第3話 スカウトのうさぎがものすごくウザい件
「ただいまー」
「おかえり!」
誰にともなく告げた帰宅に、反応が来る。
居間に入ると、サイドで乱雑に髪を束ねた千代がソファに寝転がっていた。
ネコ柄のパーカーにショートパンツに、いわゆるニーハイというやつか。長い靴下を履いている。つまりは部屋着だ。プレッツェルの箱を、そのぺったんこな胸に抱えたままスマホをいじっている。
「中学も部活中止になったのか」
「うん、お兄ちゃんの学校も部活中止?」
「まあな。どのみち今日は部活出る予定なかったけど」
自由と自主性を重んじる青海第一高校料理部の魅力は文字通り、自由と自主性だ。
バレンタインやクリスマスなどのイベントシーズンには部活として料理を共作することもあるが、基本的に俺たち部員は、調理室を合法的に使えるという権利のために料理部に所属している。
「母さんは?」
「買い物行ったよー、お肉安いんだって」
スマホから目を離さないまま、適当に応答する千代を尻目に洗面所に向かう。
手洗いとうがいをすませると、俺はすぐに二階に上がった。俺も早く制服を脱いで、自分のベッドでゴロゴロしたい。
そんなことを考えつつ自室のドアを開けた瞬間、俺は思わずその場で動きを止めてしまっていた。
「うさぎの……ぬいぐるみ……?」
その白毛のうさぎは、部屋に入って正面のベッドの上に鎮座していた。
長い耳まで含めると、大きさは俺の腰くらいまであるかもしれない。瞳は赤く、袖なしのスーツにも似た黒いチョッキを着せられている。
真っ先に千代の顔が思い浮かんだ。
千代の部屋には大小さまざま、古今東西、ありとあらゆる種類のぬいぐるみがあふれている。
また勝手に部屋に入りやがって。
そう胸中で悪態をつきつつも、そのうさぎの目つきの悪さに首をかしげる。
かわいらしいやつばっか集めてた気がするけど、趣旨変えでもしたのか? しかしぬいぐるみにしては、やけに毛並みが本物っぽい……
と、うさぎに近づき、その耳に手を伸ばした時だった。
唐突にうさぎが動き出し、こちらに向かって飛んできた!
「うおわっ!」
ちょうど身をかがめた俺が飛び越えられるような形になり、つんのめってベッドに倒れ込む。慌てて身体を起こして振り返ると、うさぎは部屋の真ん中に立ってこちらに背を向けていた。
「桃原成海さん」
また唐突に、ぬいぐるみだと思っていたモノに名前を呼ばれて、ビクッとする。
二足歩行のうさぎが、ぺたぺたと足音を立ててこちらに向き直る。
「鬼退治しませんか」
やけに静まり返った俺の部屋に、時計の秒針の音だけが響いた。
「……は?」
たっぷり数秒、時間をかけて出てきた言葉がそれだった。
うさぎはちょっとイラっとしたようで、眉間に当たる部分にはっきりとしわを寄せた。
「だーかーらー。鬼退治、しないかって聞いてるんですよ」
「……ちょ、ちょっと待て」
「はい」
「おに……おにたい、じ?」
「申し遅れました。わたくしこういう者です」
うさぎのまるっこい手が黒チョッキの内側に突っ込まれ、器用に名刺を取り出した。
目の前で起こっている現実を疑いながらも、とりあえずは受け取った名刺に目を落とす。
『国立歴史生物科学研究所 地域課 アシスタント☆エージェント
「うさんくせえ!」
うさぎ型の透かしや控えめなラメが入った、妙に凝った名刺を床に叩きつける。
「なにするんですか! 名刺はメンコではありませんよ!」
「今時の高校生はメンコなんか知らん!」
「メタ的な発言はやめてください!」
「なんだよ、歴史生物科学研究所って! まずはお前の存在自体を説明しろ! あと単語と単語の間に☆を入れんな!」
もはやどこからツッコんでいいのか分からなくなり、手当たり次第に言葉を吐き散らかす。
「ニュース、見てないんですか? 海岸沿いの謎の死体の話、知らないんですか」
「いや、あれは鬼ではないだろ」
「はぁ……狭義の定義に全てを当てはめて分かった気になり、本質を切り捨ててしまう典型的な低能思考ですね。ちなみに国立歴史生物科学研究所という名称も、ニュースには出てくるはずです。どうせキャッチーで面白そうな部分だけを見て、あとはすっきりさっぱり忘れてしまったんでしょう。まったくこれだから最近の男子高校生は」
「っ……こっちが状況把握できてないのに、いきなりナチュラルに見下してくるんじゃねぇよ、このうさぎっ!」
名刺によれば兎呂という名前らしい、そのうさぎにつかみかかる。
だがそこはさすがうさぎと言うべきか。兎呂はひょいと俺の腕を飛び越えて、勉強机の上に着地した。
いや、その憐れみと蔑みの混じった目、マジで腹立つな!
