歓声を上げながら驚くものの、今の始末屋にはそんな些末な出来事にかかずらわっているべき暇も猶予も無い。
「?」
するとモナコ公国の街路を一糸纏わぬ全裸のまま、可能な限りアイーダ・サッチャーから距離を取りつつ身を隠す場所を探して疾走する始末屋の視線の先に、不意に奇妙な二人組が姿を現した。それは車椅子に乗った一人の白髪の老婆と、その老婆が乗った車椅子を押す一人の看護婦の二人組であったが、妙に露出度の高いナース服に身を包む看護婦の方が血の染みまみれの包帯でもって顔面をぐるぐる巻きにしているのである。
「あれは確か……」
白髪の老婆と血まみれの包帯の看護婦の二人組に見覚えがあった始末屋がそう言って記憶の糸を手繰っていると、車椅子に乗った老婆は膝掛け毛布の下から、おもむろに旧ソ連製の二挺のRPD軽機関銃を取り出した。そしてそのRPD軽機関銃の照準を全裸の始末屋の眉間に合わせながら、引き金を引き絞る。
「さあ、今ここで死ぬがいいよ、始末屋! この恥知らずの『禁忌破り』めが! 覚悟おし!」
車椅子に乗ったままそう言った白髪の老婆が構える二挺のRPD軽機関銃の銃口から、耳を
「ふん!」
しかしながら鼻息も荒くそう言った始末屋は、如何に全裸とは言え、老い先短い老婆の攻撃をそうそう簡単に喰らってしまう程落ちぶれてはいない。彼女は常人を遥かに凌駕する膂力に頼りながら両脚の筋肉を躍動させると、こちらへと飛び来たる鉛の弾頭が着弾するより早く跳躍し、車椅子に乗った白髪の老婆に上空から襲い掛かる。
「掛かったな!」
だがしかし、まるで勝ち誇ったかのような表情と口調でもってそう言った血まみれの包帯の看護婦の言葉通り、全ては彼女ら二人が仕掛けた計略の一環に過ぎなかった。何故なら妙に露出度の高いナース服に身を包む看護婦は、彼女が押している車椅子の
「喰らえ、始末屋! あんたを殺して、あたしとお婆ちゃんが『ヘッドショット』のランキング上位に返り咲いてやる!」
そう言った血まみれの包帯の看護婦が手にするチェーンソーのカッターが、始末屋の皮膚と肉、それに骨と内臓をも切り裂くべく空中を跳躍する彼女を間合いに捉えた。ちなみにここで言うところの『ヘッドショット』とは、裏稼業のならず者達の月間獲得報酬ランキングを決定する闇の専門機関が運営する、殺し屋評価サイト『ヘッドショット』の事である。
「なんの!」
しかしながら全裸の始末屋はそう言って、彼女の身体を切り裂くべく迫り来るチェーンソーのガイドバーを蹴り飛ばすと、体勢を崩しながらも車椅子から充分な距離を取りつつ着地した。そして着地した始末屋は身を翻し、素早く立ち上がって身構えるのとほぼ同時に、眼の前の老婆と看護婦の正体を看破する。
「チェーンソーを得物とする血染めの看護婦と、軽機関銃を得物とする車椅子に乗った老婆の
「その通りさね、始末屋! 実の家族であるあたし達こそ『血に飢えた祖母と孫娘』として知られる、ナオミ・ザ・マーダーナース&マシンガン・グランマさ! 今からこのあたしとあたしの可愛い孫娘の手によって、卑しい『禁忌破り』であるあんたを、亡き者にしてくれるよ!」
彼女ら二人の正体を看破してみせた始末屋の言葉を、車椅子に乗ったマシンガン・グランマはそう言って肯定した。そして彼女は再び「覚悟おし!」と言いながら、手にした二挺のRPD軽機関銃を乱射し始め、その孫娘であるナオミ・ザ・マーダーナースは
「くっ!」
ナオミ・ザ・マーダーナース&マシンガン・グランマと相対した始末屋は、そう言って歯噛みしつつも、彼女の形勢は極めて不利であると言わざるを得なかった。何故なら全裸の彼女は必殺の得物である手斧も駱駝色のトレンチコートも持ち合わせてはおらず、このままではRPD軽機関銃とチェーンソーを相手に、徒手空拳のまま立ち向かわなければならないからである。しかも距離を取ればRPD軽機関銃が、接近すればチェーンソーが襲い掛かって来ると言う完璧な布陣なのだから、尚更であるとも言わざるを得ない。
「さあ、さあ、さあ! 軒先のバケツに溜まった泥水をぶっ掛けられた交尾中の野良犬の様に、みっともなく鳴き
