第8話 俺のスマホの地雷化がひどい
俺の日常にじわじわと、いや、強引に侵食してくる変化とは裏腹に、翌日も空はすっきりと晴れ渡っていた。
自問自答と試行錯誤の休日が明け、学校に行く。家を出る前に少し悩んだが、結局、升は置いていった。席に着き、一限目の準備をしていると、机の奥から進路希望調査書が出てくる。
やべ……すっかり忘れてた。
でもまぁ、まだなにも言われてないから大丈夫、だよな。
数学の教科書を取り出して、再び進路希望調査の紙を机に押し込む。顔を上げると、志乃が熱っぽく、サッカー部の田中になにやらスマホの画面を見せつけていた。俺と目が合うなり、田中がこちらに逃げてくる。
「桃原……俺はお前のカノジョの世界観にはついていけん。あとは頼んだ」
「彼女じゃないどころか、俺は志乃を自分の管理下に置いた覚えもないんだが……」
がっくりとうなだれる田中の様子から、志乃との間でどんなやり取りがなされていたかをだいたい悟る。田中を逃がすと、追って志乃がこちらに近づいてきた。
「お前、推しコンテンツの布教活動すんのはいいけど、誰彼構わずはやめてやれよ……」
「えーでも化学の坂口先生はハマってくれたよ? 百合浜」
「お前すげえな」
この猪突猛進パワーをもってすれば、やがては志乃の趣味に染まった一大帝国が築かれてしまうかもしれない。
「えーとね、今日のトピックスは謎の生物の死体に関する続報です!」
「お前まだそんなこと言ってんのか」
「くだんの死体はその場で廃棄されずに、お隣の龍門渕市にある歴史生物科学研究所に運び込まれたそうです! 以降は検死の結果が待たれます!」
その生物の正体が次元の裂け目から現れた鬼で、一昨日、豆でその鬼を退治しました、なんて話は……志乃にはとても言えないな。
拡散力ハンパなさそうだし。
「楽しみだねー」
本鈴が鳴ると同時に、志乃は自分の席に戻っていった。
あれだけおかしなことが続いた後にも、学校といういつもの日常が続いていくのは不思議な気分だった。
謎の生物の死体を通してつながってはいるものの、表向きにはなにも変わっていない。
そう思っていた自分をぶん殴りたくなる出来事が起こったのは、三限目の英語の授業の時だった。
最初は英文を解読できない誰かが、悩ましげにため息でもついているのかと思っていた。だがやけになまめかしいその吐息は徐々に音量を上げ、やがて明らかなあえぎ声に変わっていった。
『あぁ……んっ……やっ……はあぁんっ……!』
思わず反応してしまいそうになる色っぽい声が、少し苦しそうな呼吸の合間に卑猥な単語を口にする。健全な学び舎には似つかわしくないAV音声に、教室中がざわめき始める。
教壇に立っていた中年の女教師もさすがに異変に気付いたようで、チョークを持つ手を下げて顔をしかめていた。授業が中断される中、俺も多分に漏れずに周囲を見回していた。耳を澄ませ、さらに音量を上げていく音声の発信源を探ろうとする。
ん……?
ほどなくして俺はAV音声の発信源が自分のごく近くであることに気が付いた。
椅子に座ったまま腰を浮かし、ズボンのポケットにもぞもぞと手を伸ばす。
あれ、ちょっと、まさかとは思うがもしかして……
「やっぱこれかああぁーっ!」
俺はスマホの画面に表示された地図と、点滅している鬼ごっこアプリのマークを見て、思わず大声で叫んでいた。
狭いポケットから解放されたことにより、女優のあえぎ声がいっそう大きくなる。
「す、すみません!」
クラスメイトの視線を一身に集めながら、俺はカバンをひったくって教室を飛び出した。
画面上に表示された地図は、学校からほど近い商店通りを示している。
俺はどうにかして音声を消そうとしたが、スマホはいっさいの操作を受けつけなかった。とりあえずこの音声をなんとかするべく、外に出てあたりを見回す。
俺は鍵が差しっぱなしになっているチャリを一つ、自転車置き場から拝借した。
飛び乗るようにサドルにまたがり、現場に向けて全速力でチャリをこぐ。その間にもAVアラームは定期的に鳴り続けていた。道行く人たちの視線を振り切り、わずか五分足らずで現場に到着する。
駅前の発展により、すっかり寂れてしまったシャッター街に自転車を乗り入れたところで、ようやくAVアラームは止まった。
古びた寿司屋の前に置かれたガラスケースディスプレイの上に、目つきの悪いうさぎが座っている。
「意外に早かったですね」
「お前マジでふざけんな! こんな音声仕込みやがって、俺を社会的に殺す気……!」
「なにをおっしゃいます! せっかく秘蔵の音声をあげたのに!」
「うるさいバカ! ちくしょう、この気持ちは全力で鬼にぶつけてやる!」
一通りのうっぷんをぶちまけ、カバンの中に手を突っ込む。
突っ込んでから升を家に置いてきてしまったことを思い出すが、すぐに指先が四角くてかたいなにかをとらえる。相変わらずのストーカー性能だが、今はその能力に助けられた。
「鬼はあちらです。ドラマの撮影ということで、人払いは済ませておきましたから」
ディスプレイから飛び降りた兎呂が、一つ向こうのアーケード街を指し示す。
が、取り出した升の中身に視線を落とした俺は、それどころではなかった。
フリーズした俺を怪訝に思ったのか、兎呂が近づいてきて手元をのぞき込んでくる。
「あー! あれだけ言ったのに、なんで充電してないんですか!」
「いやだって、そもそも来る気がなかったというかこんなことになるなんて思ってなかったし……!」
「まだそんなことを言ってるんですか! 往生際が悪すぎますよ!」
「くそ、こんなところでリアル往生はしたくねえ……!」
三十メートルほど離れたアーケード街の角から、赤褐色の巨人がのっそりと姿を現す。
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