第2話 白紫色の君

 その日はなぜか部活が中止になった。

 したがって、必然的に帰りは家の方向が同じ志乃と一緒になる。普段、がっつりバレー部の志乃とゆるゆる料理部の俺の下校時間がかぶることはめったにない。住宅街にあるこの交差点を、このまままっすぐに進めば帰路だ。右に曲がれば海岸沿いの道に出る。

 その交差点のど真ん中で、俺は全力で志乃を羽交い絞めにしていた。

「これは謎と不思議と非日常に飛び込む絶好のチャンスでしょー! ほら早く! 見に行こうよ、謎の生物の死体!」

「だーかーら、ダメだっつうの! なんで部活が中止になったか考えろって!」

「……みんなが謎の生物を見に行けるように配慮してくれた?」

「逆だバカ! 警察やら研究チームやらが来てあの辺一帯を占領するから、まっすぐに家帰れって言われただろ!」

 俺の鼻先くらいの身長しかないくせに、面白そうなことが絡むと発揮されるこの馬鹿力は一体なんなんだろうか。

 そそくさと脇を通り過ぎる通行人の、盗み見るような視線がちくちく刺さる。世間の目など気にもとめていないのか、志乃は釣り上げたばかりの鮮魚のごとく、俺の腕の下でぴちぴちバタバタ荒ぶっている。

「なによ、今さら真面目ぶってー!」

「いや、俺だって一斉下校させるほどのことか? って思わないではないけどさ。なんか行政の事情とか、危険があるんだろうなーくらいは思うだろ普通」

 志乃がぴたりと動きを止める。

 警戒しつつも腕の力を緩め、志乃はゆっくりとこちらを振り返った。

 そのしたり顔、なんかむかつくな。

「ふふーん、分かった……大丈夫大丈夫、怖くないよ! 成海のことは私が守ってあげるからね!」

「……なにから?」

「異世界のモンスターの死骸から発せられているであろう瘴気が気になるんでしょ? 毒とか呪いの効果があるかもしれないし」

「お前みたいなやつのせいで、教育委員会にゲームの世界と現実との区別がなんちゃら言われるんだろうな」

「でも安心してね! 私にはネットショップどうぐやで買ったどくけしそうと、古代エジプトから取り寄せた魔除けの人形があるから!」

「今日びのA・mazonは時空を超えて配達してくれるのか、そりゃすげーわ」

 人の話を全く聞かない志乃を適当にいなしながら、目を細めて右の道の奥をにらむ。

 突き当たりの道沿いで、パトカーが停まったまま赤ランプを回しているのが見えた。海岸沿いではすでに道路の封鎖が始まっているらしい。

「ほら、見ろよ。もうあっち通行止めになってんぞ。どのみちあれじゃ近づけないだろ」

「え……? やだ、ほんとだ! 黄色と黒のシマシマ! もー、成海がぐずぐずしてるからだよ! もー」

 さすがの志乃も警察の包囲網を突っ切ってまで海岸に突撃するつもりはないようだった。

 牛のように不満げな声を上げる志乃とは対照的に、俺は安堵のため息をつく。

「そういや志乃は今朝の進路希望調査の紙、なんて書いたんだ?」

 志乃を正しい帰宅ルートに促しながら、話の矛先をそらす。

「私? 第一希望は百合浜大って書いたよー。お母さんは短大でいいじゃない、って言うんだけど」

「百合浜……名前くらいしか知らないな。でも俺が知ってるくらいだから、結構偏差値高いとこなんじゃないのか?」

「えーどうなんだろう。ミーチューブにめっちゃ面白い動画上げてるサークルがあってね、そこに入りたいんだよね! こないだアップされた動画で新入生の入団テストみたいのやってて今から楽しみなんだけど、ちゃんといいリアクション取れるかどうかが心配で――」

「なんで大学入試より先に、サークルでのリアクションの心配ができるんだよ……」

 一瞬でも志乃を見直しかけたことに自己嫌悪しながら、通いなれた道を歩き続ける。

 結局、志乃は互いの家がある通りに入るまで、百合浜サークルの動画についてしゃべり続けていた。とりあえず志乃の興味が海岸の謎の生物からそれてくれたのなら、それはそれでよしとする。

 ほんの数十メートルほどだが、志乃の家の方が俺の家より学校に近い。白い壁に赤い屋根という、おしゃれというよりはどこか可愛らしい家の前で志乃に手を振る。

「というわけで、成海も百合浜の動画は必修ね!」

「はいはい」

 しゃべり倒して満足したのか、志乃は上機嫌にこちらに手を振り返し、陶器の小人が番をしている門の中へと入っていった。

 志乃と別れてものの一分もたたないうちに、通りの左に境内の林が見えてくる。机の奥に押し込んだままの進路希望調査書のことを考えながら、鳥居の前を横切って、神社の真隣にある我が家に到着する。

