エピローグ

「本当に、申し訳ない!」


 控え室に戻ったイサラのもとにやってきた、カリオンの第一声がこれだった。

 カリオンは頭を下げつつも、燕尾服の上着をこちらに渡してくる。


 麻服の上衣を縦に斬り裂かれことで、なかなかに恥ずかしい格好になっていることを自覚していたイサラは、素直に上着を受け取り、羽織りながらもカリオンに訊ねた。


「カリオン……あなたが謝っているのは、セグメドがエリエを人質にとることを知っていたのに、わざと放置していたことですか? それとも、私がまあまあ恥ずかしい目に遭うことを見計らってから止めに入ったことですか?」

「いや、待ってくれ! 二つ目に関しては誤解だ! 兄上の従者が観客席のどこに潜んでいるのかわからず、姿を現してから捕縛に向かうまでに少し時間がかかってしまっただけなんだ! その点についても謝罪するけど、どうか信じてくれッ!!」


 深々と頭を下げる、カリオン。

 今やというべきか、今もというべきか、胡散臭い笑顔を浮かべていないため、彼が本当に必死に謝っていることが伝わってくる。が、だからこそ困惑してしまったイサラは、すぐには返事をかえすことができなかった。


「別に許してあげてもいいんじゃない? お姉ちゃん」


 イサラとカリオンのすぐ近くで、椅子に座って足をプラプラとさせていたエリエが、他人事のような物言いで口を挟む。

 エリエの意識は控え室に戻ってすぐに回復したが、幸か不幸か気絶させられた前後の記憶は曖昧になっているらしく、こちらの心配をよそに当人はケロッとしていた。


 なお、現在控え室にはこの三人しかおらず、闘技場の舞台と繋がっている廊下と、控え室外の扉の前では、近衛隊ロイヤルガードが見張りについている。

 残りの近衛隊ロイヤルガードは、セグメドとその従者たちの連行にあたっていた。


「そもそも、二つ目に関しては本気で怒ってるわけじゃないでしょ?」


 図星を突かれ、イサラは口ごもる。


「そうなのかい?」


 安堵しているような、それでいてちょっと批難しているような視線で訊ねてくるカリオンから、露骨に目を逸らした。が、すぐに観念したようにため息をつき、


「少し嫌味を言いたかっただけです。一つ目の、エリエが人質にされるとわかっていたことを放置した件に関しては、本気で怒っていますから」


 視線を戻し、真っ直ぐにカリオンの目を見据える。


「納得のできる理由、聞かせてもらえるのでしょうね?」


 カリオンも、真っ直ぐにイサラの目を見据えながら首肯を返した。


「理由を語るには、僕の本当の素性を明かす必要があるけど……まあ、イサラなら、もうとっくにわかってるんじゃないかい?」

「セグメドのことを『兄上』、皇帝のことを『父上』と呼んでいましたからね。あなたとセグメドの会話を聞いていた者ならば、誰でもわかりますよ」


 気を失っていて会話を聞いていなかったエリエが「嘘っ!?」と驚きの声を上げたことに満足したのか、カリオンは得意げな笑みを浮かべてから己の本当の素性を明かした。


「僕の名は、カリオン・ラーマ・レ・ドミニオン。皇帝ジーアス・モナルカ・ジ・ドミニオンの七番目の子息にあたるわけだけど……」


 笑みに自嘲を混ぜ、肩をすくめながら言葉をつぐ。


「髪と瞳の色が違うことからもわかるとおり、嫡出である兄上とは違って、僕は妾出でね。帝位の継承権はんだ」

? ということは、今回の件で継承権を得られたということですか?」

「ああ。そのとおりだ。兄上の代わりに、継承順位第六位に収まる形でね」

「アレ?」


 話を聞いていたエリエが、小首を傾げる。


「でも、カリオン……様って、セグメド様の従者をしてたよね……じゃなくて、してたんですよね?」


 つい今し方帝国の皇子だと知ったせいか、呼び方や口調が無茶苦茶になっていることにカリオンは苦笑する。


「敬称にしろ敬語にしろ、無理して使う必要はないよ。そんな肩のる言い回しは、公の場だけでコリゴリだからね。そもそも君のお姉さんは、僕が皇子だってわかってるくせに兄上ごと呼び捨てにしてるしね」