白昼のモナコ公国の市街地の一角で、そう言ったマシンガン・グランマの老婆らしい上品さの欠片も無い罵詈雑言と共に、彼女が手にしたRPD軽機関銃の銃口から次々に射出された鉛の弾頭が全裸の始末屋に襲い掛かる。
「!」
しかしながらこちらへと飛び来たる鉛の弾頭の
「ふん!」
すると全裸の始末屋はそう言って街路の一角に設置されていた鋼鉄の塊、つまり消火活動に必要な水を供給するための設備である重く頑丈な消火栓を、常人を遥かに凌駕する膂力にものを言わせながら路面から引っこ抜いた。漏水防止の蓋を兼ねていた消火栓が引っこ抜かれた事によって、その下を走る水道管から供給されていた
「行くぞ、ナオミ・ザ・マーダーナース&マシンガン・グランマ!」
そして重く頑丈な消火栓を街路の路面から引っこ抜いた全裸の始末屋は、その鋼鉄の塊を胸の高さに抱え上げて身構えつつ、車椅子に乗ったマシンガン・グランマに襲い掛かった。
「ひいいぃっ! 来るんじゃない! こっちに来るんじゃないよ! 来るんじゃないったら!」
鋼鉄製の消火栓を抱え上げながらこちらへと急速接近しつつある始末屋の異様な姿を前にして、そう言って恐れ
「覚悟しろ、このお転婆なご老体め」
やがてマシンガン・グランマの元へと駆け寄った全裸の始末屋はそう言って跳躍し、空中で水平方向に身体を一回転させながら、強烈な上段後ろ回し蹴りを老婆の側頭部に叩き込んだ。
「ぷおっ!」
まるで
「お婆ちゃん! ああ、お婆ちゃん、しっかりして! ……糞っ! 始末屋め、よくもあたしのお婆ちゃんを!」
すると実の祖母であるマシンガン・グランマを殺されたナオミ・ザ・マーダーナースがそう言って、手にしたチェーンソーを頭上に高々と振り
「死ね、この黒んぼめ!」
血染めの看護婦であるナオミ・ザ・マーダーナースはそう言って彼女の皮膚の色を罵倒しながら、鋭利なカッターが高速回転するチェーンソーでもって始末屋に切り掛かるものの、切り掛かられた始末屋は鋼鉄製の消火栓でもってこれに応戦する。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死んじまえ、始末屋め!」
暫し全裸の始末屋と血染めのナオミ・ザ・マーダーナースの二人の
「ふん!」
しかしながら鈍器である消火栓と動力工具であるチェーンソーの違いこそあれど、飛び道具ではない打撃系の得物による接近戦に於いては、より多くの場数を踏んで来た始末屋の方が一枚上手であったと言わざるを得ない。何故なら次第次第に手数を増やしつつある彼女の攻撃が、やがてナオミ・ザ・マーダーナースのナース服から露出した手足と言った身体の末端に命中し始めると、遂にはその頭部をも間合いに捉えたからである。
「ぎゃあっ!」
重く頑丈な鋼鉄製の消火栓が無防備な頭部に直撃したナオミ・ザ・マーダーナースはそう言って、彼女の喉から真っ赤な血反吐と共に、文字通りの意味でもって頭が割れる程の激痛を訴える苦悶の声が
「ぎゃあああぁぁぁっ!」
彼女自身の得物であった筈のチェーンソーの鋭利なカッターによって、まるで侍に袈裟切りにされる野武士か野盗の様な格好でもって胴体をずたずたに切り裂かれつつも、ナオミ・ザ・マーダーナースはそう言って断末魔の叫びを上げた。そして生きたままその身を左右真っ二つに両断されてしまった彼女は、
「ふう」
切断面から噴出した鮮血がモナコ公国の街路の路面に形作る真っ赤な血溜まりと、その血溜まりに膝から崩れ落ちたナオミ・ザ・マーダーナースが完全に絶命している事を確認した全裸の始末屋は、彼女の額に浮いた玉の様な汗を掌で拭い取りながらそう言って呼吸を整えた。如何に百戦錬磨の
「う……う……」
その時不意に、彼女の足元から息も絶え絶えの老婆の呻き声が聞こえて来たので、全裸の始末屋はそちらの方角へと眼を向けた。勿論その間も、取り敢えずその場を取り繕うための一時凌ぎの得物である鋼鉄製の消火栓を、彼女は決して手放さない。すると始末屋が放った上段後ろ回し蹴りを側頭部に喰らって息絶えたと思われていたマシンガン・グランマが、砕け散った頭蓋骨の隙間からぼとぼとと薄灰色の脳漿を零れ落としながらも死ぬに死に切れず、車椅子から転がり落ちた状態のままRPD軽機関銃を構え直そうと奮闘する姿が見て取れた。
