第三十一話 矢澤薫の目的

 静かな空間。だが、心地のいい風が吹き、穏やかな草原だからというわけではない。


 この場にいるだけで押し潰されそうになる雰囲気を、空間全てに放っている──そんな人物が目の前にいるからだ。


 矢澤薫。レンが敗北をし、このゲームをかき回している諸悪しょあくの根源。彼が今、目の前に現れた。


「テメェ!」


「パスワードありがとう。それに、その女も死んでくれて、僕的には嬉しい事ばかりだよ」


 レンの言葉には取り合わず、自分の事をベラベラと喋っていく。どうやら、カオル自身も口が滑ってしまうくらい気分がいいらしい。


「それより、早く!」


 リンがレンを急かす。


 カオルは、「アカウントをもらう」と言っていた。このままでは、目的を果たすことができなくなってしまい、その上で、苦戦した戦いをもう一度強いられることになる。


 それだけは絶対に阻止したいリンとナナはレンに言葉をかけるが……


「もう無駄。君たちは最初から僕の掌で踊らされてたんだよ。僕の理想の世界を作るために」


 そう言って、カオルが指を鳴らすと……一瞬で視界が変わった。


 次の場所は都心。しかし、レン達以外の人や動物は存在しない。


「くそ!」


 今の行動を見て、レンは罵声を吐く。


 既にアカウントが乗っ取られていた。つまり、カオルとの戦いは避けられないという事になり、はく以上の苦戦を強いられる。


 正直な話、はくには慈悲があった。自身の目的を果たすためとはいえ、誰かを傷つける事は心が痛んだろう。だから、自分の理性が崩壊したし、そこに隙が生まれた。


 だが、白と違い、カオルには慈悲という言葉は存在しない。それに、違法プログラムが使えるため、自我を保ったまま、全てのスキルを使える可能性がある。


「そうなったら苦戦どころじゃねぇぞ」


 自分を庇ってくれた白を抱えながら、カオルを見据える。


「とう……や」


 母親は掠れた声で言葉を紡ぐ。


 はくコアを破壊されてもこの世界に入られたのは、『コンティニュー』──又の名を『アナザーアカウント』があったからだ。それが奪われた今、彼女はこの世界から消える。


 その事実が現実になるにつれて、言葉では表せれない感情がレンに込み上げてくる。


 母親として受け入れるからではない。レンにとっては、この女は最後まで鬱陶うっとうしい存在だ。それ自体は間違いではない。


 だが、心は複雑な感情に支配されていく。


 このモヤモヤする感情の中、レンは自分の感情を消し去るために言葉をあげる。


「おい、もういい。喋るな!」


 はくの目をしっかりと見据えながら、懸命に声をかける。それでも、白はレンの言う事を一切聞き入れない。


「私は……もうすぐ消える。……完全にアカウントを取られた……だか……ら、もうこの世界にはいられない」


「いいから喋るなって言ってんだろ!」


「だか……ら、最後に……」


 はくは満面の笑顔を浮かべる。そして、


「今度は間に合った……」


 それだけ言い、ゆっくりと光に包まれ体が消えていく。


「白……」


 最後まで、「母さん」とは呼ばない。涙も流れない。でも、ユキの時と同じ虚無感はある。それが不思議だが、結局はそういうことなのだろう。


 記憶はなくても血という繋がりで、二人は通じ合っていたのだ。家族という一つの世界を構築する二人は。


 それは、過ごした時間は関係なく、この世界にいるだけで深まっていくもの。


 どれだけ離れていようが、どれだけ記憶を奪われようが、一緒に過ごした時間がなかろうが。本当に繋がっている家族とはそういうものだ。


「くさいお芝居ありがとう。でも、記憶ないんでしょ?君」


「テメェに言われたくねぇよ」


 レンの言葉にカオルは目を細め、無言を貫く。


「テメェだけにはそれを言わせねぇ!」


 レンが立ち上がり、カオルの方を見る。


 剣を構えて戦闘態勢に入り、一気にカオルが放っていた異質な雰囲気を、レンが塗り替える。


