第4話 そして永久に
瞼を開けると、中性的な顔立ちをした白髪の子どもが暗闇の中にぽつんと立っていた。
その子の背中には小さな羽が生えており、それで人間ではないことが分かった。
「私は死んだのでしょうか?」
「流石、飲み込みが早いね。」
ゆっくりと思い出す。
花屋で桜の木の枝を買った帰り道、背中に激痛を感じた。
そして痛みに倒れた私の傍らを、ナイフを持った男が走って行った。
やがて体の感覚がなくなっていき、意識が薄れ、気が付けばここにいた。
「そうだ、通り魔に刺されて……」
「そして君は死んだ。」
「ではここは天国……それとも地獄なのでしょうか?」
「あの世ということに間違いはないけど、ここは天国でも地獄でもないよ。そもそもそんなものは存在しない。魂がこちらの世界に留まることは許されていないんだ。」
「では、私はもう妻に会えないのですか?」
「うーん、どちらとも言えるかな。全ては君の捉え方、そして君の選択次第さ。」
「選択?」
「君の魂の行き先は、君自身で決めるんだ。」
死後の全ては生前の行いによって決まるものだと思っていたので、自分に選択権があることには驚いた。そして同時に疑問が湧いた。
「でも、天国は存在しないのでしょう?行き先とは何処なのでしょうか?」
「君に与えられた選択肢は2つだ。」
そう言って天使は右の手のひらを私に向かって広げると、私の頭上の砂時計がそこに吸い寄せられた。
天使の右の手のひらの上で浮かぶ私の砂時計。そして天使が左の手のひらをゆっくりと広げると、今度はそこに透き通った白い光を放つ砂時計が現れた。
「1つは、新しい器に入って次の人生を歩む道。」
天使は左手の砂時計を軽く掲げた。
「つまり生まれ変わるということですか?」
「その通り。もちろん記憶は引き継げないけどね。ズルは無しだ。ただし、また人間に生まれ変わることは保証しよう。」
「生まれ変わり……。そうするともう一つの道は、魂の消滅といったところでしょうか?」
「違うよ。」
天使は私の問いに即答した。
「一度この宇宙に生まれ落ちた魂は、生まれ変わって形を変えることはあっても、消滅することは決してないんだ。」
「では、もう一つの選択肢はというのは……?」
「君に許されたもう一つの道、それは同じ人生を繰り返すことだ。」
天使はそう言うと、今度は右手の私から奪った砂時計を掲げた。
「もう一度、人生をやり直せるのですか……?」
「やり直すというのは少し違う。こちらの道を選んでも君は記憶を失う。だから前回とほとんど同じ人生を繰り返すだけさ。」
「では再び妻に会えるのですね。」
「そうだね。だけど君の望みは叶わないよ。人の寿命は魂の器が決まった時点で既に定められている。だから君も君の奥さんも長生きは出来ない。」
「それでも構いません。もう一度妻に会えるのなら。」
「良いのかい?新しい器を選べば君はもっと長生きできるはずだよ。君の人生は、お世辞にも恵まれたものだとは言い難い。幸せな時間が余りにも短すぎたからね。僕としては、また同じ人生を繰り返す道は、あまりオススメできないな。」
「それでも良いんです。」
私は全てを理解した。
妻との出会いに何故運命を感じたのかを。
誰が私を導いたのかを。
なぜ私が砂時計を見ることが出来たのかを。
「記憶がなくなってほとんど同じ人生を繰り返すと言いましたよね?全く同じではなく。」
「……そうだね。記憶がなくなっても、魂に刻まれたデータは残りつづける。だからその影響で些細なイレギュラーが起きることはあるね。……その様子だと君はもう気付いたようだね。」
「ええ。」
私はきっともう何度も繰り返していたのだ。
砂時計を見る力は、私が生と死を繰り返す内に、魂のシステムを本能的に理解したために身につけたものなのだろう。
「それでも、寿命を変えることは絶対に出来ないよ。たとえ何回繰り返したとしても、君の奥さんは若くして死に、君はその後の数年を孤独に生きる、それは変わらない。」
「でも良いんです。」
記憶がなくなったとしても、私の魂に、私の砂に、彼女と過ごした時間が刻まれるならば十分だ。
悲しい結末が待っていることを知っていっても、構わない。
何度だって私は繰り返す。
私は彼女に
「君はなんでそうも愚かなんだい。もっと幸せになれる道があるのに。」
「私にとっての幸せは私が決めます。そもそも考えられないのです。彼女なしの幸せなんて。」
「馬鹿だね、相変わらず。」
「何度でも笑ってください。」
天使の呆れ顔に私は笑顔で返した。
「本当に良いんだね?」
「ええ、もちろん。」
「それじゃあ始めるよ。」
天使の合図と共に、透明の砂時計が虚空に消えた。
それから天使は私の砂時計を空高く掲げた。
すると砂時計は蒼白い光を放ちながらすーっと空に浮かび、そして縦方向にゆっくりと回転して天地が逆さになった。
「これでまた、さよならだ。」
天使が別れの挨拶を告げると、砂時計の砂が生前とは段違いの速度で落ち始めた。
それと同時に、天使の姿は消えた。
そして私の体から光の粒が湧き出て、空へと登り始めた。
脳内を走馬灯が駆け巡る。
私の人生が、ビデオの逆再生のように、新しい記憶から古い記憶へと順に速回しで流れていく。
妻を失い孤独に苦しむ私。
病室の窓を眺める妻。
2人暮らしには狭いアパートで過ごした日々。
式場で永久の愛を誓った日。
緊張の中、重ねた唇の感触。
初めてのデート帰りに繋いだ手の温もり。
高校の図書室——
そして眠りに着くようにゆっくりと意識が薄まっていった……
♢♢♢
あの日も私は、図書室で過ごしていた。
新しい本を探している最中、珍しく自分の他に生徒を見かけた。
地味な眼鏡を掛けた、如何にも本の虫といった感じの少女。
少女を横目に、私は本棚の一番上から一冊抜き取ろうとした。すると隣の本が引っ張られて落ちてしまった。
拾おうと伸ばした私の手に、横から伸びてきた青白い手が触れた。
顔を上げた私は思わず「あ」と声を漏らした。
雷のような衝撃が体を走り、私はしばらくの間そこから目を離せなかった。
少女が「すみません、お知り合いでしたか?」と尋ねた。
「いいえ」と答え、私は首を横に振った。
「では、私に似た知り合いでもいるんですか?」
「いいえ」と私はまた首を横に振った。
「では、何でじっと私を見つめて……それにあなた泣いていますよ。」
その言葉で初めて私は頬を伝う液体に気付いた。
「自分でも分からないんです。気にしないで下さい。」
私は咽びながら答えた。
君と刻む永久の砂時計 尾松傘 @OmatsuSun
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