 そこそこ広い我が家の敷地に入る前につい足を止めてしまったのは、そこにいかにも怪しげな人物がいたからだった。

「どうしました?」

 声をかけると、その不審人物はびくっと身体を硬直させた。

 ズボンにパーカー、しかもフードを目深にかぶったその人物は、きょろきょろと周囲をうかがったり、うちの敷地内をのぞき込んだりしていた。明らかな挙動不審。それを目撃しても、危機感がわいてこなかったのには理由がある。

「参拝の方ですかね? 拝殿はあっちですよ」

 理由その一。

 緑地で区切られているとはいえ、神社と同じ雑木林で敷地を囲っている我が家には、時々参拝者が迷い込んでくることがある。神社の方には鳥居があるのに、と思わないではないが、経年劣化という名の風格において我が家は神社並みだ。境内の一角だと思われても仕方がない部分はある。

 そして理由その二。

 フード下に隠された顔や服装からはなにも読み取れなかったが、その細身のシルエットは明らかに女性だった。

 女性だから安全、とは言い切れないのだろうが、ガチムチの大男が相手であるよりはいくらか声をかけやすい。

「えっと……あのっ……」

 とまどい気味にフードの下からこぼれた声には、凛とした響きがあった。

 こちらを振り返ったその顔を……正確には一番目を引いたその髪を見て、思わず息をのむ。

 えらい特徴的な髪の色をしているな……

 紫色を帯びた白、とでも言えばいいだろうか。そこそこ長さがありそうなその目立つ髪は、うまいことフードの下にまとめられている。

「あのっ……ちょっと、お聞きしたいんですがっ!」

 白紫髪の彼女の顔が、ぐっとこちらに近づいてくる。

 パッと見た感じ、歳は俺とほぼ同じくらいだろうか。髪の色を除いては特別、目立つ特徴があるわけではない。

 ただ、シンプルに整ったそのパーツの配置は、はっきりと彼女が美人であることを物語っていた。どぎまぎする俺をよそに、彼女は左の袖をまくりだす。

「これは、そこの神社で手に入るものですか?」

 差し出された左手首には、桃色の数珠で作られたブレスレットがはめられていた。

「あー……多分、だいぶ昔にうちで売ってたやつですね。その型のやつはもう置いてなかったと思いますけど」

「うち……」

「あっ、すみません、うちのじーさんがここの宮司してるんで」

 白紫の彼女の目が、まじまじと俺の顔を見つめてくる。

 あの、なんだか緊張してしまうので、もう少し下がってもらってもいいですかね……?

「ということは、あなたはここの神社の」

「はい、関係者です。一応」

「このブレスレットについて、なにか覚えていること、ありませんか?」

 ええぇ、突然そんなこと言われてもな……

「えーっと、そうですね……桃原神社って名前にちなんで、桃色の数珠にした、ってこと、くらいしか……」

 その数珠ブレスレットがうちの神社にあったのって多分、俺が小学生か、下手したら保育園くらいの頃だったと思う。

 そんな頃に売っていた量産ブレスレットの情報なんて、覚えているわけがない。

「ほかには?」

「ほ、ほか? いやー、特にはないですね……」

「……そう、ですか……」

 うっわ、なんかめちゃめちゃ悲しそうな顔してる……

 こんな安物の数珠ブレスレットになんの思い入れがあるのか知らないが、美人にここまで落ち込まれるとなんだかこっちが悪いことをしている気分になる。

「あの……似たようなものでよければ、今でも社務所で売ってますよ?」

「いえ、いいんです。なんでもないんです。別に……」

 いやいやいやいや、なんでもないわけないですよね?

 やばい、顔伏せて下唇かんでる。ちょっと泣きそうだ……!

「もしなにか知りたいことがあるんでしたら、ちょっと待っててもらえれば……うちのじーさんに聞けばなにか分かるかも」

「あっ……」

 誓って、純粋な善意からの申し出だった。

 大した手間ではないし、無理のない範囲であれば彼女の力になってあげたいと思った。

 一瞬だけすがるような表情を見せた彼女の顔が、急になにかに気付いたようにこわばる。

「すみません! 本当になんでもないんです! もう大丈夫ですから!」

 突然、血相を変えた彼女は、神社に寄ることもせず逃げるように去っていった。

 その場に取り残された俺は、ただぼうぜんと彼女が消えた方向を見送る。

「なんだったんだ、一体……」

 その問いかけに答えてくれる者はいない。

 俺は腑に落ちない気分で、我が家の敷地を一人またいだ。

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