「おのれ始末屋……よくもこのあたしの可愛い孫娘を……亡き者にしてくれたね……必ずやこの手であんたを殺してくれるから……覚悟おし……」
瀕死のマシンガン・グランマはインターロッキングブロックでもって舗装された路面の上を這いずり回りながらそう言って、RPD軽機関銃を手にするものの、既に脳髄の半分あまりが頭蓋骨から零れ落ちてしまっている状態ではそれを構え直す事も
「未だ生きていたか、この死に損ないのお転婆なご老体め」
全裸の始末屋はそう言って、消火栓を手にしたまま、真っ赤な鮮血と薄灰色の脳漿にまみれながら路面を這いずり回るマシンガン・グランマの元へと歩み寄った。そして「その可愛い孫娘とやらと、地獄で再会するがいい」と言うや否や、手にした消火栓を振りかぶり、その鋼鉄製の消火栓でもってマシンガン・グランマの頭部を完全に叩き潰す。
「ぐぽ」
最後に一際頓狂な声を上げながら、今度こそ確実に、頭部を完全に叩き潰されたマシンガン・グランマは間違い無く絶命した。そして全裸の始末屋はマシンガン・グランマの膝掛け毛布を真っ二つに引き裂くと、その引き裂いた毛布を身体に巻き付けて、取り敢えず剥き出しの乳房と陰毛と性器を隠す事に成功する。
「さて、と」
やがて『血に飢えた祖母と孫娘』として知られるナオミ・ザ・マーダーナース&マシンガン・グランマの二人を撃退せしめた始末屋は、そう言いながら用を為し終えた消火栓を放り捨てると、ぐるりと周囲を見渡した。するとちょうど視線の先のバス停に一台の長距離バスが停車したので、彼女はこれに乗り込んでからどっかと座席に腰を下ろし、発車を待つ。
「あら? あなた、随分と大胆な格好なのね? そう言う格好が、最近の若い人達の間で流行ってるのかしら?」
すると始末屋の眼の前の座席に腰を下ろす、マシンガン・グランマとは一切関係の無い上品そうな老婆がそう言って、引き裂いた毛布を胸と下腹部に巻き付けただけの始末屋の格好に疑義を呈した。
「いや、別に、流行っている訳ではない。これは不覚にも着ていた服を失ってしまったので、仕方無く布切れを巻いて、陰部を隠しているだけだ」
始末屋がぶっきらぼうな表情と口調でもってそう言えば、老婆は状況を理解しているのかいないのか、彼女の鞄の中から取り出した林檎を始末屋に手渡す。
「あら、そうなの? 服を失くしてしまうだなんて、あなたも若いのに大変なのね? 良かったら、これ、食べてちょうだいな?」
「ああ、頂こう」
やはりぶっきらぼうな表情と口調でもってそう言った始末屋は老婆から林檎を受け取ると、未だ完全には熟していないその林檎を、ぼりぼりと貪り食うような格好でもって咀嚼し始めた。そして硬く酸っぱい林檎を無心で咀嚼しつつ、彼女は眼の前の老婆に問い掛ける。
「ところでご老体よ、このバスの行き先は、どこだ?」
「あらあら、あなたったら、そんな事も知らずにこのバスに乗ってしまったの? このバスはね、これからモナコ公国を出て、フランスのニースのコート・ダジュール国際空港に向かうのよ?」
「成程、コート・ダジュール国際空港か。それなら好都合だ」
やがて林檎を食べ終えた始末屋がそう言えば、発車ブザーの警告音に続いて自動扉が閉まり、彼女や老婆らを乗せた長距離バスはモナコ公国の市街地のバス停を後にした。そして隣国であるフランス共和国の、アルプ=マリティーム県の県都ニースに在るコート・ダジュール国際空港を目指しながら、温暖な地中海の海岸沿いを走る国道M6098号線を西進し始める。
「……」
国道M6098号線を海岸線に沿って西進し続ける長距離バスの車内で、引き裂いた膝掛け毛布を胸と下腹部に巻き付けただけの格好の始末屋は、終始無言であった。しかしながらそんな始末屋に、彼女の眼の前の座席に腰を下ろす上品そうな老婆は、人の良さそうな笑みと共に語り掛ける。
「ねえあなた、あなたは何も荷物を持っていらっしゃらないようですけど、空港に着いたら、どこか外国にでも行くつもりなのかしら?」
「いや、取り敢えずコート・ダジュール国際空港から国内線に乗って、首都パリに向かうつもりだ。パリにはあたしの
「あら、そうなの? パリは広くて良い街ですから、ゆっくりして行けばいいんじゃないかしら? それにしても
