第三幕


 第三幕



 始末屋がヴィロ王子の依頼を受諾してから二日後、遂に今年度のビルダーバーグ会議の幕が切って落とされ、各界の有力者や著名人が一堂に会したホテルハイエロファント・モナコには厳戒態勢が敷かれていた。

「それではアイーダも始末屋も、二人とも今日もまたこの廊下で、本日の会議が終わるまで大人しく待っているように。いいね?」

 都合三日間の日程で開催されるビルダーバーグ会議は恙無つつがなく進行し、やがて最終日を迎えたヴィロ王子がそう言って念を押してから会場であるレセプションホールの中へとその姿を消せば、入場を許可されていない始末屋ら警護人ボディガード達はレセプションホール前の廊下での待機を余儀無くされる。

「まったく、せっかくのビルダーバーグ会議だと言うのに会場内に入る事も許されないとは、これではあたし達が警護人ボディガードを務める意味が無いじゃないか!」

 会議の列席者の数倍に及ぶ人数の警護人ボディガード達がひしめき合うホテルの廊下で、黒い革のライダースーツに身を包むアイーダ・サッチャーが、忌々しげに爪を噛みながらそう言って吐き捨てた。

「そう言うな、アイーダ・サッチャーよ。会議の直接の関係者以外は会場内への立ち入りを禁じられている以上、廊下で待機させられるくらいの事は我慢しろ」

 駱駝色のトレンチコートに身を包む始末屋がそう言ってなだめつつ、彼女の隣に立つアイーダ・サッチャーをたしなめはするものの、たしなめられたアイーダ・サッチャーは無言のまま爪を噛み続ける事によって言外に不平不満を訴える。

「それにこうして周囲を見渡すだけで、充分に暇は潰せる筈だ」

 始末屋はそう言うと、彼女自身の言葉通り、ぐるりとこうべを巡らせながら周囲を見渡した。するとホテルハイエロファント・モナコのレセプションホール前の廊下には足の踏み場も無いほどの頭数の警護人ボディガード達の姿が見て取れ、その顔触れは真っ当な職業軍人や私服警官SPから裏稼業のならず者まで多岐に渡り、中には始末屋やアイーダ・サッチャーと同じ『大隊ザ・バタリオン』に所属する執行人エグゼキューター達の顔も散見される。

「これだけの数の同業者が一堂に会するような現場は、なかなかお目に掛かれるもんじゃない。そうだろう?」

「まあ、確かにそうだな」

 同意を求める始末屋の言葉に、彼女を蛇蝎の如く忌み嫌うアイーダ・サッチャーもまたそう言って、渋々ながら首を縦に振らざるを得ない。何故なら彼女ら二人を取り巻く同業者達に眼を向ければ、この業界の代表格とも言える錚々そうそうたる面子が惜し気も無く肩を並べ合い、さながら破壊と殺害を生業とする裏稼業のならず者達の見本市の様相を呈していたからである。

「ん?」

 するとホテルハイエロファント・モナコの廊下を埋め尽くす裏稼業のならず者達の中から、不意に一人のスーツ姿の成人男性が、妙に気取った足取りでもってふらふらとこちらへと歩み寄った。そして煙草のヤニで汚れた象牙色の歯を覗かせながら、始末屋に語り掛ける。

「おやおやおや、これはこれは、随分と背の高い褐色の肌の大女が突っ立ってるもんだと思ったら、手斧の使い手として名高い始末屋じゃないか! こんな所であんたとご一緒出来るだなんて、こいつはもしかしたら、とうとうこの俺にも運が向いて来たのかもしれないぞ?」

「そう言う貴様は、確か『気狂いピエロ』のサイコクラウンか」

 すると始末屋はそう言って、こちらへと歩み寄ったスーツ姿の成人男性の正体をあっさりと看破してみせた。そして彼女から『気狂いピエロ』のサイコクラウンと呼ばれた成人男性はその二つ名に違わず、頭髪をド派手な虹色に染めて顔を白塗りにした上で、やはりド派手な虹色のスーツとワイシャツとネクタイに身を包んだピエロの身なりの執行人エグゼキューターである。

「おっと、あの始末屋ともあろうお方が俺の事を覚えていてくれただなんて、こいつは光栄だね!」

「何を言う。貴様こそ、そんな派手なピエロの格好をしておいて、忘れろと言う方が無理な相談だ」

 始末屋がそう言えば、サイコクラウンはさも愉快そうに、やはり煙草のヤニで汚れた象牙色の歯を覗かせながらくっくと笑った。

「成程、成程、成程! それは確かに、言い得て妙ってもんだ! なにせこの俺は、音に聞こえた爆弾魔として知られる『気狂いピエロ』のサイコクラウンだからな! しかしながら始末屋、何もこの会場で無駄に注目を集めているのは、俺一人だけじゃないぜ? ほら、見てみろよ! 俺らみたいな『大隊ザ・バタリオン』に所属する執行人エグゼキューター達の中でも最強の一角と名高い、あの『ザ・シング』の四人も雁首を揃えていやがるからな!」

 やはりくっくと笑いながらそう言ったサイコクラウンが廊下の中央付近を指差せば、確かにそこには彼の言葉通り、ソリッド、リキッド、ガス、プラズマの四人からなる闇の集団『ザ・シング』の姿が眼に留まる。その全身を隙間無く、デジタル迷彩模様の戦闘服とフルフェイスのガスマスクでもって包み込んだ彼ら四人の姿は、数多の裏稼業のならず者達が居並ぶホテルハイエロファント・モナコの廊下に於いても一際異彩を放っていたと言わざるを得ない。

