第7話 もらった升がもはや呪い装備レベル
兎呂が帰った後、どのくらいの時間が経過したかは分からない。
玄関からのチャイムで、俺は意識を取り戻した。
今日が日曜だったからよかったようなものの、いつの間にかうとうとしてしまっていたらしい。しばらくすると、階下から母さんが俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
ベッドの上で身をよじり、腕に力を込めてみる。なんとか起き上がれそうだったので苦労しながら階段を降りていくと、宅配便で豆が届いていた。
三十キロの大袋で。
「成海宛てに来てるんだけど、頼んだの?」
困惑気味の母さんと宅配のお兄さんの視線を受け、俺は一瞬、言葉を詰まらせた。
「あー……うん、部活で使うんだ……それ」
一体どこの世界に、節分豆を三十キロも使う料理があるんだ。
と、心の中でセルフツッコミを入れるが、母さんはあっさり納得してくれたようだった。いまだに解せない顔をしているお兄さんから渡された紙に、受け取りのサインをする。
料理部でよかった。
けだるい身体に鞭打って大袋を二階に引っ張り上げながら、俺は初めて切にそう思った。
大豆を部屋に運び入れた後、結局、俺はベッドに戻ってもう一寝入りした。
次に起きたのは昼過ぎで、深く寝入ったせいか、この頃には身体もだいぶ楽になっていた。朝食を食べ損ねたこともあり、山ほど飯をかき込んだ後でまた自分の部屋に戻ってくる。
机の上の升が自然と目に入る。
俺は机の脇に寄せかけておいた豆の袋に手を伸ばした。袋を開けて、ひとつかみした豆を升に入れようとして、やめる。
……なにやる気になってんだ? 俺。
昨日はたまたまうまくいったからよかったようなものの、あんな鬼から一撃でも食らおうものなら、マジでしゃれにならない。この升にしたって、実際、鬼を倒せるほどの豆を作れるんだから、兎呂の背後にいる組織とやらもきっとハンパなものじゃない。
捨てよう。
俺はそう決心して、中に少し残っている豆ごと升を取り上げた。それをビニール袋に入れて口をきつく縛り、常時台所の片隅に広げてあるゴミ袋にこっそりと捨てておく。
が、その日の夜――
風呂上がり、部屋に升が戻ってきているのを見て、愕然とする。
外側の一面に押されたうさぎ型の焼き印が、まごうことなく例の升であることを示している。
俺は片手で升をひっつかみ、パジャマ姿で階段を居間まで駆け下りた。夕食で使った皿でも洗っていたのだろう。エプロンの裾で手を拭きながら、台所から母さんが姿を現す。
「ちょっ、母さん、これ、俺の部屋に戻した?」
「え? ああ、それ? 戻したわよ。まだ新しかったから、間違って捨てたのかと思って」
「いらないから捨てたのに。てか、なんで俺のだって分かった?」
「おじいちゃんに聞いてみて、違ったから成海かなと思って。ほら、今日すごい量の節分豆届いてたし」
下手に色々としゃべってツッコまれても困るので、俺はあえて反論しなかった。
その代わり、再び台所のゴミ袋を目指して母さんの脇をすり抜ける。
「もったいないじゃない。まだ全然使ってないんでしょう? それ」
「でも、持ってたって使わないし」
「じゃあ母さんがもらうわ。おじいちゃんの晩酌用に、日本酒入れるのに使うから」
ゴミ袋に手を掛けたところで、俺はぴたりと動きを止めた。
母さんはこちらに向けて、催促するように手を差し出してくる。
このまま升を渡したら母さんはご機嫌でじーさんに、体力を奪う日本酒を提供するだろう。
そしてそれを飲んだじーさんは……
俺は升を抱えたまま、無言で台所を後にした。息子をドケチ呼ばわりする母さんの声を背中で聞き流しながら、パジャマのまま家を出て自転車にまたがる。
湯冷めのリスクを背負いながらも向かった先はコンビニだった。
店員からも見えないようにタイミングを見計らって、外の燃えるごみボックスの中に升を押し込む。乗ってきた自転車に再びまたがり、コンビニの看板が見えなくなる位置まで走ってから、俺は安堵のため息を漏らした。
とりあえずはこれで一安心……か。
若干の罪悪感はあるものの、肩の荷は下りたような気分になる。
武器がなければ鬼退治にも応じようがないし、また兎呂が来たとしてもしらを切り通せばいいだけだ。
帰宅とともに、日常が戻ってきたことを実感する。
二階に上がり、自室のドアを開けると、いつも通りの風景が俺を待っていてくれた。
もちろん、怪しいうさぎの姿もない。真正面に大きな窓と青いカーテン、掛布団が乱れたままのベッド、右手に机、机の上に置かれた升、左手に収納、そう、すべてがいつも通り……
俺は勢いよく机の上を二度見した。
視線の先に鎮座する升の片面には、うさぎ型の焼き印が押されている。
……なんだ? いったい、なにがどうなっているんだ?
確かに今さっき、升はコンビニのゴミ箱に押し込んできたはずだ。
鬼やしゃべるうさぎの存在もたいがいだが、人知を超えた現象を目の当たりにしてさすがに震える。
恐怖に飲み込まれてしまう前に、俺は再び物言わぬ升をひっつかんだ。
そのまま今上がってきたばかりの階段を駆け戻り、風呂上がりの千代のそばを駆け抜ける。千代の不思議そうな視線を尻目に、俺は玄関脇の収納からライターを拝借して外に出た。
境内を囲う真っ暗な林と家との境にしゃがみ込み、ライターの火で容赦なく升をあぶる。
だが升は一向に燃えないどころか、焦げ目すらつかない。
俺はライターを放り出し、近くに転がっていた握りこぶし大の石に思い切り升を叩きつけた。升は鈍い音を立てて転がっていったが、追って拾い上げてみればやはり傷一つついていない。
その後も俺は思いつく限りの手段を用いて升を破壊しようと試みた。二階の窓から落としてみたり、のこぎりで切ろうとしたり、煮沸してみたりもした。
だが、そのすべてが徒労に終わった。
すっかり疲弊した俺が再び自室に戻ったのは、もう夜の十一時を回った頃だった。
無論、かたわらには升を抱えたまま、だ。
せっかくの土日を台無しにされた俺は、升を机の上に放り投げてベッドの上に倒れ込んだ。寝返りを打ちながらポケットからスマホを取り出し、スライドでロックを解除する。
何度か試してみたが、妖力追跡アプリの方も削除することはできなかった。鬼ごっこというネーミングセンスと、デフォルメされたかわいらしい鬼のアイコンを前に、思わずため息が漏れる。
鬼ごっこって、逆じゃないか。
誰にともなくツッコんでから、俺は力なく両の手をスマホごと枕の脇に沈めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます