九.トマトヘッド

「で結局、我々は今何処に向かっているんです? 関西とは聞いてるんですけど」

「んー?」


翌日の朝、メタリックレッドのアルファロッサーナ ジェンバレッタの車内。

ハンドルを握る紡は煙草を咥えている。が、火は着いていない。この人は桃子がいても平気で副流煙を垂れ流すが、つばきがいると分別が着く。そのくせ咥えるだけ咥えているのは、口寂しいのか。

ドリンク入れに投げ出された、ターコイズブルーの箱に載るネイティブアメリカンの横顔が、つばきに向かって『お嬢ちゃん、済まないね』と言っているような、いないような。


「今向かってるのは、茨城県は坂西ばんざい市だよ」

「茨城県! つばきちゃんの故郷でしたっけ」

「埼玉です」

「全然違いました」


桃子は助手席から後部座席のつばきを窺う。心が広いつばきは、桃子が長い付き合いにも関わらず出身を間違えるような無礼をしても、気にしないようだ。桃子相手に細かいことを期待しても無駄だと理解しているのである。

なので桃子は気を取り直して話題を進める。


「まぁそこは置いといて、茨城と言ったらアンコウですよね! 楽しみだなぁ!」

「残念ながらアンコウの旬は冬だし、そもそも名産地の大洗町おおあらいちょうは坂西市と東西真逆だよ」

「なんと!」


桃子のプチショックを他所に、車は高速道路へと入って行く。






 茨城までは、高速道路と言えども結構かかった。途中桃子の膀胱が乙女の危機を迎える場面もあったが、無事尊厳は守られた。


「君は本当、仕事以上の緊張感を与えてくれるよね」

「そういう日もあります」

「そういう日しかねぇよ!」

「あは。緊張感と言えば……」


つばきは車窓から外を見回す。桃子もそれに倣って周囲を見ると……。


「人っ子一人歩いていませんね……」

「それだけってことだね」

「紡さん軽いノリで説明してたのに、無茶苦茶大事じゃないですか!」

「町一帯って言ったじゃん」


そんな緊張感があるのか無いのか不明な紡が車を停めたのは、『江戸時代から地主の家』みたいな顔をした、大きな日本家屋だった。


「ここが……」

「そう、ここが今回の依頼人のお宅」


紡は運転席を降りて門へ向かう。表札の『藤原ふじわら』の下には、いくら古そうな家とは言え、インターホンが付いていた。紡がそれを押し込むと、ややあって若くはなさそうだがしゃがれてもいない、男性の声が聞こえる。


『はい』

「私、ご依頼いただきました、陰陽師の丹・紡・ホリデイ=陽と申します」

『あー! 堀出ほりでさん! 今開けますから、ちょっとお待ち下さい!』


インターホンの通話が切られた。


「ぷふっ、聞きましたつばきちゃん?」

「あはっ、堀出さんですって。超日本人」

「うるせーやい!」


紡が後ろでコソコソ喋っている二人に吠えると、ちょうど目の前の門が開いた。現れたのは五十代くらいかというような、前髪の後退いちじるしいおじさんだった。生成きなりのシャツにモスグリーンのジョガーパンツで如何にも飾り気が無い雰囲気。

対する紡は花緑青はなろくしょうで襟が御所染ごしょぞめの、髪型以外は竜宮城にでもいそうな格好。つばきは藍墨茶あいすみちゃのデニムポロシャツに月白げっぱくのシャネルレングス丈ギャザースカート。あまりにも対照的過ぎると言うか、見ていて三者三様に世界観が違い過ぎるファッションが並んでいる。


「ようこそ来て下さいました」

「改めまして、私がホ・リ・デ・イ! =陽で、こちらがつばきです」

「よろしくお願い致します」

「紡さん。私私」

「おぉ、あなたはタワシさん」

「紡さんこの人メチャクチャ耳悪い!」


耳悪い疑惑を掛けられたおじさんは、深々と頭を下げる。あぁ、そんなことすると前髪前線が。


「私は平野信彦ひらののぶひこと申します」

「あれっ? 紡さん、確か表札には『藤原』って……」


紡の代わりに、平野が頭を撫でながら答える。


「藤原一家はもうみんな伏せっとります。と言うか、この七重ななえ一帯は、私含めて元気なを数えた方が少ない。」

「えぇ……」


一行は早速、件の井戸の方へ案内された。






 門を潜って花壇や芝生、飛び石が綺麗に整備された道を進むと、玄関前を左に折れて、その先を今度は右に折れたところで全て途切れる。土の道に切り替わった先では、花壇が広々とした家庭菜園になっていた。トマトにナス、奥には黄金マクワウリ、一番向こうに見えるのは、まだ早いジャガイモの葉だろうか。


「立派ですねぇ〜」


桃子が真っ赤に実ったトマトに見惚れていると、


「お一つ如何いかがですか?」


平野の額が熟れたトマトのように、つるりと光った。


「いいんですか!?」

「藤原にも『是非なんでも使ってしてくれ』と言われとります」


しかし紡は首を横に振った。


「遠慮しときます」

「紡さん!?」


桃子の抗議の声に、紡は無表情を叩き付ける。


「考えてもごらんよ。『井戸を掘ったら祟りがあった。そして町一帯に被害が出ている』となったら、それは十中八九土地神や水神の仕業」

「それはもう聞きましたよ」

「そんな彼らの『呪』が籠った土地や水で育った野菜を、安易に口にしない方がいい」

「ひえっ!」


さて、ナスとウリの間の道の先に、立派な井戸が拵えられている。


「貞◯が出て来そうな雰囲気は無いですね」

「あは。最近作ってそんなにさびれてたら、大問題ですよ」

「君達うるさいんだよ。口にナス突っ込もうか?」

「それなら美味しそうなウリがいいですね」

「つばきちゃんお腹空いてるんですか?」


他人の家庭菜園だと言うのに、好き放題近所のカラスみたいな会話をする二人に、平野のウリみたいな頭が揺れる。


「はっはっはっ! 本来だったらこの季節、駒マクワほど甘くはないが糖度も最高で、シャッキリさっぱり夏には一番なんですがね! こういう事件が起きてなければ、藤原も是非ご賞味して欲しかったところでしょう。私もよくもらうが本当に美味い」

「すいませんウチの子らが」

「いえいえ、それより、そのウリやトマトを冷やしたくて井戸を掘ったらしいんですがね……」


平野の、話題を逸らした小童こわっぱ共に責任を感じさせない上手な仕切り直しに乗って、紡も井戸の検分を始める。裏に回ってみたり、落ちないように軽く中を覗いたり、何やら真言を唱えたり……。


「どうでしょうか」

「えぇ」


紡は腕を組んだ。


「もちろん、良くはないですね」

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