「確かに、あそこに見える四人組は『ザ・シング』の連中で間違い無いな。しかしながらあんなランキング最上位の凄腕の執行人エグゼキューターを、一体どこの誰が雇ったと言うんだ?」

「ああ、何でも俺が伝え聞いたところによれば、あのオリファー財団のCEOの警護人ボディガードとして雇われたらしいぜ? さすがは世界最大規模の時価総額を誇る財団のトップを務める人物だけあって、雇い入れる警護人ボディガードの格もまた桁違いって訳だ!」

 サイコクラウンはそう言って始末屋の疑問に答えつつ、尚も煙草のヤニで汚れた象牙色の歯を覗かせながら、くっくとさも愉快そうに笑った。彼が笑う度に、その猛烈な口臭、つまりドブの底に溜まったヘドロをニコチンとタールで煮締めたかのような匂いがぷんと周囲に漂う。

「それにしてもサイコクラウン、貴様、さっきから随分と煙草のヤニ臭くて仕方が無いぞ。まさかとは思うが、あたしが大の煙草嫌いと知った上での露骨な嫌がらせのつもりか?」

 すると普段から酒も煙草もたしなまない健康志向の始末屋が、情け容赦無くそう言い放ち、サイコクラウンの口臭のあまりの不愉快ぶりを堂々と咎めてのけた。すると咎められたサイコクラウンは益々愉快そうにくっくと笑い、むしろその口臭は周囲に拡散するばかりで、まるで埒が明かない。

「おっと、こいつは失礼! まさかこの俺とした事が、よりにもよってあんたみたいな高貴なご婦人の前で不快な口臭を振り撒いちまうとは、うっかりしてたぜ! それじゃあ始末屋、そろそろ会議も終わる頃だし、俺はこの辺りでおいとまさせてもらう事とするよ! アディオス!」

 最後にそう言い残って声高らかに大笑いしたサイコクラウンは、ド派手な虹色に染められた頭髪と白塗りの顔、そしてド派手な虹色のスーツとシャツとネクタイを風に靡かせながら、ホテルハイエロファント・モナコのレセプションホール前の廊下を埋め尽くす人垣の向こうへとその姿を消した。そして彼の姿が完全に見えなくなると、始末屋とサイコクラウンとの遣り取りを傍観していたアイーダ・サッチャーが問い掛ける。

「おい、始末屋。一体何だったんだ、今の妙ちきりんな格好の、派手で不愉快なピエロ野郎は?」

「なんだアイーダ・サッチャーよ、貴様、知らんのか? 奴は『気狂いピエロ』のサイコクラウンと言って、暗殺対象の行く先々に事前に爆弾を仕掛けておいて遠隔操作でもって爆殺する手口を得意とする、正々堂々と獲物と向き合おうともしないケチで卑怯な執行人エグゼキューターの一人さ」

「ふうん、そうか」

 サイコクラウンの素性について自分から尋ねておきながら、アイーダ・サッチャーは如何にもつまらなそうにそう言って、さも最初から興味が無かったとでも言いたげにぷいと顔を背けてみせた。

「ああ、そうだ」

 しかしながら始末屋もまたそう言って顔を背け、取り立ててアイーダ・サッチャーの言動に興味を示さず、わざわざ彼女が売った喧嘩を買うような大人気無い真似はしない。

「!」

 すると程無くしてレセプションホールと廊下とを隔てる大扉が不意に開放されたかと思えば、サイコクラウンの言葉通り都合三日間の日程で開催されていたビルダーバーグ会議の幕が下ろされたらしく、各界の有力者や著名人で構成された会議の列席者達がぞろぞろと退席し始める。

「どうやら、ようやく会議が終わったようだな」

「そんな事は、わざわざあんたに言われずとも分かってる! さあ、いつまでもこんな所でぐずぐずしてないで、ヴィロ王子を迎えに行くぞ!」

 ともすれば喧嘩を売るような忌々しげな表情と口調でもってそう言ったアイーダ・サッチャーは、始末屋と共に開け放たれた大扉の元へと歩み寄ると、やがて姿を現したヴィロ王子を出迎えた。

「お疲れ様です、ヴィロ王子。お待ちしておりました」

 出迎えたアイーダ・サッチャーがそう言ってヴィロ王子を労えば、労われた彼は真紅のサッシュが巻かれた仕立ての良いスーツの襟を正し、煌びやかな勲章の数々をぎらぎらと光り輝かせながらこれに応じる。

「ああ、ありがとう、アイーダ。これでようやく、今年度のビルダーバーグ会議も全日程を消化して、晴れて解放された私も清々しい気分で一杯だよ。しかしながら実に三日間も根を詰めて話し合ったものだから、年甲斐も無く随分と疲れ果ててしまった事も、疑いようの無い事実だ。だからこそ一刻も早く自分の客室に戻って、ゆっくりと休息を取りたくて仕方が無いね」

 彼を出迎えた始末屋とアイーダ・サッチャーの二人に向けてそう言った壮年のヴィロ王子は、レセプションホールから退出した他の会議の列席者達や警護人ボディガード達と肩を並べながら、ホテルハイエロファント・モナコのエレベーターホールの方角へと足を向けた。そして自分達の順番が回って来るまでその場でジッと礼儀正しく待ち続けた後に、ようやく到着したエレベーターに乗り込むと、彼が宿泊する客室が在る階層へと三人揃って移動する。

