十四.大聖歓喜自在天の威徳にて、平将門を鎮めたること

「そんな方法があるんですか!?」


桃子が一転希望に満ちた声で腕を引っ張ると、紡は怨霊がいるであろう虚空へ向き直った。


「最終手段の大技だね。危ないから、つばきちゃんを連れて後ろに退がっておくこと」

「は、はい!」


希望があれば人間は強い。立つのも桃子は迅速につばきを抱え上げ、取り敢えず狛犬の裏へ身を隠した。


それと同時だった。ドオオオオオン、と遠くから、大きな音の余韻が届いた時のような鈍い空気の震えと共に、カチャガチャと大河ドラマで聞いたような甲冑の揺れる音がする。そして霧とももやともつかない薄い膜のような空気が立ち込めると……、


「なんと!」

「紡さんの存在に気付いたみたいですね。姿を現しました……」


それが怨霊としてのパワーを示しているのだろうか。

左手に弓を握り締め、えびらに矢を満載し、そして額に一筋の矢を受けた馬上の甲冑武者……、巨大だ。ただただ巨大だ。馬上ということはあるが身の丈はちょうど本殿の倍はある。元が人だというのに、怨霊は斯くも巨大に変容出来るのか。


「あわわわわわ……」

「こんなの見たこと無い……」


おののく桃子達にまで気付いているのかは分からないが、怨霊が右手で手綱を引くと、馬が威圧するように後ろ足立ちになって


『ブルルヒヒヒィ!!』


ビリビリと衝撃が叩き付けられるようないななきを響かせる。それが済むと怨霊は右手を手綱から放し、腰から提げた、騎乗戦用の反りが強い太刀を抜き放つ。白にも銀にも鉄にも見えるような色合いの刀身が、怪しい光をギラリと照り返す。


「ああああんな化け物相手に、丸腰でどうするつもりなんでしょう……」

「向こうは重装備なのに……」

「そうじゃなくてですね」


すると、一際大きくガシャリと甲冑が鳴り、怨霊は太刀を振り上げた。明らかに目線は紡に狙いを付けている。


「うわっわっわっ! 危ない!」


そんな桃子の悲鳴を諭すように、



「『オン ギャク ギャク キリ オン カ ウン ハッタ』」



紡の玲瓏れいろうな声が響く。瞬間桃子は甲冑の音も馬の荒い鼻息も、この世の全ての音が消え去ったような気がした。それくらい静かに、荘厳そうごんに、染み入るように紡の声が場を支配している。それを象徴するように、怨霊もピタリと動きを止めている。


「すごい……」


桃子は恍惚と感じ入るように、我知らず声を漏らす。しかしその隣で


「そんな……」


つばきが喉を絞るような、か細い声を発した。桃子がそちらを振り返ると、つばきは紡を見詰めて青い顔をしている。なんなら、単純に怨霊のプレッシャーで苦しそうにしていた時よりも悲壮な顔だ。


「どうしたんですか?」

「あれは……、大聖歓喜自在天だいしょうかんぎじざいてんの真言です」


つばきは紡から目を逸らさない。


「だい……?」

「『聖天しょうでん様』という呼び方で親しんでいる人も多いかも知れません。歓喜天は欲望を抑え切れない衆生しゅじょうを、まずはそれを叶え治めてやることで、スッキリ心を悟りへ向かわせる仏様です」

「つまり?」

「『他のどの神仏でも叶えてくれないような願いを叶えてくれる』んです。そのご利益の凄まじさは、例えで『子孫七代の福を一代でとる』と言われるくらいです」

「なんと!」


そう聞くとなんともな仏様に聞こえるが、つばきの表情はその真逆の強張りを見せている。


「しかしその反面、まつり方を間違えたり信仰を投げ出したりすると、そのご利益の何倍もの大きい罰を受けるとされています。『ある大学教授がいい加減な方法で供養をおこなった結果、事故を起こして亡くなった』という話は有名で、よく歓喜天信仰について回ります」

「ひえっ!?」

「紡さんはよく『これは出家して聖天様のお寺に入る僧や行者ぎょうじゃが信仰する時の話で、一般人やお参りに来た人は気にしなくていいよ』と仰っていましたが、同時に『最終手段だから、仕事なんかで触りたくはないね』とも仰っていました」

「えっ? それってつまり……?」


つばきはようやく桃子の方を振り返り、ゆっくり深く頷いた。


「あの人は決して触れようとしなかった修法を用いてまでして、あの怨霊に立ち向かうつもりです」


つばきは視線を紡に戻す。


「紡さん、一体何をするつもりなんですか……?」

「何って、お祓いするつもりなんじゃ……」

「でも相手は千年以上消え去ることなく祟り成す大怨霊ですよ? 果たして祓えるものなのか……」



その瞬間だった。


「『オン ギャク ギャク キリ オン カ ウン ハッタ』」


硬直していた怨霊の巨体がぐにゃりと歪む。



かと思うと、それは見る見る内に形を変え、


「吸い、込まれて行く……?」


紡を中心点としてどんどんとその姿を縮めて行く。


「な、な、一体何が……」


桃子がポカンとしている内に、怨霊はすっかり跡形も無く消えてしまった。それと同時に、


「あっ、あはっ」


さっきまで立つこともつばきが、勢い良く背筋良く立ち上がった。桃子もさっきまで場を支配していた重苦しいプレッシャーが、霧散しているのを感じる。


「身体が軽いです!」

「ホントだ! ばっちり除霊成功ですよこれは!」


清々しい解放感に、桃子とつばきは手を取り合って回る。そして、未だこちらに背を向けている立役者の方へ向き直って、


「ね! 紡さん!」


満面の笑みでねぎらいに掛かる。しかし当の紡はと言えば、相変わらず素っ気無く振り返らず



そのまま、左に崩れ落ちた。

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