第4話 百聞は一見に如かず

 翌朝、俺がベッドからはい出した時、時刻はすでに午前十時を回っていた。

 休日なので問題はないが、休日だからこそ無駄にはしたくない思いも働く。眠い目をこすりながら机の上に目をやると、昨日の朝まではなかったはずのうさぎをモチーフにした名刺が、確かにそこにあった。

 夢、じゃないのか……

 一晩が経過して、少し冷静になる。充電中だったスマホをコードから外して手に取り、画面をスワイプする。

『うさぎ しゃべる』

 検索窓に入力する。

 アニメ、おもちゃ、などというワードが一緒にぶら下がってくるが、欲しい情報はそれじゃない。

『うさぎ しゃべる うざい』

 検索……っと。

〝うざいウサギのRAINスタンプ〟

 ……違うな、次。

〝おしゃべりAIうさちゃんにネット評論家がよく使う言葉を覚えさせてみた。うさぎVS人間・大討論会〟なんだこれ……ゆりはま……ああああ、志乃が言ってた百合浜サークルの動画ってこれか!

 とりあえず八分四十秒の動画を最後まで視聴したが、百合浜大二年のあまなつ先輩が「それってオマエの感想ですよね!」と論破されてるだけで、特に兎呂に関する収穫は得られなかった。

 仕方なく、もう一度名刺を見てみる。

『国立歴史生物科学研究所』

 検索。

 さっきの検索結果とは違い、まともそうな記事や公式サイトがだーっと出てくる。

「マジであるのか、こんな研究所。所在地は龍門渕……隣の市じゃん」

 ネット情報によると、所在地は龍門渕市。

 龍や天馬や、鬼。そういう伝説上の生き物を、かつては実在したものとしてひとくくりにしたものを、歴史生物、と呼ぶらしい。国立歴史生物科学研究所は文字通り、そういう古い生き物全般を研究している場所だということだ。

「となると、昔はしゃべるうさぎも普通にそのへんを歩き回ってたってことなのか……?」

 にわかには信じがたいが、ニュースにもなった謎の死体や兎呂の存在が、なんとなくつながってくる。

「……とりあえず、着替えるか」

 普通に腹が減ってきたので、いったんスマホを伏せて置き、身支度を整える。

 遅い朝食のために階下に降りていくと、居間には千代がいた。今日も今日とて、定位置であるソファに陣取って雑誌をめくっている。

「おそよー、お兄ちゃんお昼作って」

「なんだよ、人が起きてきていきなり」

「お母さん、お昼用意してってくんなかったんだもん。今RAINしたらお兄ちゃんになんか作ってもらえって」

「最近は絶対わざとだと思うんだよな、昼食の準備忘れてパート行くの……」

「あははっ、いいじゃん、お兄ちゃん料理うまいんだし」

「そりゃ食うだけのお前はな」

 千代と適当に話をしながら台所に入る。キッチンじゃなくて台所だ。築ウン十年のボロい我が家に横文字は似合わない。一体いつになったらうちに来てくれるんだ、IHクッキングヒーター。

「なんでもいいだろ?」

 冷蔵庫を開けながら、居間にいる千代にお伺いを立てる。

「エビとアボカドのサンドイッチ食べたい。玉子も入ってるやつ!」

「きゅうりともやししかねえよ」

「無理じゃん」

「つかマジでなんにもねえな。昨日買い物行ってたのになんでだよ」

 ため息をつきながら、冷蔵庫の扉を閉める。

 適当に買ったものの一時置き場になっている棚の上には、袋ラーメンとあんぱんが置いてあった。あんぱんがじーさんの好物なのは知っているが、当面の空腹を埋めるためだ。背に腹は代えられない。

「もやしラーメンという選択肢は?」

「えー」

「目玉焼きもつけるから」

「うーん……」

 歯切れの悪い返事を聞きながらあんぱんをほおばる。居間に戻ると、千代はひざの上に置いた雑誌とにらめっこしていた。

 あー、雑誌のランチ特集みたいなやつに載ってたのか。サンドイッチ。

 まぁ……いいか。

 特に予定があったわけでもないし、気分転換はしたいと思っていたところだ。外に出る口実ができた、と前向きに考えるべきだろう。

「じゃあ、ちょっと行って買ってくるわ」

「やった、ありがと! お兄ちゃん大好き!」

「はいはい」

 材料費はあとで母さんに水増し請求だな。

 材料ついでに俺専用のダッツを買うくらいしても、罰は当たらないだろう。

 なけなしの小遣いが入った財布をポケットに突っ込み、家を出る。最寄りのスーパーまでは最短距離で徒歩十分。人気のない裏路地を通って道中をショートカットする。

『鬼退治しませんか』

 改めて一人になると、自然と昨日の兎呂の言葉が脳裏によみがえってきた。

 同時に、海岸沿いの謎の生物の死体のことも思い出す。

 実物を見たわけではないし、ニュースで見た映像でも全身が焼け焦げていたから詳細はなんとも言えない。だが人とも猿ともつかない姿で、二本の角が生えていたのは間違いない。

「あれは鬼……鬼、なのか?」

 兎呂は次元の壁にできてしまった裂け目を通って、鬼が俺たちの住んでいるこの世界に流れ込んできていると言っていた。話だけを聞けばそんなもの信じられるわけがない。

 しかし困ったことに、謎の生物の死体は存在する。

 しゃべるうさぎも、存在する。

「しっかりしろ……気を確かに持て、俺」

 たまたまそれっぽい状況が重なった。そういう時にこそ、人は詐欺に引っかかりやすいのだ。

 君子危うきに近寄らず。心の中でそう唱えながら、住宅街に存在する小さな公園の脇を通り過ぎる。

「うん……?」

 なにかの気配と、生暖かい風が頬をかすめたような気がして足を止める。

 振り返ってみるが、目の前には大した遊具もない無人の公園があるだけだ。

 が、キリンのすべり台に目をやったところで、思わず二度見する。

「え……?」

 キリンの上の空間が、陽炎のようにひしゃげている。

 その、ゆがみがひどくなった部分がどんどん黒ずんでいく。

「え、ちょっ、待っ……え?」

 空間の黒ずみは徐々に広がっていき、やがて中心部からなにか、とがったものが出てきた。

 計、五本。

 そのとがったものの正体が、赤褐色の巨大な手から生えた爪だと理解したのは、もうその手がひじの部分まで吐き出されてしまった後だった。

 明らかになにかヤバい事態が起こっている。

 それは分かっているのに目が離せなかった。

 ずるずると、重たい毛布を引きずるような音を立てて目の前に現れようとする異変に、のどを鳴らして後ずさる。

「うっ……」

 子ヤギの出産よろしく、ずるんっ、といった感じで。

 黒ずみの向こうに隠れていた、腕以外の部分すべてが現実に産み落とされる。

「うっ、あ……っ!」

 赤褐色の肌。筋肉隆々の肢体。血走った白目。そしてねじれた二本の角。

 キリンのすべり台を優に上回るその巨体が、エコーの利いた声で低くうなった。

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