「それでは始末屋、済まないが、私と一緒に私の寝室までご相伴願えないだろうか? それとアイーダ、今日はもう、キミは下がってよろしい。自分の客室で、ゆっくり朝まで休むと良いだろう」

 最上階から見て一つだけ下の階層に在るプレジデンシャルスイートルームの扉の前でそう言って、ヴィロ王子は始末屋に寝室への相伴、つまり連れ立っての入室を要請すると同時に、アイーダ・サッチャーには彼女の客室への帰還を命じた。

「ああ、別に構わん」

かしこまりました、ヴィロ王子。それでは本日のところは、これで客室に下がらせていただきます」

 そう言って始末屋と共にヴィロ王子の命令を承諾したアイーダ・サッチャーがその場でくるりと踵を返し、プレジデンシャルスイートルームの扉の前から立ち去ると、後には駱駝色のトレンチコートに身を包む始末屋と壮年のヴィロ王子の二人だけが取り残される。

「さあ、遠慮無く入りたまえ」

 ドアノブに手を掛け、手ずから扉を開けたヴィロ王子はそう言って、プレジデンシャルスイートルームの室内へと始末屋を招き入れた。モナコ公国随一の高級ホテルとして知られるホテルハイエロファント・モナコで最もグレードが高い客室だけあって、足を踏み入れたプレジデンシャルスイートルームは一般の客室のそれとは比較にならないほど豪奢かつ格式高く、広壮な室内には当代きっての職人による金細工が施された家具や調度品が下品にならない程度の間隔でもって設置されている。

「始末屋、キミも楽にするといい。それとバーカウンターに飲み物が揃っているから、ワインでもブランデーでも、何でも好きな物を飲みたまえ」

「いや、結構だ。あたしはこう見えても、酒も煙草もたしなむ趣味は無い」

 そう言った始末屋に酒を勧めたヴィロ王子は残念そうに肩を竦めつつも、客室のバーカウンターへと移動し、ワインセラーに並べられていた赤ワインのボトルの内の一本を手に取った。そして埃一つ、指紋一つ付着していないワイングラスに注いだその中身をぐっと一息に飲み干せば、そんな彼を始末屋は問い質さざるを得ない。

「それで、ヴィロ王子? わざわざ自分の客室に招き入れるような真似をして、このあたしに一体何の用だ? まさか何の用も無く、只の気紛れでもって招き入れた訳でもあるまい」

 始末屋がそう言って問い質してみれば、問い質されたヴィロ王子は空になったワイングラスをバーカウンターにそっと置いてから、その端正な顔に下卑た表情を浮かべながら意味深にほくそ笑む。

「ああ、そうだな。キミの方からそう言って問い掛けて来てくれると、話が早くて助かるよ。実は折り入って、私からキミに頼みたい事があってね」

「と、言うと?」

「遠回しに言っても詮無い事なので、包み隠さず、単刀直入に言わせてもらおう。始末屋よ、今から私に抱かれてはくれないか?」

「……は?」

 突然降って湧いたヴィロ王子の申し出に、プレジデンシャルスイートルームの広壮にして豪奢な室内で彼と二人きりになった始末屋は、彼女にしては珍しく眉をひそめながらそう言って問い返した。

「よりにもよって、このあたしを抱きたいだと? それはまた、一体どう言った種類の冗談だ?」

「決して冗談などではなく、まさに文字通りの意味でもって、私は一人の男としてキミを抱きたいのだよ。いや、抱きたいなどと言う回りくどい言い方では誤解を招きかねないので、そのものずばり、セックスの相手になってほしいとでも言っておくべきかな? どうだい、始末屋? 同意してくれるかい?」

 ヴィロ王子が至って真剣な表情と口調でもってそう言えば、そんな彼を始末屋は重ねて問い質す。

「だとすると、貴様がこのあたしにセックスの相手になってほしいなどと要求する、その理由は? まさかその歳になってから純愛に目覚めて、あたしに惚れたと言う訳でもあるまい」

「そうだな、その点に関しても、キミには当事者の一人として事の詳細を知っておくべき義務と権利がある。実は私は、この世界に存在するありとあらゆる人種や民族の女性との性交渉を、隠れた趣味としていてね。いや、単なる趣味などではなく、むしろ生き甲斐か天職ライフワークと表現してしまっても構わない。だからこそ始末屋、キミの様に特に個性的な女性を、是非とも抱いておきたいと言う欲求が私の胸の内にふつふつと湧き上がったと言う訳だよ」

「そうか、成程。あまりいい趣味とは言えんが、理解は出来る」

 理路整然としながらも自由奔放なヴィロ王子の言い分に、始末屋は特に驚きもせず、嫌悪感を示しもしないままそう言って得心した。

「そうかそうか、そう言ってくれると、私としても嬉しいよ。残念ながら、今のキミと同じように過去に性交渉を要求した女性達の中には、私の高尚な趣味に理解を示してくれない者も決して少なくないのが偽らざる実情でね。返す返すも残念ながら、男のロマンと言うものは、なかなか女性には理解されないものだ」

