七.催眠療法と遠い記憶
「催眠療法というのをご存知ですか?」
紡は鞄に手を入れゴソゴソ漁る。
「聞いたことはあるけど、詳しいことは何も」
紡が自信たっぷりに「方法がある」と言い切ったものだから、生田目も流石に少しだけ態度が柔らかくなっている。
「ざっくり言うと催眠状態、強い暗示がかかった状態にすることで、本人が覚えていないような記憶や深層心理を引き出して、カウンセリングする治療法です。催眠術と言うと相手を眠らせるような『パフォーマンスを下げる』方向ばかりイメージされますが、逆にある意味『本人が外せないリミッターを解除する』ものも多いんですよ」
「そう聞くと怖いな……」
「あは。漫画なんかで『催眠術で洗脳された純朴な村の人が、自滅攻撃要員にされて主人公大ショック!』みたいな展開ありますよね」
「なんてこと言うんですかつばきちゃん」
そうこう言っている内に、紡が鞄から蝋燭を取り出す。
「つまり、催眠状態に掛ければあなたは嘘を吐けない。自分が覚えていないようなことまで、記憶を全部語ってしまうということなんです」
「おいおいおい! 俺のプライバシーは!?」
生田目が思わず身を
「でも、だからこそあなたの語っていることが『本当の記憶』であると証明出来る」
「な、なるほど……。でも」
生田目は居住まいを正して俯く。
「それが証明されたからって、どの道現実は違ってるんだろ? だったら意味無いんじゃ……」
紡は乗り出した体勢から、生田目の顔を覗き込むように動く。
「それもなんとか出来るかも知れない、と言ったら?」
「マジで!?」
生田目は大きく食い付いた。どうやら、それだけ記憶の向こうに待つものへの想いが強いようだ。
「それに今何より大事なのは、あなたがその記憶に対する自信を持ち続けることです。はっきり言って崩れそうなあなたの心に土台を与える為にも、これは必要なことです」
「た、確かに……」
そう年齢は変わらないだろうが歳下だろう女性に、メンタルが限界なのを指摘されて、生田目はほんの少し赤面した。それを気にしないのか気付かないフリをしてあげているのか、紡はマッチを取り出しながら振り向いた。
「桃子ちゃん。ここって火気厳禁?」
「いやぁ、もちろん推奨はされませんけど、昔の警察署なんて何処でも煙草モクモクだったそうなんで、設備的にはなんとかなるんじゃないですかね?」
「そりゃよかった」
「まさか煙草吸いたいんですか?」
「私の持ってる物が見えないのかな?」
紡はマッチで蝋燭に火を点けると、それを生田目の方に突き出した。
「さぁ、この火を見て下さい。火が揺れているのを……」
桃子も釣られて火を見詰めてしまう。
それが迂闊だったか、桃子も段々意識が溶け始める。
「あなたは意識の底へ、深〜く深〜く潜って行きます……」
あぁ……、紡さんの声が遠く…………
「あぁ〜……、やっぱり帝都の夏はあぢゅい……。こんなことならあと数日は西京に、いや、滞在費が……」
キャリーのスーツケースをゴロゴロ言わせて引っ張る桃子。頭が、背中が、腕が足が、強烈な日差しに炙られている。
「やだやだやだ、日焼けしちゃいますよ……。私みたいなのには御法度なのに……」
じゃあ日傘とか持ち歩けよ、という話なのだが、桃子にそんな知能は……。
そんな炙られる前から焼け野原な脳みそである桃子の前方に、見知った影が見える。この日差しの中地獄そうな、黒のセーラー服の彼女は……。
「つばきちゃん! 学校帰りですか!?」
「あは」
万年背の順並び最前列の小柄な身体が、長い左のサイドテールを揺らして振り返る。
「二日ぶりですね。桃子さんも今、帰って来たところですか?」
「えぇ、そうですよ」
「
「楽しむ? 私にとってコミケは戦場です」
「あは」
二人して炎天下を歩いていると、喫茶店が見えて来た。身体の表面が溶けていると言われても、驚かないくらいの暑さに苦しむ桃子は、看板を指差す。
「つばきちゃん、ちょっとそこで涼んで行きません?」
「同感です」
「よしっ! 決まり!」
桃子は喫茶店のドアノブを握り、グッと押し込んだ。ほら、カランカランという音だけでもう涼しい。
店内は冷房が効いていて極楽浄土。しかしこれではすぐに汗が冷えて、地獄を見ることも想像に難くないので、敢えて窓際のテーブル席へ。
「いやぁ〜涼しい涼しい」
座るや否や、襟を引っ張って冷たい空気を取り込む桃子。対するつばきはメニューを開いている。
「何頼みます? あ、かき氷やってる」
「宇治金時練乳はありますか!?」
桃子が大きく身を乗り出すと、つばきは引いて椅子の背もたれに張り付く。
「うわびっくりした……。桃子さんいつもそれですよね」
「これが一番糖分の暴力を感じられるのです」
「太るのは御法度じゃありませんでしたっけ?」
「これは別なんです!」
「別もへったくれも無いのでは……」
桃子はつばきからメニューを取り上げた。
「すいませーん! かき氷の宇治金時練乳二つ!」
「あっ! 私は違うのを頼みたかったのに!」
「うるさい! 一緒に太れ!」
「やだーっ!」
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