「で、でも、お姉ちゃんは言葉遣いが丁寧だし……」

「丁寧なのは上辺うわべだけだよ。君のお姉さんのような人間のことを慇懃無礼って言うんだ。憶えておくといいよ」

「妹に、おかしなことを吹き込むのはやめてください」

「いや、どう見ても教養の範囲でしょ」


 カリオンはやれやれとかぶりを振ってから、どうしてセグメドの従者をしているのかというエリエの疑問に答える。


「ラグエラ帝国には特殊な習わしがあってね。僕が兄上の従者をしていたのは、それが理由なんだ」


 いまいち理解できなかったのか、エリエの小首がますます傾く。

 見かねたイサラが、妹の小首を傾けている原因となっているであろう単語について、カリオンに訊ねた。


「習わしとは、どのような?」

「我らが帝国は、伝統と実力主義の双方を重んじていてね。伝統ゆえに帝位継承権を与えるのは嫡出に限られているけど、妾出の中から優秀な皇子が出てきた場合にも備えて、とある制度を設けているんだ。継承権のない皇子が、継承権を持つ皇子の従者となり、その皇子よりも有能であることを示せた場合は、継承権を奪い取ることができるという制度をね」

「その制度が、習わしというわけですか」

「そういうこと」

「こう言ってはなんですか、伝統と実力主義を重んじているというよりは、頭のおかしさを重んじているように見えるのですが」


 カリオンは、歯に衣着せないイサラを指差しながら、エリエに言う。


「ほら、こういうところが慇懃無礼って言うんだよ」


 一方で心外そうにしている姉が見えていたからか、エリエは「あはは……」と誤魔ごますように笑うしかなかった。


「とまあ、ここでようやく、エリエが人質にされることをわかっていながら、兄上に手出しできなかった理由について語ることになるわけだけど……これに関しては、純粋に僕の力不足が原因なんだ。本当に申し訳ないと思っている」


 再びカリオンは、深々と頭を下げる。

 胡散臭い笑顔を浮かべていた時ならまだしも――今にして思えば、セグメドに本心を悟られないようにするための仮面だったのかもしれない――こうも真摯に謝られては、イサラも邪険に扱うことができず、


「セグメドの下についていたからこそ、皇帝直属の近衛隊ロイヤルガードを使う以外に方法はなかった。つまりは、そういうことですか」


 理解の早さに救われたような顔をしながら、カリオンは頭を上げた。


「そういうことなんだ。僕にも従者がいるけど、継承順位持ちの皇子の従者に手を出せる権限はない。近衛隊ロイヤルガードにしても、兄上が勝つために人質を使ったという事実がない限りは、僕の指揮下に置くことはできない」

「だから、事が起こってからでなければ手の打ちようがなかったと?」

「ああ。理想は未然に防ぐことなのはわかってるけど、それだと僕の権限でやれることはさらに限られてしまうし、下手に邪魔をしたら、兄上のことだから勝手にムキになって、よりろくでもないことをしでかす恐れが多分にあったからね」

「……言い分はわかりました」

「本当かい!?」


 カリオンが、ますます救われたような顔をするも、


「しかし言い分を聞いたからこそ、あなたがセグメドの継承権を奪うために、あえてエリエを人質にとらせ、事を大きくしたのではないかという疑心を抱きました。未然に防げなかったと言われても、あなたなら何かしら手を思いついてたのではないのかとも」