「ああ、そうだな。しかしながらこんな着の身着のままの格好では、如何にこのあたしがあらゆる依頼を完遂して来た上位ランカーの
「ええ、そうね、確かにあなたの言う通りね? そのアイーダ・サッチャーと言う方がどこのどなたなのかは存じ上げませんけれど、裸の女性に襲い掛かるようなお行儀の悪い行為は、感心出来ないんじゃないかしら?」
首を縦に振りながらそう言って彼女の意見に同意した上品そうな老婆と共に、暫し始末屋は、モナコ公国とフランス共和国との国境を越えてコート・ダジュール国際空港へと向かう長距離バスに揺られ続けた。古くは『旅は道連れ、世は情け』と言う故事成語、もしくは
「ちょっと喉が渇いた事ですし、あたしも、林檎をいただこうかしら?」
そう言った上品そうな老婆がオピネルナイフでもって林檎を切り分け始めた直後、不意に青信号の交差点のど真ん中にも
「あら、一体どうしたのかしら?」
青信号の交差点のど真ん中で長距離バスが急停車した事を、上品そうな老婆がそう言って訝しんだ、次の瞬間であった。彼女も含めた多くの乗客達が乗り合わせた長距離バスの車体が突然がたがたと揺れ始めたかと思うと、古風な石畳で舗装された路面から車輪が浮き上がり、そのまま空中で半回転するような格好でもって車体が上下逆様にひっくり返ってしまったのである。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
アルミ合金とステンレスで出来た頑丈な車体が
「おい、ご老体よ、貴様は無事か?」
空回りするばかりのタイヤを天に向けながら上下逆様になってしまった長距離バスの車内でそう言って、始末屋は彼女の眼の前の座席に腰を下ろしていた上品そうな老婆の身を案じるが、その老婆からの返事は無い。
「ん? どうした、ご老体よ?」
重ねてそう言った始末屋が足元に眼を向ければ、そこには件の上品そうな老婆が力無く横たわったまま絶命しており、彼女の細く華奢な首にはオピネルナイフの刃先が深々と突き刺さってしまっていた。どうやら長距離バスがひっくり返った際に、床か壁に強打した事によって手元が狂い、老婆のオピネルナイフが彼女自身の頸動脈を切断してしまったものと思われる。
「成仏しろよ、ご老体」
取り立てて何の感慨も無いままに、やはりぶっきらぼうな表情と口調でもってそう言った始末屋は上品そうな老婆のオピネルナイフを回収してから車内を移動すると、フレームが折れ曲がってしまったがために開かなくなった長距離バスの自動扉を力任せに蹴り開けた。そして車外へと足を踏み出した彼女に続き、パニック状態に陥った他の乗客達が耳障りな悲鳴を上げつつも、交差点のど真ん中でひっくり返った長距離バスの車内から脱出すると同時に一斉に逃げ惑う。
「さて、と」
長距離バスの車内から脱出した始末屋はふんと鼻を鳴らしながらそう言って、フランス共和国のアルプ=マリティーム県の県都ニースの市街地の中心部の、とある交差点の中央でぐるりと周囲を見渡した。突然のバス事故によって周囲の車輛は交差点に進入する事を躊躇し、それらの車輛に乗ったドライバー達や歩道を歩く歩行者達の好奇の眼差しが、その交差点の中央に立つ始末屋に一斉に向けられる。
「始末屋よ、待ち侘びたぞ!」
すると不意に何者かがそう言って、ニースの市街地の中心部を取り囲むビルと言うビルに反響するかのような大声を張り上げながら、始末屋の名を呼んだ。そこで始末屋が背後を振り返り、声が聞こえて来た方角へと眼を向ければ、交差点のど真ん中でひっくり返った長距離バスの車体の上からこちらを睨み据える二つの人影が眼に留まる。
「貴様、誰だ?」
オピネルナイフを手にした始末屋はそう言って、長距離バスの車体の上から彼女を見下ろす二つの人影を睨み返した。
「吾輩の名は
そう言って自らを
「浅草の街で、貴様の実の兄を殺しただと? 生憎ながら、あたしはこれまでの人生に於いて、道士を殺した経験は皆無だが?」
始末屋が小首を傾げながらそう言えば、長距離バスの車体の上の
「この期に及んで白を切るつもりか、始末屋よ! 吾輩の実の兄である
「
そう言って彼の実の兄を殺した事を認めた始末屋の言葉に、
「おのれ、よくもぬけぬけと! その波乱に満ちた人生の全てを