 かぶりを振りながらそう言って、彼の隠れた趣味を理解してもらえなかった事を嘆くかのように溜息を吐いたヴィロ王子は、改めて始末屋に問い掛ける。

「それで、始末屋よ。事の詳細を伝えた上で再度尋ねるが、キミは私に抱かれてくれるかい?」

 この問い掛けに対して、始末屋は返答を躊躇ためらわない。

「ああ、別に構わん。好きにしろ。勿論自ら進んで貴様に抱かれたいなどとは毛の先ほども思わんが、別に何かが減る訳でもないし、己の欲求に素直に従う貴様の男気に免じて抱かれてやろう。ただし、貴様から報酬を受け取るから抱かれる訳ではない事を、決して忘れるな。金のために女を売ったなどと思われては、あたしの面子メンツと沽券に関わる。いいな?」

「そう言う事なら、どうか安心してくれたまえ。私はこう見えても口が堅いし、世界中の女性との性交渉はあくまでも自己満足のための隠れた趣味であって、他人に自慢する事を目的としてはいないからな。キミを抱いたと言う事実は、責任もって墓まで持って行く事を、ここに誓おう」

「そうか、それなら何の問題も無い。貴様に抱かれてやろう」

 性交渉の事実は決して口外しないと言うヴィロ王子の釈明に、始末屋は事も無げにそう言って、彼に抱かれる事をあっさりと了承した。どうやら彼女は恋仲にある訳でもない赤の他人との性交渉の有無や是非にも、あまり頓着しない性分らしい。

「キミの様に物分かりが良い女性が相手なら、話が早くて助かるよ。それではさっそくだが、寝室に移動しようか」

「ああ、いいだろう」

 そう言った始末屋とヴィロ王子の二人は、ホテルハイエロファント・モナコのプレジデンシャルスイートルームのリビングを縦断すると、やがてキングサイズのベッドが二つも並ぶ寝室へと足を踏み入れた。そして寝室に足を踏み入れたヴィロ王子はその場でくるりと踵を返し、彼の背後に立つ始末屋に要望する。

「さあ、始末屋よ。今すぐこの場で、私に、私だけに、キミの裸体を見せてはくれないかい?」

 ヴィロ王子がそう言えば、始末屋はおもむろに、身の丈が210cmにも達する彼女の身体を包む駱駝色のトレンチコートを躊躇する事無く脱ぎ始めた。その懐に仕舞われた必殺の得物である手斧ごとトレンチコートを脱ぎ捨て、続いて黒い三つ揃えのスーツにワイシャツ、それに真っ赤なネクタイをも次々と脱ぎ捨てる。そしてブラジャーやショーツと言った下着類すらも脱ぎ捨ててしまえば、遂にギリシャ彫刻の男性像の様に鍛え抜かれた彼女の裸体が白日の下に晒され、その逞しさと美しさは殊更であった。

「これでいいか、ヴィロ王子?」

 一糸纏わぬ全裸となり、濃褐色の乳首も陰毛も女性器も露になった始末屋がそう言って問い掛ければ、問い掛けられたヴィロ王子は思わず感嘆と嘆美の溜息を漏らさざるを得ない。

「素晴らしい! 何と言う素晴らしい肉体だ! 私がこれまで抱いて来た世界中の数多の女性達の中でも、これほどまでの逞しさと美しさを誇る者は、片手で数えるほども存在し得ないだろう!」

「そう言ってもらえれば、あたしとしても光栄だ」

 彼女の裸体の逞しさと美しさを手放しで称賛するヴィロ王子の姿に、始末屋はほんの少しだけ嬉しそうな表情と口調でもってそう言って、冷静沈着を旨とする彼女にしては珍しく満更でもない様子であった。

「それで、これからどうする? 今すぐにでもあたしのまんこに貴様のちんこを突っ込んで、発情期の野良犬の様に、みっともなく腰を振りたいか? それとも前戯とピロートークにたっぷり時間を掛けながら、大人の男女のムードや情緒とやらを大切にするのが貴様のやり方か?」

 全裸の始末屋が惜し気も無く乳首や女性器を晒しながらそう言えば、そんな彼女の下品で無遠慮な言葉遣いが壺にまったらしいヴィロ王子は相好を崩し、くっくと愉快そうに笑う。

「素晴らしい! やっぱりキミはこの上無く素晴らしい女性だよ、始末屋! そんなキミをこの腕に抱けると言う僥倖を得た事を、神に感謝せずにはいられない! さあ、それでは始末屋よ、キミは先にシャワーを浴びて来るがいい! 特に念入りに、肛門と女性器を洗っておきたまえ!」

「ああ、そうさせてもらおう」

 そう言った全裸の始末屋はくるりと踵を返し、寝室にヴィロ王子を残したまま、プレジデンシャルスイートルームのバスルームの方角へと足を向けた。そして彼女が宿泊している一般の客室とは比較にならない程の、広々としたガラス張りのシャワースペースに足を踏み入れると、シャワーヘッドからほとばしる熱湯を浴びて身体にこびり付いた汗と埃を洗い流す。

「……」

 広く清潔なプレジデンシャルスイートルームのバスルームでざぶざぶと頭から熱湯を浴びながら、やはり冷静沈着を旨とする彼女にしては珍しく、眼を瞑った全裸の始末屋は過去の出来事を静かに回想していた。回想するのは、彼女が生まれて初めて男に抱かれる事となった経緯と、その場に居合わせた一人の女性との関係性についてである。

「グリズリー、着いたよ」

 そう言った彼女ら二人を乗せたハマーH14ドアワゴン、つまりAMゼネラル社が製造及び販売する軍用車輛であるハンヴィーを改修した民間車輛は、とある北国の夜の風俗街の一角で停車した。防弾仕様の車窓越しに眺める街路は多くの酔客や夜の店の常連客、それに客引きの風俗嬢や売春婦たちんぼ達で賑わい、所狭しと立ち並ぶ風俗店の極彩色のネオン看板の灯りが眼に眩しい。

