第6話 ベッドの上にて

 鬼退治などという非現実的なことがあったにも関わらず、千代ご所望のエビとアボカドのサンドイッチは、問題なく食卓に並べることができた。

 それもこれもすべて、スーパーに並んでいたパックのボイルエビのおかげだ。代金も無事、パートから帰ってきた母さんから回収したが、ダッツは俺が風呂に入っている間にじーさんに食われていた。

 そして翌日。

 いつものようにベッドの中で目を覚ました俺は、自分の身体が鉛のように重くなっていることに気が付いた。

 なんだこれ……ただの低血圧にしてはちょっと、尋常じゃないぞ……?

 指一本動かせない、とまでは言わないが、全身がものすごくだるくて起き上がれない。首だけを動かしてみると、机の上に置いてあるうさぎ印の升が目についた。

 どう考えてもそれ以外の心当たりは見当たらない、が。

 昨日の鬼退治が原因か?

「いくら休日だからって寝すぎじゃないですか?」

 無遠慮に人の物思いに割って入ってくる声で、俺は自分の上にでかいうさぎが乗っかっていることに気が付いた。

「重い。どけ」

 今すぐにつかんで放り投げてやりたいところだが、俺の身体はうんともすんとも反応しない。どうやらこの身体の重さは、兎呂が乗っているせいばかりではないらしい。

「くそ、なんでこんなにだるいんだよ……」

「まぁ昨日が初めてですし、仕方ないと言えば仕方ないですけどね。思ったよりも升自体の力が強かった、というのもありそうですし」

「……は?」

「鬼を退治するためにあれには妖力が施してありますから、多少なりとも体力を消耗するのは当然じゃないですか」

「お前そんなこと一言も言ってなかったよな!」

 がばっと起き上がって食ってかかりたいところだったが、それもかなわなかった。

 諦めて、天井に向けてため息をつく。

「……なんかもう当たり前みたいに新しい概念出してくるけどさ……そもそも妖力ってなんなんだよ」

「あ、それ聞いちゃいます? とりあえずあっちの世界に干渉するための力だと思ってもらえればオッケーなんですけど」

「こっちの世界の俺にも干渉されてんだけど」

「大丈夫です、最初だけですよ。でも体力はつけておいた方がいいですね。力尽きて鬼に喰われたなんて言ったら、しゃれでも笑えませんから」

 言われて、赤褐色の肌や充血した白目、二対の角を持つ化け物の姿を思い出す。

 あの馬鹿げた勢いで突き倒され、頭から鬼に喰われる自分の姿を想像してぞっとする。

「はははっ!」

「笑うな!」

「まぁそれだけ元気があるなら大丈夫でしょう」

 兎呂はおもむろに俺の上から飛び降り、ぺたぺたと枕元に移動してきた。

 なんだ? もしかして心配して来てくれたのか?

「呼び出しがかかったらすぐに来てくださいね」

 違った。もっといたわれこのうさぎ。

「呼び出しってなんだよ」

「もちろん、鬼退治のです。これに連絡が入りますんで」

 顔の前に突きつけられた兎呂の手には、いつの間にか俺のスマホが握られていた。

「妖力追跡アプリ〝鬼ごっこ〟を入れておきましたから。鬼から発せられる妖力を感知すると画面上に地図が表示されますので、その際は即刻現場に駆けつけてください」

「……放課後とか、休みの日にか?」

「なに寝ぼけたこと言ってるんですか、鬼は二十四時間、いつ出てくるか分かりませんよ!」

「学校どうすんだよ!」

「国の平和と学校と、どっちが大事なんですか!」

「社会的地位」

「あぁそれなら大丈夫ですね。国の平和を守るんですから、社会的地位は勉学に励むより高くなりますよ」

 えっ、なんかうまいこと言われた……

 とまどう俺をよそに、兎呂はついと顔を上げて机の上の升を見た。

「あと、豆は升に入れて、妖力を充填させといてくださいね。さっきも言いましたけど、もともと妖力が施してあるのは升の方ですから。豆を対鬼化させるためには升に入れてから約三時間が必要ですから、使ったらちゃんと充電しといてください」

 便宜的に充電という言葉を使って説明されるが、肝心の豆がない。

「まさか豆の方は自腹なのか?」

「大丈夫です、すでにこちらで手配してありますから。豆が届いたらちゃんと充電するんですよ」

「分かった分かった」

「本当に分かってるんですかね……武器がないと困るのは自分ですよ。あ、あと充電した豆は非常時には食べることもできますからおやつ代わりにどうぞ。ただし体力は奪われます!」

 そんな命がけのおやつはごめんこうむりたい。

 いまだ動かない身体に縛りつけられながら、胸中でぼやく。

「あ……なあ」

 必要なことはすべて伝え終えたのか、窓から帰ろうとする兎呂を呼び止める。

「昨日、鬼を倒したら黒い煙みたいになって消えたけど。あれは、死んだのか?」

 窓枠に手を掛け、こちらを振り返ったままの格好で兎呂が数秒、動きを止める。

「なにかを殺すのは嫌ですか?」

「そう、じゃないけど。気になったから」

「煙になって消えたということは、次元の向こうにある鬼の世界に還ったということです。鬼も死んだら等しくそこに屍になります。だから、安心していいですよ」

 珍しく簡潔にこちらの質問に答えると、兎呂はガラッと窓を開け、俺の部屋から出て行った。二階から身軽に飛び出していく兎呂の後ろ姿を見送り、一人になった部屋でため息をつく。

 安心って、別に怖いとかじゃないんだけど……

 それにせっかく倒しても、元いた場所に戻っていくだけなら意味ないよな。

 首を回して天井を見つめる。それ以上になすすべがない俺は、身体が力を取り戻すまでぼんやりと物思いにふけるしかなかった。

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