「このやろ……っ!」
逃げる兎呂を追いかけまわし、さんざんドタバタと暴れまわった後で、俺はベッドの上に撃沈した。
ぜーはーぜーはーみっともないほどの呼吸音をさらしながら、最終的に突っ込んだ枕から顔を上げる。
「どうやら落ち着いたようですね」
「お前……どこに目ぇ、ついてんだよ……」
「あなたこそ目ぇついてるんですか。このにごりのないキレイな目、見えませんか?」
まだ肩で息をしながら、涼しい顔の兎呂を半眼でにらみつける。
「さて、いつまでも遊んでいるわけにはいきませんね。話を戻しましょう」
「俺は話なんかねぇよ」
「あなたいちいちむかつきますね」
「お前にだけは言われたくない」
つぶやきながら脱力し、再びベッドに身を投げ出す。抱え込んだ枕がぼふっと音を立て、再び顔面を包み込んだ。
自ら閉ざした視界に、ごほん、とせき払いの音が聞こえてくる。
「桃原成海さん、鬼退治しなさい」
「ちょっと待て、命令形になってんぞ!」
心拍数の低下を待つ猶予すらなく、俺はがばっと跳ね起きた。
「さっきは、しませんか? だったじゃねぇか」
「どちらでも一緒ですよ。鬼退治しますよね」
「しねぇよ」
夢にしろうつつにしろ、こういう奴には絶対に関わらない方がいい。しゃべるうさぎなんてうさんくさすぎる。
兎呂からの返答はなかった。
その代わり、兎呂の表情には露骨に『えーなんで断るのーうそぉー』と書いてある。
「いや、俺にはお前がそんな顔をする意味が分からない」
「どうしてですか? 鬼退治、楽しいですよ?」
「とにかく嫌だ。ほかを当たれ。俺は忙しい」
勧誘のとっかかりを与えないよう、再度断る。断ってから、うちの近所、もっと局地的に言えば雪宮家を当たられるリスクに気付いてしまう。志乃のことだ。もしもこんなリアルファンタジーに勧誘などされたらあっという間にだまされて、最終的には借金のカタに売り飛ばされてしまうだろう。
俺の心配をよそに、兎呂は盛大にため息をついた。
「よく考えてみましょうよ、魅力的じゃないですか」
見えないものを表現する舞台役者のように、兎呂が優雅に腕を広げる。
「我々の住むこの世界と、別の次元に存在する世界。その間をへだてる次元の壁と、そこに発生してしまった裂け目。そしてその裂け目を通過して、我々の世界に浸食してくる鬼たち……まだ解明できていない部分も多いのですが、これらの事象はれっきとした事実です」
「どさくさに紛れて説明を始めるな」
「鬼は知性が低く、獰猛で、人を襲います。しかし情報社会と呼ばれるこの現代に鬼が出現するなど、いったい誰が信じるでしょうか……!」
手が丸くて見た目にはなんだかよく分からないが、兎呂はこぶしをぐっと握るような形をとって震わせた。
「国民がパニックに陥らないよう、事態を隠ぺいする政府。同時に、事態を収束させんがために結成された組織。そしてその組織から生まれ、秘密裏に鬼退治を引き受けてくれる人間をスカウトして回る優秀なうさぎ! ……今、冴えわたるうさぎの目利きに見出された一人の少年が立ち上がる! 珠玉の鬼退治物語、爆誕! 絶賛! ナウ・オン・セール!」
なにを言っているのかよく分からないが、ともかく兎呂のテンションは最高潮に達していた。
一通り叫んだあとで、わざと上目遣いでこちらの反応をうかがい、それから大きく両腕を広げ直す。
「さあ!」
「や、ら、な、い」
「強情な人ですね。なんですか、あれですか。よくある展開をご希望ですか? 鬼に襲われたいんですか?」
「誰が」
「あなたが」
「お前なに言ってんの」
「なるほど、家族や大切な人が鬼に襲われたら奮起するパターンですね!」
「おい」
「分かりました、納得のいくよう、舞台ならいくらでも設定しますよ!」
「設定すんな」
「ではさっそく手配の方を……」
「人の話を聞け! 俺は鬼退治なんていうわけも分からないことはやらない! 以上!」
なにを言ってもらちが明かないので強引に話を終わらせると、兎呂はまた盛大にため息をついた。
「まったく、理解力が足りない人ですね……わけが分からなくないですよ。鬼が現れる。倒す。至ってシンプル。以上」
「お前、スゲーウザいよな」
「初めて言われました。心外です」
「これ以上話してても平行線だ。帰れ」
「一言やる、とだけ言えば悪いようにはしませんから」
「詐欺の手口だ」
少しトーンダウンした兎呂の言葉を、なおもばっさりと切り捨てる。
言葉が返ってこなくなったので顔色をうかがうと、長い耳がわずかに垂れていた。人間のように表情が大きく変わることはないが、ちょっと悲しそうに見えなくもない。
「困ってるんですよ、本当に……」
素直にそう言われてしまうと、さすがに若干の罪悪感が芽生える。
「まぁ……そんな落ち込むなよ。俺も少しきつく言い過ぎたと思うし」
「では武器はどうしますか?」
「くそっ、だまされた!」
「一番人気は剣というか刀ですが、ご希望によっては各種対応しますよ。弓矢とかも結構出てますし」
「まだやるって言ってないだろ」
「そうでしたっけ?」
「だいたい……鬼退治ってなんだよ。桃太郎じゃあるまいし。それとも節分か? 豆でもまけってか」
なんらかのキーワードに反応し、兎呂はぴたっと動きを止めた。
自分の軽率な発言を後悔するが、もう遅い。
「おい、ちょっと待っ……」
「分かりました! 豆、ですね! ではそのように申請します。それでは桃原成海さん、ごきげんよう!」
こちらの失言を都合よく解釈すると、兎呂は机の上に飛び乗り、ガラッと窓を開け放った。
まさしく脱兎のごとく窓から飛び出していった兎呂に、差し出しかけた手だけがむなしく空をかく。
「だから、人の話聞けよ、あのうさぎ……」
突発的かつ局地的な嵐が過ぎ去る。
カーペットの上の名刺だけが、これが現実であることを告げていた。
青いカーテンだけがはためく部屋に取り残され、俺はがっくりとうなだれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます