第十九話 心まで染まる
序.
大体九月
『打ったーっ! 鋭い打球は一、二塁間破る!』
『あー……』
『三塁ランナー帰って来る! 二塁ランナーも……、回った回った! ライトから返球は、返って来なーい! 逆転五対三!! 抑えのガルビス、またも踏ん張れませんでしたーっ!』
『全体的に球が浮いてましたからねぇ。高めの球狙いで強く振り抜かれましたねぇ』
『レオポンズとして一昨年はリーグ優勝、去年は日本一に輝いたチームですが、今日負けてしまうとウィングスとして最初のシーズンは最下位確定となってしまいます!』
ここは京都新撰組スタジアム。プロ野球のナイトゲームが行われているが、客の入りは割とガラガラ。
『Wings』と胸元にロゴが入った白基調のシンプルなデザインのユニフォームに身を包んだ選手達が、力無くベンチに戻って来る。
打たれた助っ人外国人に打球を取れなかったファースト、勢い良く走って来る二塁ランナーを止める術が無かったキャッチャーや対角線の内野を抜けて行く打球を呆然と見送るしかなかったレフトまで。誰一人として悔しさや不甲斐無さに顔を紅潮させることも出来ず、ただただ青ざめた顔をしている。
そしてベンチ側にもそれを迎えてやる気力が無い。
ホームゲーム、まだ九回裏が残っているというのにもう誰にも闘志が残っていない。既に負けた顔をしている。
「おいおいどうした! 顔上げろ! 取り返しに行くぞ! サヨナラだサヨナラ!」
このままではいけない、一人空元気の気勢を張ったのはバッティングコーチの
「胸張れ! わざわざ球場に来てくれたお客さんに! テレビの前のファンに! そんな情けない顔でしょうもない試合見せるつもりか!?」
嶋が手を叩いても返って来る気配は無い。選手も、監督始め他の首脳陣も。
なんなら歳だからもう寝落ちしているんじゃないかと思える程身じろぎもしない監督の
「監督! 先頭は代打
「んぇ? あ、おう……」
打者起用は監督と話し合いだが、逆に言えばある程度嶋自身にも権限がある。彼はこの瞬間を想定して粛々と燻し銀のベテラン加藤を温存していたのだ。
「加藤! 頼むぞ!」
嶋が加藤の肩を叩くと、彼は「はぁ」と口籠るような返事をした。
『九番、代打、加藤〜。背番号、二十五〜』
ウグイス嬢のコールの中加藤が右打席に入るのを、嶋は祈るような気持ちで見詰める。相手チームのクローザーの初球。
『外角ストレート見逃してストライクー!』
『ベルトの高さでしたが手が出ませんでしたねぇ』
「あぁっ!」
嶋は思わず前の席の背もたれに手を突く。これはただ打ち頃の球を打てなかったというだけの問題ではない。この一打席にかける代打という役割で、打てた打てなかったはともかく絶好球に初球から手を出せない集中具合なのが問題なのだ。ベテランの加藤がこの代打の極意的アプローチを理解していないはずは無い。だからこそ輪を掛けて、全員の規範模範となるべきベテランの無気力が及ぼす影響は大きい。
その後加藤はもう一つの代打のタブーたる見逃し三振を喫し、続くバッター達も明らかなボール球を振ったり初球から難しいところを強引に引っ掛けたりして淡々と試合は終わった。
選手達は全然解けなかった試験が終わった学生のようにさっさと帰り、監督も短く気の無いインタビューをし、嶋はそれを見ているしかなかった。
そして時は今。秋季キャンプなどが終わったのは十一月の中頃、ここのところ穏やかに過ごしていた嶋の元に青天の
「ねぇパパ〜、お小遣いちょうだ〜い! 少しでいいから、ね!」
「え〜? どうしようかなぁ〜」
「ダメよあなた、あんまり甘やかしちゃ」
「だってさ」
「もうママぁ!」
その日嶋は自宅でゆっくり、妻の
「お小遣いって、一体何を買うんだ? まさか変にブランドもののバッグとか買う気じゃないだろうな?」
「違うし! ただちょっと、友達と推しのライブ行こうって話になって、東京……」
「なぁんだ。それなら少しと言わず、交通費はパパが出してやろう!」
「やったぁ!」
「あなた!」
「まぁまぁ母さん」
そんな話をしていると、テーブルの上の嶋のスマホが音を立てる。通知を見ると球団からだ。
「あ、ちょっと出て来る」
嶋はスマホを掴んで二階に上がった。
通話に出た彼の耳に飛び込んで来たのは
「監督が退任!? なんだそれ!? 聞いてないぞ!?」
『こっちだって聞いてませんよ。でも契約更改の場で急に……』
「電撃ってレベルじゃないぞ!」
嶋は震える指を折って数え始める。
「監督だけじゃない、今年はもうコーチ陣も
『はい』
「どうなるんだこのチーム!」
『それは今はまだ……。とにかく人事が大きく変わりますので、嶋さんもそのつもりでいて下さい。では』
通話が切れても、嶋はスマホを握っている手をだらんとさせるだけで、あとの動きが取れなかった。
「パパ、大きい声出てたけど、大丈夫……?」
心配して鉄雄を抱えながら様子を見に来た清香にも、
「あ、あぁ……」
と答えるのが精一杯だった。
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