ひっくり返った長距離バスの車体の上でそう言って啖呵を切った
「さあ、行け、
「
果たしてそれが気力を奮い起こすための只の掛け声なのか、それとも彼女が自らの名を名乗ったつもりなのかどうかは分からないが、とにかく腹の底から絞り出すようなおどろおどろしい声でもってそう言った
「くっ!」
「どうだ始末屋よ、吾輩の忠実な下僕である、
まるで勝ち誇るかのような悦に入った表情と口調でもってそう言って、道袍姿の
「さあ、
「
やはり腹の底から絞り出すようなおどろおどろしい声でもってそう言って自らの名を口にした
「
そして繰り返し発される掛け声に合わせながら、中国武術の代表的な内家拳の一つである太極拳の技法に則った強烈な突きや蹴りが繰り出され、始末屋はこれらの攻撃を彼女が習得した体捌きでもって回避するのがやっとの有様である。
「くっ!」
太極拳を極めた女キョンシーである
「いいぞ、
彼の忠実な下僕である
「
すると
「なんの!」
しかしながら始末屋はそう言って身を翻し、
「?」
オピネルナイフの切っ先が眼の前の女キョンシーの胸元に深々と突き刺さるのを確認した始末屋は、彼女自身の胸に去来する違和感に、見えない疑問符を頭の上に浮かべざるを得ない。何故ならオピネルナイフの鋭利な切っ先が確実に心臓を貫いてしまっているにも
「
すると
「ぷおっ!」
無防備な
「無駄な事だ、始末屋よ! 吾輩の忠実な下僕である
高笑いと共にそう言って勝利を確信する
「さあ、
「
勝利を確信した
「
やはりそう言って彼女自身の名を口にしながら、太極拳の転身左蹬脚の構えから路面を蹴って跳躍し、女キョンシーである
「
「くっ!」
己の名を連呼しながらの、全身から無数の
「どうしたどうした、始末屋よ! 貴殿の実力をもってしても、吾輩と吾輩の忠実な下僕である
「糞っ! 手斧さえあれば……」
「よし、
「
やはり右手に持った三叉の鐘をちりんちりんと打ち鳴らしながらの、
「
するとそう言って飛び掛かって来た
「
そして自らの名を連呼しながら繰り返し飛び掛かって来る
「いいぞ、いいぞ、
興奮しきりの
「!」
始末屋が交差点のど真ん中でひっくり返っていた長距離バスの車体の上へと駆け上がれば、不覚にもそこに居た
「糞っ!
「
すると彼女の使役者である
「そうは行くものか!」
しかしながらそう言った始末屋もまたシャーシを蹴って跳躍し、
「しまった!」
すると三叉の鐘がそう言った
「成程。如何に貴様が名うての道士とは言え、これが無ければ、そこの女キョンシーは操れないと言う訳か」
おろおろと慌てふためくばかりの
「おのれ! おのれ! おのれ! こうなればこの吾輩の手でもって、直々に、貴殿に
そう言って啖呵を切った
「死ね!」
追い詰められた
「ふんっ!」
銭剣による
「ぷおっ!」
無防備な顔面の中心部を
「ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
「ぷおっ! ぷおっ! ぷおっ! ぷおっ! ぷおっ!」
その後も
「……殺せ……この吾輩もまた……吾輩の実の兄である
遂に万策尽きた
「ああ、そうだな。死ね」
すると何の感慨も無くそう言った始末屋が右の拳を渾身の力でもって振り下ろし、
「ふう」
獲物を始末し終えた始末屋がそう言って道袍の襟首を掴み上げていた手を放せば、支えを失った
「さて、と」
左右の拳にこびり付いた真っ赤な鮮血を払い落としながらそう言った始末屋は、ぐるりと視線を巡らせて周囲の状況を確認すると、交差点のど真ん中でひっくり返った長距離バスの車体の上から躊躇無く飛び降りた。そして路面に着地した彼女は足元に眼を向け、使役者である筈の
「!」
すると幸先が良いとでも言うべきか、ひっくり返った長距離バスの後続となる新たな長距離バスがたまたまその場を通り掛かったので、始末屋はその長距離バスに一も二も無く飛び乗った。彼女が飛び乗った新たな長距離バスの行き先もまた、先の長距離バスと同じく、アルプ=マリティーム県の県都ニースに在るコート・ダジュール国際空港である。
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