「それで、グリズリー? キミは本当にいいのかい、こんな所で処女を捨てる事になってさ?」

 ハマーH1の運転席に腰を下ろした小柄な少女がそう言って問い掛ければ、助手席に腰を下ろした褐色の肌の大女、つまり若き日の始末屋は返答する。

「ええ、師匠。自分で決めた事ですから」

 天を突くようなその身を革のジャンパーに包んだ若き日の始末屋はぶっきらぼうな口調でもってそう言って、ハマーH1の助手席に腰を下ろしたまま、やはり防弾仕様の車窓越しの風俗街の喧騒に耳目をそばだてていた。そんな若き日の始末屋は今現在の彼女よりもずっと幼く瑞々しく、身長も若干ながら低く未成熟で、トレードマークである駱駝色のトレンチコートも未だ着てはいない。

「しかし何でまた、急に処女を捨てたいから街に連れて行ってくれだなんて馬鹿な事を言い出したのさ、キミは?」

 すると若き日の始末屋が『師匠』と呼んだ運転席の小柄な少女、つまり頭部に一対の獣耳と、同じく一対の山羊か何かのそれの様な立派な角が生えた少女は肩を竦めながらそう言って呆れ返った。どうやらこの師匠と呼ばれる少女は、その顔立ちや背格好などから想起され得る年齢と実年齢が、世間一般的な常識の範疇以上に乖離してしまっているものと考えられる。

「お恥ずかしい話ですが、あたしはこの歳になるまで、男と言うものを一切知らずに生きて来ました。しかしながら遠からず『大隊ザ・バタリオン』の執行人エグゼキューターの一人にその身をやつす以上、いつまでも未熟な処女のままでは居られません。ですから自分自身の意志でもってそれを実行出来る今の内に、処女を捨てておきたいのです」

「ふうん、なあグリズリー、キミって奴は、本当に真面目なんだか何なんだか良く分からない奴だね。まあ、キミが自分から処女を捨てたいって言うのなら、あたしがそれを阻止するいわれも無いけどさ」

 若き始末屋の独創的な決意表明を耳にした獣耳と山羊角の師匠はそう言って、やはり肩を竦めながら、益々をもって呆れ返るばかりであった。ちなみに彼女が言うところの『グリズリー』とは、始末屋の本名である『グリズリー後藤』の略称、もしくは愛称に他ならない。

「それで、こうしてキミに言われるまま風俗街まで足を運んではみたものの、これから一体どうやって処女を捨てるつもりなんだい? そこら辺をほっつき歩いている若いホストでも逆ナンしてホテルに連れ込むつもりなのか、それとも高い金を払って、男娼でも買うつもりなのかな? ん?」

 路肩に駐車したハマーH1の車内で、運転席の獣耳と山羊角の師匠がそう言って問い掛ければ、助手席の若き始末屋はやはり防弾仕様のフロントガラスの向こうの、妙に装飾過多な一棟の建造物を指差しながら口を開く。

「あれです」

「ん? あれ? あれは、只のソープランドだよ? 男が童貞を捨てるならともかく、女が処女を捨てるべき場所じゃない筈だけどなあ」

 頭の上に見えない疑問符を浮かべながらそう言った獣耳と山羊角の師匠の言葉通り、始末屋が指差した建造物は特殊浴場、つまり俗に『ソープランド』と呼称される男性客向けの風俗店の一つであった。

「まさかとは思うけど、今からあのソープランドに勤めるソープ嬢になって、性的なサービスを求める常連客を相手に処女を捨てようって言う魂胆じゃないだろうね?」

「いえ、違います。まあ、師匠はそこで見ていてください」

 そう言って獣耳と山羊角の師匠の言葉を否定した若き始末屋はシートベルトを外して助手席側のフロントドアを開け、ハマーH1から降車して夜の風俗街に降り立つと、そのまますたすたとソープランドの店先へと歩み寄る。

「ん? あれは……」

 すると獣耳と山羊角の師匠はそう言いながら眼を凝らし、若き始末屋が歩み寄りつつあるソープランドの店先で、先程から一人の若い男性がうろうろと右往左往しているのを見咎めた。それはやや小柄で痩せていて、度の強い眼鏡を掛けて野暮ったいダッフルコートに身を包んだ、如何にも気の弱い男子大学生と言った風貌の若い男性である。

「グリズリーの奴、一体全体、何をおっぱじめるつもりなんだ?」

 ハマーH1の車内に取り残された獣耳と山羊角の師匠はそう言って訝しみながら、その頭部に生えた一対の獣耳をそばだて、常人を遥かに凌駕する聴力でもって若き始末屋の言動を察知しようと試みた。すると彼女の鼓膜に、ソープランドの店先へと歩み寄った若き始末屋が、その店先で右往左往していた男子大学生を問い質す声が届く。

「おい、そこの貴様」

「ふえ? ……あ、はい、えっと、ぼ、ぼぼぼ僕に、な、ななな、なに、何かご用でしょうか?」

「貴様、ここに何しに来た?」

 若き始末屋がそう言って問い質せば、突然見ず知らずの女性、それも身の丈が2mにも達する褐色の肌の大女を前にした男子大学生はおろおろと泡を喰いながら狼狽せざるを得ない。

