二.あなたと私のミル・クレープ

 紡は桃子のミル・クレープを自分の方に引き寄せた。


「あっ、取らないで下さいよ! 自分の分残ってるじゃないですか!」

「取りやしないよ」


紡はミル・クレープの載った皿二つを横に並べた。


「前話した時は確か、ミル・クレープのレイヤーケーキ構造になぞらえて、この世界が多層構造でいくつもの階層に分かれていることを教えてあげたんだったかな」

「強制的に、ですね」


紡は自分のミル・クレープをフォークでなぞる。


「と言うわけで、今回もこれを世界に例えてみようか。ここに一つの世界があります」

「はぁ」

「そしてこちらにもう一つミル・クレープがあるということは?」

「……世界が二つある?」

「その通り! 一口食べていいよ」

「間違ってたら食べれないシステムなんですか?」


桃子は一口だけ紡にミル・クレープを返された。『あーん』と言うやつ。


「それってあれですか? 異世界とか並行世界とかいうやつの話ですか?」

「珍しく冴えてるね。もう一口あげよう」


紡は自分のミル・クレープも一口食べる。


「つまり、この世は一つではないんだよね。銀河と同じ、幾つもの層たる世界が星のように寄り集まって一つになり、そしてその塊が広大な『何か』の中に幾つも幾つも存在している。それは時に、今いる世界と似た環境をしていることもあれば、ガラッと違うことだってあり得る。何処かの世界で私は同じように陰陽師をしていることもあれば医者をしていたり音楽活動をしているかも知れない。桃子ちゃんだってコスプレ活動をしていることもあれば、そもそも存在していないかも知れない」

「私の時だけ例えをハードにしないでもらえます?」

「何処かの世界の私は怨霊かも知れません」

「つばきちゃんが成仏しないのは既定路線なんですか?」


紡は桃子のミル・クレープにじっと目線を向ける。


「それに、同じミル・クレープの世界でも……」


彼女は桃子のミル・クレープをパクッと一口。


「あーっ! 私のミルクレープ!」

「もしかしたら味が違うかも知れない」

「そんなわけないでしょう!」

「そんなことないよ。最も分かり易い例があなたと私」

「はい?」


桃子が仕返しに紡のミル・クレープにフォークを伸ばすと、手の甲をフォークで迎撃された。


「同じ世界で生きている私と桃子ちゃんでも、見えているものは全然違うでしょ? 私には幽霊が見えているけど、君にはそんなもの見えない。その辺の路地を歩くだけでお互い別世界なんだよ」

「それはまぁ、確かに」

「だから世界は複数あって、その中に幾つもの違う層の世界があって、そこに生きる個々人の中に違う世界がある」

「ネズミ講みたいに増えますね」

「あは。言い方が酷い……警察らしい?」


紡は紅茶で喉を湿らせると、


「ねぇ桃子ちゃん」


急に真顔になった。彼女はテーブルに両肘を突き、両手の指を組み合わせてその上に顎を乗せる。


「な、なんでしょう」


紡はなんだか静かで真剣な声を出した。



「つまり、どれだけ似た世界に暮らしても、本当は『あなたの世界』と『私の世界』がある。忘れないで」

「えっ……」



桃子は急に気が遠くなった、気がした。頭痛もする。何より頭の中が、ねっとりした何かを掻き混ぜるような、不快な混乱を起こしている。


「す、すいません……、なんか、冷えてきたのかな、塩梅がちょっと……」

『大丈夫ですか?』


つばきが心配そうに顔を覗き込んできた。黒いセーラー服に赤いスカーフが綺麗だ。






『ラーメンの海苔ってさ、あれどういう態度で向き合ったらいいの?』

『普通に食べろよ』

『そうじゃなくてさ、あれってスープでやられる前にサルベージするの? それともヒタヒタにして食べたらいいの?』

『ラーメンに付いてるんだからスープと合わせるんじゃないか?』

『でもそれだと、わざわざパリッと仕上がってる海苔のアイデンティティを奪うことにならない? たまにある海苔に店名とか入れてるやつとかさ、グチャグチャにしたら申し訳なくない?』

『じゃあ早めに取って食えよ』

『ラーメンライスならまだしも、ラーメン単品でなんでもないただの海苔食べるとかアレじゃん』

『メンドくさい奴だな、事前に調べて海苔の無い店に行け』

『それもなんだかメンドくさいので、私は海苔の半分だけをスープに浸して食べてるんですよ』

『自己解決してんのかよ! なんの話だったんだよ!』


翌日。世間は休日だが桃子はいつものように交番勤務をしていた。昨日はあのまま、あまりの頭痛に気を失って目覚めたら紡邸の客室だったが、一晩寝たらもう何も感じなかった。最初から何も無かったんじゃないだろうか。そんな気さえしている桃子がぼんやりラジオを聞いていると、


『こちら大将軍署より堀川一条交番。沖田、聞こえているか。応答せよ』


近藤とは違う、厳しい怖い方の上司の声が無線から聞こえて来た。ぼーっとしていた桃子は慌てて、誰もいないのに立ち上がって敬礼する。


「はっ! こちら沖田! 今日もこちらはいい天気です!」

『バカもん! んなこたどうでもいい! それより上京区中社町なかやしろちょうのマンションで、住人が暴れているとの通報があった。現場に近いからお前も急行しろ!』

「了解しました!」

『暴れているのは二十代男性。妻と赤ん坊がいるらしい。彼女らの安全に配慮して取り掛かるように』

「……応援は来るんですよね? 私一人でやれって言いませんよね?」

『当たり前だ! さっさと行け!!』

「ひゃ〜い!!」


桃子は慌てて表に駆け出し、自転車に飛び乗った。

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