三.仕事もオフなんですが

 見知らぬ人の来訪にも動じない紡の眉が、少しだけピクッと動いた。それは一瞬で、後はなんでもないようにジョッキを傾けているが。

桃子は紡が不躾な相手にキレたりしないか心配で顔をまじまじ見ていたから気付けたが、日和には全く見えていなかったようだ。


「私、占いが大好きなんです!」


飛び跳ねんばかりの勢いの日和に対して、紡は少しだけジョッキから口を離し


「見れば分かる」


本当に本当に、買い物リストの内容を反芻はんすうしている独り言のような小さい声で呟いた。唇の動きだって言葉を発したよりは本の微かな震えにしか見えないくらいだ。


「失礼でしょ! ほら行くよ! すいませんお邪魔して……」


由佳子が積極的に過ぎる友人をテーブルから引き剥がそうとするが、日和の方はまだ交渉したそうにしている。上体は引っ張られるがままだが手はテーブルのふちを掴んでいる。


「えー、ちょっと待ってよぉ。あのー、ダメですか? よく当たるんですよね? 私すごい興味あるなー。いや、疑ってるとか試してやろうとかじゃなくて、本当にいち占い好きとして」

「日和!」


由佳子が直接テーブルを掴んでいる手の方を引き剥がしにかかったところで、つばきが珍しくだんまりな紡にこそっと耳打ちする。


「どうします? 面倒ですしパッとやって帰します? なんなら私がやりますけど」


つばきの提案を紡は手で制し、静かな、水滴が落ちるように透明な声で切り出す。


「本日はオフですので」


いつもオフみたいなもんですけどね、いつもの桃子なら口に出したろうが、この場では黙っておく。

しかし普段空気を読む能力をベッドに置き忘れてしまう桃子でさえ静かにしているのに、この日和という人間はなかなか押しが強い。


「そうなんだ! てことは占いをお仕事になさってる方なんですね? すごい! 何式で占うんですか? 算命学さんめいがく? ホロスコープ? 周易しゅうえき? スクライング? 姓名判断?」

「もういいでしょ日和! いい加減にして! オフの邪魔したらダメだって! 本当すいません! この子ったら本当、占いに目が無いオタクで、本売ってたらすぐ買うし占い師の話聞くと遠くてもすぐ行くし!」


すると紡は、そろそろ由佳子の方が可哀想になって来たのだろう、軽く身を乗り出すと日和の目を覗き込んだ。


「お名前は?」

中田なかた日和です」

「中田日和さん、ね……」


紡は目を閉じると左の耳飾りを外した。銀のチェーンの先にビー玉サイズの水晶玉が漁師の使う浮き玉のようにして付けられている。

彼女はそれを自分と日和の顔の間に持って来る。思わず見入る日和を水晶越しに眺めた紡は、静かな声を出す。


「中田日和さん。あなたは近い内思った以上にお金を使うことになるので、ここではお金を使い過ぎない方がいいですね」

「そ、そうなんですか?」

「えぇ、そうなるでしょう」

「それっていつ、どんな形で?」

「こんな水晶なので、今はこれが精一杯」

「は、はぁ」


あまりにも淡々と粛々と終わったので、日和はやや拍子抜けした顔をしている。その力が抜けた隙に由佳子が彼女を引っ張って行く。


「本当にすいませんでした。お休みのところをお邪魔しました」


由佳子の声が離れるに連れてフェードアウトしていくのを聞きながら、紡はからのジョッキを脇によけた。


「あと一杯飲んだら帰ろうか」






 駅へ向かう帰り道、桃子は気になったことを聞いてみる。


「紡さん、なんだか妙に対応が冷たかったような?」

「そりゃあんなにズカズカ来られたらね」

「それだけですか? 紡さんああいう手合いにはもっとズバッと言ったりナンパ師もヘラヘラかわしたり、なんと言うかこう、積極攻勢じゃないですか。それが引き気味と言うかテンション低いと言うか」

「あぁー……」


紡は少しなんとも言い辛そうな顔をした後、ポソッと溢した。


「まぁ、あんまり占いたくなかったんでね」

「占いたくない」


桃子の目線がなんとなく、揺れる紡の耳飾りに吸い寄せられる。紡はいつも耳飾りをしているが毎回大体違う種類のを付けている為、今日の水晶はたまたまだった。そのことを思えば、桃子なんかからしたら運命的に感じて占いたくなるくらいだが。


「占うの嫌いなんですか?」

「好きじゃないけど嫌いってこともないよ? あまりやらないようにはしてるけど」

「それで気乗りしなかった、と」

「んー……」


紡は少し間を空けた。今考えていることを、わざわざ言う必要があるか吟味しているような様子。


「それもあるんだけど、何より……」

「何より?」

「相性が良くない」

「人として?」

「占いと」

「占う人と占われる人の相性っていうのがあるんですか」


紡は首を、ゆっくり大きく左右に振った。水晶玉が美しく光る。


「と言うより、占いそのものと相性が良くない人はいる」


桃子は思わず立ち止まる。


「えっ? あんなに占い大好きでノー占いノーライフみたいな人なのにですか!?」


すると止まった桃子を置いて行くつばきが振り返る。


「だからじゃないですか?」

「えぇ……?」






 それから少し経ったある日。休みの桃子は紡邸で何をするでもなくゴロゴロゴロゴロしていたのだが、不意に横で一緒に転がっていたつばきが起き上がる。


「どうしたんですか?」

「お客様の気配を感じます」

「気配て」

「私は紡さんを手伝って来ますので、お客様が来られたらお通ししていただけますか?」

「はいはい」


すっかりこのお店の一員扱いですよね、桃子がなんとなく玄関前で待っていると、ややあってインターホンが鳴った。


「はぁい」


桃子がドアを開けるとそこには、


「あ! この前の人!」

「あなたは……」

「やっぱりここがお店であってるんですね!?」


嬉しそうな日和が立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る