「さては貴様、この店に童貞を捨てに来たな?」

「え? あ、はい、いや、そ、そそそそうじゃなくて、えっと、その、ななな何と言いますか……その……」

「どうせ通っている大学のサークルか何かで童貞である事を馬鹿にされて、仲間内で見得を張るために、手っ取り早く近場のソープランドまで童貞を捨てに来たんだろう? そして必死で搔き集めた有り金を握り締めて入店しようとしたものの、いざとなったら覚悟が決まらずに、さっきから店先をうろうろしているんだな? 違うか? ん?」

「……」

 畳み掛けるような若き始末屋の追及に、どうやら図星を突かれる格好になってしまったらしい男子大学生は顔面を真っ赤に紅潮させながら項垂れ、とうとう何も言えないまま黙りこくってしまった。まさか仲間内で見得を張るためだけにソープランドまで足を運ぶとは、例え若気の至りとは言え、却って恥の上塗りをしているとしか思えない程の愚かな行為と言わざるを得ない。しかしながらそんな愚かな男子大学生を、若き始末屋は更に問い質す。

「それで貴様、ちゃんと事前に予約して、目当てのソープ嬢のスケジュールは押さえてあるんだろうな?」

「え? あ、いや、その、押さえて……いません……」

「つまり貴様は、予約もせずに、全くの飛び込みでもって童貞を捨てるつもりだったと言う訳か?」

「……はい……そうです……」

「だったら、勢い任せに入店するのは止めておく事だな。予約無しで目当てのソープ嬢のスケジュールが押さえられる可能性は限りなくゼロに近いし、それでもサービスを要求したとするならば、歳を誤魔化したよぼよぼのばばあのソープ嬢を宛がわれるのがオチだぞ。貴様だってその若さで、皺だらけのよぼよぼのばばあに、わざわざ高い金を払ってまでせっかくの童貞を奪われたくはあるまい」

 若き始末屋がそう言って説得すれば、説得された男子大学生は自らの無謀さと無計画ぶりに恥じ入り、再び顔面を真っ赤に紅潮させて項垂れたまま黙りこくってしまった。そしてそんな気の弱そうな眼鏡の男子大学生に、彼の眼前に立ちはだかった若き始末屋は、突然提案し始める。

「そこで、貴様に提案する。今からそこのラブホテルで、互いの処女と童貞とを捨て合わないか?」

「……は?」

 ソープランドの斜向かいに建つ西洋の城を模したラブホテルを指差しながらの若き始末屋の提案に、男子大学生はそう言って眼を点にしながら、きょとんと呆けるばかりであった。何度も言うようだが突然姿を現した見ず知らずの女性、それも身の丈が2mにも達する褐色の肌の大女が一緒に処女と童貞を捨てようなどと言い出したのだから、彼が殊更に驚くのも無理からぬ事である。

「勿論あたしは、そこらに突っ立っている売春婦たちんぼどもとは違い、貴様から金を取るつもりは微塵も無い。むしろ何であれば、ラブホテルの休憩料金だって、あたしが全額支払ってやっても構わんからな。何故ならあたしの目的は、貴様のちんこをあたしのまんこに突っ込んで、手っ取り早く処女を捨てる事だけだからだ。だから、どうだ? たまたま通り掛かった見知らぬ女と一夜の恋に落ちたと思えば、決して悪い話じゃないだろう? ん?」

「……」

 若き始末屋の強引かつ無茶苦茶な誘惑の言葉の数々に、眼鏡の男子大学生は無言のまま視線を宙に泳がせながら、激しく逡巡している様子であった。決して裕福とは言えない苦学生にとって、ソープランドで浪費する筈だった入浴料とサービス料を支払わずに済むのは僥倖だが、かと言って眼の前の褐色の肌の大女の言い分を安易に信用する訳にも行かないからである。

「……でも……そんな……僕は……その……どうしよう……」

 如何にも気が弱そうな眼鏡の男子大学生はおろおろと狼狽しながらそう言って、若き始末屋に頭上から見下ろされつつも、どっちつかずな女々しい態度を延々と繰り返すばかりであった。しかしながら、そのどっちつかずな態度こそが、却って若き始末屋の逆鱗に触れてしまう。

「ええい、間怠まだるっこしい! 行くぞ! 一人前の男が、据え膳を喰わないようでどうする!」

 その若さ故に未だ冷静沈着を旨としてはいないのか、ややもすると声を荒らげながらそう言った若き始末屋は、眼鏡の男子大学生の身体を俗に言うところの『お姫様抱っこ』の格好でもって強引に抱き上げた。

「!」

 突然抱き上げられてしまった男子大学生は眼を白黒させながら困惑し、手足をばたばたとばたつかせて抵抗するものの、若き始末屋の常人を遥かに凌駕する膂力の前では車輪に立ち向かう蟷螂とうろうの斧にも等しい。

「さあ、行くぞ! 暴れるな! 貴様のちんこをあたしのまんこに突っ込んで、しっかり精液を搾り取ってやるから、覚悟しろ!」

 そう言った始末屋は男子大学生を『お姫様抱っこ』の格好でもって抱き上げたままくるりと踵を返し、ラブホテルの方角へと足を向けると、そのまま西洋の城を模したラブホテルの敷地内へと二人揃って姿を消してしまった。そしてそんな二人の動向を、頭部に生えた一対の獣耳をそばだてながらうかがっていた獣耳と山羊角の師匠は呆れ返り、ハマーH1の車内で天を仰ぐ。

