二.食材達の残留思念

 休日、桃子が庭で大五郎と落ち葉の掃き掃除(大五郎は荒らすだけだが)をしていると、知らない内に足元に鶏が出現していた。


「うわびっくりした!」

「ワンワン!」


大五郎が今にも襲い掛からんばかりに吠えたので、鶏は塀の上に逃げる。


「大五郎、めっ!」


桃子は大五郎を撫でながら軽く押さえてお座りさせる。そして大五郎と一緒にしゃがみ込みながら塀の上を見上げた。


「あの、確認しますけど、紡さんですよね?」

「つばきちゃんですよ?」

「嘘だ! つばきちゃんはそんな声してない!」

「バレたか」

「タバコ吸ってる二十代が十四歳と同じ声は無理がありますよ」

「これでも綺麗な声と定評はあるんだけどな?」

「知りませんよ」


桃子は軽く室内を振り返る。母親に喋る鶏を見られるのはマズいし会話している自分を見られるのはもっとマズい。母がいないのを確認してから、桃子は少し声をひそめて会話に戻る。


「それで、今日はなんの用ですか?」


鶏は羽毛をブルルッと振るわせる。


「桃子ちゃん牛とか飼ってない?」

「それ答えないと分かりませんか?」

「だよねぇ」

「牛肉でも牛乳でもなく牛って、畑でも耕すんですか?」


鶏は桃子の疑問には答えず塀の向こうへ消えて行った。






 なんとなくさっきの会話が気になった桃子は真相を確かめるべく紡邸へと向かった。

物干しに周るとつばきが縁側で煎餅を齧っているのに遭遇した。黒いボウタイと同色でフリルが縁取られた白いブラウスに、また黒いロング丈のフレアスカート。


「こんにちは」

「あは。こんにちは」


座ったままたおやかに頭を下げるつばきには、十四歳ながら百年の清楚が宿る。童女相手に貞淑な人妻を連想する桃子であった。


「清楚や貞淑って清らかな言葉なのに、何故こんなにエロスを感じるワードなのでしょう?」

「はい?」

「あっ、いえ。なんか紡さんに『牛飼ってないか』って聞かれたんですけどね」

「連れて来たんですか?」

「そう見えます?」

「あは」


桃子が両手を広げて見せるとつばきはクスクス笑った。


「あれは何事だったんですか?」

「あー、紡さん今ブイヨン作ろうとしてるんですよ」


つばきがスッと立ち上がってキッチンの方へ向かうので、桃子も縁側で靴を脱いでお邪魔する。






 キッチンに向かうとグツグツと煮えたぎる音と共に、鼻腔から一気に胃袋まで突き刺さるような芳香に包み込まれる。


「いい匂いしてますねぇ!」


桃子の明るい声に、寸胴鍋の前でおたま片手に仁王立ちしている紡が振り返る。


「やぁ桃子ちゃん」


紡は白いタンクトップの上に白銅色のチャック式パーカーを羽織っていたようだが、キッチンに熱が篭るのか腰巻にしている。下半身はパーカーと同色の八部丈リラックスパンツである。


「これがブイヨンですか」


桃子が鍋を覗くと、そこにはセロリやネギや玉ねぎ人参なんかが入っている。


「本物のブイヨンは牛の脛の肉とか骨とか必要だから欲しかったんだけどね。まず肉屋には売ってない」

「結構贅沢なお料理なんですね」

「そうとも。今回は牛が入れられない分鶏ガラを増やしてる」

「ま、まさか……、さっきの鶏さん!?」


桃子が後ずさると紡は彼女にデコピンした。


「粉末だよ」

「あぁ良かった」


気を取り直した桃子はまた鍋を覗き込む。


「にしても、本当にいい匂いですねぇ。濃厚」


紡は丁寧にアクを掬う。


「同じフレンチの出汁でも、ブイヨンとフォンでは用途が違う。ソースやシチューに使う為に、ある意味メインの味付けを邪魔してはいけないフォンと違って、ブイヨンはスープの基礎に使うので素材の旨味を強く出していい」

「なぁるほどぉ〜」

「あは。絶対よく分かってない」


湯気が熱いので一旦顔を鍋から離した桃子に、紡はニヤリと笑い掛けた。桃子に嫌な予感をさせる笑顔だ。


「ブイヨン、出汁というものはオカルト研究において非常に興味深い『呪』を示してくれる」

「うわっ」


桃子はキッチンの入り口辺りまで逃げたが、紡はお構い無しに鍋のアクを掬いながら続ける。


「例えばこのブイヨン、使った具材を全て取り出してしまえば当然そこにそれらの姿は無い」


そのまま鍋に喋ってればいいんですよ! 桃子はキッチン入り口の縦枠を握ってベーっと舌を出したが、紡は気付かない。


「しかし私達がブイヨンを口にした時、味覚という形で確かにそこに具材達の存在を感じることが出来る」


「ところでつばきちゃん、ブイヨンとコンソメって似たようなインスタントのキューブが売ってますけど、あれって何が違うんです?」


「時に桃子ちゃん。君は物から持ち主の姿を幻視したり、遺品から持ち主の遺したメッセージを読み解く超能力の話を知ってるかな?」


「あは。コンソメはブイヨンを元に味を整えて作るスープ系の一品です。素材とメニュー、早い話鰹出汁とすまし汁くらい違います」


「あれは『残留思念』というものを読み取っているんだ。人が日常的に、或いは強い念を持って使う物や訪れる場所には、その人の思念が染み付くの。彼氏のシャツの残り香のように、いつかのイタリアンであった包丁のように」


桃子が勝手に味見しようとスプーンを伸ばしてつばきがそれを止めるのにも、紡は全く気付かない。


「他にも何処かの禁足地から持ち帰った祟りというのも、本体はいないわけだから出汁と言えるかも知れない」


桃子は無視するのもメンドくさくなって来たので、強引に違う話題を振る。


「ところで紡さん、これはいつになったら食べられるんですか?」


紡は時計を見もしない。


「本格的なブイヨンは弱火で一日掛かるとも言われる」

「一日! お金は掛かるし時間も掛かる! はぁー、もうキューブの奴で良くありません?」

「なんてこと言うの。そういうのが溢れてるからこそ、私は一度くらい自分の手で本格的な奴を」

「粉末の鶏ガラ使ってる時点で……」

「今更そんなこと言うなーっ!!」


桃子史上一番必死な紡の声が響き渡った。

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