 淡々したイサラの言葉に、露骨に口ごもる。

 どうやら、そういう風に思われても仕方がないという自覚はあったようだ。


「最後に、聞かせてください。この疑心、何をもって晴らしてくれるのかを」


 底意地の悪い問答だとわかっていながらも、あえてカリオンにぶつける。


 なにせ大事な妹が巻き込まれ、危ない目に遭わせられたのだ。

 相手が皇族であろうが、納得のいく答えを得られない限りは、どれだけ謝られようとも許す気にはなれなかった。


 カリオンは返答に窮するように、ますます口ごもっていたが、


「……はぁ~……」


 観念したように、深々と息を吐き出した。


「本当なら、もう少し親しくなってからにしようと思ってたんだけどね。こんな部屋じゃ、ムードも何もあったものじゃないし」


 言っている言葉の意味がわからず、さしものイサラも怪訝な表情を浮かべるも、そんな反応すらも楽しむように、カリオンは


「何をもって疑心を晴らすか――だったね」


 と前置きをしてから、耳に疑うようなことを口走った。



「僕の愛をもって……じゃ、駄目かな?」



 イサラは思わず目が点になる。

 口から黄色い声でも飛び出そうになったのか、エリエは両手で口を押さえていた。


「セグメドと同じ目に遭いたい……ということで、よろしいでしょうか?」


 思わず真剣な声音で訊ねると、カリオンは全力でかぶりを振った。


「待ってくれッ!! 今の言葉は本気だからッ!! というか、兄上と同じだと思われるのはさすがに心外だからッ!!」

「本気って……それこそ、何をもって証明するというんですか」

「そうだね……」


 カリオンは顎に手を当てながら黙考し……事もなげに、とんでもない返答をかえしてくる。


「君が望むなら、兄上から奪った継承権を放棄しよう。それなら、あえてエリエを人質にとらせたという疑いも晴らすことができるし、まさしく一石二鳥――」

「待ってください! 本当に待ってください!」


 珍しくもイサラは慌てふためきながらも、カリオンの言葉を遮る。


「皇帝から近衛隊ロイヤルガードを借りてまでセグメドを引きずり下ろしたのは、あなたが次代の皇帝の座を狙っているから……ですよね?」

「その認識で構わないよ」

「なのに、どうしてそんなあっさりと継承権を放棄するなんて言えるのですか?」

「優先順位の問題さ。僕にとっては皇帝の座につくことよりも、君の信頼を勝ち取ることの方がはるかに優先度が高い」


 思わず、目眩を覚える。


 絶対に嘘です。

 わたしのことを騙しているに決まっています。

 そう自分の心に言い聞かせるも、こちらを見つめるカリオンの瞳があまりにも曇りなく、あまりにも揺るぎないせいで、言い聞かせきれない。


「そもそも……そもそもですよ。あなたは私のいったい何を好――……な、何を気に入ったというんですか?」


「好き」という言葉を口に出すことに妙な気恥ずかしさを覚えてしまい、つい言い直してしまう。

 一方カリオンは、「好き」になる理由がまた一つ増えたと言わんばかりの笑みを浮かべながら、早口に語り出した。


「最初は一目惚れだったんだ二年と三ヶ月前に見た闘技場で戦っている君の姿があまりにも美しかったものでねけど先に断っておくけど僕は君の見た目に惚れたわけじゃない首を刎ねるという一見残酷に見える勝ち方も相手のことを無用に苦しめたくないという君の優しさの表れだってことはわかってたし妹のためならば命を賭ける気高さにも僕は堪らないほど惹かれた本当なら身請けしようかと思ったんだけどその頃にはもう君が身請けの話を全て断っていたことを知っていたからね断られたら立ち直れる気がしなかったからとてもじゃないけど名乗り出る勇気がな――」


「待ってくださいっ!! 本っ当の本っ当に待ってくださいっ!!」


 もはや懇願するような勢いで、イサラはカリオンの言葉を遮る。

「好き」という感情を雨あられのように浴びせかけられたせいか、頬はもうすっかり赤くなっていた。


 そんな姉の見たこともない姿を、エリエは引き続き両手で口を押さえながらも楽しげに見守っていた。


「カリオン……あなた性格キャラ変わってません!?」

「いつもの僕と違うことは認めるよ。最愛の人に想いの丈をぶちまけるには、僕といえども開き直る必要があったからね」

「~~~~~~~~~~っ」


 当たり前のように最愛の人扱いされて、頬を染めていた赤が顔全体に拡がっていく。


「さて。ここまで言ってしまったからには、もう最後まで言わせてもらうよ」

「さ、最後とは……?」


 わかりきった問いを返すと、カリオンはこれが答えだと言わんばかりにその場で跪き、こちらに向かって手を差し伸べてくる。



「イサラ……僕の花嫁になってくれませんか?」



 ここで、敬語である。

 しかも、ドがつくほどに直球である。

 カリオンの言う「愛」に嘘偽りがないことを嫌というほど思い知らされたイサラの顔は、いよいよ耳まで真っ赤っかになってしまう。


 殺意や敵意をもって接してくる相手なら、いくらでも対処はできる。

 セグメドのように、下卑た欲を隠そうともしない相手も同様だ。

 しかし、こうも純度の高い好意をぶつけてくる相手には、どう対処すればいいのか全くわからなかった。


 ただ……。


 相手の好意に嘘偽りないからこそ、相手が本気も本気だということが伝わってくるからこそ、無下に断るような真似はできそうになかった。

 だからといって、その気もないのに引き受けるような真似も、できそうになかった。


 なにせ相手は帝国の皇子なのだ。

 知り合ったのもほんの一週間前で、たいした話もしていないのだ。

 それなのに了承するなど不誠実もいいところだ。

 相手の立場に目が眩んだと思われても、仕方がないくらいだ。


 とはいえ、全く目が眩まないかと言えば、そんなことはなく。

 皇族の力を借りれば、大陸でも最高位の医者を招いてもらうことも容易い。

 だから、母の病を根治させることができるかもしれない。

 父と一緒に、こちらに招くこともできるかもしれない。

 セグメドならば怪しいところだが、カリオンならば、それくらい快く引き受けてくれるだろう。


 などという、打算と呼ぶにはあまりにも健気な願いさえも、不誠実のような気がして……イサラは悩みに悩んだ。


 そこからさらに悩みに悩みに悩みに悩んで……ようやく捻り出した返事は、皇族に対して言うにはあまりにも間の抜けたものだった。


「お友達からで……良ければ……」


 次の瞬間、いよいよこらえきれなくなったエリエが、嬉しげに楽しげに黄色いを声を上げた。

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奴隷の女剣士、帝国の皇子に求婚される 亜逸 @assyukushoot

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