「まったく、グリズリーの奴は相変わらず強引で、何でもかんでも力尽くでもって解決しようとする困った娘だねえ。それにしても、ソープランドで童貞を捨てたものかどうか躊躇ためらっている男の子を逆ナンしてラブホテルに連れ込むとは、彼女らしいと言えば彼女らしいやり方なのかな? まあ、何はともあれ、これでグリズリーの奴もお望み通り処女を捨てられるって訳だな」

 ハマーH1の車内でそう言って呆れ返る獣耳と山羊角の師匠を他所に、若き始末屋は回想を終えると、ホテルハイエロファント・モナコのプレジデンシャルスイートルームのバスルームで熱湯を浴びている時間軸へと帰還した。彼女が過去を回想し始めてから回想し終えるまでの一連の思い出話の数々は、現実世界では僅か数分間の些末な出来事でしかない。

「ふう」

 やがて汗と埃を洗い流し終えた始末屋はそう言って、ガラス張りのシャワースペースから退出すると、備え付けのバスタオルでもって濡れた身体を拭きながらバスルームを後にした。そしてプレジデンシャルスイートルームの寝室に取って返し、そこで待っている筈のヴィロ王子にも入浴を促す。

「ところでヴィロ王子よ、このあたしにちんこを舐めてもらいたいと言うのなら、貴様も早くシャワーを浴びて……」

 しかしながら一糸纏わぬ全裸の始末屋がそう言って寝室に取って返してみれば、その寝室の床に大の字になりながら、バスローブ姿の壮年のヴィロ王子がごろりと寝転がるような格好でもって横たわっていた。しかもそんなヴィロ王子の無防備な頭部には、必殺の得物である始末屋の手斧の切っ先が深々と突き刺さっていたのだから、これは尋常ならざる事態が発生していると言わざるを得ない。

「おい、どうした! しっかりしろ!」

 始末屋はそう言って、如何にも高価そうな絨毯が敷かれた寝室の床に横たわるヴィロ王子の元へと駆け寄るものの、その頭部を縦方向に真っ二つに両断された彼は既に息絶えてしまっていた。そしてそんなヴィロ王子の血と脳漿まみれの惨殺死体を始末屋が検分していると、不意に寝室に姿を現した長身の女性が、シャワーを浴び終えたばかりの全裸の彼女に警告する。

「始末屋! そこを動くな!」

 果たしてプレジデンシャルスイートルームの寝室に姿を現すなりそう言って始末屋に警告した長身の女性とは、超硬合金の光沢も鮮やかな強化外骨格パワードスーツに身を包む、始末屋と共にヴィロ王子の身辺警護を任されていたアイーダ・サッチャーその人であった。

「今すぐ立ち上がり、ヴィロ王子から離れろ! ゆっくりと、両手の掌をこちらに向けたまま、窓の傍まで移動するんだ! 少しでも馬鹿な真似をするようなら、その時は容赦無く、撃つ!」

 そう言って重ねて警告するアイーダ・サッチャーの身を包む強化外骨格パワードスーツの右腕に内蔵された、一撃必殺の威力を誇る荷電粒子砲イオンブラスターの砲口は始末屋に向けられ、高温高圧の荷電粒子イオンパーティクルを今にも射出せんと身構えられている。

「……死んでいる。始末屋、あんたがったのか?」

 始末屋を寝室の奥の窓際へと退かせたアイーダ・サッチャーは床に転がるヴィロ王子の死体に歩み寄り、彼の死を確認するとそう言って、始末屋を問い質した。

「いや、あたしはっていない。ついさっきシャワーを浴び終えたあたしが寝室に戻って来た時には、ヴィロ王子は既に死んでいた」

 一糸纏わぬ全裸の始末屋はそう言って身の潔白を主張するものの、彼女を蛇蝎の如く忌み嫌って止まないアイーダ・サッチャーは、そんな始末屋の言葉を軽々には信じない。

「嘘だ! もし仮にあんたがったのではないとしたら、何故あんたの手斧がヴィロ王子の頭に突き刺さっている? それに、何故あんたは裸なんだ? ……ははあ、さてはヴィロ王子から肉体関係を迫られたあんたが激昂し、ついつい勢い余って、雇い主である筈の彼を殺してしまったんだな? そうだ、そうに決まってる! 潔く白状しろ、始末屋!」

「違う、誤解だ! 断じて、あたしはっていない!」

 そう言って重ねて身の潔白を主張する始末屋の言葉に一切耳を貸さぬまま、アイーダ・サッチャーはその身を包む強化外骨格パワードスーツに内蔵された無線LAN機能を利用してネット回線へと接続し、外部との通話を試みる。

「もしもし、あたしだ。アイーダ・サッチャーだ」

「これはこれはサッチャー様、ご無沙汰しております! それでサッチャー様、何か、お困りで?」

 強化外骨格パワードスーツの頭部に内蔵された外部スピーカー越しにそう言ってアイーダ・サッチャーの問い掛けに応じたのは、その妙にテンションの高い声色と口調から推測するに、始末屋とも顔馴染みである筈の『大隊ザ・バタリオン』の調整人コーディネーターの男に相違無い。

調整人コーディネーターよ、始末屋が、よりにもよって依頼人であるヴィロ王子を殺してしまった」

「なんと! 始末屋様が? それは一大事でございますが、本当に、始末屋様が依頼人様を殺害なさったので?」

「ああ、間違い無い。室内の様子を確認しに来たあたしが彼と始末屋しか居ない筈のホテルの客室に足を踏み入れてみれば、ヴィロ王子の頭部が始末屋の手斧によって、真っ二つに叩き割られていたんだからな!」