 近付き難いものを放ってはいるが、優しく包み込んでくれるものもあり、なんとも不思議な感覚だ。


「完全にフィールドをモノにするとは……恐れ多いね。でも、僕も譲れないんだよ。僕を認めてくれる世界を作るために!」


 力強く言い放ち、先制攻撃を仕掛ける。


 しかし、レンは簡単にその矢を打ち落とし、圧倒的スピードで打つべき相手への間合いへとはいる。


 一太刀ひとたち。だが、レンの攻撃は簡単に躱わされ、次はカオルの反撃になる。


 矢を持ち、剣のように振るってくる。本来の矢の使い方ではないが、これはこれで確実に当てられる分、攻撃力としては賢い選択だろう。


 カオルの不意打ちだったが、レンもギリギリの所で回避し、一旦後退。武器を銃に変更し、発砲していくが……


「その戦法、見飽きた」


 予測していたかのように、レンの手を蹴り、武器を吹き飛ばす。


 完全に虚を突いた攻撃だったはずだ。それどころか、カオルは「見飽きた」と言った。その言葉にレンはある可能性が頭をよぎる。


「お前、今までの戦いを頭の中に入れてるな」


「ご名答。プログラムってのは、人間の記憶と一緒だよ。でも、現実とバーチャルで違うところは、他者の記憶を自分に入れられるかどうかってこと。バーチャルはね、なんでもできるんだ。理想を叶えることもね」


「お前の目的は一体……」


「言ったでしょ?僕は、僕を認めてくれる世界が欲しいと」


「認めてくれる世界だと……」


「そうだよ。君はこの世界が理不尽だと思わない?」


 突然の質問。その意図にレンは首を傾げるが、カオルはそれを無視して先に話を進めていく。


「人には宿命ってものがある。これは絶対に変えられないものだ。そして、人が背負う宿命は主に三つ。性別、親、家庭環境。これだけは絶対に変えられない。だから、世間では親ガチャなんて言葉が流行るんでしょ?」


「だから何が言いたい!」


「僕はそれが許せないんだよ。僕は……僕は、それが原因でいじめられた。人と違うって、そう言われてね」


 苦しそうに胸を押さえながらカオルは続ける。


「小さい頃は必死に振る舞ったもんさ。でも、成長と共に現実を受け入れなければいけなくなってくる。その時に思った。あぁ、僕は男にはなれないんだって」


「まさか……お前、女なのか?」


「違う!僕は生まれた時から男だ!だから、僕が男として生きられる世界が欲しかった。そのための天上世界だ!」


 必死に主張する。自分の現実を否定するように。でも、


「そんなもののために、全ゲームプレイヤーを利用したのか!『スコーピオン』も!」


「そんなことのため?君に僕の気持ちがわかるもんか!成長と共に心と体が乖離かいりしていく気持ちが!」


 カオルは苦しそうに言う。そして、一度深呼吸して感情を抑える。


「君の実力はわかった。僕じゃ勝てない。『才能殺しスキルキラー』がある僕には、全プレイヤーのスキルは使えないんだ。使った途端に無効化しちゃうからね。だから、こうしよう」


 カオルがプログラムを起動する。


 突然、空が暗くなり、空間が歪む。


 謎の空間が顕現し、そこから三体の獣が降臨する。


 一匹はライオンのような見た目。


 一匹は鷹のような見た目。


 一匹は完全にドラゴンだ。


 その三体を見て、カオルは言う。


「残りの四獣、ボロ、ヘス、ドラ。コイツらに君達を消してもらおうとするよ」


「くそ!」


 三体の四獣が呼応する。それだけで、空間自体が悲鳴をあげているかのような、険悪な雰囲気に包まれる。


「せいぜい頑張ってね。『最弱の王』」


 そう言って、ビルの上へと避難するカオル。


「やるしかないのか!」


「私たちも!」


「一人、一体ってことね。キツすぎね」


 レン、ナナ、リンが顕現した四獣と向き合う。今、『DEO』史上、最悪で最高の戦いが始まる。

 

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