 アイーダ・サッチャーはそう言って、強化外骨格パワードスーツの右腕に内蔵された荷電粒子砲イオンブラスターを構えたまま調整人コーディネーターの男に報告するが、全裸の始末屋はこれに異を唱える。

「違う! 誤解だ! あたしがシャワーを浴び終えた時には、ヴィロ王子は既に、何者かの手によって殺害されていたんだ!」

「見苦しいぞ、始末屋! 白々しい虚偽の証言を重ねずに、潔く自分の罪を認め、相応の裁きと報いを受けるがいい! さあ、調整人コーディネーターよ! 彼女の罪状を調整コーディネートしてくれ!」

 しかしながらアイーダ・サッチャーはそう言って断罪し、彼女が荷電粒子砲イオンブラスターの砲口を向ける褐色の肌の大女が咎人であると確信し切っているのか、始末屋の釈明には一切耳を貸さない。するとそんなアイーダ・サッチャーに調整コーディネートを依頼された調整人コーディネーターの男は、やはり妙にテンションの高い声色と口調を維持しつつ、無情にも裁きを下す。

かしこまりました、サッチャー様! 我々『大隊ザ・バタリオン』の厳格にして峻峭しゅんしょうなる規則に則れば、依頼人殺しは最大級の禁忌タブーの一つであります! そしてそんな禁忌タブーを犯した大罪人は、一切の例外無く『禁忌破り』の罪状によって、死罪を宣告される事は疑う余地がありません!」

「つまり?」

「つまり現時刻をもって、無慈悲ながらも『禁忌破り』である始末屋様に、死罪が宣告されました! これより始末屋様は、我々『大隊ザ・バタリオン』に所属する全ての執行人エグゼキューター達によって命を狙われ、彼女を抹殺した執行人エグゼキューターは依頼外での同族殺しの罪には問われません!」

「そうか、成程。だとしたら、今この場であたしが始末屋を殺してしまっても構わないんだな?」

「はい、サッチャー様! どうぞ、ご自由に!」

 調整人コーディネーターの男が強化外骨格パワードスーツの外部スピーカー越しにそう言えば、その言葉を始末屋抹殺の免罪符と判断したアイーダ・サッチャーはにやりと不敵にほくそ笑んだ。そして彼女がこちらに向けた荷電粒子砲イオンブラスターの砲口が光り輝き、高温高圧の荷電粒子イオンパーティクルを更に圧縮し始める。

めろ、アイーダ・サッチャーよ! 撃つな!」

「問答無用! さあ、始末屋よ! このあたしの手によって死ぬがいい!」

 始末屋の制止も空しく、勝利を確信しながらそう言ったアイーダ・サッチャーは強化外骨格パワードスーツの右腕に内蔵された荷電粒子砲イオンブラスターの引き金を躊躇無く引き絞り、高温高圧の荷電粒子イオンパーティクルが音速のおよそ十倍の速度でもって射出された。

「くっ!」

 しかしながら全裸の始末屋は咄嗟に身を翻し、こちらへと飛び来たる超音速の荷電粒子イオンパーティクルの塊を紙一重のタイミングでもって回避してみせたものの、直撃しなかったにもかかわらず荷電粒子イオンパーティクルが僅かに掠めた脇腹の皮膚に軽い熱傷を負う事ばかりは避けられない。そして幸か不幸か標的に命中しなかった荷電粒子イオンパーティクルの塊は、それを回避した始末屋の背後に並ぶ、ホテルハイエロファント・モナコのプレジデンシャルスイートの防弾仕様の窓ガラスをどろどろに溶かし尽くしてしまった。想像を絶するアイーダ・サッチャーの荷電粒子砲イオンブラスターの威力に、その荷電粒子砲イオンブラスターによって命を狙われた始末屋もまた感嘆せざるを得ない。

「糞っ! 外したか!」

 そう言って口惜しがりながらも、強化外骨格パワードスーツに身を包むアイーダ・サッチャーは更なる攻撃に備え、その右腕に内蔵された荷電粒子砲イオンブラスターの弾倉内の高温高圧の荷電粒子イオンパーティクルを再圧縮し始める。

「!」

 すると反撃に転じたものかどうか一瞬だけ逡巡した全裸の始末屋は、背後のどろどろに溶かし尽くされた防弾仕様の窓ガラスを体当たりでもって突き破り、ホテルハイエロファント・モナコの建屋から豪快に退出してみせた。アイーダ・サッチャーが荷電粒子イオンパーティクルを再圧縮し終えるのと、寝室のベッドの上に脱ぎ捨てられた彼女のトレンチコートの懐の手斧を回収するのとどちらが早いのかを天秤に掛けた結果の、賢明な判断である。

「おい! 逃げるな、始末屋! あんたは逃げも隠れもしないんじゃなかったのか! この卑怯者め!」

 そう言って悪態を吐くアイーダ・サッチャーの罵声を背中で聞きながら、窓ガラスを突き破った全裸の始末屋は地球の重力に従いつつ、ホテルハイエロファント・モナコのほぼ最上階から地表への自由落下の途上にあった。そしてそんな彼女は『大隊ザ・バタリオン』に所属する全ての執行人エグゼキューター達によって命を狙われる、事実上の死刑が宣告された『禁忌破り』の身の上である事を忘れてはならない。

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